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3 ――迷走――

 国家がなんの問題も起こさずに数百年続くのはそう珍しい事ではなかった。争いを起こさぬ政治体制がある国だけが生き残り、今この世界に存在していない国や都は、それとは対象的なまつりごとだった故に、滅びて消えたのだ。


 この国も、つい数ヶ月前までは生きて居た。この城は、そんな亡びた後の時間も存在し続けていた。外傷も無く、ただ一つの改築も存在しないその空間は数百年の時を閉じ込めていた。


 一歩中に入り込むと、まず始めに淀んだ空気が迎えた。


 広い空間はホールとなっていて、外から差し込む光に、床が鈍く照らされる。陽光は床に薄く積もった埃と、空気中のソレとを映しながら、その中へ入り込む少年らの影を作った。


 幅広の紅絨毯が、木屑や埃に塗れながら真っ直ぐ伸びていた。そのまま直進すればその空間の奥まった、光の届かぬ突き当りの扉へ到達する。そして、それより手前には、紅絨毯の両脇に対となる階段が上へと聳え、やや高い位置にある吹き抜けへと繋がっていた。


「……血の臭い」


 血液に貪欲な吸血鬼の末裔は呟いた。鼻についた微かな生臭さと、それから仄かに味覚を刺激する鉄の味を理解し、そう口にした。彼女は次いで、台詞に補助を加える。これはまだ新鮮な血であり、さらに言えば人間のものではない、と……。


 上を見上げると、深い闇がぽっかりと口を開けていた。下を見下ろすと、注意深く見なければ分からない足跡が、絨毯の上を真っ直ぐに進んでいた。


 酷く静かで、アータン=フォング曰く血生臭い城内。暗く、出入り口付近にしか光の無い場所。訪れた事の無いこの場所は恐ろしいほど未知であり、思わず、レイドは身体を震わせた。まだ、皆一歩、或いは二歩程度しか入り込んでいない現状である。だというのに、彼らの足は、皆一様に停止していた。


 放置されてどれほどの年月が経過したのだろうか。少なくとも、そう長くは無いはずなのに、これほどまで古ぼけているのは少し異常に見えた。どちらにせよ、魔王が居座っているのだから一つだけの、シャロンの足跡だけが残っているというのは、不自然すぎやしないかと、少年から大人に変わった彼は、そう思った。


 だからその旨を、らしくもなく緊張に身を固めるレイドに告げると、彼はぎこちなく頷いた。不自然な笑顔を薄く浮かべて、それから、


「奴らは常軌を逸する魔法使いだ。今この世界で使われている魔法の始祖と言っても過言ではない。最も、人間も奴等が現れる前、一部では魔法と呼ばれる奇術を使用していたが――っと、この話は後でしよう」


「しなくて結構よろしいです。いいから本題を話してよ」


 やがて腕も人間のものに戻ったレイミは、自然に差し出された学生服の上着を少年から受け取り、彼らに背を向けて着込みながら、捨てるように言った。レイドは溢れて身を包む、感じたことの無い魔力に戸惑いながら、短く息を吐いた。


「まぁこの程度の無人を偽装する事ならばそう難しい事ではないし、深く考える必要は無い。ただ気になるのは――城内に兵士の死体も無ければ、腐臭も鼻を掠めない事なのだが、な」


「レイドさんは急いで来たので見えなかったかもしれませんが、城の外壁の、限りなく角に近い場所に死体が山になってましたよ。多分、それがそうなのでしょう」


「はっは、俺はてっきりゾンビでも作った、その失敗かと思ったぜ」


 歩みは静かに進んだ。まるで帰宅中の学生集団のように言葉を交わしながら、彼らはそれぞれが精一杯の警戒を振り払いつつ、決して緩む事の無い表情で足跡を辿っていた。足音は響かず、全ての衝撃は鮮血の如き色を持つ絨毯に吸収された。


 やがて、最後尾しんがりのレイミの背から、降り注がれていた光が消えた。空間は薄暗く、進めば進むほど光が薄れて行く。先頭のローラン・ハーヴェストは既に瞳に移る世界は闇一色に変わり果て、何もかも判別付かぬ空間で、手探りのまま、魔力の放出で曖昧ながらも周囲を確認しつつ、歩みを進めた――が。


