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13 ――運命の分岐点――

 顔面は分厚い鉄の兜に覆われていて、その隙間から漏れる光は赤みを帯びていた。彼が見る世界は、その鮮血を思わせる紅を孕みつつも、淀み、混濁し、輪郭も存在も、そのすべてが曖昧な、そんな空間だった。


 痛みが全身に染み渡る。哀愁すら感じ始めるその激痛は、彼の恐怖を呼び起こした。いつからか忘れていたその感覚は、大分前に麻痺したそれだった。


 だから動けた。だから立ち向かえた。奇跡は、感情が欠落する事によって不完全でも本来の扱い方で、元々の目的に沿って利用できた。だがそれも、これまでなのだ。


 もうダメだ。もう戦えない。対峙できない。動けない。逃げ出したい――。


 弱気が全てに於いて先行する。全身を守るように複製つくり出された鋼鉄の鎧は木製の扉よりやや右側の、分厚いコンクリート壁に埋め込まれ、その中の、か弱くひ弱な肢体は、小刻みに震えていた。


 しかし、自分がやるべき事はもう終えた。ならば十分ではないのか。存分に傷ついた。これで自己満足さえも終了したのだ。ここに居るべき必要もなくなった、筈だった。


 ――魔王に埋め込んだのは新たな命などではなく、ただの心臓ポンプなのだ。だから、彼は通常の倍以上の力で流れる血液に血管を破裂されぬよう、堪えねばならぬ。不規則に重なる鼓動さえも制御しなければならないのだ。その苦痛は、想像を絶するであろう。


 だが、彼がもしそれを受け入れようと言う行動に出るのならば――彼がもし、如月青年が埋め込んだ心臓に順応するべく、肉体を細胞レベルから強化しようと言う行動を取るのならば、今までしたような肉体強化とは桁違いに強くなるだろう。


 単純に考えれば倍近くの身体能力を、常時持ち合わせることになる。が、その結果に行き着く頃、彼はどれほど消耗しているだろうか。


 体力も魔力も消耗せずに、それを行えるはずが無い。さらに彼は影を消滅させられ、肉体を移動させられ、さらに現在勇者候補生との戦闘を経て、かなりの疲労が蓄積されているはずだ。恐らくは、その額から生える二本の角のうち、まだ立派に残る一本をへし折っても力が暴走できぬ程度まで。


 だから、どちらに転んでも人間側に好機が訪れる。少なくとも、三つあるうちの二つの考えは、その結果に行き着いた。


 しかし如月は、魔王が未だ興味を示さぬ全身甲冑の中で弱々しく震えつつも、もう一つの、唯一つの不安因子を思考した。


 魔王が捨て身覚悟で、肉体を、血液の激流に痛めつけながらも”全力”を出してきたら。仮に、自棄になったとしたら。そうなったとき、勝てる可能性は未だ存在してくれているだろうか。


 堪えは否と言うべきだろう。無駄な楽観は持たぬ方が、むしろ心を楽にさせる。


「日が昇って早々に門扉を叩いた貴様は、日が落ちはじめる時刻になっても帰る気配はない……常識というものは、聞いた事があるか?」


 吹き飛ばされた瞬間に気を失ったから、空が赤くなるまで時間が進んでしまったのか。または、上の空で考え事をしつつも恐怖に怯えていた所為で、時間の経過に気がつかなかったのか。先ほどまでの対峙に夢中になりすぎて、もうその時点で夕方だったのか、定かではない。が、青年がやるべき事をやりおえ魔王を苦しめた直後に紡がれた言葉は、それが初めてだった。


 そんな台詞は間違いなく如月青年に紡がれていた。そして、恐らくその肉体が壁に埋め込まれるほどの衝撃が城全体を揺らしたのにも関わらず、仲間が誰一人として駆けつけていないところを見ると、答えは三つ目が妥当だろうと思えた。


 青年は、言葉を受けても返せずに居た。それは、一般人が不意に大きな事件に巻き込まれ、犯人に人質とされるべく喉元に鋭い刃を突きつけられたときと同じように、言葉を失ったためであった。


