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8 ――終了段階――

 竜人族の少女レイミは、地団太でも踏むように強く何度も地面を踏みなじって怪我の調子を確認する。激しい衝撃を吸収するバネに、痛みを感じない傷跡は程よく温まり、これから運動せんとうをするのには丁度良いコンディションとなっていた。


 彼女は既に両腕の肘部分までを強靭な緑色の鱗に包み、指先に鋭い爪、口元に煌めく牙を生やす。瞳は未だ白く濁らないが、紅く、充血するよりも鮮やかな朱色に染まる。まだ理性を十分保てる状態であり、竜人が竜人として戦う場合とる通常状態であった。


 相手は移動した時間も認識させずに突然背後から現れた。この魔族の能力は空間を裂くものだろうか。瞬間移動する能力だろうか。だが今は、それがはっきり理解できても然して利益にならない。どうしようもない。


「戦うしかない」


 そう口にして、デュラムは決意を固めた。命を賭して削りあう闘いだ。生半可な作戦だとか意気込みだとかで生き残れる状況じゃない。勇者として、人間として、この魔族を倒して魔王へ挑む。このままの実力では到底魔王に敵う気がしないが、今はそれを考える余裕は無い。


「えぇ、敵を倒すしかない」


 彼女は思考する。後退する余裕は無い。考える暇は無い。今は必死に身体を動かし仲間を護り敵の首を刎ねることしか考えてはならない。


「倒せるものなら、なァッ!」


 そして不意に魔族が視界から失せる。途中で途切れた言葉は生真面目に――レイミの背後から、叫ぶような形で続き、同時に彼が現れると魔族の足場が煌めいた。そして間髪おかずに大地が、配置しておいた魔法陣が火焔を放射する。レイミは半ば反射的に前方へ転がり込むようにして距離を取り、立ち上がり様に振り向いた。


「ふざけっ」


 しかしまたすぐ背中で高温を感じる。彼女は肩までの髪を乱しながら、振り向き様に剣を一閃する。だがその刃は目標を捕らえる事無く、その行動を終えた途端に、わき腹に鋭い拳が突き刺さった。熱を、炎を帯びた何かが肉を焦がし、さらに突き刺さる拳は体内へと侵入してこようとするが――レイミの背後に回りこんだ魔族の背を、知覚出来ない速度で肉薄した光の矢が貫いた。


 今度は瞬く間に魔族の全身が凍りに包まれ始める。構成物質が希薄で温度がそう高くない炎は瞬く間に消火されその身体は白く染まりつつあるが、火傷した表皮の高温が氷を溶かし始める。動きは鈍るも止まることは無いが、それがレイミにとっての助けとなる。


 彼女は腹部を貫かんとする拳の力が若干弱まった瞬間を見逃さず、すかさずその顔面に肘鉄を打ち込んだ。爛れた皮膚に氷とぬるま湯を当てられて意識の方向が彼女から遠のいていた魔族は、ただでさえ歪んでいた表情を更に歪んで呻いて離れる。彼女は続いてその鋭い爪で、胸部を切り裂いた。


 魔族は大きく胸をそらし、深い傷を作りながら鮮血を散らす。爛れた肌がさらに生々しい肉を見せて痛々しい姿を露にする。身体を蝕む炎と氷は既に失せ、彼は肩を激しく上下させながら、再び姿を消した。


 ――今度は何を考えたのか、否、冷静に考えれば正確な判断であろうが、彼は瞬時にデュラムの背後に回りむ。


 魔族は彼が抵抗する間も無くその肩を握りつぶす勢いで掴むが、その瞬間、手のひらはまるで超高温に熱された鉄板でも掴んだように肉が焦げ始め、肌は肩、正確には掴んだ瞬間に発動した魔法陣と完全な接着を果たす。悪臭が少年の鼻につき、デュラムはそのまま混乱する魔族の顔前に魔法陣を紡ぎだした。


「きっさまぁ」


 魔族の怒りと混乱は臨界点を突破する。自分を見失った彼は、少年が張り付いているのにもかかわらず自身を”転送”する。着地点はレイミの背後へ。そして一瞬にして魔力が身を包んで、次の瞬間には既に彼女の背を見つめる形となったのだが、


