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9 ――終戦――

 霧はその濃度を徐々に薄めていく。透き通る空気と混ざっていくような感覚が、胸の息苦しさを引かせて行く。


 視界に入り込む大空は、その蒼さを魅せる。分厚い雲を切り裂いて顔を覗かせる太陽が肌を照りつけた。


 雨上がりの大地は、掻き乱されて水分を保有する余裕は無い様に泥は乾いて固形化する。彼らはその上に、立っていた。


 魔族がその黒い肌に青筋を浮かべる。頑健な肉体が先ほどより筋肉を隆々とさせ、まるで肌の下に全身を這う大蛇が胎動しているのではないかと思うほどであった。


 あれから約一時間が経過する。魔族が”未来さきを見通す目”で派遣教員を殺し、瞬く間に少年以外の風紀委員を千切って投げ、その直後に背中に魔銃まがんの弾を受けて爆ぜた頃から全てが静寂に帰した。


 魔族の怒りは既に限界を振り切っているだろう。時間が経った今は既に内部で消化されたかもしれないが、激昂が全身を支配しても行動に移らなかった。その精神力を窺うには、恐らくコレほどまでに無いくらいの強敵と捉えて良いだろう。


 スズ・スターは両手を爆破に巻き込まれるも発砲し、だがその直後に気絶する。ヤマモトロクロクは腕をへし折られ、本来曲がるはずの無い方向に腕を稼動させたまま地面に沈む。唯一気を確かに持つシップ=スロープも、刀を抜き身のまま、居合いを放った直後の体勢で固まっている。少年は、無表情のまま魔族を睨み、魔族は虚空を見つめた。


 緊張は持続的に空気を張り詰める。いつ甲高い音を立てて破れてしまうか分からぬ現状に、小さな心臓は、貧弱な魂は小刻みに震え続ける。そしてそれに疲れた少年は――激しい頭痛と吐き気、それと指先の感覚が失せる奇妙な症状に見舞われた。


 これは、自分に相容れぬ魔力による障害、魔障が精神的肉体的行動の阻害となる症状を引き起こしているのだ。主に原因は、自分と合わぬ魔力か、自分の容量を、精神を凌駕する魔力を間接的、直接的に感じてしまう事。


 だが今此処でそれを相手に見せるわけには行かない。彼の眼には少年は映っていないだろうが、少なくとも目の前にいるのだ。そんな情けない姿、弱みなどは相手に知覚されてはならない。


 少年は頬の内側を削るように強く噛み締める。仄かな鉄の味が口の中に広がり、唾液が傷口を清浄する。唾が滲みるが、少年は眉根すら歪めることはなかった。


 こう着状態が続き、動き出す機会を失った。最も動き出しても彼には到底敵わぬ相手ではあるのだが、この状態を続けていれば、いずれ仲間の怪我は命の危険に発展してしまうかもしれない。


 雨に打たれて汗を流し、それが乾いて、その際に水分と共に体温を奪う。急激な体温変化に身体が付いていけるだろうか? 傷口から侵入した細菌がその部分を壊死させてしまうのではないだろうか。もしかしたら、攻撃を加えた瞬間に、さらに一撃で命を脅かすものを放ったのではないか?


 少年の思考が無駄な危惧を生む。その心配が徒労であることを祈るも、やはり忙しなく、少年の視線は魔族のはるか背後に横たわる仲間達へと泳いでしまう。


 果たしてこの時間は無為なるものなのだろうか。少年は考える。自分が先ほどまで自由に動き相手を挑発していた事が信じられぬようになってきた。


 頭が痛い。胃から溢れる消化液が単体で果敢にも食道を攻め落とさんとする。喉が熱い。意識が飛びそうになる。地面が揺れているのか足元がふらついているのか、そもそも揺れているのは頭か足か、自分は背の高いビルが地震に見舞われたように緩慢にも大きく揺れているのか、定かではないし、確認できない。それほどまで、気分は、体調は悪化していた。


