特定騒動
十分後。
回収車の駐車場で、金髪ギャルが小動物みたいにうろうろしていた。
目元は寝不足の赤。大きなフードに埋まっているくせに、落ち着きがない。
「ごめんなさい……! キミのせいじゃないのに……! 昨日の配信、同接十五万でさ……! 切り抜きが宇宙みたいに増殖してて……!」
「宇宙みたいに、は比喩として曖昧だな」
「そこはスルーして!? あ、これ見て!」
リオはスマホを突き出した。
『#幽霊を剣で倒した男』の横に炎のアイコンが並んでいる。
動画のサムネには、俺の腕だけが映っていた。
コメント欄が流れる速度は、ダンジョンの上層の滑り斜面より速い。
「『回収屋くんの剣スゲー!』『結婚してくれ』『いや彼氏は俺だ』『隣のギャルかわいすぎ』……。最後のやつはお前のだ」
「私のでもないから!? あと結婚は法律的に無理だから!」
「そういう問題か?」
俺の脳内では、仕事用の電話の受信ボックスがすでに黒い煙を上げ始めていた。
こういう時は、まず現実的な被害確認をする。
「職場に直接の問い合わせは?」
「それが……たぶん、来てる。『回収管理課 雨宮』で検索上位に出てるまとめスレが……うわ、更新された」
「やめろ、その顔はやめろ」
「『勤務先特定できました』『近所です』『現地写真あげます』。……あの、ほんとに謝ってもいい?」
「もう謝っただろ。五十回くらい」
「じゃあ、もう五十回やる」
深く頭を下げた彼女の金髪が、朝の日差しを跳ね返す。
ため息が出た。俺が吸って吐くより、彼女は反省している。
それはそれで、人としては好ましい。
「で、どうしたい。対策」
「まず、非公開にはした。でも切り抜きが止まらない。あと——」
リオはスマホをスワイプした。
企業アカウント、タレント事務所、ニュースメディア。
連絡先の羅列がカーニバルみたいに眩しい。
「『スポンサー契約のお話』『番組出演依頼』『映画の監修』……あ、これやばい。『大手ゲーム会社さんから“コラボしたい”って』」
「人気商売は足が速いな」
「うん。で、キミのほうには――」
俺のスマホが鳴った。知らない番号。
出る前から嫌な予感しかしない。
『お世話になっております、回収管理課の広報担当——』
電話を切った。
五秒で寿命が一週間縮んだ。
「……死人より特定班のほうが怖いな」
「でしょ!? だから、私、考えた」
リオの瞳が、やっと“いつものいたずらっぽさ”を取り戻す。
悪い予感しかしない色だ。
「私がキミの盾になる! 『リオの相棒』って立場で正式に組もう。そうすれば、まともな探索者は手を出せない。企業も、個人も、まず私を通す流れにできる。護衛も、マネジメントも、炎上処理も、私のチームでやる」
「……俺は回収屋だ。配信者でも芸能人でもない」
「わかってる。だから“回収は本業優先”。配信は土日だけ。私が勝手に横で叫んでるだけ。カメラも、遺体が映るところには絶対に向けない。仕事の邪魔はしない。誓う」
「誓ったことのあるやつは、誓うと言わない」
「ずるい! 言い返しが文学!」
「弁慶に誉められたことはない」
「誰!?」
わたわたする彼女を見て、少し笑ってしまった。
緊張は人を壊す。笑いはその逆だ。
だが、現実に戻る。
「盾になるのは助かる。が、タダではやらないだろ」
「もちろん。生配信の収益は“半分”キミに。投げ銭も、案件も、スパチャも、ギフトも、ぜんぶ按分。契約書も用意する。姉が法律系だから、ちゃんとしたやつ」
「半分?」
「そ、半分! リオまるTVの新プロジェクト、『回収屋くん with リオまる』!」
