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3 ――準備完了――

 昼間の爽やかな陽光の下、そこには立体感の有る影が立っていた。そしてそれはさらに足元から、太陽とは逆方向に影を伸ばす。ついでに、辺りは濃厚な魔力の放出によって邪悪を含む大気と化していて、湿度、温度ともに高い蒸し風呂に似た不快感を感じていた。


 無論、これは蒸し風呂を侮辱しているわけではなく、蒸した時の不快さを表しているのだが――なにはともあれ、レイド・アローン達は、その場に立入る前よりも個人の呼吸回数を遥かに多く、浅くしながら前へ進んでいた。


 しかしその頃には既に戦闘は開始されていた。立っていた影の一方が拳を前方へ投げ込んだと思うと、それは寸での所で伸びきり、届かない。だがその直後に凄まじい勢いで、弾丸の如く放たれた衝撃がもう片方の影の顔部分を打ち抜いて、大きく仰け反っていた。


 そしてその衝撃波はあたりに散布する。サービス精神旺盛に見えるのだが、こればかりは遠慮したいとばかりに彼らは一度足を止め、それを凌いでいる中で――それらは言葉を、交わしていた。


 しかしそれも長話ではない。ひと言二言、それぞれが口にして、すぐに終える。終えると途端に彼らは再び攻撃をするための準備態勢に臨んでいた。


 ――片方は、マントを風になびかせていた。角は無く、その代わりに全身鎧のようなものを身に着けていた、が、その鎧はまるで儀式用のもののように、あるいは鉄板に儀式鎧の装飾だけを施しそれを身に着けているような格好だった。


 肩当てがマントの下の肩幅を広くし、そこから伸びる、模様のように穴が開く鉄板を身体に貼り付ける。下半身も同じようにそれを装備するのだが、太腿辺りからは漆黒色の金属を使用した脚甲を履いていた。


 そしてもう一方、先ほど拳を打ち出した彼はボロキレのようなズボンを履くだけだった。上半身は拭くどころか表皮すら身につけず、黒い肌はどこへやら、赤く爛れたような深皮がむき出しになっていて、それは指先、頭の先にまで伸びていた。見ているだけで痛々しく、目を逸らしたくなってしまう姿は恐らく、下半身も同じようになっているのだろうと想像してしまうからだろうか。


 なぜ立っていられるのか疑問に思う。よくその状態で、魔王と対峙し、刹那の速度で拳を放てたなと感心できた。


「一体、どうなってんだ……」


 それがローラン・ハーヴェストの純粋な感想だった。


「角が……」


 そんな声は、思わず口から漏れてしまったものだった。レイドの傍らのシャロンがそう呟いている最中、彼らの前では壮絶な戦闘が行われていた。


 拳が電撃を纏いながら虚空を貫き、そしてそのままもう片方の腕が背後に裏拳を打ち出す。彼の前に居た魔王は瞬間移動でハイドの背に逃げ、さらに飛来した予測済みの攻撃を屈む事で避けてから、力いっぱい、その尻を蹴り飛ばした。


 が、尻が前へ吹き飛んだかに見えた瞬間、ハイドの脚は大地と平行に、そしてやがて天へ向いて、その場で一回転せしめた。そのつま先が、鋭い視線によって捉えられた魔王の頭部の頭蓋を砕こうと振り下ろされるのだが、それよりも何よりも素早く的確に、宙で逆さになったハイドの腹部を、魔王が殴り飛ばした。


 鈍い衝撃が、そこで分散する。そして細かくなったそれらが彼の体内に浸透して、毒のように蓄積された。そのまま彼は勢いを加えられた方向に吹き飛ばされるのだが、その最中で食い下がるように手を振るい、その中から電撃の槍を解放した。


 ハイドはそれから漸く表情を歪め、大地に踵を振り下ろして地面に激突する。轟音が足場を砕き、表層部を散らす。砂煙が巻き上がり、そして予想通りに電撃を避けて肉薄した魔王がすぐ近づいてきていた。


 地面に片足を突き刺し、そして跪く彼は慌てて立ち上がる――が、それを上回る身軽さで、素早さで、器用さで、まるでハイドの持つ全ての警戒と意識の間を掻い潜ってくるように気がつくと放たれていた蹴りが、まず顎を打ち、そして流れるように足の甲に首を載せると、まるでボールを打ち上げるように力いっぱい蹴り飛ばした。


 その攻撃に、立ち上がる手伝いをされてしまった。


 頭が打ち上げられて、その勢いに乗せられて彼は直立し、さらにそこから何もせずとも若干浮き上がる。息が僅かに停止し、脳が取り入れた視覚情報にブレを加える。空の雲が二重に重なって見えて、俄かに痛みが麻痺した。