「らぁっ!!」


 視界を真赤に染める魔法陣が失せぬ事により、彼は自身の右手が未だ少年の肩を掴んでいることに気がついた。既に感覚は無い。どうすればいいか、本能と勢いとで全てを乗り切ったが、勢いが失せた今、思考は白く染まりあがった。


 魔法陣が輝きを増す。レイミが振り返る。陣の中央から紅い閃光が放たれて――。


 魔法陣は、その瞬間魔族の眼前から消え失せた。


 魔族の瞳が黒く淀む。口は半開きに力なく開いて、だが彼が放つ魔力は先ほどとは比べ物にならないくらい、爆発的に増大していた。


 少年は肩の魔法陣を消して、レイミと共に距離を取る。彼女は警戒を表情に浮き出して剣を構え、少年は今までの能力使用から考えてありえぬ効用に困惑と同様を隠せずに、何の魔法を紡げばいいのか考えながら魔族の動作に目をやった。


 彼は少年の”支え”を失うとまるで軟体に身体を前後に、緩慢に揺らす。意思はなく、まるで死んで尚動き続けるゾンビのように思われたが、生命の息吹が彼には感じられる。確かな、生者の強さが、こんな状態でも本能に危機を訴えていた。


 そして二人は、口に出さずとも同じ考えに到る。


 彼は今、仮死状態にある。凄まじい緊張ととめどない圧迫と命の危機を同時に、極限にまで感じた際に何か、自分の中にある扉を開いたのだろう。新たなる局面レベルへと誘う扉を。


 そして恐らく彼が目覚めた時、その力は、能力は比べ物にならないくらいに強大なモノになるだろう。能力は、極めていたがさらに成長段階があったのだ。彼にはまだ伸びしろがあった。だが今回で完全にそれも消えたが――彼にとっては既にそれで十分なのだ。


 だから、少年たちはこの瞬間を狙って魔族の首を刎ねなければならない。


 だから、何よりも速くレイミが剣を振り上げた。


 だから、総てを置き去りにする速度でデュラムは魔法陣を展開せしめた。


 ――だが、そのドレよりも迅速に、魔族の瞳は元の眼球を取り戻す。


 振り下ろされる剣を平手で受けて、刃部分を彼女の腹部に転送させる。頭上、腹、背、足元、両脇に展開する魔法陣は重なることで凄まじい火柱を上げる予定であったが、その総てはどこか遠くへと旅へ出た。


 俄かに時が止まる。


 だが彼女が、知らぬ間に腹を貫く自身の刃に呻きよろめいた瞬間、時は急加速した。


 レイミ惑乱の中刀身の無い剣を振るう。今度は柄さえも、どこかへと飛ばされた。彼女は次に拳を握って殴りかかるも、腹部の痛みが邪魔をして動きが鈍り――それが魔族の助けとなって、彼女はそうされるのが当たり前のように、どこか遠くへ消し飛ばされた。


「レイミィッ!」


 少年は混乱しながら魔法の矢を射る。が、それは避けることも受けることもないまま、魔族に触れた瞬間に消えてなくなった。


 ――何が起こっているのか知覚出来ない。まともな認識が不可能になる。


 だが少年は一心不乱に魔法を紡ぎ続けた。それは随時消され続け、少年の魔力は激しい浪費を重ね続ける。やがて尽きるこの魔力は、そうした結果を導いた瞬間に、少年の命も終えてしまうだろう。魔力と命は一心同体。抵抗する手段が失せれば殺されてしまうのは、誰が見ても判別が付いた。


 だが、思考が乱れる少年は攻撃の手を休めることをしない。否、出来ないのだ。効かぬと理解できていても魔法を紡がねばならない。攻撃をやめた瞬間に、その手のひらが肌に触れた瞬間に、彼はどこかへ消し飛ばされる。


 そして生き残った魔族は新たな敵を探す。一体の魔族で手一杯な仲間へと向かい――最悪な状況は、果たして導かれてしまう。


 それだけは防がなければならない。仮令たとえこの魔力いのちが尽きようとも。


「――飽きたな」


 だが、そんな必死な人間デュラムなぞの興味が失せたらしく、ただ一言、彼がそうに口を開くと――その姿は一瞬にして、その腕は認識する暇も与えずに、デュラムの腹はそれを咥え込んでいた。


