6 ――宴もたけなわ――
魔力が世界に干渉した。その結果竜巻が起こり、候補生が強制解散し――昔馴染みが自分を止めにかかるが、返り討ちにした。
それがなんと残酷な事であろうか。
これがどれほど嫌悪を覚える事であろうか。
想像を絶する全てを強制的に体験してきたハイドは、己を”ライメイ”だと偽って全てをこなした。気がつくと殴り飛ばし、吹き飛んだ仲間を見て、精神はその拳以上に痛めつけられるも、堪えなければならない。
――角があるばかりに、魔王の掌で踊る事を余儀なくされたハイドは、素直に操られていると魔王を騙し、ようやく付近に人間が居ない場所まで退避したのだが……。
自分を捕らえた何かが近づいてきた事くらいは理解していた。それを振り払う事をしなかったのは、その魔力の弱さから見てまず人間だろうと考えたからだった。それに間違いは無いだろうと、今までの経験から踏んでいたし、そもそも魔王がそんなアクティブな野郎だとは思っていなかったのだ。だからこれは純粋に、俺のミスリードと考えて良いのだろうが……。
「良く働いてはくれた様だが、な。なぜ命を取らなかったのか、そこだけが理解できないのが悲しいところよ」
何か、塊のようなものが、右腕に貫かれ天に掲げられていた。そして左手は、小さな、今にも消えてしまいそうな呼吸音を微かに響かせる人間の頭を鷲掴みにして、その肉体を引きずって近づいていた。
ソレは予想以上にまともな四肢を持ち、身体に張り付いたような鎧を身に着けていた。黒いマントはまるで身体の一部、あるいは魔力が作り出しているのか、拍動しているようにゆらめいて、その瞳は魔族のなりそこないか、あるいは吸血鬼の様に赤く煌めいた。
「あと一組、この小僧の仲間が居た筈なのだがな、どこへ行ったのか、捉えられぬ――ことはないが、正直、どうでも良い」
右腕が下がると、一番空に近いところにいた者から、腕から抜け落ち大地に落ちた。数は三つ。力なく肉体を打ちつけ鈍く音を鳴らすそれらは、つい先ほどまで緊張に身を包んでいた候補生だった。
身体は赤く染まりあがり、顔からは血の気が引いていた。指先、芯は冷え切り、呼吸音は聞こえない。彼らは斧、大剣を装備する二人組みと、手ぶらである少年が一人だけであったが勇者候補生なのには違いが無く――しかし、ハイドには彼らの名前が分からなかった。
だから悲しんで良いのかわからず、怒れるほど彼らに感情移入していないために心を動かされない。だが少なくとも彼らの分くらいは、仕返してやろう。感情を動かす代わりにそう考えた。
「わかってる癖に、白々しい野郎だよテメェは。っんとに、胸糞悪ィ奴だ。魔王さんよォ」
「ははっ、やはり貴様等”勇者”の声、口調は聞いていると気分が悪くなるな。シャロン、レイド共に無力化した今、さらにお前は私の掌にいると来た。これで私に勝てると思っているのか?」
「勝利を信じるんじゃねぇよ。勝つんだ、俺はテメェを殺す。決意だけで十分だ――なぁ、そうだろう。ショウ……っつったっけ」
人間と同じ四肢を持つ魔王が提げる少年へと、彼は同意を促した。最早言葉は届かないだろうと思ってはいたのだから、それは自己満足以外の何物でもないのだが、その直後、小さな唸り声を、確かに聞いた。
うん、だとか、あぁ、えぇ、だとかの類らしきソレは、確かな同意に違いが無い。ハイドは、ボロ雑巾と化す少年へと目を向けて驚愕の視線を投げつけるが、ソレは動きを止めていた。
「む、死んだか。嬲っただけなのだが――な」
言葉が途中で終えかけた。
それは予測どおりにハイドが大地を蹴り飛ばし身体を全面に押し出して突っ込んできたからであり、無謀と知りながら振り上げた拳は、やはりハイドが生やすその聳える角が受け取った命令で、顔面に衝突する寸前で止まったからである。だから、最後にそう付け足して、自分が殴られる代わりに、彼の顔面を力いっぱい殴り飛ばした。
