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4 ――ゲキツウは月より高く――

 ハイドの台詞の直後に行動したのは、候補生の中で唯一自由に動く事を許されていたレイミだった。


 その決断力の速さや、まるで打ち出された鉄砲玉のような姿は数瞬後の未来に死を予感させたが、そんな想像とは全く異なり、彼女の鋭い鉤爪は魔王の顔面へ振り下ろされた。


 立ち止まるハイドの背を見ながら、追い越し、背を見せ、その向こう側の魔王へと襲い掛かる。ハイドの握る長い剣の刀身よりも禍々しくより鋭い爪は、身動き一つしない魔王の顔面へと降り注ぐ。だがその瞬間、ごく自然に延びた魔王の右腕が、彼女の手首に牽制するように当たり、そうして振り落とされる軌道を変えた。円を作るように腕は魔王の顔から外側へと向きを変え、そして簡単にいなされてしまった。


 勢い余る彼女の身体はそのまま魔王の脇を通り抜け、そしてレイミは大地を擦りながら、砂煙を全身に纏いながら魔王の背に回り、また大地を蹴って下方向から腕を振りぬける。しかし、次の瞬間には既に彼女へと向き直っていた魔王は、そのまま右手で鉤爪を薙ぐと、大きく開いた隙だらけの腹部へと拳を叩き込もうとした。が――。


「私に背を向けるなんて随分じゃあない?」


 突風が魔王の背後から吹きぬけたと思うと、レイミの前には既に彼の姿は消えていた。その代わりにシャロンが槍を突き出した格好で入れ替わっていて――直後、レイミはその背後に凶悪な魔力と存在感と、そして背筋をなぞる嫌悪感を捉えていた。


 魔王がゆっくりと口を開く。それが空気の流れに伝わって理解できた。


 レイミはそれを感じながら、腰を落とした状態でそのまま強く大地を弾き、バックステップで後退するような勢いで飛びのきながら身体を捻る。腕の鱗が逆立ち熱気を放出し、腰全体から加わる捻りやその力が拳に上乗った。そして熱の放出がジェット噴射の如く攻撃を加速させ――次の瞬間、レイミは魔王が”居た”空間を貫いた。


 そして一呼吸置くと、風を切って肉薄する拳を知覚した。


 それと同時に頭蓋骨を砕かんとする一撃を理解する。衝撃が脳に浸透するよりも早く肉体が大地に沈み、両手で組まれた拳がようやく頭頂部から引き剥がされた。逆立つ鱗は引き締まったように隙間をなくし、そしてレイミが地面に衝突した振動が、鈍く彼らの足元を大袈裟に揺らし、轟音が他の全ての音を掻き消した。


 傍らの魔王は彼女の撃沈を確認した直後――僅かにその表情を強張らせると、一瞬にしてレイミの傍から離れるように瞬間移動した。


 その状況に一足間に合わなかったレイミは、再び魔王が消え去った場所に向かって上半身だけを起して、口の中から滑り出た灼熱を吐き出した。轟、と炎が空気を貪り、瞬く間に膨れ上がった。近づくだけでその瞳の水分が蒸発しそうな熱気は高速度であたりを包み上げるのだが、それに到る被害者は敵味方含めて全くの零という結果に落ちた。


 オレンジ色の光源が別方向からの影を作り出し、そしてそれも大気中で霧散し、レイミは力なく、その場にどさりと倒れた。


「なるほど、人選の目は確かなようだな」


 魔王はそれを人事に眺めながら呟いた。目の前に立ち直るハイドは、自分に向かって吐くその台詞に戸惑いながらも、自分の手柄を誉められたように微笑んだ。するとその背後に居たレイドはすかさずその腕を地面と平行になるように引き上げ、その掌から魔力を弾丸のように固めて打ち出した。


 それは魔法陣を不要とする魔術であり――そして手から離れた一定の場所で、淡く輝き高速で宙を滑る弾丸は姿を消して、魔王の背後から出現した。無論、向かう方向は魔王の後頭部であり、だがしかし、魔王はそれを理解しているように、軽く首を曲げるだけで避けて見せた。


