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エピローグ

 その世界には魔法があった。


 その世界には奇跡があった。


 それらはどちらも、本来自然的に、そして人工的にも起こせ得ぬ事象現象を、不思議な力ないし極限り無く小さい確率によって起こした、あるいは起きた際の代名詞だった。


 例として――蘇生が半ば不可能な人間が生き返った。生き返らせた。すると人々は口をそろえて奇跡だと喜ぶ。その技術を魔法のようだと触れ回る。それが当たり前に実現し、存在していて、そして殆どの人間が魔法を使えた時代。


 世界中の人間はその力を頼りに技術を発達させ、そして自分を磨いてきた。だが結局、その有象無象がただ一つの強大な力によって守られていた、なんて事の自覚は無かった。その自覚こそが、彼らに課せられた唯一無二の義務だというのにも関わらず。


 明日が当たり前のように存在していて、それが死ぬまで続いている。平和がそうに人類の脳を侵し、呆けさせた。


「奇跡と魔法、双つの大木、さらにそれらが絡み合って一本の樹となる……いや、こじつけかな」


 ――”あれ”から数日が経過した。ローラン・ハーヴェストは蒼穹の下、その鋭い日照を浴びながら、空を見上げていた。


 頬を撫でるのは誰の手でもなく、生温い風だった。服が肌に張り付くほど流す汗に加えて、さらに不快感が増す。彼は短い嘆息の後、首の骨を鳴らしてから、大きく伸びをした。


「はは、やっぱりここに居た」


 見下ろす景色は、人の行き交う街並み。大きな通りの中を人がまばらに通い、その両脇に所狭しと商店が並ぶ平穏な街だった。まるで最初から最後まで何もなかったように、魔族の襲来跡も全て綺麗に修繕され、そしてより強固となる。しかしそれも、これから恐らく長い間訪れる平和の中では、半ば無駄な事だった。


 生活音も、人の足音も、話し声も、その全ては学園の屋上である其処には届かない。だが、不意に背から掛けられたその声だけは、唯一空気を震わし彼の耳に届いていた。


 呼ばれたように、ロランは何気なく振り返る。柵に預けていた身体を起こして捻り、その後方を確認して――見えたのは、少年の姿だった。短い髪が風で揺れ、背がそう高くは無く、だからといって華奢でもないどこにでも居そうな、だがもう何処にも居ない少年のその姿シルエットが見えて……。


「せっかく元の生活に戻れたのに、どうしてこんなところにいるの?」


 ただ一度の瞬きで、髪は伸び、身長はより縮み、そして衣服は風にはためき、華奢な肢体が浮かび上がっていた。そして何よりも、ただのシルエットだったその姿が、確かな少女の、アータン=フォングの姿になったのを、彼は見ていた。


 それから、また短い溜息を吐く。今度は背を柵に預けてしっかりと面と向かい合ってから、肩をすくめた。


「死ぬまで資金、衣食住の支援を約束され、さらに出来得る限りの願い事を叶えて貰える俺は、もう授業に出席しなくても卒業できるからだよ」


「ふぅん。ローランはそういうのあまり好きじゃないと思ってたけど、そうじゃないのね」


「お前は楽しんでればいいだろ? 行くアテも無くて、しかも希望してここに来たんだから」


「…………でも」


 ロランは面倒臭そうに、空を見上げた。両肘を背後の柵に乗せ、胸を張って見上げると喉の筋が延び、息苦しかった。声を出すとかすれるが、それよりも、まるでいじめられっ子が両親に学校での近況ことを聞かれて思わず言い淀んだような声が、少し気になった。


 だが、以外にロランはそれをスルー。それは彼女が望まずぬ状況であったとしても、彼女が何とかする事であり、第三者が口を挟むことであったとしても、自分には関係ないと考えた所以だった。つまりひと言で言うと面倒で――しばらくの間、一人にして欲しかったのだ。


 残念な事があって、やたら周りが慰めたり励ましてくれたりする。それは嬉しい事だ。孤独な人間からすればうやまられそして嫉妬される対象とさえなる。だが、わがままを言えるのならば、少しくらいそっとしておいて欲しいのだ。


