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1 ――誰かのために――

 闇に落ちた意識は休息を貪っていた。


 意識を失った肉体は動く事を許されず、外界から得る筈の感覚すらも途絶えさせ、ただひたすらに持つ全ての力を駆使して疲弊を軽減させようとしていた。


 しかしそれでも、無意識に今までの記憶を再生してしまう。今までに見た魔王の動きを幾度と無く繰り返し、その対処法を編み出そうとしていたし、同時に彼の再生速度の異常さを見極めていた。


 次に倒れたら、今度意識を失ったら、ようやく心が折れたら脱落リタイアしよう。肉体はもはやボロボロだ。全力で拳を打ち込むだけで腕がもげてしまいそうなほど柔くなっているし、肌も再生しない。なによりももう疲れてしまったのだから、死ねる時にさっさと死んでおこう――以前、気を失ったときはそう考えた。


 だが貧相な彼の頭脳は、ほんの数十分前に心に強く抱いたそれすらも忘れてしまっていた。


 角を折った衝撃の後に刻んだ思いだから、何か、他の強い痛みによって掻き消されてしまったというわけはないはずだった。だが思い当たる節が彼にはあった。今、こうして気絶して精神世界なのかただの空想ゆめなのかも分からぬ世界を彷徨う直前、彼は肉体を焼き尽くされていたのだ。


 全てを焼き尽くさんとする灼熱。その前に彼は立ちはだかった。元々、そうする必要は無かったようなのだが――彼の仲間が、その魔王の放った炎を相殺すべく紡ぎだした魔法が頼り無く思えてしまったのだ。魔力量が、その炎の壁を消すにはどうにも足らないように見えた。一時的に勢いを弱めて仲間を安全地帯に放り込んだ後、魔力を消耗して自身が動けなくなって、彼の魔法の効果が失せて勢いを戻す劫火に灰にされてしまう。そんな想像イメージが、脳裏に駆け巡ったのだ。


 事実、レイドは半ば自滅覚悟で挑んでいた。勇者候補生にかけた魔法に魔力の殆どを消費してしまった彼は、魔王が少しばかり本気を出して放った炎を打ち消せる自信は無かった。だが仲間は守らなければならない。本当だったら、感情さえ殺せていれば魔王との再会時に勝敗を決められていたのだ。だから、責任を取る、というほどではないが、少なくとも自分に出来ることは死を覚悟してまでもしなければならない。彼はそう考えていた。


 ハイドは彼の頭蓋骨越しに思考の電気信号を読み取ったのか、あるいは新たなる能力の開花、それとも成長なのか――ただの単なる直感か。


 ともあれ彼のそんな行動は結果的に仲間の盾になるだけに終わらず、レイドの一抹の不安を残した魔法でさえも容易に掻き消せるほど炎の壁を削り取った。故に彼らには様々な余裕が生まれ、大気中から消耗した分の魔力を吸収し立ち直る事が、レイドは可能となった。


 しかしその際、ハイドは電撃を放つタイミングが合わずに肉体の縦半分を炎に飲み込まれてしまう。身体を蝕む灼熱は失せる事無く、余熱で中までじっくり火を通そうとしていた。そんな継続する、灼熱地獄に居るような苦しみから、精神だけは助け出そうと、意識を手放し隔離した。そして肉体は自身の力では出来ぬ冷却を出来ぬままに放置してその場に倒れ、意識は精神世界、あるいは空想ゆめの中へと旅立って――今に到るわけである。


 まさかあの程度で気絶するとは……と、常人ならば全身を焼き尽くされ消し炭と化すであろう炎を一身に受けて気絶で済んだ彼は、自身の不甲斐なさにうな垂れる。これから意識を回復する事があるのだろうかという不安ものしかかってきて、つい先ほどまで魔王との闘いの予習復習をしていた彼は、思い浮かべていた記憶を掻き消して辺りを闇に染め直した。