 だが、最後の力を振り絞って壁から腕を引き抜き、甲冑を繋ぐ金具を解く。すると重力によって中身は、開かれた甲冑の中から、扉を突き破るかのように押し開けるかのように飛び出し、地面に叩きつけられた。


「僕は、僕は……」


 それから弱々しく立ち上がり、震える足で床を踏みしめた。隣に存在していたと思っていた木製の扉は崩壊し、瓦礫に埋もれていた。彼はそれをみて、再び時間がどれほど経過したのか、見失ってしまった。


 これでは声は届き難いだろう。だが、どちらにせよ仲間たちは魔王と如月、両者がこの中に残されている事くらいは勘付いている、筈だろう。如月はならば、と考えて、いや、と否定した。


 魔王が今――少なくとも、青年の意識がはっきりとしてからこの瞬間までで、彼にトドメをさせないはずが無い。幾ら心臓が二つになって苦しくとも、その程度は訳でもない。ならば、何故生かしておいたのだろうか。それには、恐らく先の言葉がヒントになっているのだろう。


 彼は暗に、いや、半ば直接的に帰れと言う意味の言葉を吐き捨てた。いくらハイドが居なくなったからといっても、邪魔になるであろう彼に向かって。それは冷静に聞けば、やはりどこかおかしかった。


 如月双樹の眉がひそむ。凹凸の激しい壁に背を預けたまま、彼の恐怖は再び麻痺し始めていた。胸の奥で、何かが蠢くのを感じた。


 貴様は……彼はそう言った。複数形ではないのは、今この場に居るのが青年だからと考えれば妥当なのだろう。しかし――。


「ハッ、まさか貴様、仲間が逃げたとか、殺された、だとか、考えたのかァ?」


 声は途切れ途切れに、息苦しさを隠すように思考の邪魔をした。それからようやく、如月双樹はまともに魔王へと眼を向けた。


「残念だが、私にはその余裕も、時間も、無い。が」


 逆光の中に影が一つ。それがおそらく魔王なのだろうが――垂れる腕は一本だけで、もう一本は胸辺りの添えられているのか、影は重なっていた。


「兎にも角にも、貴様の思惑は潰えた事だけは確かだな……恐らく、こればかりは予想していなかっただろうが、な」


 言葉は徐々に余裕を取り戻し始めていた。途切れ途切れに、息苦しさが見えるような言葉遣いはやがていつも通りの冷静さを孕ませつつ、すらすらと喉の奥から滑り出させていた。


「どういう、事ですか?」


 独り言は彼が返答する事によって会話に進化する。そしてその会話によって、如月は先ほどの行動が半ば無駄になった事を知った。


 ずちゅりと液体が滴り擦れる音が耳に届くと、魔王の小さなうめきが聞こえた。さらに胸に”添えられていた”腕は、そんな音の後に大きく広げられ、その掌に何かを持っていた。


「――僭越ながら」


 如月双樹が眼を広げ口を間抜けに開け放したまま、魔王が微笑んでいるであろう黒い影を見つめて声を聞いた。彼は続けて、


「貴様の思いつかぬもう一つの考えを」


 と呟いた後、ゆっくりとした動作で歩み寄りながら、言葉を続けた。


「私が心臓二つ分の痛みを甘んじてやがて力尽きる。肉体をもう一つの心臓にあわせて強化する。痛みを我慢し貴様等を殲滅する――そこまでだろう。恐らく、貴様が考えられる精々は。だがその実、もう一つの案があったことを、お前は今知った」


 こつり、と足音が響く。閑静な室内は、この空間内が静かであるだけではありえぬほど静寂であった。それは中庭、そして瓦礫に埋もれた扉の向こう側でも、物音一つ起きていない事を示していた。


 魔王は数多ある天井の一部を乗り越え、その影を縦に、横に揺らし、そして敵意無く、青年の数メートル手前に立ち止まった。目線は大体同じ高さで――酷い血の臭いが、如月の鼻を衝いた。


 彼の中の心臓がどくんと一度だけ激しく高鳴ると、同時に魔王が持つ掌の中の”何か”が同じく痙攣し、血流が吹き出て顔を汚した。


「私に受けは存在しない。私はこの肉体が私である限り不純物は受け入れないし、摘出がどれほど負担になろうとも厭わず実行する。故に攻撃も、痛みさえも、私は受け付けない。常に攻めて、潰すッ!」