 顔は空を仰ぎ、身体は気をつけの姿勢。足は大地を踏みしめておらず、肉体は主導権を得ているものの情報伝達が絶望的に遅延している。その間、無防備なハイドの無残な身体を微笑みながら見つめて――魔王はその場から、まるで逃げるように地を蹴って後退した。


 その直後に、彼らの間を割って入る影が六つ。


 まず勇者候補生の三人であるロラン、アータン=フォング、レイミ。そして自発的についてくる事を意思表示し認められた少年と、帝国の王であり世界に名を残す大魔法使い、通称”大賢者”であるレイド・アローンと、世界に名を広めている傭兵のシャロンであった。


 まず始めに、肉体の半分以上を竜に飲み込まれるも自我を残すレイミがハイドの前に立ちはだかり、そしてその両脇に、それぞれ候補生が並んだ。その間にシャロンがハイドを掴み強引かつ静態的に大地に寝かし、間髪おかず、レイドが溜めた魔力でハイドに回復魔法を発動させた。


 しかし次の瞬間――魔法が触れた箇所に突如血管が浮き上がり、ハイドは紅い眼を剥く様に開き、大きく開けた口から血を吐き出した。


 途端に動悸が激しくなり、ハイドは力一杯彼らを振り払い、それから何度か転びかけながらも立ち上がってから、左腕をだらりと垂らし、右腕で腹を抱きながら軽い前屈姿勢で空気を貪った。


「回復は成長、成長は未来だ。そこには輝きがあり、聖なる魔力がある。だからこの身体には、そいつは毒でしかねぇ、んだよ」


 掠れる声はそれでも台詞となってレイドに伝わる。充血よりも更に濃い朱色の瞳は日の光に輝きながら、苦痛を訴えていた。


「アンタの一撃、随分と効いたよ」


「効かなかったら今頃、俺は生き残れてないっつーの」


 シャロンの、嫌味交じりの台詞を適当に返してから、短時間で大きなダメージを落ち着かせ、彼は自分の壁となってくれている少年少女を押しのけて前へ進んだ。彼らは押しのけられる前に自主的に道を開けてから、それぞれ自主的に彼に続く。そしてシャロンはしんがりを勤め、レイドは全身から魔力を放出させて、この状況に入り込む前に発動させていた魔法を展開するために、意識を集中させた。


 少年はその場から少し離れた位置に移動し待機し、そして呟いた。


「魔王はその実力の高さに驕り影を落とした。ハイドさんはそれに気付いてはいるのでしょうが……」


 実力が仮に僅差であろうとも、ハイドには殆ど体力が残されていない。代わり魔王は、まだ一国の住民全ての命を吸収している上に、まだ一度もその命を消費させていないのだ。一度殺すのもやっとなのに、何万、何十万回と彼を殺さなければならない。そうしなければ、魔王の消滅は望めない。


 ならばどうするのか。自分にはもう考える事しかのこされていないのに、何の考えも浮かばなかった。少年はそのことを嘆き、歯を食いしばるも、考える事を止めはしなかった。


「――やはり貴様は、どうあってもハイド=ジャンなのだな」


 魔王は姑の嫌味のように口を開いた。彼は既にハイドの数歩手前に立っていて、攻撃のための予備動作はまだとっていなかった。だからハイドもそれを理解し、ただ棒立ちするだけで、口元を汚す吐血の跡も拭わずに言葉を返した。


「俺の事を知った口を利くんじゃねぇっ――と咆えられればまだ若気があるんだがな。俺がなんであっても、別にどうでも良い。無意識おれがまだ勇者ハイドでいようとしても、いとわない」


 筋肉のみで構成されているような太い腕が、拳を握る事によってさらに膨張する。硬直し、隆々と昂ぶる肉体は同時に魔王にも同じ事を促していた。


 体格で言えばハイドの方が若干ガタイが良いと言えるが、流れる魔力量を見れば魔王の方が圧倒的。さらに彼は魔法と、そして彼が封印される前、そして解放後に死んだ魔族の特殊能力を有しているのだ。代わってハイドは、人間時代に最も得意とし、さらに勇者特有の電撃魔法を能力化し、ただの魔法よりも弱化自由が利くようになっただけの能力を持つ。これだけをみれば、どちらが不利有利かなどは、言わずもわかるであろう。


 しかし、今この両者が対峙し再び拳を交わしたとして、どちらが勝つか、誰にも分からなかった。


 ハイドには可能性がある。だが魔王には目に見えて分かる圧倒的な力がある。天秤にかければ、その天秤が脆くも破壊されてしまう重量を持つそれらは、誰にもどちらに分があるか想像できなかった。