 意識する間も無く肉薄した身体は気がつくと、自身の腹に腕を貫いていたのだ。


 途端に溢れる血液は、腕を抜くと共に漏れ出す臓物は刹那にしてデュラムの意識をそぎ落とす。彼は糸を切られた傀儡人形のように、力なく抵抗もなく地面に沈んだ。


 が――同時に、魔族は少しばかりの衝撃を腰辺りに受けた。感覚が麻痺しているも、若干の痛みを覚える彼は視線を下げると、下腹部からは血に塗れる刃が生えていた。


 そして、魔族の身体ならばその程度の傷は問題ない筈なのに、なぜだか刃が貫く内蔵は徐々に凄まじい熱を帯び始める。


 何かが可笑しい。これはただ刃が腹を貫いた、というだけの問題ではない。臓物はらわたを焼きつくさんとする何かがあって――。


「竜の血液は燃えるのよ?」


 意識が乱れる。そしてその間に肉薄したらしき少女の声は、耳元で囁かれた。そして次の瞬間、腹部は内側から爆ぜるように肉の壁を打ち破り、血と肉を撒き散らしながら炎を吐き出した。


 爆音が魔族の悲鳴に掻き消される。血液は流れる前に蒸発し、黒い煙を上げ始めた。


 やがて身は包まれる。魔族は既に転送に集中するほどの気力はなく、


「がああああああぁッ! き、さっまァアアアアッ!」


 その身は潔く崩れ去り、自身が撒き散らす炎に身を焦がした。断末魔も程ほどに、いい加減うっとうしくなった辺りで、彼らしく消えうせて、残るのは悪臭漂う残骸と、轟々と猛る炎のみ。


 彼女は四肢を鱗に包み瞳を紅く濁らせたままでその炎を踏み潰し、死骸をねじりきって消火活動に勤しんだ。それが終わると、彼女の心も次第に落ち着く。全力疾走と、遠方からの投擲の疲労がその時にどっと襲い掛かって、彼女は泥の上に血だまりを作る少年の近くに腰を落とした。


 べちゃりと泥と血が混じって気色の悪い感触を尻に覚えさせる。彼女は呼吸を乱しながら、静かに彼の腹部の風穴へと手をやった。


 魔族よりも古の存在である竜は様々な特徴を持つ。それを受け継ぐ人間は、人間に適応した能力を持つ。まず一つは、燃える血液であり、次に――魔力ではない、生命エネルギーの付与である。


 自身の命を削り、削った分を対象へ与える。与えられた側は全ての苦痛から解き放たれて、命がある限り息を吹き返す。


 彼女は今正にそれを行った。


 レイミの手元は仄かに光り、同時に彼女の表情は苦痛に歪む。呼吸が乱れ、手元が震える。だが同じくしてデュラムの腹の傷は素早く塞がり――彼は軽く咳き込んだ。口から大量の出血の後、呼吸が乱れるも、自力で再開し始める。


 彼女はほっと胸を撫で下ろし、服が破れ半ば半裸に近い状態で、だが今はそれを気にした様子もなく、彼の頭を膝に乗せ、その頭をまるで子を抱くような風に胸に抱いて、そのままそっと目を閉じた。


 ――彼が力を得て高揚している状態でよかった。油断と混乱とが交じり合っていなければ、今この瞬間こうしていられなかった。


 彼女は頭の中で命がある喜びを胸に収めながら、すうっと意識をどこかへ飛ばす。


 デュラムが意識を取り戻す頃、頭の直ぐ上では静かな吐息が穏やかに彼の精神を落ち着かせた。





 無闇に振り回され、風を切り裂き大気の流れを大いに乱す大剣は、本来の目的に使用されることは無い。


 見えぬ敵へと振り回される大剣は、ただそれだけでも持ち主の体力を消費させる。だが彼、フォズ・ホーリレスは疲れ知らずなように、ただひたすらに剣を振るった。


 彼らの場所には、クレーターに放られた肉塊の悪臭が届かないし、日の光が注いでいる。戦闘するのには好条件であり、今対峙している魔族にとっても好条件であった。


 彼の能力は、姿を消すこと。それは熱さえも相手に知覚させず、気配と魔力も存在を曖昧にするほどの強力さ。それを後押しするように、何も無い状況フィールドでの戦闘。影響を与えない故に相手は魔族にのみ集中し、故により深みに嵌る。