 そもそも、ロランは人付き合いが苦手な故に、学園生活も殆どが唯一の親友に頼りきっていた。


 だから――彼が既にこの世を去った事を、もう一人の親しかった友人には伝えていない。そして恐らく、新参者のアータン=フォングとローラン・ハーヴェストとの関係を不思議に思い、尾行しているだろう彼女がそろそろこの場へ参上仕るだろうと言う事を予想して、少しばかり憂鬱になった。


 まだ風紀委員の面々にすら告げていないのだ。というか、その事については、ロランの口が動いた事は一度も無かった。だからこそ、何を言えばいいのか分からなかったし、


「ローラン・ハーヴェストッ!」


 勢い良く開かれた鉄製の扉は、壁に叩きつけられた事によって何よりもやかましい音を掻き鳴らした。まるで耳元で力一杯手を叩かれ音を鳴らされたかのような衝撃が脳まで素直に浸透し、思わず目を瞑る。すると鬼の形相で、女生徒はおよそ女生徒らしくない闊歩を見せて、ロランへと肉薄した。


 似合わぬぶかぶかの制服を纏うフォングを押しのけようとして、やはり考えを改めたのか、横へ跳ぶように移動し、そして彼女に背を見せるように前へ回り込んだ。フォングはその背を複雑な表情で見てから、そっと視線を逸らした。彼女も彼女なりに、状況を察しているようだった。


「ここ数日、勇者候補生として貴方が戻ってきたのにも関わらず、なぜだか如月双樹の姿が見えないの。そう、貴方が帰ってきたその日から。そして同時に、目撃者も完全な皆無……。ねぇ、何か知らない?」


 今にもロランの首を絞め、骨をへし折り引きちぎらんとする殺気を持つ彼女に、思わず戦慄した。何が彼女をここまでさせるのだろうか。ただ好いただけだとしても、この異常性は流石に行き過ぎではないのかと、冗談を抜いても本気で心のそこで思えてしまう。


あいつなら……死んだよ」


 だからロランはさらっと何気なく伝えてやった。


 自分があれほど否定した事実を。夢想だと信じ、そして自分が認められぬ事実で涙を流す仲間に自身の幻想を押し付け喚いたあの日を無かった事にするように。まるで自分に未練など最初はなから無かったと、嘘をつくように。


 彼女はそれを聞くや否や、その顔から表情を消した。完全な無表情となり、一瞬にして蝋人形なのかと思ってしまうほど、動かなくなる。その急変ぶりに、ロランの背筋が冷たくなる。今すぐにでも、この屋上から飛び降りてでも、逃げ出したかった。


 如月双樹が死んだことを悔やんで胸が痛みすぎて、などと言う理由ではない。自分の不甲斐なさが追い込んだ訳でもない。ただ単純に、目の前の”アカツキ・シズク”に恐怖を感じたからである。


 不意に視界が大きく揺らぐ。肩が何か、万力で挟まれたかのような痛みを覚え、骨が悲鳴を上げた。肉が断裂されているような感覚があった。そして肩は激しく揺さぶられ、それに追いつかぬ首はワンテンポ遅れて振り子時計のように前後した。


 その中で聞くのは、何で彼が死ぬのか、という意味の、悲鳴。喚き。言葉に成らぬ、咆哮。彼女は涙を流さず、たったひと言で全てを理解したかのように、啼いていた。


 こんなとき――あぁ、こんなとき、お前ならどうするだろう。


 ロランは胸の中で呟いた。自分の言葉では、到底彼女を治められるはずが無い。このまま殺されても抵抗は出来ず、そして文句すら言えないくらい、後悔しているのだ。彼女にそれを伝えた事を。そして彼を、その命を失わせてしまった事を。


 今こうして立っていられるのは彼のお陰なのだ――と、既に幾度めになるだろうか、判別も付かぬ言葉を過ぎらせた。どれほど彼が大切な存在だったのか。彼が居なくなってようやく分かった。


 学園を離れる事になった時は、それほどでもなかったはずなのに、なぜ……。弱者が強者に、命を賭して打ち勝ったその結果が、美しいからだろうか。ただ今は、気持ちの良い劇を見た後、感傷に浸っている状況のようなものなのだろうか。それは分からないし、もし後者なのだとしたら、分かりたくも無かった。


 腕が不意に、熱くなる。なんの予兆も無く、その内側から途端に、血液が沸騰するかのような熱が腕を襲った。そしてまた、新たな命が其処にあるかのように、どくんと――腕が大きく、高鳴った。