 だから、ハイドの後に付く勇者候補生などには手が出せる筈が無い――のだが。


「成長は未来を意味する。ならば過去の悪夢なぞ最早敵ではない。だから私は紡ぐのだ。明日へと繋げ、人類の叡智――」


 彼らの背後から声が響く。魔力を振動してどこまでも聞こえてゆくような、澄み渡るレイドのそれは魔法の詠唱ではない。


 魔法陣が、不意にロラン、フォング、そして少年の足元に展開されて――次いで、レイドの声が陣を発動させた。


半永久マクロ封印シール


 魔法陣が輝き、そして外縁が彼らを閉じ込めるように薄い板を空へと延ばし、光の柱を作り出す。ロランはそれを少しばかり見守るが、自分の周囲に壁が作り出されて以降、肉体に変化が無い事に疑問を抱いて魔法陣から出ようと前へ進むと、光の壁に頭をぶつけた。


 そこでようやく気がついた。自分が閉じ込められた事を知り、彼は大きく眼を見開いてから、それを打ち破ろうと手甲に魔力を流し、腕とさらなる一体化を目論んで、大きく振りかぶる。そのまま全体重を込めた一撃を目の前の障害に打ち込むのだが――まるで磁石の同じ極を合わせようとした時のような反発が、彼の腕を弾いてしまう。


「これは私の意思でしか解除できない。そしてその強度は世界が滅びる一撃を直に喰らっても恐らくヒビすら入らないだろう。だから、ハイド」


「――世界を滅ぼせってか。まったく恐ろしい事をお考えになる皇帝だこと」


 ハイドはわざとらしく肩を落として息を吐いた。自分に期待をかけられるのはあまり得意ではない彼は、特にそうすることがありえないレイドからの信頼をそうして茶化し受け流すと、それから漸く、彼へと振り向いた。同時に、何かが自分目掛けて煌めきながら、回転しながら向かってくる影を捉えて――ハイドは怯みつつも手を伸ばし、そして軽く移動しながら、それを掴んだ。


「今だけはハイド=ジャンとして……」


 シャロンの、切ないような声が聞こえた。


 だが彼女がそういわずとも、ハイドはハイド以外の何者でもないし、他の人物になりたくとも、人間ではない他の生物、そしてよりにもよって魔王の作り出した異形の肉体を得たのにも関わらずそれが出来なかったのだから、ハイド=ジャンより他の存在にはなりえない。それは彼自身がよく知っていた。


 故に、その台詞には頷く価値が無かった。しかしその必要があった。意思の疎通よりも何よりも、今まで迷惑を掛けた分の、せめてもの償いと思ってその首を振ったのだが――思い返せば、特に大きな貸しも借りも無かったような気がして、非常に損をしたような気分に陥った。


 彼は握る剣の柄に懐かしさを覚えた。赤い竜の鱗は幾度と無く補修された跡があり、そして磨かれた長い刀身も、どこか古めかしさがあった。透き通るような白色の刃は長く、ハイドの半身以上の長さを持っていた。これとセットに盾も合ったはずだがな、と彼は考えるが、どちらにせよこの闘いでは不要になるだろうと、軽く剣を振り下ろした。


 確かな重量に腕が引っ張られ、空気を切り裂く白刃は陽光の反射を尾に引きながら、ハイドに剣を扱う勘をそれだけで思い出させていた。


「お前の時代では”伝説の勇者の剣”って言うんだろうな。最も、俺は伝説になってないから史上にすら残らねぇ武器だがな。言わば無名の勇者をまんまと利用した鍛冶師の剣って所だ」


「ふっ、その他者の血よりも遥かに濃い血統を持っているくせに”無名”だと? 死んでしまえゴミ虫が」


「……随分堕ちた言葉を使うようになったな、アンタ。そんなに俺が嫌いか?」


 やれやれと言うように、片足に重心を預け気だるそうに立つ彼は、剣の肩に乗せて微笑んでいた。その態度には余裕があり、まるで道行く少女に絡む不良を成敗する正義の味方のような、そんな場違いな雰囲気が彼から出ていた。


 たった一振りの剣が、彼を変えたように見えた。たった一度の意思疎通が、本来の彼を引き出したかに見えた。


「吐き気を催す邪悪さだ、貴様は」


「はっ! てめぇが言うんじゃあねぇよ、魔王さんよォッ!」


 ――そんな咆哮が、魔王との命を削ぎ取る戦闘の火蓋を切って落とした。

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