 人間、好戦的な魔族、魔物相手に全てを逃げてきた彼は、今回初めてそれを戦いへと転用する。いや、そもそもコレが本来の使い方なのだろう。だが魔族は、不思議とそれに恐れも不安も抱かない。本能的に、戦闘での使い方を知識っているのだ。


「ッチ、はぁ……ッ!」


 フォズが剣を降ろして息を付く。魔族はその瞬間を猛禽類の如く狡猾に狙い、その頬を殴り抜けて、逃げ出した。彼は体勢を激しくよろつかせながらそれでも剣を振るう。凄まじい重量を持つ大剣を片手で振るい落とし、地面を揺らして立ち直る。コレを続けていれば恐らくは勝てるが、一度でもあの大剣の餌食になってしまえば終わりだろう。魔族は妙に緊張して、フォズを睨んだ。


 その瞬間、彼と眼があった。肩がびくりと大きく弾む。まさか透明化の能力がいつのまにか発動を終えていたかと心配するも、フォズの視線は直ぐに逸れる。魔族はうな垂れるように息を吐いて、呼吸を整えた。


 さっきのは驚いた。突発的に此方を見たと言う事は、少なくとも此方に気配ないし魔力を感じたのだろう。それとも直感なのだろうか。どちらにせよ、あまり油断は出来ないし楽観視も出来ない。魔族は気を引き締めて、次の一撃で仕留める覚悟を決めた。


 長い戦闘はどちらにとっても不利になる。魔族とて、透明化はただではないのだ。能力の発動は人間の魔法、魔術の展開と同様魔力を使用する。そして魔力を消費するとその分だけ疲労となって還ってくるのだ。だから、常時発動系であるコレは、早めに片を付けなければ逆に危うい。諸刃の剣といってもい良いだろう。


「全力で剣を振るのも、ただじゃないのによ……腹が立つぜ、正々堂々じゃないのは」


 フォズは愚痴を漏らす。だが、卑怯もなにも、戦闘においては存在しない。相手が延々と遠くから石を投げてこようが攻撃をずっと防いでいようが、彼の言うとおり正々堂々全力を以って正面衝突しようが、それが相手の、自分の戦い方であるならば否定の仕様が無い。闘いは、相手の命を立つことが前提ではあるものの、それより前に、相手を戦術的に打ち破ることが最前提である。それを成し遂げなければまず勝ちはありえぬし、また打ち破られぬよう努力しなければ敗北は目前となる。


 彼自身、それは分かっているのだが、そう言わずにはいられなかった。


 少しでも手を休めれば、激しい一撃が頬に突き刺さる。疲れきった身体は直ぐによろけてしまい、剣を振るい、その勢いで体勢を整えるしか術は無い。まるで奴隷になった気分だ。仕事を休めば鋭い鞭が身体を苛む。だが手を休めねば死んでしまう。


 まるで終えぬ悪循環だ。決して上階にたどり着けぬ螺旋階段を上っているような気もする。


 完全に上った日から降り注ぐ陽気は呑気に身体を包む。空気は穏やかで、まるで場違いなようだった。鳥の囀りは聞こえぬが、恐らく戦闘の気配を察知して飛び去ったのだろう。


 早く終わりにしなければ、体力的な問題で死んでしまう。敵を破る筈の大剣は、それよりも早く自分を殺す。まるで質の悪い諸刃の剣だ。


 だから彼は、腕を止める。切っ先を地面に落とし、浮かぶ汗を流したまま、乱れる呼吸をそのままに行動を停止した。


 その瞬間、魔族の肩がぴくりと跳ねた。


 これは罠である。本能が頭の中で喚き散らす。警告デンジャーと脳裏に浮かび、赤ランプが点滅する。警戒を呼びかける音声が自身の身体の動きを止めて、そうすると共に脳内は静かになった。