 思考が淀み、停滞する。唯一できる考える事を封じられた今、彼はここに居て良い資格を失った。


「能力を暴いた。弱点も見つけた。その絶対有利を得て貴様は、殺せると確信を持って俺へ挑めるのか?」


 不意に魔族は口を利く。まるで懐かしい声だ。百年も千年も、言葉を聴いていないような感覚に陥って――停止した時間は、漸く動き出す。


 挑めるはずが無い。少年はそれでも、首を縦に振った。少しばかりの、だが今の自分に出来る精一杯の虚勢。


 魔族は憎らしく、舌を打った。


「いつまで手をこまねいているんです。まさか、努力や何かで本当に目でも生えると思ってるんですか?」


 少年は台詞に乗じて顔を歪めた。目に掛かる髪を書き上げ、心底呆れた風を装って苦痛を一旦外へ流す。途端に嫌気が倍増するくらいの苦しみが再構築されるが、一時の快楽を求めるのが人間であると少年は意味不明に、自分自身に弁解した。


「不思議な事にな。貴様は、貴様と同じ土俵で葬り去らねば、本当の意味で”殺した”事にはならん気がしてな」


「へぇ。魔族の貴方が、わざわざ僕に合わせてくれるんですか」


「けじめ、と言うんだろう? 人間の言葉では」


 魔族は歩みを進める。乾いた泥の道。否、それは最早道などではない。かぴかぴに乾いてひび割れる大地を彼が進む。自分で切り開くように。


 拳は握られたままだが、恐らく今までのような使い方はされないのだろう。少年と同じ土俵に立って勝利する。これが彼の求める条件であるが、同じ土俵とは、一体何をするつもりなのだろうか。少年には皆目見当も付かない。


 やがて彼は、頭一つ分小さい少年を見下ろす形で前に立った。


「何をするんです」


 出来れば早く説明を聞いて理解し、そして彼の提案に乗って可及的速やかに彼を打ち負かし――その後、スロープに魔族と対等に渡り合ってその首を刎ねてもらうしか術は無い。だが、現状では第一関門である、話を聞く事が困難であった。


「あぁ、貴様は――」


 不覚にも、音声はそこでぷつりと切れる。まるでテレビを消したような感覚であるが、視覚的情報を脳に送り続けている以上、”消音”状態と言った方が正確なのだろう。そして少年は読唇術の心得は無い。


 その時点で、彼は情報を得る手段を半ば失う。まともな思考は直ぐに虚無へと投げ捨てられて、拾いに行く前に、投げて手から離した瞬間に空気中に溶けてしまうので想像も推察も全てが無駄となる。頭痛が増した。


 ――わかったか? そして魔族は口をつぐんだ。最後の、それだけを唇の動きで理解できるも、それ以前が認識できなければ意味が無い。そして相手にはこの状態等は窺えぬし、把握も許容も出来ないだろう。仲間を打ちのめされて、自身を侮り侮辱するも心を許してくれた男を殺した。その憎しみは未だ心に秘めているが、流石に今、殺されても文句は言えない。


 次いで、視界もぼやけ始める。その頃になると意識も、あるのかないのか不確かで、ここが夢なのか現実なのか、考える気力もなくなった。


 顔は俯いているだろうか。呼吸は乱れているだろうか。魔族は不審がっているだろう。不戦勝を得る彼はどうするだろう。


 眼を瞑っているのかどうかすらわからない。日の光が肌を照らすが、肌は温度を知覚しない。穏やかな陽気なのか、豪雨なのかすら理解し得ない少年は、それでもまるで芯が折れず、先ほどと変わらぬ姿勢のまま魔族を睨んでいた。


 今度は少年の時が止まる。魔族は応えぬ彼に、僅かにたじろいだ。


「提案が気に喰わぬか。だが、同じ土俵に立つだけで、貴様に好条件を譲渡しようと言うわけでは無いので、な」


 しかし瞳は揺らがない。まるで目を開けたまま眠っているような感じがした。


 一体、彼の身に何が起こっているのだろうか。これで、弱者なりに精一杯の反抗をしているつもりか。今この瞬間、戦っている気分なのか。だとすれば、哀れすぎて言葉に詰まる。


 このまま手をこまねいて停滞して、何が生まれるというのだろうか――トウメイはそこまで考えて、軽く笑う。意見を引き摺り下ろすように、首を振った。


 どうすべきか考える。ということは、相手と戦う必要が無いか、戦う価値が存在しないか、戦うべきではないのだろう。世界が違う。土俵を同じにする、などという価値観は通用しないのだ。世界を共通しているわけではない故に、次元を切り裂き移動するまで大々的な事が必要となってくる。が、トウメイはその術を持ち合わせていない。


