6 ――新世代――
痛みは無く、音は無い。ただ恐怖し身を萎縮させてしまう程の威圧と魔力が肉体を襲っているだけだった。彼が見る世界に色は無く、また明るさも皆無であり、暗黒。それを見た次の瞬間、世界は再び光に満たされた。
「残り一秒」
それは恐怖に圧されて見た幻覚だと、そう理解できたのは彼が口にした制限時間と視界のブラックアウトがちぐはぐだからだった。
訳も分からず、シャロンは背後のテンメイと、少年とを交互に見合わせてから、レイドに手を引かれてその場から素早く、というよりも一瞬にして姿を消した。全てを暴き追い詰めて、そして追い詰められた少年よりも彼女を優先する辺り、やはりレイドは冷静な人間なのだ。彼はそれを再認識できて、うっすらと微笑んだ。
「良く動かなかったな小僧。誉めてやろう」
――瞬間、決して動かず、その気配すら見せなかったテンメイは気がつくと目の前に居た。息遣いが理解でき、その吐息が顔に掛かる近さに彼は立っていた。気配には、殺気と魔力が入り混じって混沌とし、それによって心臓を鷲掴まれているかのような息苦しさを覚えた。
しかし、少年はそれを隠すような微笑を続け、
「マイナス一秒経過。これで貴方の予言は現実のものとはならず、僕は未来永劫この肉体と首を繋げたままとなる訳ですが……?」
ポケットの中に手を突っ込んで、挑発じみた行動を取った。しかし、魔王が口にしたのが本当に予言を装ったものなのだとしたら、彼の言葉は正にその通りである。口にした未来は、たとえ結果が最終的に死であればなんでも良いというわけではない。一分一秒違えば、予言どおりの未来が出来上がっていようとも、予言の力は半減したような目で見られる。それが時間指定までされていれば、尚更のことなのだ。
だが、そんな言葉を受けても彼は動かなかった。
――時間は更に経過した。
一分、一時間、あるいは一日ほど経過したのだろうか――そう思うほど、時の流れが緩慢に感じた。実際には、額から漸く頬へと汗が流れ落ちる程度の時間だった。悠久にもなる時間は、ただそこに魔王がいるというだけの理由で、永久にも変化するように思えた。
それほどまで、心底恐ろしかった。腹の底が緊張で、鋭い痛みを電撃の如く走らせた。
「奇妙なモノだ。貴様は、勇者の末裔か?」
不意に口にされたその台詞は、確かに少年――今は青年――に放たれたものだった。が、彼には反応が無い。意識を失っているわけでも、聞こえないわけでもないし、かといって無視をしたという事でもない。自分に言われたものだと理解しつつも、言葉は片方の耳からもう片方へと素通りし、脳へと言葉を刻まなかったのだ。
簡単に言えば、ただぼうっとしていただけである。この状況ではありえぬことかも知れないが、あまりの恐怖ゆえに、その感覚が麻痺してしまったのだ。それほどに、彼はどこにでもいる、一般人だった。先ほどの挑発が嘘のように。
だが、魔王はその沈黙を肯定と受け取った。ハイドが最期の勇者だと知識で知っている彼ではあるが、何かの拍子で血が続いたと、たった一握りであろう可能性を信じたのだ。これもまた、ありえぬことかもしれないが――こればかりは、この状況が、魔王にそうだと納得させたきっかけだった。
「流石にこればかりは計算外だったが、どちらにせよ、貴様はそれほどまで実力は無い様だ。ならば」
そう台詞を意気揚々と口にする中で、ふと我に返る少年は、咄嗟にポケットの中から手を抜いた。魔王は錯乱気味に見えた彼の動作を見守ろうとすると――その手の中に、鉛色の光沢を覚えた。
魔王がそれを見て、それからゆっくりと少年の瞳を覗き込むように目を向けた。彼は同時に、魔王の顔を見て、視線はやがて交じ合って、
「っ!」
思わず、心臓が一度大きく高鳴った。
まるで、それがきっかけのように、背筋を、肉体の芯を熱くさせた。熱して蕩けた鉄のようになり、それによって脳が沸騰してしまったような感覚が、視界を赤く染めた。妙な焦燥が呼吸を早めた。口は、無意識に、
「増えろ」
呪文を紡いでいた――。
広げた掌は、陣も無くただ淡く光り、その領空のみを無重力に変えたように、鉛色した楕円形の金属――四四口径は有ろうかという弾丸は、宙に浮かび上がった。火薬の代わりに魔法を詰め込んだそれは、以前学園都市前で戦闘を行った際に、装填用に預かっていたものだった。しかし、それを返す間も無く、拳銃を扱っていた少女は入院し、少年はレイドらに付いていった。
残ったのは数発の実包のみであり、その大きさ故に大量に込められた魔力は、十分に魔族に通用するほどの魔法を叩き出してくれるであろうと言う希望を孕んでいた。最も、仮にそれで対抗できたとしても、決め手になる、あるいは武器になることすら怪しいのだが。
そして数発の弾丸は確かに弾丸だと魔王に認識され、直後――意志を持つかのように、その中の一発が突発的に弾き飛んだ。
「馬鹿野郎ッ! 何考えてるのさっ、何でよりにもよって、彼よりも私を先に……っ!」
シャロンの悲鳴じみた咆哮がレイドを襲った。最後には言葉を押し殺す彼女は、自身に対する過大評価と少年への過小評価が我慢ならず、だがしかし、それを台詞にすることが出来ない自分が悔しかった。
