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4 ――命の制止する瞬間――

「大事の前の小事か……、別に油断してたつもりは無いんだけどさぁ」


 どこか、そう遠くないところから叫び声が聞こえた。それは悲鳴を意味するものではなく、助けを求めているという風でもない。どことなく怒りに満ちていて、どことなく悔しさを孕んでいる。ひと言では言い表せない、自分と相手と第三者にそれぞれ意味の異なった気持ちを全て込めたような、そんな咆哮だった。


「小事が、とても小事とは言えないような大きさなんだよね」


 少年は、大地に何度も、まるで高いところから身を投げたように叩き付けられ全身を痛めつけていた。


 周りは闇に包まれ何も見えず、唯一聞こえたのは、心底不安になるような誰かの叫び声。周りには仲間が居るというような雰囲気は無く、魔物、魔族も居なさそうなのは不幸中の幸いと言った所だろう。


 彼は今自分が何処を向いているのか定かではない。目が使えないのならば、と考えて眼を瞑り耳を澄ませて心の瞳を開眼せしめようと考えるのだが、使用が分からないので少年は小さく溜息をついてから立ち上がった。


 ねっとりと絡みつくような気分の悪い邪悪の権化たる魔力と比べて、大地は乾ききっていた。まるで大地に含まれている魔力が全て空気中に飛び出している故の、魔力濃度なのだと思われた。地面の広い範囲、恐らく暗闇に包まれている面積の地面は全て干からびているのだろう。魔力を吸い出され、全てが魔王の力となるために。


 そして、吹き飛ばされる以前、その瞬間、ハイドが電撃で空を割っていた。実際に見たわけではないが、あの集団の中で雷の魔法を使えるとしたら勇者の血統であるハイドしか居ないのだ。魔族になってしまっているので扱えるかは少年にはわからないが、確率的には一番高い。


 ハイドがなぜあの状況で”暴走”し、あのような事をしたのか。その理由、その答えは簡単に導かれる。


 彼は魔族である。そして魔族は魔王が生み出した存在。かつてハイドが人間であったとしても、今が魔族なのには変わりが無い。だから、魔王に一定以上の力が戻っていれば、自分の部下、あるいは子を自分の意思で操り人形にすることなどは容易いであろう。


 そう考えれば至極納得――したくはないが、頷ける。彼は魔族の肉体を得て限りなく世界最強に近い力を手に入れて、さらに正義の心を持っている。力は正義じぶんの為に、そして正義じぶんは力のために動く事を、無意識のうちに原則としている筈だ。


 正体を隠して、世界各地に飛び人々を救っていたという事実を考えれば、そう間違っているとは言いがたいだろう。


 そんな彼が、仲間、あるいはそれに準ずるものの付近で、それらを巻き込むほどの大規模な攻撃を仕掛ける筈が無い。彼自身が、それを許さないはずである。


「一未満を知覚して十を理解する……こんなのは全然十じゃないけど、こんな推測が出来たって、今何も出来ないんじゃあ、仕方ない」


 彼はそう言って脱力した時、微かな魔力の動きがあることを感じた。


 敵意をむき出しにしているが、動きは繊細で自分を中心に、前方へ魔力を細長く伸ばしている。左右背後も同じように伸ばしていて、それらは緩慢な動きで揺れていた。


 それは此方へ近づいている。だが魔力量から考えてそれは決して敵ではないだろうと、少年は考えた。距離的には、既に十メートル未満。だから攻撃をされない内に、さっさと声を掛けようと口を開いた――が、相手がローラン・ハーヴェスト、あるいはアータン=フォングでなければ、自分の事を忘れてしまっているのではないか? とも考えた。


 もしそうであれば、確実に相手は、敵が人間に変装して自分たちを騙そうとしているのだろうと認識する。そして、この状況で自分の意思で行動する彼らが殺しを覚悟した瞬間、この首は既に肉体と離れ離れになっているだろう。


 殺すと思ったときには既に行動は終了している。だから殺すだとか殺してやるという台詞は、彼らの中には存在しない。殺した、という台詞のみが、相手に使えるのだ。


 ならば、逃げるしかない。この――自分で言うのは情けなくて悔しくて恥ずかしいが、貧弱な魔力ゆえに、相手にはまだ感知されていないだろう。この存在感の薄さなら、直ぐに闇に紛れ込める。この暗闇を、まるで昼間のように知覚できる人間が、そう居るはずが無い。居たとしてもそれは簡単な事ではない故に、一度逃げてしまえばコッチのものだろう。


 考えるが早いか、少年はその魔力とは逆方向に向き直り、足を伸ばすと、瞬間。


 どこからか吹いてきた風は優しく頬を撫ぜて――鋭い痛みが、左のほっぺが切り裂かれた事を教えた。


「知らないのか? 魔王からは逃げられない」


 声は背後から、自分に向けて放たれていた。魔力は途端に、距離を置く彼をも容易に包み込んで、邪悪さを悪化させていた。


 痛みに唸る少年は、だがしかし跪く事は無く、鮮血を垂れ流しながら、穴の空いた頬を押さえて振り向いた。


 そこにはやはり見えぬ暗闇が広がる。だが確実に、その向こう側に魔王が居た。優しい攻撃で、僅か一瞬、相手に攻撃だと知覚できぬ速度で頬を抉る攻撃をした敵が、今自分と対峙しているのだ。