 音は無く、完全な孤独が辺りを支配する。いつもなら、慣れたものでそんな孤独感などどこ吹く風と心は動かされなかったのだが、今では、残った仲間が、敵が、今いったいどうなっているのか気になり、そしてその状況が心配で仕方が無かった。


 だが、今自分で出来る事は勉学に励む事以外には何も無く、その中で広がる負の想像は傷のように心に蝕んだ。身体の無いその空間では記憶を読み返すことと、思考を紡ぐ事以外に出来る事は存在していない、のだが――。


 不意に一閃、強い衝撃を持つ白が煌めいた。


 バチバチと迸りながら胸を貫き、そして抜ける事無く停滞する。どこからとも無く現れた電撃はそれを始めにして、更に彼の精神が留まる位置に、徐々に溜まっていって――やがて電撃は、人の形を造った。


 肉体の無い彼の身体の代わりを勤めるように、自身の電撃ちからである筈のそれは自分を満たしていくようだった。そして試しに、右腕を動かすように意識をしてみると――”右腕を動かそうと考える暇も無く”不安定に形をとどめる腕は、気がつくと既に振りあがっていた。


 動かそうと思った時には既に行動は終了していて――だからこそ、肉体となる電撃は既に空間中に散布し、さらに人の形になる雷は、頭上高く撃ち放たれていた。


 しかし、ハイドを満たす電撃は決して減る事が無く、無尽蔵を思わせる雷はその空間を純白に染め上げて――。




「コイツは最早、私の想像を超える力を秘めているというのか?」


 魔王が、ハイドの傍らで小さくたじろいだ。


 死んでいないにしても、もう二度と動く事は許されていないと思っていた。先の電撃で魔力を消費し尽くしたから何も出来ないのは、確実だった。だから――。


「在り得ぬ」


 角を折った時点で、彼は完全な魔族ではなくなった。故に、肉体の強固さも魔力量の桁違いさも失い、代わりに聖なる雷を取り戻したという事なのだが、その為に、今起こっている現象は信じ難かった。


 ――足元に有るハイドの肉体は光り輝き、そして焦土に影を作りだす。さらにそれだけに終わらず、その身体は糸で釣り上げられているかのように起き上がり、そのまま宙に浮かんだ。身体は魔王を見下ろすように浮かび上がり、体中を電気で包み上げているように、バチバチと迸らせていた。


 どこかで、電子音のような、頭に直接染み込んで来る甲高い、揺らぐ事の無い音が一直線に鳴っていた。まるで、時限爆弾の残り時間が零に達したときのような、あるいは心電図に伝わる電気信号が途絶えたときに放つ、異様だが分かりやすい、絶望に似た音だった。


 誰に聞かせる音なのか。どこから生まれた音なのか。その時点では誰にも分からない。それが意味する事も分からないが、皆本能的に、危険であるモノ、あるいは危険が接近している事を知らせているモノなのだと認識した。


「生きている……の?」


 シャロンが思わず呟いた。しかし、ただ浮かび上がり、輪郭を曖昧にする電気の塊は、その質問に首を振るように揺らいだ、ように見えた。揺れただけかもしれない。迸った電気がそう錯覚させたのかもしれない。だがシャロンは、そんな反応に呆然と、空を見上げたまま立ち尽くした。


「いや、死んでいるのならば電撃は発生しないはずだ。特殊能力でも、魔法でも、魔術でも、それは個人の意識が強い思いを抱く事によって紡ぐ事が出来るのだから、今あの状態が起こっていると言う事は、無意識であると説明できても、死んでいるとは言えないだろう」


 彼女に対するフォローか、それとも単なる知識自慢か。魔法魔術を専門とする彼は得意そうに、だが鼻を高くするわけではなく、飽くまで緊張と、不安とを孕めた口調でそれを説明して見せた。そうしている間に、背後に控えた竜人は並ぶように歩み寄り、大きく、息を吐いた。