「……扉を開けた形跡が無いんだが」


 一行は再び足を止める。ロランが魔力で、そして自らの手で確かめた目の前の壁には、確かに扉である事を主張するように取っ手が、その金具が、それと思わしき装飾がなされていた。だが同時に、それも空間内の全てと同じように埃に塗れていたのだ。一切の乱れも見えず、大気中の埃濃度もさして上がっているとも思えなかった。


 詰まるところ、彼のその台詞は、彼女シャロンが真っ直ぐ進んだ事は間違いなかったが――どうやら行き先は上階の、吹き抜けより奥に有る扉だったのだと、そう告げているようなものだった。


 直後、誰かの短い嘆息が鼓膜を震わせて――その、直後。


 激しい衝撃が、彼らを、城を襲った。





 騒がしい足音が室外そとから聞こえて――気がつくと、呑気にも仮眠にふけこんでいたらしいと、テンメイは起床して理解した。床を蹴り抜こうとしているような、激しい足音が掻き鳴って目を覚ました彼は、途端に飛び込んできた光景に思わず絶句した。


 十数メートル先の扉が不意に外側から膨れたかと思うと、その膨張に付いていけない木材に亀裂が入り、そして弾け跳ぶ。みしみしと唸る暇も無く扉は突然崩壊を見せた。木屑が埃と混じって煙となり、衝撃はその破片を周囲に散らせた。その煙の中に、薄い人影が、それほどまで明るくは無い灯火によって浮き上がっていた。


「何事だ」


 心の底からの言葉だった。


 そう口にしたときには既に、身体は無意識の内に立ち上がっていた。そして同時に、今度は意識して魔力を流すと、四方八方に散る、ただの光源であり空気以外何も燃やす事の無い炎は、轟と唸りながら輝きを増した。


 煙の中の影が大きな動きを見せる。と、白煙はその動作によって風が起こり、周囲に撒き散らされた。その結果、中に居た人物は姿を露呈する形となり、再び、テンメイに度肝を抜かせることとなった。


「貴様は、まだ……」


 身の丈の数倍はあろうかという槍を片手に、ソレは濃厚な血の臭いと、床に倒れる首の無い黒い屍体を見た。つい先ほどまで認識していた敵の、その無残な姿を目の当たりにして――それから、その視線はゆっくりと、本来は国を治める王が腰掛ける筈の玉座の前に立ち尽くす、二本の角を持つ魔族を睨んだ。


「ふっ……。わかっては居たのさ。そう、最初から理解は出来ていたのかもしれない……けど、微かに似ていたと思ってしまった。全てを、納得したつもりだったのよ……」


「再会するならば貴様の方が話が早いと思っていたのだがなァ。貴様は、その”つもり”さえ出来て居なかった。端から見れば、どれほど落ち込んでいるのか、どれほどの葛藤に精神を削っているのか十分に理解できたぞ」


 呼吸が静かに上ずった。彼女は胸を押さえながら、小刻みに長い耳を震わせていた。まるで信じたくない事を、見たくなかったものを見せられたような不快感が胸の奥に広がり、そして漏れ出してくるような――今にも嘔吐してしまいそうな気持ちの悪さが、シャロンを襲っていた。


 テンメイはそれを見ながら、まるで失望したような溜息を吐いた。深く、重く、鈍く、どこまでも緩慢に広がっていきそうなその吐息は、微かに灯火を揺らめかせた。


おれとハイド=ジャンが似ている、と言ったな? それは貴様の勘違い等では無いのだが、少々、話が面倒なのでな。貴様とは付き合いと云う物があった。だから、珍しくこのおれが、それを教えてやっても良いのだが――然し不器用でな。拳でしか会話が出来ぬ。それでも良いのならば」


 テンメイは、灯火によって遥か後ろのカーテンに大きな影を映し出した。その影は低く腰を落とし、丸みを帯びた。そしてまるでガスでも流れているかのような魔力の揺らめきすらも薄い影となった。


 彼はそのまま、腰を軽く落とし、拳を突き出す。その表面は、薄く青い炎に濡れていた。


「かかって来い」

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