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ACT8.『選ばれし者たち』

 乱れる魔力の波が途切れて、帝國立病院内の一室にいる彼らは、闘いが終えたのを理解する。壁掛けの時計は、時刻を八時二一分を指していた。


 彼らは横たわる一人の、少女の風貌を持つエルフの前に立ち尽くして、顔を見合わせた。


「どうやら、何とか終わったらしいな」


「あぁ、良かったじゃねぇか」


 レイド=アローンの台詞に相槌を打つハイドは、どこか上の空だった。目の前の、下半身部分に布団のふくらみが無い彼女、シャロンをじっとみて、何かを考えているような風に見えて、レイドは思わず彼から顔をそらした。


 ハイドが二○○年ぶりに彼女と再会したのはついこの間で、その時には既にシャロンは意識を失ったままの、この状態であった。だから、正確には再会とは言わないのかもしれないし、何よりも、彼が受けた衝撃は大きすぎたのかもしれない。


 共に同じときを過ごした事のある彼らだが、ハイドはその場に居なかった。恐らく、彼があの状況、魔王が未だ力を手に入れていない弱体時に登場していれば倒せていただろう。だが全ては過ぎた事である。だからこそ、ハイドは自分を責めていた。魔族の身体になろうとも、人間のときの記憶が、勇者としての使命が、責任が、その身を苛んで仕方が無い。


 だが、そんな気持ちも先ほどの戦闘で大分忘れる事ができた。気持ちが良い方向に進展したと言うものだろう。だからそんな、要らぬ心配をしてくれる”友人”に、ハイドは顔を向けて口を開いた。


「肉体と精神に、シャロンの魔力に同質化させた魔力を送り込み刺激したら、目覚める可能性はあるかな」


 憎たらしい言葉もなく敵意もなく他意もない純粋な質問に、レイドは顔を俯かせ真剣に考え込んだ。そんな所作に、ハイドは何を思うでもなく、仮にこれがダメなら……そう考えて、別の思索に耽りこむ。


 ――刺激を与える。身体を揺すったり軽い衝撃を与えても目覚める傾向になかったし、魔力による影響は今まで反応がなかった。だが、ハイドの魔力は? と考えていたが、彼女に似せた魔力を与えるというのは、考え付かなかった。いや、考え付いても行動に移せなかったのだ。意識が無い現実で、まるで自分が起きているような影響を与えられると、夢の中から一生出てこられなくなるような気がした。


 だが、彼がそう言うのならば、何かしら確信じみたものがあるのだろう。やってみる価値はあるかもしれない。


 だが、やるのはハイドだ。だから彼はそれを口にした。


「肉体は心臓部に、精神は頭部に。それぞれの箇所に手を置いて、やってみろ」


 反対されるかと思った。そう言った途端に睨むような視線がレイドを貫き、彼は思わず睨み返した。だがハイドには悪意はなかったようで、ただ純粋に不安だったのか、ぎこちなく頷いた後、彼女の前に立って、指示されたとおりに手を伸ばした。


 布に触れぬ、やや高い位置に手をかざす。既に人間の服もボロ切れになり魔族の肉体が露になっているこの状況を、何も知らぬものが見れば彼が襲い掛かっているように見えるだろう。だが、この部屋にはレイドの許しがなければ誰も入ってこれはしない。謀反さえなければ。


 ハイドは少し息張るように短く息を吐くと、魔力が放たれ仄蒼く光り始めた。窓から入り込む明るい日差しとは別次元の灯かりは、ハイドの顔に陰を作り出す。レイドはその状況を息を呑んで見守った。


 ――シャロンの身体を包む魔力に、自分の魔力が触れて相対する。まるで水と油、とまでは行かぬものの、反発しあうのはやはり魔族と人類だからであろう。ハイドは集中し、自分の魔力の一部をシャロンのものに捻じ込んだ。すると自己防衛機能が勝手に働いたのか、突如彼女の魔力は暴走するように膨れ上がり始めて、力強く振り払うように、ハイドの魔力を弾き飛ばした。彼の手元からは光が失せて――同時に、暴発したような魔力によって、彼女を包んでいた魔力の膜は消費され、生身が露になっていた。


 ハイドはその瞬間を見逃さず、素早く、だが優しくシャロンの額に平手を押し付けた。ついで、彼の魔力が空気中に散ったシャロンのソレを捉え、脳と胸にそれを叩き込んだ。ちょっとした衝撃が彼女の身体を弾ませ、そして落ち着く。病室は静まり返り、ハイドは彼女から手を離して数歩退いた。


「空間に干渉する程の魔力だ。確かな刺激はあった。そして元々シャロンさんの魔力だ。与えすぎって訳は無い……筈だろう。だが一つミステイクがあるとすれば、俺の魔力も吸い込まれちまったというところだな」


 他者の魔力を無防備な身体に入れ込むとどうなるか。余程のことがなければ、たとえ相手が魔族であろうと異変は無い。そうでなければ、魔族による被害は今まで以上のものとなってしまう。だがそれが事実として無い以上、問題はないのだ。