 ハイドは魔王が首を傾げる、可愛らしくもなんとも無い動作に思わず嫌悪感を得ると、それと共におまけと思わしき、魔力が物質的に干渉できるレベルに引き上げられ、弾丸と化して飛来した。それに少しばかりの驚愕すらも隠せずに、ハイドは慌てて目の前の魔王諸共切り裂こうと、剣を振り上げた。


 一息に、二度剣が閃いた。

 

 一度目は自分に向かって打ち出された魔力の弾丸を弾き砕く為に。そして二度目は――斬撃を”転送”の能力で避けた魔王を切り裂くために、背後へ振り向き様の一閃。乱された大気は裂かれた空間を元に戻そうと風を起こし、そして気がつくと、魔王は外傷もないまま元の場所に立ち直っていた。


 空ぶった二撃目は背後のレイドをギリギリ切り裂かぬ位置を通過して、そして再びハイドの手元へ舞い戻る。今度はしっかりと両の手で握られ、魔王はしてやったりと微笑んだ。


「逃げ回っていて楽しいか?」


 静かに歩み寄り、そしてレイドはハイドに並んだ。魔王の向こう側に居るシャロンは腰を落とし、狡猾に魔王の隙を狙うが、どちらにせよ、隙だらけであろうが無かろうが、この攻撃は当分当たる事が無い事は知っていた。


「逃げる、というのはある程度貴様らを認めているのだぞ? この攻撃が当たれば危険だと言う事を承知しているのだから、逃げるという選択肢は至極当然。そしてそれが可能であるのならば積極的に利用し、一方的な攻撃手段を使うのは最早至当」


「テメェに認められたって嬉しかねぇんだよッ!」


 ハイドは咆えると同時に地面を弾いた。自分の影をダブらせて見せる素早さで一瞬にして肉薄し、そして魔王を眼前に捉えた瞬間、力を込める上腕はそれを刀剣に伝えて力強く振るわせた。大気を切り裂く振動が、白刃が魔王の肉体を切り裂く直前で、両手で挟み込まれる形で動きを止められた後にやってきた。


 風が唸り、金属音が高鳴った。それから静かに、魔王の口元が歪んだ。


「避けなければ良いのだな?」


 了解だ。不敵な笑みが言い放つ。途端に背筋が冷たい舌で生々しく舐め上げられるような不快感を認識し、ハイドはそのまま白刃取りされる刀身に体重をかけながら右肩を傾け、彼へと突っ込んだ。


 そんな動作に、魔王はそれを利用するように、彼の動きにあわせて身体を仰け反らせる。ハイドはしっかりとした支えの有る身体に当たるはずだった肩が、まるでとらえどころの無い風を切っているような違和感を覚え、そして徐々に魔王の身体が自分から離れていくのを見た。


 バランスが崩れ、そしてそれに合わせて魔王の反撃が放たれたのを感じた。追撃が無為な行動に帰されて肉体が地面に向かう。これから立ち直り、再び魔王に向かう事は容易であるが、だがしかし反撃に対する適切な対処を行うまでには、時間が足り無すぎた。


 だから、ハイドは電撃を迸らせた。頬に向かう弾丸の如き拳を、ハイドの朱色の瞳が捉え、そして反射的に、剣を握る腕はまるで他の力が加わるかのように、音の速さで振りあがった。


 だがそれは反撃をとめることも、拒絶することもしなかった。甘んじて受けた拳は頬を歪め、顔からその内部へと鋭い針のような衝撃を浸透させ――そして倒れ掛かったハイドの身体は、顔に突き刺さる腕を掴んでいた。


 魔王の呼吸が僅かに上ずった。ハイドは彼の代わりにその口元を歪めて、漸く、数瞬の時を置いて振り上げられた剣の白刃が魔王の左脇へ刺し込まれたのを、見て、そして柄に伝わる感触で理解した。


