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10 ――継続段階――

 霧が晴れ始めると共に、辺りの凄惨な状況が理解できてきた。無残に飛び散る魔物の残骸に、大地にこびり付く血肉。悪臭は途絶える事無く、遠目に見える場所では、肉塊が山盛りになって丘を作っていた。


 臭気が鼻に纏わり付く。だがそれも最早慣れてしまうほどの時が経過したように思うほど、この数分間は長く感じられた。


 鉄甲に癒着する腕は拳以外を形作れぬ雑なつくりであるが、それ故に拳は決して解ける事がなく、また現状では拳骨以外を作る必要はなかった。


 ローラン・ハーヴェストは頭部の出血に視界を紅く染め上げながら、魔族タンメイに対峙している。既にこの世界からは全ての魔物、それとハイド、テンメイを除けば彼以外の魔族は既に消失しているのだが、彼らには気付く術はない。その場所は、ロランとアータン=フォングとタンメイのみで構成されていた。


「幾ら貴方が身体を闇に化かしても、私が”還す”衝撃は物理的ではないんですよ。痛みを直接肉体に刻む。故に、貴方が痛いと感じたとき、衝撃は既に肉体に浸透し終えていて、闇になって衝撃を受け流そうとも遅い」


 アータン=フォングは吸血鬼の末裔である。故にまともな物理攻撃は意識せずとも身体を通り過ぎてゆく。魔法であっても、ある程度ならば効果は薄いか、全く無いのであるが、タンメイの”受けた衝撃を跳ね返す”能力ばかりはまともに効いてしまう。


 例えば肌を焼けば、それは発火しなくとも火傷が肌に浮かび上がり、凍らせれば肉体が凍りつく。無論、その箇所は自身が攻撃した部分と同じ所である。


 ある程度の距離をとっていればそれも無駄であると踏んだのが間違いだった。ロランは奥歯を噛み締めながら、自身の非力さを呪った。彼の隣でフォングは、短い呼吸を繰り返して汗を垂れ流しているのを視て、ロランの視線が全てを射抜く鋭さを持った。


 だがタンメイはうろたえない。その瞳には既に勝利の二文字が刻まれているようだった。


 ――最初に、タイミングをずらした攻撃で打撃による衝撃を還されぬままダメージを与える事が出来たが、それがいけなかった。一度相手に学習させてしまった事が、今圧されている現状に到達した要因である。


「だから、なんだってんだ」


 衝撃は受け流されず肉体に刻まれる。最早タイミングも完全に読まれたが、だからといって負けを認めたわけではない。勝ちを諦めたわけではない。根拠の無い自信は言葉となって、負の感情に飲み込まれかけるフォングを引きずり出した。


「そーそー、ダメージないからって、負けないとは限らないよね」


 今にも前回り受身を取りそうな体勢から、彼女は髪を掻き揚げながら立ち直る。その表情に余裕はなくやせ我慢をしているのがよくわかったが、やせ我慢する程度の元気がある事がにロランは少し安堵する。そんな風に息を漏らすと、フォングはちらりと彼を見た。


「攻撃が通じないからって勝てないとは限らないよな」


 しかしながら、彼の攻撃、ただ純粋に拳を投げて敵へと突き刺す行動が、相手に通じぬわけではない。彼の拳は鋭いのだ。これは比喩ではなく、確かな事実としてタンメイは感じていた。


 ハイドがその威力を前面に押し出し身体全体を押し潰さんとする拳を放つのならば、ロランは一点集中、狙った部分を弾丸の如く貫かんばかりの拳を打ち込む。腕力、威力ともにハイドには絶対的なほど敵わなくとも、一点集中故に、その攻撃は少なくとも”貫通”していた。馬鹿力を以って自分が受けるダメージ以上を相手に貫通させるとまではいかぬものの、魔族の跳ね返せる限界を僅かに超えた力が、タンメイの知らぬ間に体力を消耗させている。