「問題は無いと思うが……どちらにせよ、目覚めるには――」


 真剣な眼差しでハイドを捉えて、口を動かすレイドの言葉を遮るのは、小さな咳だった。


 だが、今目の前にしているハイドは咳どころか口も動かしていない。部屋も個室なので彼ら以外には誰もおらず、そして咳の大きさからして外から聞こえたというものではない。室内で、小さく咳をした誰かがいるのだ。


 レイドは思わず振り返った。だがそこにあるのは、どこまでも冷たい白色の扉だった。彼はそのまま、挙動不審に辺りを見渡す。部屋の四隅、天井、クローゼット、冷蔵庫……あらゆる、人や魔物が入れぬ場所まで目をむけ行動し、そして、気がつくとシャロンの前に立ち尽くしていた。


 今度は激しい咳が聞こえた。同時に彼女は苦悶の表情を呈し、胸を激しく弾ませる。眉は顰み、生きていると感じられる呼吸が耳に響く。活性化する魔力が大きく揺らいだ。


 レイドが彼女の顔を覗き込む。今にも薄く開かれそうな目は、その通りに、徐々に、ゆっくりと、まるで眩しい日差しの中にいるような風に開いてきて――。


「……生きて、いるのか……。私は……」


 切なそうに、不甲斐ないというような顔になるシャロンはレイドの向こう側にある白い天井を眺めながらそう口にした。


 懐かしい声が脳を振るわせる。まるでそれだけで、自分の非力が許されたような気がしたが、元々、彼女がこうなったのは自分の弱さの所為なのだ。そう思いなおすも、やはり彼女の覚醒には心を躍らさずにはいられなかった。


 これも、ハイドのお陰だ。いつも奴は、困っているときに助けてくれる。魔物との抗争も彼がいたから勝てたし、今回の戦闘もそうだ。ハイドが居なければ、魔物の大群に勇者候補生はやられていたかもしれない。そして今――今まで出来なかった事を軽々とやってのけ、さらに誰にも出来なかった事を成功させたのだ。


 だから彼は振り返る。その喜びを彼にも共有して欲しい。彼は誇って良いのだ。最早不必要な人間ではない。いや、元々不必要などではなかったのだ。時代が適していないなど、弱者の戯け事に過ぎない。


「ハイドッ――」


 だが、彼が見たのはやはり、先ほどと同じ、冷徹さを飽くまで保ち威厳を見せる優秀な扉であった。位置的には室内全てを見通せる場所に立つ彼は、その視界内に誰も居ない事を、否応にも瞬時に理解する。そして、彼の気遣いを認識した。


 無気力に天井の、存在しない染みを数えようとするシャロンは、発された名前に敏感に反応し、既に無い下半身を理解している彼女はそれに落ち込むこともせず、半身を起こして、聞きなおした。


「ハイド=ジャン……、彼がいるの……?」


 朧げな意識が反射的にそれを口にさせる。そしてそう言ってから、彼女は彼の存在を記憶のそこから呼び出した。時間は掛からず、彼女は眼を見開いて、さらに繰り返す。


「ハイドが、居るの?」


 彼女は一方的にハイドと再会したが、彼女の意識は深層下にあったために認識できていない。殆ど、意識を失ってから一瞬のように感じている彼女は、約二○○年振りに聞く仲間の名前に、反応せずには居られなかった。何かと彼は、様々な相手に特別な関係を築くのが得意なのだと、彼女は繰り返してからふと思った。


「野暮ったい野郎だ。行かせはしないぞ、ハイドッ!」


 レイドはシャロンの質問に答えることはなく、背を向けたまま、一瞬にしてその場から消えてなくなった。残されたシャロンは、ただ呆然と彼が居た場所を眺め、やがてそれから、枕もとの壁に立てかけられていた、柄が赤い鱗で覆われている、透き通るような白さを持つ刀身の剣の存在に気がついた。


 彼女はそれに手を伸ばし、剣を胸元で抱えながら、何の感傷も抱かずに、晴れ渡る綺麗な空へと目をやった。




「何のつもりだ、貴様」


 レイドは瞬間移動で病院の出口へと先回りすると、丁度ハイドは何事も無い様に、気だるそうに頭を掻きながら出てきたところだった。だからすかさず、彼は敵意丸出しの言葉を投げつけた。ハイドはまた面倒そうに息を吐くと、


「……何がだよ。いくら魔族でも疲れるんだ。二億ちょいの魔物ぶっ飛ばしゃそれ相応に疲れる……。つーか二億て……。だから寝かせてくれようるせぇなぁ」


「シャロンは目覚めたぞ」


「知ってるよ。俺が間違ったり失敗した事が一度でもあるか?」


「腐るほどに有る」


 冗談だろ? そう言って彼はおどけるように表情を崩した。レイドは先ほどの嬉しさを全面に出す笑顔とは打って変わった、自分の力を圧倒的に超える敵と出会ったような、自分ではどうしようもないのにどうにかしたい、そんな複雑な怒りを顔に出した。やれやれと首を振るハイドは、すぐさまに真顔に戻って言葉を続ける。


