10 ――いたちごっこ――
その爆発をきっかけに、状況を理解できずとも戦闘の開始を認識した候補生三人は、立ち止まってしまったシャロンを追い越して青年――如月双樹の傍らへと集合した。
駆けつける仲間を尻目に、青年はそのまま大きく飛びのきながら、両腕に沿うように携える無数の弾丸の内、右腕から五発を連射する。それぞれには別々の魔法を発動させる陣が刻まれているが、現段階ではどれが何の術を紡ぐのか判断できない。それは、その弾丸には魔力の気配が一切無いからである。
魔力さえ存在していれば、炎やら氷やら、その現象に変換される際に、どの系統のものなのか判別が付く。だがその魔法が完遂されるのは、弾丸が目標に直撃したその瞬間であるために、対処法は皆無。あるいは、その弾を避ける事しかないのだ。
魔王は聡くも狡くそれを知る。だが青年は保身の為に後退したのではないのだ。
自分は肉弾戦闘が得意ではなく、またそもそも接近戦が上手ではない事を理解している故に、仲間の邪魔にならない位置に移動した。故に、後退という表現には少しばかり語弊があったのかもしれない。彼は、自分に相応しい立ち位置に戻っただけなのだから。
そして、そうする内に弾丸は青年が居た場所より遥かに離れ、やがては魔王の額を狙うように肉薄する。しかし、その弾へと、魔王の掌は”また”薙がれていた。
異空間、あるいはどこか別の場所へと強制的に誘ってしまうその手は、血に濡れる顔を青年の視界から隠すように重なり、そして弾丸は思惑通りに掌の中へと消えていった。
音も無く、空間に歪みも揺れも起こさず、まるで何事も無かったように。
しかし、それは戦闘開始のきっかけに過ぎなかった。
如月双樹と魔王。その対立を、対峙を、さらに候補生を参戦させて展開させる。それを改めて開始する為に、彼らも戦いに加わるぞという意思疎通の為に、行動を起こさせる為に、魔王の、まだ余裕がある心情を利用して死角を作る為に放たれた弾丸だった。
故に、魔王には隙が生まれた。正面に手を突き出した事によって空と足元以外の景色が全て消失し――ローラン・ハーヴェストの接近を、許していた。
しかしそれが敢えて、わざとそうしている事を知らぬは本人ばかりか。否、少なくとも候補生に選ばれこの場に命を存続させて尚対峙している三人は、その事に気付けていない。ただひたすらに、油断丸出しの純粋なる悪に正義の鉄槌を下し、あわよくばこれで戦闘が終わりだと考えているだけだった。
ろくな情報も持たず、探ろうともせず、また正確な判断もしない。その三人は、魔王から笑顔という表情を引き出させるまでに、滑稽に見えていた。
やがて最後の一発がどこかへと消された頃。ロランの拳は同時に魔王の腹部の数センチ手前まで肉薄し、そして――その手甲から伸びている関節を、魔王の視界に捉えられていた。
如月の背筋に寒気が走る。その凍りつく様な寒さは、遥か南の、全てが凍て付く土地の大気が流れてきたのかと錯覚してしまう程冷たかった。息が詰まる。次の瞬間を想像する彼の瞳には、真赤に染まった光景が映し出されていた。
が――。想像は妄想に変化した。予測した光景はあり得ぬ事の想像だったのだと、認識し直された。
関節が無い部分も可動できる程にボロボロにされ、最終的には四肢が散り散りに、そうして肉塊へと変貌した親友は、やはり無意識が作り出した空想に終える。
結局、その強く固く握られた手甲は、鋭く激しく、魔王の腹部に叩きつけられたのだ。肉を叩く音が重く響き、衝撃が周囲の物体全てに伝わる。魔王は表情を見られぬように顔を隠したまま、またもう一方の手を、その指先を頭に突き刺したまま、中庭へと吹き飛ばされていた。
そして数瞬後に、床を揺らす大激震が彼らを襲った。その原因は、魔王が対面の中庭の外壁に衝突し、さらにそれを打ち破った為であった。一度の大きな衝撃の後は、砕けた壁がぱらぱらと破片を散らす音が響くだけ。魔王がその瓦礫に埋もれて動く音は一切無く、
「やった、のか……?」
確かな手ごたえがあった拳と、煙立ちこめる中庭とを交互に睨みながら、ロランは呟いた。その時彼の頭からは、完全に、魔王の持つ特殊能力のことは消え去っていた。だからこそ、その身から油断が駄々漏れていた。
しかし、戦闘に加わっているのは彼だけではなく、また中には直感が鋭い者も居るのだ。故に、いくらロランが隙丸出しで武器を放棄し寝転がろうとも、彼を援護する相棒は、狡辛く、彼を狙う魔王を狙う。
「そこっ!」
