5 ――火蓋は落とされた――
様々な私情と感情とが入り混じるだけのその事象が展開されて、その場は一時解散となった。去るものを追わぬテンメイ、シャロンに背を向けて、ローラン・ハーヴェスト、アータン・フォング、レイミの三名は退場し、少年もソレに続こうとするのだが――その肩を、レイドに掴まれてしまった。
肉体成長も半ば無駄となり、しかし残りの問題は彼が片付けてくれるものなのだとばかり思っていた少年は、そんな行動に思わず顔をしかめた。眉が寄り皺をつくり、鋭い眼光はそれだけで威圧があった。
レイドは、彼の成長を、肉体、精神共に確かなモノだとそれで確信して――微笑み返した。少年は、意味が分からないと呟いた後、短い嘆息と共に振り返った。
「両者共に詳細を知らない僕をここに置いて何の利益があるのです」
「お前の発想力が大切だ。この場を上手く切り抜ける策を考えろ。私はその間、説得を試みる」
限り無く小さい声で紡がれたのは、無責任且つ投げっぱなしの提案だった。そもそもこの状況で説得などが可能となるのか、半ば死を求めているような魔族相手にそれが通用するのか。それがまず始めに疑問となって脳裏を駆けた。
しかし同時に、まるで無駄と思われるほど強い説得力が強引に納得させた。妙に、彼なら出来るのだろうと思えてしまうところが、恐ろしい所だとも思えた。
レイドはそれだけを言って、少年に背を向ける。後は任せたぞと、その背から言葉が滲み出しているように見えて、彼は再び短く息を吐いてから、思考を出来うる限りの速さで回転させた。まず最初に、説得は無理だろうという消去法から始めて、
「諸君、私には争うつもりは毛頭ないとの旨を伝えるつもりだが、そういった場合、諸君等はその戦闘意欲を滅却して共に手を取り合う提案を受け入れる、その器が存在するのか?」
唐突口をついて出てきたらしい挑発にも似た台詞が、思考の邪魔をした。まるでわざと言っているような――否、恐らくわざとそう言っているのであろうその言葉は、だがしかし、少年には何を意図してそうしているのかは理解できなかった。
これでは、ただでさえ押せば無に帰そうな均衡の崩壊を、加速させているだけに過ぎない。直ぐに何かが膨れて破裂し、そしてどちらかが、あるいは両者がレイドに向かって襲い掛かるだろう。そして、半ば魔力切れである彼はそれに対処しきれないだろう。
しかし――レイドは愚者ではない。故に、何か考えがあるのだろう。無ければおかしいのだ。彼は阿呆を装う系統の賢者ではない。だからこそ、今回のその交渉術に、少しばかりの違和感を拭い去ることは出来なかった。
それにばかり意識が向き、少年はソレに気付いて直ぐに、テンメイを、シャロンを納得させ且つ冷静さを取り戻させるような言葉を、自身の貧相な頭脳の中から検索し引き出そうと試みるが、それが可能なモノは見つからないように見えた。だから、仕方なく、言葉と言葉を繋ぎ合わせる作業に移るのだが、
「しないだろうな。ただ本能の赴くままに戦う阿呆共に言葉は通じない。だれも、腕に止まり吸血する蚊に、やめてくれと諭す者は居ない――」
「何が言いたいのさ、レイド。まさか、私諸共”無かったこと”にしようと考えているの? ……だろうね。名も無き勇者も、被害最小の魔王もいなくなったんだ。全てを無に帰すのならば、世界を平和にするのならば私の、この思想は邪魔だからね」
躍起に、というよりは自棄になったように吐き捨てられる言葉は、最早彼女は聞く耳を持たぬ事を教えてくれた。全てを曲解し、全てを敵と見るように瞳を輝かせるシャロンは、ゆっくりと、開いた亜空間の中に手を入れた。
間髪おかずに、マッチを擦るような摩擦音が聞こえた。レイドはそんな舌打ちを鳴らしつつ、まだかまだかと焦らせるようにちらりちらりと少年へと合図する――が。
「……おかしいな」
彼はそれどころではなかった。
言葉を繋げていたら、まるでその場しのぎの言い訳じみた台詞ばかりが浮かんだのでそれを打ち消し、まず原点から、どうしてこうなったのかを順を追って考え始めたのだが、そこで妙な違和感が浮かび、不信感を抱いた。
まず一つに、本体が疲弊しすぎてしまうくらい”影”あるいは”分身体”に力を与えた魔王について。
少なくとも彼はハイドを認めていたはずだし、この場に来ることも分かっていた。だからこそ、魔族であることを、その角を持つことを利用して操ったのだ。だが、その次――角をへし折り遠隔操作から自立することも予見えていた筈だ。寧ろ、魔王ほどの者が、それを予測できぬはずが無い。
そして同時に、万が一にも分身体が打ち破られてしまう可能性も考えるだろう。だが、魔王はソレに対する対処を一切行わなかった。それはなぜか? ただの驕りか、油断なのか?
否――魔王が、数百年の封印を耐え抜き、封印自体のボロが出ることを予測しそれを待っていた魔王が、ここ一番の大事なところで手を滑らせるわけが無い。
そしてまた一つ。魔王の、元々持ち合わせていた魔法でも魔術でもない、誰にも持ちえぬ特殊能力は影による吸収であった。影を伸ばし敵の肉体を喰らい、そして力を得る。これは、テンメイの”死喰らい”に似ては居ないだろうか。
テンメイの死喰らいは対象の生きた頭部を喰らうことにより、記憶、力、魔法、魔術、その全てを得る能力だ。相手の死を喰らい、死を奪う。故に敵は死ぬのではなく、記憶やその他諸々をテンメイに受け継がせてその中で生き延びてゆく、と言うものなのだが――酷似していた。
さらに、幾らハイドが要注意人物だとは言っても、実質ハイドに勝てるものは世界に存在しなかった。そして次ぐ実力者がテンメイであり、彼は魔王を裏切っているのは明らかだった。全てを受け継ぎ力を蓄える、その恐ろしさを知る魔王は、勇者に協力する彼を真っ先に潰すのが普通だろう。どちらにせよ、ハイドに精神的なダメージを与えるには、周囲から叩くのが効果的であるはずであった。
まだその時生きていた部下を使えば、勝てる可能性は少なからずあった。最低でも、ハイドに挑むほど絶望的ではなかった。だがそうしなかったところを見ると、”生かしておいた”と言う事なのだろうか?