 ロランはソレに気付き、フォングはそれからのチャンスを窺っている。自身が放った黒き竜の魔法は呆気なく魔族を飲み込み、それから負った分のダメージを返された。が、一度傷を負うという点に、彼女は着眼した。


 一度ダメージを受け、そこに更にどんな手段であれ、跳ね返す暇もなく攻撃を受ける。その場合、”跳ね返り”はどのタイミングでやってくるのだろうか。能力を使用する余裕が無ければ彼自身にダメージが蓄積され、遂にはタンメイを打ち破る事は出来ないだろうか。


 試す価値はある。だがその為には、ロランに割りと高めで清算もできないリスクを負ってもらう事になるのだが……。


「血が、足りない……」


 彼女は呟いた。吸血鬼は年齢実力問わず、ある一定以上の力を持つ哺乳類の血液を吸収する事で、対象の力を肉体に浸透させ、ほぼ同等の力を加える事が出来る。それ故に、力についていく肉体が必要となるために、自在に成長減退できる体を持っているのだ。


 それに、血液とは吸血鬼の力の根源でもある。更なる強みを目指すために血を摂取しなくとも、絶対的栄養素としてそれは必要となる。肉体は人間で言う肉体としての機能はほぼ存在しないが、人間として具現化することも出来る。簡単に言えば、本来必要も無く持っても居ない臓器も気分で作りもできる、という事だ。


 そして戦闘をする場合は、肉体を物理的に触れられるレベルまで実体化させなければならない。それを持続してさらに激しい戦闘、魔力の消耗を重ねれば、ただの食事では疲労の回復も魔力の補給も、とても間に合ったものではない。


「貴方達が今更希望を見出そうと、全ては遅い。そう言っているのが理解できませんか? えぇ、確かにダメージは少量ですが、如実に溜まって来ています。ですが、わかりますか? ですが、それ以上のダメージを、人間の肉体で蓄積している貴方達は既に動けない! そうじゃあ、ありませんか……?」


「なァに言ってんだ。コレくらいで弱音吐いてたら、とっくの昔に丘の一部になってるっつーの」


 ロランはやれやれと首を振り、腰を落とす。短い呼吸を意識的に繰り返しながら、両拳を身体の前でぶつけ、金属音を鳴らした。


 それが合図となった。


 ロランは左肘を突き出すように構え、右拳を腰に引きつけるようにして、若干の前屈姿勢で走り出す。対峙するタンメイは、まるで背を支えるバネがあるように大きく仰け反ってから、強く弾かれるように身を投げた。


 一瞬にして肉薄する二つの固まりは、次の瞬間には早くも交わった。鉄甲がタンメイの横頬に突き刺さり、その応酬は鋭い対なる拳が左右から頭部を叩き潰す勢いで殴る事だった。


 両者の意識が一瞬吹き飛ぶ。そして次の瞬間、自分の打撃が右の頬を貫いて、ロランは勢い良く背後へと弾き飛ばされた。


 だが彼は諦めずに、空を向く身体を後転するように回し、地面に向き直ったところで強く地面に拳を付きたてた。同時に強く足で踏ん張るが、勢いに負けて全身が地面に打ちつけられて何度も弾む。だがソレをしないよりはマシな気がして、勝手な自己満足が心に芽生えた。


「何を躊躇っている……全力で、来いッ!」


 ロランが咆える。その直後に彼の両脇を高速度で駆け抜ける黒い竜がタンメイへと向かった。


 純粋な魔力が悪意の塊となって構成されるソレは風を切り肥大化する。対には両者ともその空中で衝突し、溶け合ってその身を倍近くの大きさにして、タンメイの視界を遮るように襲い掛かった。


「避ける価値も無いとはこの事」


 風切音が竜の咆哮になる。タンメイは素早くソレの口へと腕を突っ込むと、瞬く間に全身が飲み込まれて行く感覚を覚えた。彼はそのまま自分の魔力と竜を構成する魔力の質を同化させ、腕を大きく開くようにして、それを引きちぎった。