「知ってるか? 気付いているか? 今、魔王は人間の力を取り入れすぎて、人型を保っているのがやっとの状態だ。これが何を意味しているか――つまり、最早野郎は魔王の器じゃねぇっつう事だな。今も魔王として本当に世界に君臨しているなら、人類全ての命を吸収しても持て余すはずだったろうよ。だが悠久のときを経て、野郎は自分の居場所を失った。魔王と言う立場と共にな。奴は既に化けモノで、俺の故郷を支配している敵でも有る。なら、俺が手を出す事は許されたが、やっぱり世間的には魔王と言う存在だ。やはり、勇者と言うのが必要となってくる」


「何が言いたい?」


「俺は血縁最後の勇者で、奴は歴史上最後の魔王だ。だがどちらも、その肩書きを持つべき存在ではなくなった。何か、運命めいたものがあるよな」


「何が言いたいと聞いているんだ! 貴様、何を考えていやがる」


 激昂するレイドに、ハイドはまぁまぁと手を上げて、続けた。小さく息を吐いてから、彼は振り返って病院の一室――窓からシャロンがこちらを見ていることに気付いて、軽く手を振ってやってから、レイドへと向き直った。


「力が暴走する中で、プライドだけが生き残ってる奴の最期は高が知れてる。俺はその最期から、アンタが選ぶ勇者候補を護ってやる。そのまんまの意味で、命を懸けてな。だから、俺を魔王討伐に同伴させてくれ」


「私が選ぶ勇者候補だ。貴様の手なぞ不要なほどに十分強い。お前は大人しく、今までの分の時間を休暇に当てておけ」


 そんな台詞に、彼はふと思い出す。それは人間時代、彼に数万の魔物の軍隊と無理矢理戦わされた挙句、その報酬が出なかった事であるが――あの時、紙面上彼の弟子の部下だった彼は、その全権をレイドに委ねられたのだ。そして、それはいつの間にかうやむやになっていたが、事実上、まだハイドは彼の下に在席していることになっているのだろう。


「だが断る。冗談じゃあねぇな。ふざけんな。そもそも人間の一生ってのは短いモンなんだ。あんたにしても、本来の俺にしても。それが、いつまでも生きてるっつうのがおかしい。いい加減、俺に死なせてくれよ。疲れたんだ」


「ダメだね。貴様は貴様を知るもの全ての死を看取った後に、人知れず神格化しながら悠久を生きるんだ」


 もう二度と仲間の悲しむ顔を見たくない。もう二度と不幸な道を選ばせたくない。両者の意見が真っ向からぶつかり合い、どちらも妥協せぬ故に口論に終わりが無い。ハイドは自分が居る所為で、最終的には仲間が悲しむと思い込んでいる。いつか仲間に訪れる死に、寿命が半ば無いような彼は必ず出会わなければならないから、彼自身も悲しみを抱かねばならない。いつか、自分の事を知るものが完全に居なくなる事を、彼は恐れていた。


 そしてレイドは、今まで、彼の人間時代が不遇すぎたのにも関わらず、魔族として生き続けて人間に貢献し続けた彼の生き様を見て、これ以上自分を傷つけることをさせたくはなかった。これから、彼がいままで感じた事の無いような腑抜けた日常を与えてやりたいと思っているのだ。


 だからこそ、対立する。決して交わらぬ意見は、だが彼らの間に亀裂を作らずに、ごく自然的に、譲渡しあう形となった。


「『魔王を倒す』『生きなくてはならない』両方やらなくっちゃあならないってのが、俺の辛いところだな」


「わ、私はただ――」


「わかってるよ。あんたなりの平和的な考えなんだろ? だったら全部考えるのを、魔王を倒した後に回してやるよ。とり合えず保留っつう事だ。いいだろ? これで」


「ふっ、理解わかれば良いのだ。その筋肉となる脳で、本当に理解できたのか定かではないがな」


 しかし――こうして話が落ち着いてみると、レイドはすぐさまいつもの調子で人を小馬鹿にした態度をとってくれる。これが彼なりの照れ隠しのようであるが、どうにも癪にさわってしまう。心の底から心配してくれるのはまだ分かるのだが、たまには素直になって欲しいものである。


 ハイドは彼の態度に大きく溜息をついた後、


「一週間後にまた来る。それまでに何か、進展させておけよ」


 レイドが返答する暇もおかずに、彼はすぐさまその場から跳んで姿を消した。その速度は目にも留まらぬ速さであり、残像を作り出す速度である。そんな彼の身体能力に、ハイドが対魔王戦パーティに参戦してくれる事になった事実に少しばかり、頼もしく感じて、僅かに頬を緩めた。


 この数分間はなんだか夢でも見ているような感じである。彼はそう思って息を吐いた。その頃にようやく、口論を聞いて駆けつける警備兵がやってくるのを、レイドは遠目に見ながら、その瞳はさらに遠くの未来を映し見ていた。

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