また、一つ。魔王の影はただ強大すぎる肉体と、強い威力の魔術だけで戦っていた。彼は、少なくとも魔族六体分の特殊能力はその肉体に戻っていた筈なのだ。だが実際に使用していた可能性のあるものは、”転送”ただ一つ。力を与え、完全に城外でハイドを倒すつもりだったのならば、全てを渡すはずだろう。
影にあれほどの力を与えた時点で、保身は考えるだけで不利となる。その事を、魔王が理解できぬ筈が無いし――封印される以前にも取り戻していた能力があるはずである。どれほどの量かは分からぬが、やはり影に一つ二つの能力だけを渡すというのは、やはり不自然に思えた。
そして――最後に、一つ。
テンメイは人間の食べすぎで、その記憶に感化されすぎた。だから心の動きが激しく、元々より脆弱になった――そう仮定しても、今の彼は幾らなんでも精神をズタボロにしすぎのような気がした。
未来に絶望しただけで、テンメイともあろう者がこんな状態になるだろうか。
何かがあった。そう考えても、今こうして放心しているテンメイを見据えているのに、何故だか彼が絶望している想像が出来ない矛盾を、少年は抱いていた。
――濃い血の臭いが鼻についた。どこかで何かの死体が流血し、空間中にその香りを舞わせていた。恐らく、どこかの瓦礫の下に、魔王の死体があるのだろう。
「ふ、貴様等など物の数ではないのだ。私が直接手を下すまでも無い――だろう? ショウ、と言ったか」
「なんですかその神頼みでもしそうな視線は。物の数ではないのなら、その無敵の『賢者の称号』でなんとかしてくださいよ」
それからややあって、成る程と辻褄のあった推測を終えた少年は短い吐息に続けて、そう吐き出した。
そうしてから彼は、高い位置に顔のある長身のテンメイの瞳を見た。聡い自分を見て希望を持っているのだとばかり思っていたその目は、どうやら違い――鋭く、睨む視線に変わっていた。まるで、気付いてはいけないことに気付いたことを、狡猾にも理解し、どう始末するか、そう考えている間に逃げることを許さぬ重圧を与えるような視線に。
――魔王は全てを予見ていた。自分がハイドに敵わぬことも、ハイドも自爆以外では自身に敵わぬことも。だからソレと――ハイドが残していったものを、利用した。
「ハイドさんは”意思”しか残せなかった。だけど魔王さん、貴方は”肉体以外”全てを持ち越せた。貴方はハイドさんを魔王のようだと口にしたが――いやはや、貴方こそが、魔王に相応しいよ。その執念深さは、下劣だけれど」
魔王はなんらかの特殊能力を使用して、テンメイがハイドの意思を継ぎ人間の犠牲を出す前に自身を始末に来た際に、肉体を乗り移った。恐らく即効性のものではなく、徐々に、まるで毒や呪いのように少しずつ肉体を蝕むようなものを。恐らく、ハイドが以前魔族の肉体を得るきっかけとなった、特殊能力のように。
つい数瞬前までは辛うじてテンメイの意識はあったのだろう。それに堪えるので精一杯だったのだろう。だが、今はその意識は無い。完全に叩き潰された。恐らく、こんな危機的状況が来るであろうと思って創って置いた肉体の、一時的にソレを管理する命は失せたのだ。
魔王以外に唯一持つ、成長できる能力。それは自身の器となった際、実力に不備が出ぬようにその能力をつくり、テンメイに持たせたのだった。
テンメイは最初から、いつかやってくるであろう肉体の消滅を予見して作られた、予備であった。そして、魔王は数ある能力の内の、肉体を乗っ取るソレでテンメイの中へと入り込んだのだ。
半ば本来の実力と変わらぬ、再生速度だけが異常に速い影と戦わせ、ハイドから自爆以外の選択肢を奪って消滅させ――そしてテンメイを乗っ取った。
これで最早恐るる物は何一つ無く、後は娯楽気分でシャロンの心を弄んだのだろう――。
「我に言っているのか、貴様? どちらにせよ理解不能だが」
「貴方はその実力の高さに影を落とした。……貴方の発想力の枯渇が僕に気付かせてくれましたよ。より効率的に成長させるために、貴方の持つ本来の能力を若干の改変だけでテンメイに与えたのが、一番の失策でした。いい加減、猿芝居をやめることを推奨します」
「くっ、頭でっかちが」
ショウの言葉に嫌気が差したのか、面倒になったのか――テンメイは不意に口調を変えて、舌打ちをした。それからわざとらしく深く溜息を吐くと、それからうんざりしたような表情を取った。
まるで、暖めていた計画がおじゃんになってそれを憎むように。全てが嫌になって、ベッドに飛び込む数秒前のような顔は、ただ少年だけに向いていた。
「この肉体での一番目の被害者は貴様に大決定。そこを動くな。二秒後に首を飛ばす」
伸ばす腕はシャロンの肩を通り過ぎて少年を指差した。彼は唐突な台詞に、思わぬ変わり身に絶句して――次の瞬間、視界から光が失せたのを見た。