口に出すな、そういう語感のいい地獄みたいな名前を。
俺の中の電卓が、勝手に回り始める。
桁が増える数字は、理性を溶かす毒だ。
(……あの支払いも、多少は楽になる)
無意識に奥歯を噛んでいたらしい。
リオが、こちらの目の動きを一瞬で読み取った。
「ね、ね、ね? 本業の車も装備もアップデートできる。キミの剣だって、鍛冶屋さんにメンテ出せるし、あ、宣伝にもなるし」
「剣は宣伝しない」
「じゃあ“存在を否定される剣”って謎設定にしよう」
「それはもう俺じゃなくて剣が主人公だろ」
沈黙。
数秒のあいだ、冷たい朝の空気が肺を撫でる。
「……条件がある」
「なに? なに?」
「回収の時は、必ず離れて待て。俺が合図するまで近づくな。泣くな。叫ぶな。撮るな」
「うん。約束する。泣くのは……うう、努力する」
即答。
そして、ほんの少し震えた“努力する”が、彼女の本当を示していた。
怖いのだ。怖いけれど、逃げない人間の声だった。
俺は手を差し出した。
リオは一拍置いてから、満面の笑みで握り返す。
温度が高い。人間らしい熱。
「……組む。土日だけだ」
「やったーーーっ!! 相棒ーーーー!!」
駐車場にギャルの絶叫が響いた。
上の階の誰かがカーテンをするりと閉じた。
「で、最初の現場は?」
「明後日の土曜。予定では《病院跡ダンジョン》だ」
リオの動きが止まる。
わかりやすく、肩がすくんだ。
「……“あそこ”、いっちゃうの?」
「仕事を選り好みできないからな」
「うう。でも、ま、撮れ高は期待できるな!」
胸を叩く音。空元気が、少しだけ本当の勇気に近い。
「じゃ、段取り! 私のチームで送迎車を出す。打ち合わせは今日の夜。アンチ対策はモデレーターを二十人に増やす。スポンサーは数社に保留返し。警備は腕のいいとこ押さえる」
「やること多すぎないか」
「大丈夫。バズってるときは全部早回し。遅れると死ぬ。生き延びようね」
リオは、目をぎゅっと細めて笑った。
その笑い方は、配信画面で見るより子どもっぽい。
人に頼られると、人は強くなるのかもしれない。
「そうだ。ひとつだけ言っておく」
「うん?」
「俺は幽霊が見えない。見えないまま、仕事をする」
「知ってる。でも——」
彼女は少しだけ視線を落とした。
朝の風が、金髪の先端を揺らす。
「見えないからこそ、届くものもあるって、昨日わかった。だから、隣にいてほしい」
言葉を飲み込む。
うまい返しが見つからない。
代わりに、工具箱を開けて剣の柄を確かめた。
いつもの重さ。いつもの手触り。
「……何かあったら、俺が切る」
「うん。私が騒ぐ」
「順番が逆じゃないか」
「いいの! “画面映え”って大事だから!」
そこまで言って、リオはふっと真顔になった。
スマホの画面に、何かが映ったのかもしれない。
あるいは、ただの気のせいか。
「——ねえ、雨宮くん」
呼ばれて振り向く。
彼女の瞳の中に、一瞬だけ、誰かの影が揺れた気がした。
ほんの一秒。風よりも短い。
次の瞬間には、彼女はいつもの笑顔に戻っていた。
「朝ごはん食べた? エナドリ奢る!」
紙コップ二つ。缶を三本。
砂糖の災害みたいな朝食を抱えて、俺たちは駐車場を出た。
SNSはまだ燃えている。
通知はまだ止まらない。
スポンサーは増え、アンチは吠え、まとめサイトは誤字を連発する。
それでも俺は、回収屋だ。
死者を迎えに行く仕事は、今日も変わらない。
——そして、明後日。
《病院跡ダンジョン》で、“本当にヤバいもの”を見ることになるとは、
このときの俺は、まだ知らなかった。