 黒い塊は、分断されて頭の先から霞みと化す。だが次の刹那、黒き闇に似る粒子の中から、人の影が現れて――再び顔面に、鋭い痛みが貫いた。激しい熱を覚え身体が落ちてゆく様に吹き飛ばされるのを感じながら、痛みをそのまま攻撃を仕掛けた主へと返す。ロランがその場に跪いたら、華麗に着地してそろそろトドメを刺そう。考えた矢先に、鈴を鳴らしたような悲鳴が小さく耳に届く。


 そして背後から、唐突に気配が出現した。だが翼で体勢を立て直そうにも振り返ろうにも、距離的にはその余裕はなく、その冷たい拳が後頭部に触れた瞬間、タンメイの意識はぷつりと切れる。


 ――鉄甲は優しい冷たさを持って後頭部へと突き刺さると、反する身体はそのまま後頭部を置き去りにして進行しようとする。拳はその行動に逆らって強く前へと突き出され、そのまま頭を吹き飛ばした。


 墨のような血は彼を満たし、ついでに吹き飛ばされた魔族の身体はそう遠くない地点で鈍く地面に落ちて落ち着く。ロランはそれを確認してから、首筋の、釘でも刺されたような新鮮な傷を抑えながら、大きく息を吐いた。


「終わった」


 痛みや疲労は残るが、そう支障の出るものではない。短期決戦に挑んだのが、今回の勝因と言うところであろうか。


 ――竜の魔力の残骸が、漸く空気中から失せて大地に還元される頃。ロランと同じ背丈の影は特殊な化学薬品を摂取したかのように縮んで行った後、彼の前へと姿を現わした。


「わたしを”血”で成長させて囮に、瞬間移動で魔族の背後に回って頭部破壊……囮と待ち伏せ、どちらかに気付かれていたら命は無い危険な賭けだったけど」


 フォングはくたびれた、と言うように冗談っぽく笑って、


「終わりよければすべてよし、だね」


「もしかすると本番があるかもしれない。そう考えると憂鬱になるけどなァ」


 ロランは腕を下げて、落胆するようにうな垂れる。腕との癒着を終えて、鉄甲は音もなく乾いた泥の上に落ちて転がった。


 今回では色々実験をしてみる気でいたが、とてもその余裕は無かった。少なくとも、攻撃を跳ね返されなければ他を考える余裕も生まれたのだが。ロランは過ぎた故に芽生える過剰評価を胸に抱いて、空を見上げる。


 臭気で淀む空気とは裏腹に、空は澄んで晴れていた。どこかでセミの声が聞こえる。恐らく、雨季も終えて夏が始まるのだろう。夏季の長期休業が始まる頃、自分はどうしているだろうか――。


 ロランは考えながら、鉄甲を拾い上げ、フォングへと手を差し伸ばした。


 想像も付かない自分の未来。それは、未だ強大な敵が居る事に安心できないからであろうか。それとも、自分がその敵へと挑むかもしれない、という可能性に恐怖しているからだろうか。友人が、あの環境が恋しいからだろうか。


 勇者候補生から魔王へ挑む権利を得る、その為に腕を磨くようにと与えられた一ヶ月は、もう直ぐそこで終えてしまう。恐らく皇帝は実力を跳ね上げさせる事を目的とした期間ではないのだろう。ただ単にちょっとした戦闘経験と、素質、才能、努力を見極めるための時間。


「大丈夫だよ」


 眉間に皺が寄るロランの表情から何かを窺い知ったのか、フォングは不意にそう口を開いた。


 そう、大丈夫だ。


 根拠は無いが、なぜかそう思うことが出来た。そう思わなければいけない気がしたことは確かだが、圧迫感は無い。不思議と安心した。


「あぁ、俺たちなら絶対に」


 決して選ばれる事は無い。魔王でもなんでも倒せてしまう。どちらの意味で言ったのか、自分でも定かではなかったが、言葉を吐くごとに気分が、足が軽くなるのを感じた。


 ロランは再び空を見上げる。夏の日差しが、網膜を焼き付けた。


 空は先ほどよりも更に濃い蒼を魅せていた。

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