まるで剣の切っ先のような鋭さを持つ拳は、容易に鋼鉄のような肌を持つハイドの顔面を歪め弾き、そして崩れる体勢に後押しするように、彼の横腹を蹴り抜けた。
ハイドは攻撃の手を無意識に止めて殴られ蹴られ、そして横方向に吹き飛んだ。下向きの蹴りのお陰でそう距離が開く事は無いが、強く地面に叩きつけられ、大地は抉れ、肉体は大いに傷ついた。
魔王はそれから、ほんの微かに、虫の息程度の呼吸が紡がれる少年を投げ捨ててから、ハイドに対峙する。これでハイドを仕留めれば最早敵は居ない。テンメイは確かに厄介であるが、わざわざ歯向かってくれるほどの正義感を持つはずが無いし、そこまで人間に毒されているわけが無い。彼にとっての悪い環境を与えない限り、常に触れ得ぬ位置にいられるのだから、やはり今早急に手を下すべきなのは、ハイドしかいないのだ。
そんな彼は一度、受身を取る暇も無く大地を甘んじた後、弾んで投げられた空中で素早く体勢を立て直して二本の脚で地面に踏ん張った。だがそれだけでは勢いを殺しきれず、足裏を削りながら、砂煙を巻き上げつつ何とか止め、大きく息を吐いた。
そうする頃には、先ほどまで人間の如く貧弱な魔力は爆発的に膨れ上がった。だが、辺りに撒き散らすと言う事はしない。空間全ての魔力を操作できる力はあれど、内臓する魔力はそのままに、全て自分の中で消化するつもりなのだろう。
ならば、肉弾戦は不利になるかもしれない。だが、魔王は魔法が扱えるのだ。遠距離攻撃も不利となる。であるのならば――。
「まずは目先の問題の解決からだ」
何も思いつかない自分の頭を悲観したいのは山々なのだが、それよりも何よりも、自分を操る魔の手から逃れなければならないのだ。
だからハイドは、素早く自分の額から生える角の根元を、両手で力強く掴んだ。
肉体の一部であるはずのそれには神経が無いらしく、酷く無機質っぽい感触だった。聳える一本の、尖った凶器じみた石のような硬さで、だがやはり身体の一部分という事を思わせるように、魔力の胎動がそこを中心として起こっているように感じられた。
「なぜ元人間である貴様が魔族になるためのちょっとした体質変化だけで、そこまでの力が、魔力が手に入れられたと思っているのだ? その角が魔力を制御しているからだ。持て余す肉体を、脳と手を結んで制御できているからだ。だから、ソレをへし折れば脳は強大な力を制御しきれず暴走し、さらに痛みで精神が使い物にならなくなる……」
少しばかり力を込めるが、角は悲鳴を上げる事すらしない。やはり自分の一部であるのだから、無意識の内に手加減が利いているのだろうか。それとも予想以上に硬質な素材なのだろうか。そしてそんな事をしている間に、魔王は何もしないまま、すぐ目の前に現れた。
しかし彼は、優しく、予想以上に意味を含めるわけでもなくそう告げるだけであった。角が受信する魔力に命令は含まれず、その気ならば角をへし折られても別に構わないというらしい事が理解できた。
もしかすると、このままでもそうでなくても、お前を倒す事などは容易なのだと言う事が、言いたい事なのかもしれなかった、が――。
「そんなの、関係ねぇっ!」
彼がどう思っていてもどうでも良い。仮に暴走しても、それを上回る精神力で押さえつければ関係が無い。むしろ、暴走しても自分が自分で有る限り目的どおりの行動をしてくれそうな気がする、というのは、少しばかり夢を見すぎであろうか。ハイドはそう思いながら、首を後方に力いっぱい下げ、握る角を下方向に折り曲げようと頑張った。
ようやく角が、みしみしと鳴いた。健常な歯をペンチでむりやり引き抜こうとするような、鈍い痛みが頭部から浸透し、内蔵していた、あるいは身に纏っていた魔力は徐々に、自動的に放出され始めた。