 ならば、今は他の敵を討つしかない――か。


 トウメイは息を吐くと、両拳の先から鋭い骨を突き出した。踵を返し少年へ背を向けると、その直後、どさりと何かが音を立てた。意表を突かれて思わず振り向くと、少年は先ほどの気をつけの体勢のまま地面に叩きつけられていた。どうやら気を失っているらしいところを見て、魔族は漸く理解した。


 彼は既に、意識がなかったのだ。


 なぜそんな事になっているかなんて無粋は考えない。ただ、魔族が退くまで対峙する事をやめなかった。そこを評価するだけである。


「貴様の仲間はどれも、随分と頼もしいのだな」

 

 先刻さっきまで背を向けていた背景には、二人の少年が立っていた。一人は刀を構え、一人はへし折れた腕を、上着を包帯代わりに固定して、もう片方の腕で拳を作っている。仲間だけではなく、彼らも十分に頼もしい。


「ったりめーだろうがよ。特にソイツは今期生第一位の成長頭だぞ」


「当然で御座ろう。ショウ殿は拙者が見込んだ男であれば」


「あったりまえだろ――私がたまを預ける程だ、ぞ」


 そしてむくりと、まるで今まで眠っていたかのようにスズ・スターは身を起こして会話に乗じる。トウメイは少しばかり驚いた顔をして、拳を握り攻撃態勢をとった。


 スロープが剣を鞘に収める。スズ・スターは火傷で指が全てくっついてしまう手で、それでも何とか両手を駆使して残る一丁の拳銃を構えた。


 彼の能力を打ち破るのは、非常に難しいだろう。なにせ、一度だけ未来を見るのか、随時未来情報を得ているのか分からないからだ。


 もし前者ならば、見えた未来を囮にして、さらに先の未来で攻撃を当てなければならない。それには完全に敵の行動を把握しなければならない。が、それでもまだ打ち破る手はあるのだ。残されている。


 だが後者ならば最早打つ手は無い。常に魔族の掌の上で弄ばれ踊らされているのだ。相手がどれほど敬意を表して闘いに挑んでも、それには変わりが無い。


「あたしは一発しか撃てん。また肩外れそうだし、手がもたないからな」


 どこか悲しげに彼女は報告した。いつものような勝気で根拠の無い自信に満ち満ちているスズ・スターはどこかへと消えてしまった。痛みで理性が正常に戻っているのか、その他の何らかの影響なのかは現時点では彼女自身、定かでない。


「ほう、ようやく全員で掛かってくるか。賢い判断だ」


 魔族はそれだけ言って走り出す。最早準備する時間も与えるつもりは無い。彼は眼を見開いたまま、全てを捉え受け流すつもりで、体勢を低くしたまま滑る様に肉薄する。


 これ以上時間を置くつもりは無いのはヤマモトらも同意見であったために、それとほぼ同時にヤマモトは彼らの前へと躍り出る。布キレで固定した腕に魔力が集中し、輝き始める。肉体はそのおこぼれとばかりにエネルギーを纏い始めた。


 時は満ちたり。魔族の口元がそう動くのを認識する。それが何を意図しているかは分からないが、既にヤマモトの拳は魔族を捉えていた。


 トウメイの顔面に拳が降り注ぐ。だが魔族はそのまま前進し、その頬に拳骨を掠らせた、瞬間。布を巻く右腕が、相手の予測し得ない左下側から顎部を狙う裏拳を撃ち放った。凄まじい速度を誇る。風を切るそれは――だが次の瞬間、虚空を切り裂いた。


 魔族は素早く後退し、ヤマモトの射程距離から離れたと思うと、攻撃が終了した途端に短く跳躍し、真っ直ぐ進む。直線距離はこれまでに無いくらいの短距離を誇り、僅かコンマ秒の時を与える暇なくトウメイの拳の角がヤマモトの顎へと突き刺さった。


 と、思われた。


 実際に彼の顎を殴り飛ばしたのは、角の綺麗な断面であった。気が付くころに、空から角が降り注ぐ。まるで知覚できぬ速度で斬り飛ばされた鋭い角は真っ逆さまに落ちて頭を地面に突き刺した。そうしてから、トウメイの拳が顎を殴り抜ける。ヤマモトは空を仰ぎながら背を反らせ、貪欲に背後をその体制のまま窺おうとして、地面に倒れた。


 視界の脇で、刀を抜いたスロープが激しく肩を上下させて俯いているのが見えた。恐らく彼が、先ほど取得した”真空刃”で一瞬にして切り裂いたのだろう。下手をすればヤマモトの首さえも刎ね飛ばしていたかもしれないというのに、それを実行するあたり、将来大人物になりそうな予感がする。