太陽の陽が直接差し込む其処は城の外であり、腐臭立ち込めるそこは門前であった。彼女の手を掴んで引いたレイドはその場に跪き、音も無く肩を上下させていた。呼吸を殺すように、荒れる息遣いを隠すように彼はやがてシャロンからも手を離し、石畳の地面に両手を付いた。
「あの状況、奴なら、上手く生き残れる……、そう判断した。この、私がだ……」
「愚鈍な私だけど、今になって漸く理解できたこの低脳だけど、アンタの言葉だけは何年かけても理解できないね。何さ、魔王相手に交渉ができるとでも?」
自分の無力さと、未だにハイドに縋ろうとしていた自分の情けなさと、それに対する怒り全てを、八つ当たり気味にレイドに吐き出した。彼はそれを頭から被るだけで、それ以上の言葉を口にせず、ただ滴る汗と乱れた呼吸だけを見せていた。
そもそも、レイドは今回の作戦上、戦闘に参加する予定は無かった。理由は簡単に、勇者候補生の肉体を成長させるに使用する魔力は膨大なモノであり、元々持て余すほどの魔力ですら足りるかどうか分からぬ程であったからだ。だから、大分前から、彼はガス欠に近かった。それでも立ち上がり魔王と対峙できたのは、ハイドの影響を受けた精神がそうさせていた、という事しか理由付けることが出来ない。
そして、レイドは先ほどの瞬間移動の魔法でついに魔力が底を尽きた。綺麗さっぱり、空っぽになった彼は、同時に肉体疲労も限界と達した。魔力の消費は、同時に肉体に疲弊を覚えさせる。消費量の大きい一度の魔法も、小出しに連発した魔法も、最終的には身体に疲れとして変換され、魔法を紡ぐ精神力に影響を与える。
故に、魔法を扱うものは前線に立たぬことが基本であった。それが例え、魔法使いが一番の戦力であろうとも。
そんな、今にも倒れて意識を手放してしまいそうな彼は、その中で、少年が誘導的にテンメイを乗っ取った魔王の本性を引き出した際に、理解したのだ。彼ならば生き残れる。彼は何かを持っている。既に、最初から隠し持っていた実力が――肉体の成長をきっかけに、芽生えたのだ、と。
それが通用するかは分からない。だが、少なからずとも、勇者候補生に近い――身体能力を持たずとも――総合的な戦闘能力を持っているのだ。
いつか来るであろうと見越して創った、この時の為に設立した学園の中に埋もれて消えるだろうと思っていた、多くの中の一人。数値化される戦闘能力は学園の中で最下位である彼を、レイドは半ば気紛れに連れて来た。きっかけは、彼の自己推薦だったが――まさか、と。レイドは空気を貪る中で、一番大きく息を吐く。それは、傍らのシャロンにも、溜息だと分かるくらい大きな吐息だった。
「出来すぎている、気がする……」
まるで図ったように、微かな希望となって彼は現れた――そうに、レイドの中で少年は美化されていた。ついで、残るローラン・ハーヴェストも、アータン=フォングも、レイミも、その実力を脳裏に過ぎらせては、彼を頷かせた。
――世代交代だと、ようやくその時が来たのだと、思われた。彼は勝手に、そう考えた。
「気付いていたか、少年の祖国は、倭皇国だ」
レイドはその台詞の後、自嘲気味に軽く笑うと、激しくむせ込んだ。シャロンはその言葉を脳に刻みながら、過去を思い返した。以前、ハイドと愉快な仲間と共に倭皇国に行った際の、記憶である。
倭皇国は、退魔の国だった。その国に住む人間の殆どは、その魔力を限り無く清浄なモノとして持っていた。故に、その国の魔力は魔物、魔族に対して、通常の倍近く、あるいはそれ以上の威力となって相対する。
しかし、シャロンはそんな事など、以前から承知の上のことだった。だから、何を今更言っているのだろうか、と思った。彼女は以前、傭兵として学園に居て、さらに彼のクラスを受け持っていたのだ。個人の名前が特徴的な倭皇国である。名簿を見て、それに気付けぬはずが無い。
倭皇国の人間だからといっても、少年はまだ未熟である――そう口にしようとして、彼女はようやく、レイドの言わんとしている事の、その表面に抵触した。
少年が未熟だったのは、戦闘面に関してのみであり――肉体成長が全盛期の状態で止まった彼は、既に十分なほどの魔力を持っているだろう。そして彼は、勇者のことを、その歴史や血筋を良く調べていたらしかった。ついでに言えば、今対峙している魔王は勇者によって封印されていて、無論、その事も、方法も、事細かく書籍に記されていたことだろう。
詰まる所、彼はその、四○○年前の決戦の再現が出来る力を手にしたと言う事であった。
「封印は、命を犠牲にするの……。彼が、そこまでする理由は無いッ! 義務も、義理も存在しない」
「そうする事によってありがちな英雄的行為が達成され、自己満足は完結する。最も――」
彼に限っては、そんな事はありえない話だが。
そう口にしようとした。否、口にし終えたのだ。傍らに居る”はず”のシャロンへと。張り詰めた状況を、冗談めかしい台詞によって若干弛緩させ、それからロラン達と合流を図ろうと、そういった思惑は――言葉の途中から、城へと全力疾走したシャロンによって、脆くも崩された。
やがて、そう時間をおかずに、呼吸は落ち着いた。
「最も、少年が知識上で覚えた魔法は、それよりも難度が高いものだがな」
誰にとも無くレイドは言って、背後で起こった地響きに、やれやれと肩をすくめ最後にとばかりに大きく嘆息した。轟と唸る大地を足から感じながら、僅かな動作で振り向いた。
見上げる西の空は、その蒼さを増していた。