「――――っ!」


 既にシズクの言葉は言葉に非ず。咆哮が意味を持たずに獣の如く放たれた。強いて考えるならば、恐らく悲しみを現わすモノなのだろうと思えるソレを、”彼”が聞いて、そして腕を動かした。


 勢い良く振り上げられた腕は、肩を掴むそれらを弾き、そして今度はアカツキ・シズクの頭を掴む。振り乱れた髪の中涙に滲む瞳は焦点を定め、そんな行動によって制止した。髪が口にかかって垂れて、やがて彼女の体の震えが、腕に伝わった。しかしロランが感じたのは、彼女が流した涙の悲しみだった。


「よく見ておけ……くっ、これが、これがアイツの、最期だ……っ!」


 ロランが、痛みにあえぎながら言葉を紡ぐ。その中で、掌は一層熱を帯びた。その異常な体温は、シズクの頭を優しく暖め、落ち着かせる。不思議な穏やかさが、彼女の中に浸透していた。そして掌は、意思を持つかのように、輝いて……。


 一瞬、アカツキ・シズクは、夢を見た。


 楽しくて、嬉しくて、そして悲しくて、とても痛いその夢は、だがしかし、最後には心を満たす何かがあった。言葉では表せぬ快感が、胸の中を通り抜けた。爽快感が不思議に心の奥底にこびり付いて、物語の終焉を何度も新鮮に見るかのようだった。


 終わらぬ感動が、消える事無く胸に疼いていた。


 そして彼女は理解する。ロランの気持ちと、如月双樹のその思いを。自分の身勝手さを加えて、彼女は自身が極端に小さく見えてしまった。


「可笑しな話だ。誰よりも弱かった奴が、その自分を取り巻く周囲の人間の心を惹いていたんだからな」


「そして彼が教えてくれた。魔王を倒すのは確かに純粋な力だったけど、まず何よりも、勇気が必要だって。そして彼が与えてくれた。震える足を、抑える術を。誰よりも強い勇気を。何よりも暖かい励ましを」


 シズクの後ろで、アータン=フォングが後を次いだ。彼女は振り返って声の主を、アータン=フォングを、その強い眼差しを見た。


「恐らく人間達は時を経て魔王の事を忘れると思う。そして同時に、ただでさえ知るものが少ない彼が板と言う事実も、自然抹消されてくる。その中で貴方が出来る事は、彼の望みでも有る事を、実行すること。それはつまり」


「私は彼を、如月双樹を忘れない。それでいいんでしょう?」


 あぁ。背を向けるシズクに短い返事をすると、ロランは再び、柵に背を預けて空を仰いだ。


 気がつくと右腕は既に熱を冷ましていて、先ほどの滾る熱さが、凄まじい熱なのに苦しいとは思えぬあの灼熱が、嘘のようだった。


「あぁ、畜生。空の蒼さが、目に染みる」


 ロランの目の淵から一筋の涙が流れて堕ちた。にもかかわらず、その口元は嬉しそうに釣りあがり笑顔を作り出していた。


 彼が見上げる空はそこから世界各地へと広がっている。そして今この瞬間も、彼が最期に居たあの場所に繋がっているのだろう。この腕と、同じように。


 そう思うと不思議と悲しみは失せていった。先ほどまで、虚脱感に似たやるせながら消失していくのを感じた。心の底からやる気が湧いてきたのを、そして以前、如月双樹に問われ、答えを濁した質問を思い出した。


 ――ロランは何になりたいの?


 彼はいつか、そう聞いた。恐らく、学園最弱が決定した日のことだったろうか。そしてロランは、何も決まっていない事が恥ずかしく思えて、入学するのに一生懸命でまだ分からないと答えた。


 だが今は違う。もう決まったのだ。何よりも大きな夢、否、夢で終わらぬ、どデカイ事が。


 だから決して揺らがぬように、口にする。決意を持って、言葉にする。


「如月双樹。俺は、お前が安心できる世界を作ってやるよ。もう心配が出来ないくらい、完璧な、平和な世界を」


 ――そして世界は、たった一人の小さな願いから、たった一人の実行者によって思惑通りになるのだが、それはまだ遠い未来の事である。


 それからロランは、右腕が優しく疼くのを、心地よく感じていた。



                                  おわり

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