 そして、そんな――勢いが失せた瞬間。


 前方のスズ・スターが発砲した。銃口が火花を散らし、弾丸を吐き出す。音速に近い速度で弾き出されたそれは、だが最初から軌道が逸れているらしく、顔の中心から大きくずれた脇を通って背後へ抜けた。


 彼女は銃撃できるも、そもそも先ほどのような正確な射撃が不可能なのだ。それを現わすように、スズ・スターは発砲の衝撃でそのまま背後へ押され尻餅をついた。どさりと鈍い音が耳に届いて、続いて凶暴な爆発音が衝撃波と共に背後から襲い掛かった。


 熱風が、全身を透過し傷つける衝撃波が、空から降り注ぐ妙な黒く熱い液体が、全身くまなく嬲り尽くす。弾丸は衝撃を得なければ孕む魔法を発動しないはずなのに――と考えながら振り向くと、不意に身体に、何かが抱きついた。


 それは先ほど気絶し倒れたばかりの少年だった。


 次いで、理解する。


 彼が背後から、スズ・スターから渡された弾丸を投げたのだ。魔族に当てるつもりではなく、弾丸に衝撃を与える役目として。そして彼女は魔族に直撃くらわせる為ではなく、弾丸を打ち抜いた。そしてその衝撃が爆発を起こし、魔族の動揺を招いた。


 トウメイが未来を視るのは、視覚からである。故に背後や、その他死角の未来は見えない。飽くまで視覚情報として取り入れた景色の未来を認知するのだ。だから、彼は一時間前、それを理解しにやりと笑った。だからこそ、あまりに早すぎる暴露に驚いて自分の中の時を止めたのだ。


 だが、たかが少年。しかも今はその少年らしい力も無い、力の抜け具合だ。このまま彼を振り払い、背後を向かなければ。


 そう思って行動するが、身体が動かない。それは少年が抱きしめる力によるものではなかった。何か、関節の節々が固定されるような、まるで泥を触った手がかぴかぴに乾いているような感覚。それがより強くなり、身動きに支障をきたすレベルまで底上げされたような力強さを持っているのだ。


「黒い雨、あれなんだか分かります?」


 胸に顔を置く少年が問いかける。悪戯に微笑む顔は、今にも消えてしまいそうな儚さを持っていた。


「知るか」


 魔族はそれでも抵抗する。身動きは出来ないが、動かせる意思がある限り魔族は現状から抗い続ける。だがそれも、次の瞬間に途絶えた。


 少年が彼の返答を得て続いて口を開いた瞬間、突然魔族の首は消えてなくなった。そして口の中には、鉄の味が広がった。濃度の高くも、人間と然程変わらぬ血の味だった。


 ――少年が抱きつく魔族の首切断面からは、まるで質の悪い噴水オブジェのように血を噴出していた。辺りを血が濡らす。太陽に鮮血が煌めいた。そしてようやく、空高く舞い上がる首はぼとりと地面に叩きつけられる。その衝撃で頭蓋骨が陥没するが、関係は無いだろう。


 少年は幾度にも渡る魔障によって、耐性が付き始めていた。だが耐性が付く理由は何も魔障による体調不良の経験数ではない。決して屈さぬ意思と精神と、そして慣れが彼を強くする。戦場でも拳も剣も振らぬ彼だが、確かな強さを、持ち始めていた。


 やがて魔族の身体は力なく倒れてしまう。仰向けに倒れるソレを眺めながら、少年は空を見上げた。


 スロープは疲労のために跪き、ヤマモトは再び気を失って、スズ・スターは立ち上がる気力も無いのか寝転がって空を仰いでいた。


 ――全員。魔族はヤマモト、スロープ、スズ・スターだけでそれだと認識していたようだが、少年を含める全員で挑んだからこそ、今勝てた。彼らは薄れる、あるいは消えた意識の中でもそれを理解し、満足な気持ちに満ちていた。


 日は昇りきり、時刻は正午の少し前辺りだと思われる。もう学園の休業は終えたが、少年は未だ謹慎処分で休みは一週間残っていた。帰って休もう。ゆっくり眠ろう。そう考えながら見上げる空は、より蒼くなった気がした。どこかでセミの声が聞こえた。


 束の間の雨季の晴れ間の中で、夏が訪れたと思われた。

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