 まるで彼らに呆れ果てたような溜息だった。


「生死が判別できないのなら、信じてればいいじゃないのですか? 信じたい事を信じていれば、いずれ救われます。最も、信じていた事がそのとおりにならなかった場合のショックは計り知れないかもしれませんけど」


 信じて上げられるのは貴方たちだけでしょう。彼女はそう付け足した。仮に信じたとしても、本人がそれを拒否する事は彼女にだって分かっていた。だが、それがいつかハイドにとって力になる。それも分かっていた。


 相棒パートナーが人知れず魔王に殺されていたレイミだからこそ、そう口に出来る台詞なのかもしれない。彼女はまだ彼が生きていると信じているのだ。だからその理性をとどめる事が出来ている。まだその死体を見ていなくとも、死んでいることなどとうの昔に理解できているのだが、彼女はそれを信じない。信じなければ、その真実は彼女にとっての虚構になる。


 簡単に言えば現実逃避で、それは精神が貧弱である事を露呈する行為となり至極不利と為り得るのだが――。


「唸れ轟竜」


 魔王が腕を振りぬくように空に掲げると、同時に腕の周囲の風が黒く染まる。渦巻き、そして邪悪さを追加した。大気を振動させ、魔力を集中する。黒い輝きを持つようになるそれは、さらに形を整えた。


 やがて腕を包むように現れたのは、黒い竜だった。そして魔王の呟きに反応して、魔法なのか、特異の能力なのかも分からぬ現象が、彼の腕から巣立って虚空を駆け上る。音の速さで宙を滑り、浮かび上がるハイドへと向かって、その腹に喰らい付いた。


 分厚い雲を貫くように、彼の腹は敵に手応えを覚えさせること無く巨大な穴を空け、竜を通過させた。その直後にちょっとした衝撃音が大気を振動させ、彼の背後で徐々に姿を消滅してゆく竜を腹の穴から覗かせつつ、彼の電気の肉体はまるで痛みなど無い様に、風穴を狭め、そして消失させた。


 それは一瞬の出来事だった。爆発的な瞬間加速で打ち出された黒竜は風の塊であり、その外観は格好をつけただけに過ぎない。だが威力は計り知れず、それを生身で受けていれば間違いなく腹に風穴を開けるだけでは終えなかっただろう。確実に四肢が離散し、肉塊と化して死ぬ。いや、死んだ後に肉塊と化すのだろうか――だがどちらにせよ、それは最早決定事項に近かった。


「幾度の変態を遂げた最終形態――貴様のほうが、余程魔王らしいぞ」


 ハイドは、生まれたときはまだ人間だった。


 だがひょんなことから魔族の肉体を得て、数百年の時を過ごした。人間の世界から自発的に隔離した生活を送る。が、突如として魔王が現れ、古き友人と手を組んで魔王と対峙するが、角の存在の所為で操られた。だから、角を自力でへし折って――自滅した。と、そう思わせて、人間でも、魔族でもない人の形を取る”何か”の状態で、尚それらを超越する力を持って魔王と奮闘した。だがやはり、最終的には倒されてしまった。


 それでも、彼は意思を電気に変えて蘇る。その無尽蔵な電撃は肉体の代わりとなって、精神世界から漏れ出し、魔王と対峙する形を作った。


 その中で、ハイドは何を理解できるのだろうか。何を認識できるのだろうか。最早意識など無く、気絶する寸前に思ったことを、こういった形で具現化させているだけなのではないだろうか。そうなると彼は亡霊以下の存在で、残留思念に過ぎないかもしれない。超常現象をエネルギーとして留めた異常な存在なのかもしれなかった。


 しかし、真実は誰にも分からない。彼が何を伝えたいのか、何も分からない。


 ――脳に浸透する電子音のような鋭く甲高い音が、一層強くなった、気がした。


 その瞬間、人型の電気の塊が、指先から電撃を閃かせた。


 それは目を離せば直ぐに消えてなくなってしまいそうな、糸のように細い一閃だった、が――不意を突かれたのか、わざとそうしたのか、稲妻は魔王の頭頂部に直撃した。


 天より振り下ろされた雷の如く、その頭部は強い衝撃を受けて、爆ぜる。肉を撒き散らし血の霧を作り出す頭は、それでも次の瞬間には直ぐに元の姿に戻りかけて――再び爆発を巻き起こした。