アータン・フォングが咆える。同時に掌に圧縮されていた黒い渦は球体と化して、打ち放たれた。球は素早く宙を飛び、室内から中庭へと瞬く間に移動して――壁に衝突する事無く、丁度その中庭の中心辺りで激しく爆ぜた。彼女はその寸前に、黒い影が間に合わぬ回避の代わりに身を捻るのを捉えていた。
だからその頬は引きあがる。確かな直撃を目の当たりにし、またいくら魔王でも傷の一つや二つ、もしかしたら重傷さえも負ってくれているかもしれない威力の攻撃である。単純に、魔力を高圧縮させた遠距離攻撃だが、ただの衝突でこれほどの爆発が起こるのだから、一概にあり得ぬ事だと吐き捨てることも出来ない。
彼女は、中庭から流れて入り込む白煙を睨みながらそう考えていた。
しかしそれは驕りだと知る。空の青さしか知らぬ蛙は、およそあり得ぬ魔王の急加速による肉薄を視た。そして不意な出来事に全身の筋肉が緊張し、肉体は硬直する。
煙の分厚い壁を突き破り、まるでたった一度の跳躍で飛び込んできたのかと思うような態勢で、まだ衝撃の余韻が残る室内へと魔王は登場し、そして刹那――反撃せんと大きく振りかぶるロランの懐に、彼は一瞬にして潜り込んだ。
レイミは既に腕を竜に飲み込ませていた。だが、彼女の位置からは到底届く位置ではなく、また青年の攻撃手段では入り込めぬ死角に潜っていた。故に、その場では魔王とロランの一対一となっていて――魔王が彼の懐に入り込み、まるで上から落ちてきたかのような強い衝撃が地面を響かせた、次の瞬間。
ロランは何の予兆も見せぬまま、突然腹部を殴られたかのように身体をくの字に折り曲げ、背後へと吹き飛んだ。その中でようやく振るわれた拳はそれが当たり前のように虚空を切り、青年は迫り来る親友の背を見つめながら、その場に深く屈んでやり過ごす。
やや遅れて、その背に轟音が突き刺さった。
まるで流れるような連撃。大地を叩くようにして着地した魔王が攻撃をするには、もう少し時間が必要だったはずである。だが、今回は半ば着地と同時にロランが吹き飛んだ。だとすれば、魔王は既に空中で攻撃の体勢を整えていたのだと考えられる。
青年は続けて思考した。考えることに然程時間は必要ない。しかし、まだ轟音が掻き鳴り、それが終えぬ間にそれを終わらさなければならないだろう。時間は掛からぬが、今の攻撃を見た後では、魔王の行動全てを攻撃なのだと認識して注視しなければならない。故に、思考する余裕が失われるのだ。
魔王は今体勢を整えている途中だろう――しかし、あの、まるで跳躍した直後のような体勢は攻撃を仕掛けるようなものではなかったし、どう考えてもあそこから拳あるいは脚が放たれたとしたら、対象は地面に叩きつけられるようになるはずなのだ。
しかしロランは山なりに吹き飛んだ。ならば肉体による打撃ではなかったと考えれば、連撃はそう不思議なモノでもなくなるのだが――。
「はっ! 奇跡の力? 何でもできる? 唯一我々に対抗できる術? 何をほざいた、貴様は」
声は、耳元で響いた後、僅かな時間を置いて言葉として認識される。それからまた経過して、魔王が背後へ移動していたのだと、理解した。
「私を倒すどころか傷一つ付けることが出来ない。いや、ただまともに私と対峙することすらままならない貴様が……」
徐々に下がりつつある声音は、彼の不機嫌さを現わしていた。一触即発とも言わんばかりに魔力と感情を張り詰める魔王を、その背に携えて、
「だったら早く、僕を殺して見せてくださいよ」
全身に纏わり付いていた弾丸は、気がつくとただの一発も魔王の目には映らない。それは、弾丸全てが彼の死角に回ったことを教えていた。
殺せたかもしれない時間を使って伝えた言葉は、何も生み出さず却って青年に攻撃する余裕を与えてしまった。元よりこの接触で手を下すつもりは無かった彼ではあるが、恐れもしない反抗的な態度に、流石に語気を荒げざるを得なかった。
彼の放出する魔力が背後で無数の個体を捉えていた。首筋、脇、関節、一撃でも当たれば有効であろう部分に集中し始め、十数発がそれぞれ一個体となるも、
「洒落臭いッ!」
それを捉えていた魔力は瞬時にして全てを排他する衝撃へと変換された。故に、弾丸が漸く攻撃準備を終了した瞬間、全てを水泡に帰す衝撃が、刹那にしてその弾丸全てを、ついでにロランへの追撃とするかのように弾き飛ばした。
そしてその隙に魔王の視界から逃れようとする青年――如月双樹は、その後頭部を、魔王に掴まれていた。
「殺してみろ、だと? あぁ了解とも、殺してやる……お望み通りになッ!」