「笑えよ」


 だから、今度こそ避けられない、逃げられないというのを確信できた。


 ソレ故の笑みは魔王に少しばかりの驚愕と、そして心の奥底に沈めたはずの恐怖を蘇らせた。人間を甘く見た油断と、そして自分に対する驕りが同時に脳裏を過ぎり――刃が瞬く間に振り抜かれ、気がつくと肉や骨を切断し、その刀身は血に汚れながら心臓を切り裂いていた。


 生暖かい鮮血が剣を伝う。荒廃し乾いた大地に、血液が流れた。


 体内で刃が蠢き、肺を破く。その瞬間、魔王は口から大量の血を吐き出し――だがそれは、地面を潤す事をしなかった。


 それは次の瞬間、ハイドの手元から流れた電撃が剣に伝導し、刹那的に魔王へと到達したからであった。雷は高速で彼の体内を満たし、そして致命的なまでに焼き尽くしていった。聖なる雷撃が、血液を沸騰させて穴と言う穴からそれを蒸発させる。赤い血煙が立ちこめ、そして悪臭に覆われる中、喉の奥から流れ出た大量の血は結局吐き出される暇を与えられず、口の端から流れて身体を赤く濡らすだけだった。


 肉の焦げる臭い。それにハイドは顔をしかめ、駄目押しとばかりに刀身を魔王の体内で立たせ、振り上げた。


 ハイドは、これと同じ事を昔、魔族に対してやったことがある。だがその時の魔族は、自分の身体も広い大地も、強い魔法も何もかも、自在に切り裂く事が出来る能力を持っていた。そして自分の能力で切り裂いたものに限り、自由に元に戻す事が出来る敵が居た。だから、盾に切り裂こうとした瞬間、先走って魔族の肉体は道を切り開くように切り裂かれ、刃はその身で魔族の身体を切り裂く事が出来なかった。


 だから、そんな事を思い返して少しばかり不安になった。もしかしたら、これは全て演技なのかもしれない。苦しむさま無く昇天した顔も、何もかもが自分の油断を招き、絶対的に命を刈り取れる瞬間を狙うための準備なのかもしれない。


 しかし、そんな不安とは裏腹に、魔王はその胸、そして喉を切り裂かれて、口を立てに裂き、そして脳髄を掻き乱されて、頭蓋骨を割った。


 ぼとりと、様々な内臓器官が零れ落ちた。どれもが生焼けで、故の生臭さが鼻につく。


 ハイドはそれを見ながら剣を抜いて、大きく振る。刀身にこびり付く血液がそれによって若干散って、それから大きく息を吐いた。


 その溜息には、予想通りであったことが不運であるという嘆きと――自分だけでも殺せるという事実を得た充実感が孕まれていた。


「死ぬというのは、存外、他愛も無い事なのだな」


 魔王の肉体が大地に崩れたと認識した瞬間。地面と抱擁したばかりの彼はそんな風に、小さな落胆を意味した言葉が空気を振るわせた。


 シャロンはそれに眉根を寄せる。レイドは膨張する血管に押されて起こるような、脈拍ごとに痛みが襲う頭痛に悩みながら、短く息を吐いた。


 魔王は早くも、切り裂かれた肉体を修復させて立ち上がっていた。肌の一部のような鎧も同じように元に戻っていて、そしてその表情には、いつも以上の余裕があった。


「貴様等も、体験することを勧めるが?」


 そんな台詞から――死に際には、わざと手を抜いてハイドのやり方を見て覚えようとしていた事が垣間見えた。最終的には、この場にいる全員の全力を避けずともいなし、あるいは受け止め逆に殺し返せるべく学習するような、そんな彼らにとっての、迷惑な真面目さが窺えた。


 ハイドはそんな言葉を聞いた後、この世の誰よりも不幸だというような溜息をついて――瞬間、魔王を射殺さんばかりに睨むと、再び大地を蹴った。

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