 比較的大きな肉塊が吹き飛ぶ。さらに、息を付く暇なく放たれた一閃は、先ほどより大きな一撃となって彼の肉体を貫いた。腹部が爆ぜる。内臓はらわたが生焼けになりながら零れ出た。


 それでも肉体は、半ば自動的に再生する。異常な速さでの修復は、意識が回復した直後に電撃を受ける流れを作り出していた。


 耳に劈く炸裂音。耳に障る爆発音。吐き気を催す、肉が飛び散る音。やがて魔王の肉体は電撃の衝撃が作る血の霧を纏い始め、臭気が鼻についた。


 再生と崩壊を繰り返す魔王は、電撃に足を止められる。何かを口にする余裕は無く、許可も下りない。絶え間なく放たれ続ける雨のような雷撃が、魔王の行動の全てを許さなかった。


「ここは任せたほうが良さそうですが……?」


 レイミが二人に提案する。彼女は傍らの、シャロンの瞳に映る目の前の惨劇を見ながら、小さく頷く動作に悲しさを覚えた。表情が強張り、悲哀に満ちるその顔は、場違いにも、美しく思えた。


「どちらにせよ、この場で私達に出来る事は無い。その選択が適切だ」


 それとは対照的なレイドは軽い口調で、だが今度は吹っ切れたような、よく言えば決意を固めたような強い言葉を吐き捨てる。


 彼らはそれをきっかけとして、一方的な攻撃に苦しむ暇すらない魔王に背を向けた。


 恐らく、その命が尽きるまで続くであろう攻撃は、魔王が完全に消滅すると同時に、電撃を紡ぐ本人と共に消えてなくなるのだろう。最早後戻りなど出来ないのだ。だから彼らは決して振り返らなかった。


 もう既に、誰も口にはしないが理解できているのだ。ここに居る魔王はただの力の有る残像、分身に過ぎず、自らの手を汚さずに全てを終わらそうとする魔王の、一つの手段に過ぎないと。だがこの実力から考えれば、恐らく力の殆どをこの分身に与えたのだろう。


 だが油断は禁物である。もしかしたら、先にそれを理解し城へと向かった候補生が片をつけているかもしれないが、背後で止まる事無く続く地響きが、轟音が、魔王の存命を裏付けていた。


 ――電子音が、さらに強くなる。急げと、言っているように聞こえた。


 無尽蔵な電撃は、魔力を消耗するのではなく、残った命を消費して紡がれている。だからこそ、足止めできるのは魔王の命が終えるまでではなく、その命が続くまでだ――と、レイドは考えた。同時にシャロンは、それが聞こえて思わず足を止めそうになった。歩くたびに、前に進むたびに潰れそうになる心を抑えていた彼女は、ソレがきっかけとなって振り返りそうになった。が、


瞬間移動テレポート


 この世に存在する何よりも冷酷なその声が、彼女の行動よりも早く、三人をその場から移動させた。


 それとほぼ同時に、巨柱の如く膨れ上がる電撃は、大地に、魔王に触れるとそのまま空気中に分解され消失し、次ぐ雷撃を受けるのではなく――その場で膨れ上がり、その底なしの電量を注ぎ始めた。大地に崩れる魔王に触れる電気は、その場で止められ、球体を造る。それは恐怖を麻痺させるほど、簡単に膨れ上がって行った。


 大地が抉れ、衝撃が輪になって風の如く周囲を走る。凄まじい衝撃に音が消え、無音。その中で、雷撃を受けとめる魔王は光に染め上げられながら、それを掴む指先から焼失させて――。


 その激しい輝きは、数秒間だけ世界から闇を消した。

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