 声を荒げると、掌の中で強く握られていた心臓は、岩を砕く握力によってただの肉塊と化す。魔王はさらに顔を近づけ、青年は背後を壁にしているが為に、微動だに出来なかった。


 心臓が張り裂けそうなくらい高鳴って、だというのに呼吸は不思議なくらい落ち着いていた。思考は硬直しただ白紙を描き、青年は魔王を瞳で捉えるのがやっとだった。


「ククク、阿呆が。貴様がこの心臓を植えつける行動が貴様のこれからを左右するのではない。役割は確かにそこで終えたのだろうが――貴様は、これからだ。この私を、この状況で、どう切り抜けるか……運命は、そこで決する」


 そして青年の運命が確かなモノとなったとき、良くも悪くもこの戦闘は終わりに近づく。それだけは、両者とも共通できた認識だった。


 そうして、魔王が心臓だった肉塊を投げ捨て、その手が青年へと伸びた瞬間――その腕は、弾かれたかのように力強く上へ飛び、そして背後に回る。その直後に、咆哮に近い叫び声が魔王に突き刺さった。


「確かに!」


 魔王より背後から現れた声は、なぜだか、その声の主が腕を弾いたのだろうと思わせた。まず始めにタイミングが合いすぎていたし、その聞き覚えのある声が頭の中で思い描く人物と同じならば、背後だろうと上空だろうと、問題は無い。そして何よりも、青年は一ミリたりとも、その身を動かしていないのだから。


 声は、だがな、と後を追い、魔王は短く息を吐きながら青年を流し目で見送り、背を向ける。声の主に対して正面に向き直り、彼は青年が先ほどそうしていたように、逆光の中に浮かぶ影を睨んでいた。


「彼は私が選んだ”駒”ではない。だが、彼が来なければ我々が生き延びる事は出来なかった、といっても過言ではないだろう。持ち上げすぎ、過剰評価とは、決して言えぬ功績だ」


 青年は誰よりも早くテンメイに乗り移った魔王を見極め、そして仲間の手助けを、時間稼ぎを試みた。派手さは皆無でありながらも、その攻撃手段は重要であり、少なからずとも魔王の注意を引いていた。そして出来上がる隙は、結果的にこれまで使用していなかった能力の一つを露呈させるまでに到った。


「レイド。貴様がもう動けるとは、流石の私も少しは驚い――」


「黙って聞けよ愚図が。最早角を折っても力が暴走できぬほど疲弊しているお前は、今総力をぶつけられれば危うい事くらい理解できているのだろう? その器での、その程度の余力は、お前の傲慢な態度では到底隠せぬ程なのだからな」


 さっさと終わらせよう。彼は続けて毒付くと、首を捻って骨を鳴らした。


 相対するように、魔王は拳を掌に押し付けて、指の骨を鳴らしていた。


「言葉ならまだしも、口から吐き出される糞を黙って見過ごすほど私は寛容ではないのでな」


「餓鬼じみた挑発はどうでも良いが――貴様が促した行動に、注視せねば運命がどうのこうのと言う前に」


 ――魔王が、彼が紡ぐ台詞を、最後まで聞かずとも察し理解する。そしてそれが意味するものへと勢い良く振り返ると、怯えた様子の青年は、毒に犯されたかのように口から血を吐き出している最中であった。足元は俄かに血で濡れる。たった、それだけであった。


「死ぬぞ、戯けが」


 不覚にも裏をかかれた魔王は、レイドが肉薄するために隙を作らされたのを知った。だが、その直後にあながち、その台詞が隙を作らせるためのモノでないことも理解する。


 それは、足元の血液が瞬く間に増加し、そして瞬間敵にに硬直し、何らかの作用で再び足元の行動が封じられたからであって……。


 ――それら全てを邪魔する轟音が、彼らの傍らにある、扉を封じる瓦礫が吹き飛ばした。


 それを実行したのは、如月双樹の存在を確認できず、先ほどの部屋に残した事を理解した勇者候補生の仕業であり、それによって彼らは見事合流を果たすが――魔王を討つ唯一といっても過言ではない機会チャンスを、無自覚に棒に振った。

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