さらに次いで、ぴきりとどこかが欠けて弾けるような音がした。魔王はそれを見ているだけで、少しばかり距離を取ったような気がしたが、ハイドには最早、彼に傾注する余裕がない。
ここで攻撃されたら、なんて嫌な予感が脳裏に過ぎるが、その脳味噌も角の代わりに肉体、魔力の制御で忙しいらしく、やがては今何を考えたのか、何を心配に思ったのかすら忘れてしまった。
次にばきりと、角が大きく俯いた。内部に入り込んでいたヒビがようやく断裂し、大きな音を立てて、大きな破片を飛び散らしながら、あと一息だと言う事を伝えて――途端に、全身の力を抜くような痛みが浸透した。麻酔無しの無理な抜歯、親知らずを抜くときのような、どうしようもない痛みが何倍にもなって体中を襲い、瞬間、思わず唸り声を上げた。
「くっ、ああぁぁっ!」
角を掴んでいた掌が、その表面から滑り落ちそうになる。指先の力が抜けると自然に角を離してしまいそうになるが、ハイドは一度、強く地面を足で叩いてから大きく息を吸い、呼吸を止めて、力を込めなおした。
「ほう、中々マゾヒストな男だな」
他人事な感想は、やはりハイドに届く事はない。おそらく、今耳元で同じ事を大声で叫んだとしても、彼の脳に、言葉が意味を持って刻まれる事はないだろう。聞こえたとしても、意味が理解できない。だから何を聞いたのか、反芻して理解しようとしても意味が分からない時点で、本当に言葉を聴いたのか? と疑問を抱き、結果的に、言葉など発されなかったという結論に導かれる。
今の彼は、それほどまでに集中していたし、今までの何よりも、凄まじい痛みに襲われていた。
だが、次の瞬間。
ぽきりと、それは簡単な音を立ててへし折れた。
角が――折れた拍子に宙を滑る。予測を上回る速さで折れた角に度肝を抜かれていた魔王は思わずそれに対する行動が僅かに遅れてしまい、だが超人的な反射神経と動体視力で、頬の肉を削るだけで終わらせた。
だが、ほっとするのはまだ早い。その状況でそれを知るのは、誰よりも魔王である彼であった。
――角が折れた。その刹那、痛みを凌駕する魔力の暴走が彼の神経をボロボロにして体外へと放出された。自分の意思も関係無しに世界に干渉する魔力は、凄まじい量がある、あるいは濃度が常軌を逸している事を意味していて、体内の器官を傷つける程の勢いと、一秒間に放出されている魔力量から考えれば、恐らく彼のソレはその二つを持っていた。
おぞましいほどの魔力が、大気中の魔力を超える濃度で、辺りに撒き散らされてゆく。そして広がり、停滞する。魔力は圧倒的な程広範囲に、瞬く間に自分が先ほどシャロンと対峙した場所まで流れ着き、さらにそこからも滑り伸びて行った。
だが、一番最初に暴走した、天に向かって電撃の柱を突き刺した時のような竜巻は起こらずに――しかしその代わりに、ハイドの全身から、電撃が迸った。そんな彼の肉体は、浮き出る血管が爆発していたり、真皮がむき出しになっていたりと、見るに堪えぬ傷つき具合の中、唇は言葉を紡いだ。
「解放式・暗黒雷槌」
そして、全身に纏わり付く闇に、電撃が同化して――弾ける。闇と黒い電撃は掛け合わされて、光となった。結果的に、放たれた電撃は白い閃きとなって、辺りに花火のような残像を見せ始めた。
そんな小さな現象は、連鎖的に広がり、そしてただ呆然と立ち尽くし天を向くだけのハイドから放出される電撃も勢いと力強さを増して、空高く、何度もはじけて中継点を得て伸びるような輝く一筋の電撃はやがて分厚い雲へと到達した。
そしてその電撃は暗黒の雲の中で、弾け、突き刺さり、切り裂き、吹き荒れて――。
暗雲に切れ目が入ったと思うと、そこから伸びる光の柱がハイドに落ちた。
簡単に予想を裏切ったハイドの現状に、ただ目を見開き、驚き、その現実を信じず、否定し、歯を噛み締める魔王は、静かに頷いた後、拳にありったけの魔力を集中させた。
――全てを掻き消した夜は、早くも明け間を見せていた。