 ――実感がなさ過ぎる。恐怖が痛みに掻き消される程度の敵が、本当に魔王なのかとすら疑問に思うほど、彼には重圧がなかった。だからといって少年は気を緩める事はしない。いくら予想とは違っても、自分を殺すくらいは簡単にこなせる敵であることには、違いが無いからである。


「相手が魔王様と分かれば、逃げる道理は何処にもありはしませんよ。まさか、野次馬根性で付いてきたら、一番最初に出会う事になるとは思いませんでしたが……」


「ならば一番最初の被害者と為り得る素質を持っているというわけだな、小僧」


「えぇ、まさか僕がこの手を初めて汚す相手が魔王になるなんて思いもよりませんでした」


「――話が」


 瞬間、闇を塗りつぶす白い輝きが視界を埋めて、その直後に、腹部に鈍い衝撃があった。そしてすぐさま、視界や黒く染まり始める。目の中にちかちかと光の残像が映っていて、どうやら圧迫によって目がおかしいことになったのだと、彼は理解する。


 そんな、自分の中で一割にも満たない理性がそう感じている一方で、本体とも言うべき部分は痛みに身体を折り曲げ跪いていた。そして何も無い胃から消化液を吐き出し、それが頬の風穴に焼きつくように染みて、声も出せない。


 彼の嗚咽を聞きながら、魔王は穏やかそうだった表情をゆがめ、どこで手に入れたかも定かではなくなったマントで身を覆いながら吐き捨てた。


「話が理解できていないのなら口を出すなド低脳が。私の一番嫌いなモノは馬鹿なのだ、理解できるか? このくらいは。最も、この声は最早聞こえていないだろうがな」


 視界の代わりに思考が真っ白に染まりあがるのだが、魔王が思うよりかは、十分にその声を聞いて理解することは出来ていた。だから、彼を思う存分苛立たせ不快にさせたいと思った少年は、痛むことを後回しにして、顔を上げた。


「なら、自分が一番、嫌いなんですね」


 それが自分が出来る精一杯だった。


 レイドに、調子に乗って自分を生き残らせろだの喚いたが、死ぬ覚悟くらい出来ている。一番死ぬ確率が高い自分が、いつまでも見苦しく生に執着するわけには行かないのだ。だから、せめて魔王が、どの感情の沸点が低いか見極めることくらい、してやろうと思った。それが終える頃には、この騒ぎに気付いて駆けつけてくれるものも居るだろう、とも。


「人間を侮ったつもりは無いのだがな、私としたことが、貴様程度の人間に怒りして己を忘れるとは」


「私としたことが、っていうのは、自分が限りなく高い位置に居なくちゃ、かえって失礼になるん、ですよ。私という賢き者としたことが、って意味になって――だからアンタは、使っちゃダメなんだ」


 魔王の声は頭の脇から聞こえてきた。最も、脇と言っても直ぐ横というわけではなく、半ば遥か頭上なのだから脇というのは違うかもしれないが、立つとすれば脇しかないので、やはり脇から聞こえてきたという事で良いのだろう。


「なぜだ? 人間。私なら適正だろう。むしろ、私しか使えない台詞ではないか」


「言った意味、わかります? 馬鹿アンタは使っちゃダメだって事……」


 空気が頬から漏れて、まともな発音ができなくなる。そして空気さえも傷口に染みて、鮮血はとまることが無い。血が風穴に染みているようにも思えて、少年は為す術なく、両手を地面に付いて、身体を支えた。


 そうする中で、魔王はやれやれと、思惑に反する行動を取った。短い溜息。呆れるような、失望したような落胆を孕むソレは、少なくとも、少年の背筋に悪寒を走らせた。


「同じ言葉を繰り返すしか脳の無い阿呆が。それで挑発をしているつもりなのか? 幼稚なのだよ、ゴミ屑が。貴様等の言葉に、あるだろう? 馬鹿は死なねば治らぬと……。一遍、死んで見るか?」


 そういって、地面を軽く蹴るような音がした。否、それは蹴ったのではなく、重い足が持ち上げられた音。気配が頭上に移行して、優しく、その鉄板のように固い足裏が、俯き加減の頭頂部に触れた。


 乱れる呼吸は微かに収まる。変に落ち着く息遣いは、まるで生を諦めたからのように見えた。事実、少年自身もそうとしか受けてとれず、酸素が不足してだるくなる身体を必死に保とうと、淀む意識を頑張って留めようと、大きく息を吸い込んで、直後。


「そして世界は我の手に」


 彼の、陶酔しきったような台詞の直後。


 何かが踏み潰され砕け飛び散る音が、空気を震わせた。

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