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8 ――女の子――

 魔王が作り出した”影”は、半ば彼の理想のようなものだった。


 あれ程の素早さと、あれ程の力強さと、あれ程の修復速度を持ち合わせれば最早敵など居ない。危惧するのはただ一つ、回復に使用する、吸収し蓄えた人間の命の数量のみであり、しかしやはり、敵が居ないのだから、それを心配するのも無駄と言うものだろう。


「確かに肉体は理想だったかもしれない。いや、下手をすれば理想を超えた代物だったのかも……? しかし、私が求めるのはアレだけではない。貴様は見たのか? あの肉体かげが、魔法や瞬間移動てんそう以外の能力を使うところを」


 外は穏やかな空気に満たされていた。シャロンに誘われた場所は城の中庭のような場所で、そう広くは無いが、狭くも無い。闘技場のように城の内壁に囲まれる空間となるそこには、生い茂る芝と、数本の木々が自然の清さを醸しだしていた。


 これから起こるであろう、否、既に起こっている事態とは全く反対の精練されたような綺麗過ぎる場所だった。今回の事の全ては此処から広がったのだとは思えないくらい、清浄であった。


「いや……。もし今お前が持ち合わせている幾つモノ特殊能力があれば、負けなかったとでも?」


 その中庭に入るためには扉を開けなければ、普通は入れない。だというのにがっちりと閉め固めてある扉は、侵入者の一切を許さぬように見えた。


 シャロンはその中で槍を手に握り、その切っ先を天に向けた格好で構え、耳を跳ねさせた。


「答えるまでも無いがな」


 彼女の鋭い視線は、魔王の眉間を貫いた。熱の籠った愛のある眼とは異なる、憎しみ、怒りやらその負の感情全てを混ぜて濃縮させたような心境が垣間見えるものだった。しかし魔王はたじろがない。それは”その程度”のモノなのだ。


 だから大した反応も無いままに、魔王は僅かに腰を落とした。大地を蹴り飛ばし芝生の海に飛び込むと同時に、シャロンの顔面に拳を叩き込んで一発撃沈を狙う行動を取るための予備動作である。しかし、その内なる筋肉の流動は、悠久の時を戦闘に投じた傭兵シャロンに一瞬にして次の行動を見極せてしまう。


 故に、彼女は魔王が腰を落とした瞬間、その身体は弾丸よりも早く直線を描き出していた。


「身体能力が圧倒的に欠如している貴様は最早――」


 残像を作りつつ振るわれる槍は最終的にその穂先だけを魔王に認識させる。そして刹那、瞬きをする時間よりも早く切っ先は加速し肉薄し、


「敵では――」


 魔王が、その何よりも素早い行動に対しては若干緩慢に見える動作で、右手を開いて前に突き出した。自信を孕む表情で。腕から全身を包むような魔力を滾らせて。


「無いっ!」


 槍は力強く突きを放つ。


 だがその行動が終えた時に漸く見えた結果が、彼女に混乱を招いた。理解できないという風に目を開かせ、僅かに遅れて乱れた大気を戻そうと引き起こる暴風が彼女を嬲るも、ほんの少しもシャロンは動く事は無かった。


 槍は額を貫く予定だった。ほんの数瞬前までそれは確定的だった。その行動を起こそうとした瞬間、それは運命として現実になる筈だった。だが彼女の腕から伸びる槍は――虚空を貫き、魔王の頬の横で静止していた。


「身体能力を上回る能力がある。忘れてしまったのか? なぜ貴様が前回、つまり二○○年前の決戦で戦力外通告されたのか」


 静かに叱り付けるような声は、心を揺さぶるほどの威厳があった。魔王は、決して動く事の無いシャロンの瞳を捉えながら、見せる掌を、拳を作る事によって隠し、それから人差し指を一本立てた。


 ひとつ。彼はそう口にしてから、大きく息を吸った。分厚い筋肉を纏う胸は少し膨らみ、腹の奥底から声を響かせた。


「思慮、冷静さ、感情の抑制が圧倒的に欠如している貴様は最早敵ではない、という事だ……。貴様は思ったよりも”女”でいるらしいからな」


「な、なら何故レイドも」


「単純に実力不足だ。分かるだろう? 私に対抗できるのは勇者の力だ。だから勇者には、元より仲間は必要ない。逆に足を引っ張る存在なのだよ。人より少しばかり長生きで、人より少しばかり強いくらいで調子に乗っているようだがな」


 たった一度、攻撃が回避されただけで実力差が理解できた。シャロンはその程度くらいの実力は持ち合わせていた。だが、魔王の言うとおり、彼を倒すほどの力は無い。しかし、出来る気がしたのだ。


 思い込みでもない。自分を過剰評価したわけでもない。ただ倒せる気がした。少年を助けた瞬間、力が胸の奥から湧いたのだが――。


「分かるだろう? なぁシャロン……その肉体の寿命がいくら長くても、貴様と言う個体はそこまで生き延びるべきではなかった。レイドにしてもそうだ。全ては継ぐべきなのだ……だから」


 声は最後まで言葉に成らなかった。それは頬のすぐ隣にある槍の穂先が不意に薙がれ、彼の頬を殴り抜けるように切り裂いたからであった。空気を断ち、肉を斬る音が耳に届く。びちゃりと血液が散り、足元の芝生を薄く濡らした。


 魔王は刃に切られて横を向き、そのまま開けたままの口を静かに閉ざした。言葉は不要だと、それだけで伝えるように、改めて正面を向く彼の瞳は異様なほどに冷めていた。


 空気の流れが変わる。雰囲気が凍えるような気がして、汗が引いた。シャロンは短く浅い呼吸を繰り返しながら、一歩分、擦りながら踏ん張りの利かない芝生を踏み潰す。


「分かった。もう楽には殺してやらんよ」


 魔王はゆっくりと唇を動かした。失望しきったような声は、シャロンの心臓を抉るようだった。

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