 が――積み重なる疲労にしびれを切らした魔族は本能を裏切り、だが理性的ともつかぬように飛び出した。


 魔族は足音を立てず気配も見せず、魔力を僅かに、だが人間には決して近く出来ない程度を漏らしながら肉薄する。


 無論、フォズはそれに気付けぬまま背を向けている。


 なんだ、罠などではなかったではないか。驚かせやがって。仮に罠であっても攻撃をした瞬間には既に逃げ腰である自分を捉えられる筈が無い。


 情けない面を自信満々に利点に変換し、前向きに自信を持ち直す。彼は軽く跳躍し、全力を以ってその鋭い爪で心臓へと手を伸ばした。が、その瞬間、突然右手首の感覚が失せた。


 それと共に血が噴出する。透明化も関係なしに、その上から鮮血が身を包んで姿を半ば露にした。それでも魔族は悲鳴を押し殺し、切断面から骨を見せつつさらにもう片方の腕をフォズへと伸ばすが、それすらも再び切り落とされた。


 大剣が素早く乱舞する。切り落とされた両手首は透明化の効果も失せて、血に塗れて地に落ちた。


「ああああぁあぁあぁああ――っ!」


 遂に堪えきれなくなった魔族は啼いた。声が淀む。透明化も早くも失せて、噴水の如く噴出す血に濡れる大剣は、そのまま落ち着いた動作で魔族の首へと冷たく触れた。


 地面と水平に。首へと直角に。重さを感じさせない大剣が、重さで叩き断つ事を信条としているその剣が、鋭さを以って対象を切り裂かんとする。


 魔族は混濁する思考で、だが冷静になる頭の一部が侮辱された気分だと、心の中で呟いた。痛いだとか死にたくない、負けたくない、敵に勝ちたい、そんな紛れる喚きの中で一層静かで冷たく、何よりも大きい呟きが、一瞬全ての雑念を払拭させる。


「じゃあな」


 無情な声が、白く染まる魔族の脳に響き渡った。


 その瞬間、魔族は何かを見つける。ただ目の前の男よりさらに向こう側の虚空を見つめる瞳は、虚無の中で何かを捉えた。


 フォズはこれで終わりだと、剣を力いっぱい、だるま落としの腹を殴り飛ばすような感覚で剣を振るう――その瞬間、剣が魔族の首を刎ねるその刹那、彼の姿は不意に失せて、


「うがっ!」


 顔面に拳が突き刺さる。否、それは拳ではない。何か平べったく、だが妙に硬い何かが芯にあり、周りは柔らかい、そうまるで肉のような何かが纏われている――それは、彼が切り落とした手首の切断面。


 そして顔には生暖かい血液が付着し、彼はそのまま背後へと吹き飛ばされた。同時に振りぬいた剣の勢いにも身体は引っ張られ、同じ力を持つが故に相殺する衝撃は、彼をその場に叩きつける結果となった。


 背が地面を激しく叩く。顔を血が濡らすが、視界は飽くまでいつものままだ。


 一体何が起こっているんだ――考える間に、鳩尾に鋭い何かが叩き込まれた。恐らく、それは足だろう。強い力は瞬間的に肋骨をへし折って、さらに圧し掛かる足は折った骨を臓器に挿し込んだ。


「ぐあぁぁっ」


 フォズの呻きが耳に痛い。だが容赦ない圧力は――遂には肺を貫いたのか、突き刺したのか。フォズは吐血するが、途端に空気が漏れて朱色の泡が吹き出る。薄く開けていた瞳からは急ぐように生気が失せていき、圧力に対する反応も徐々に薄くなる。やがては脊髄反射できなるであろうと思われて、


「おいテメェ、やめろ。そいつはもう終わりだ。次は俺の出番だっつー話よ。理解できるか? クソ魔族」


 ダイン・ロイは、身を隠せるほどの大きな斧を手にしたまま、倒れるフォズへと歩み寄る。その瞬間彼からは圧力が消えて、小刻みに腹部が胎動し始めた。


 彼は慌てて斧を脇に置き、フォズへとしゃがみこんで胸へと手を当てた。掌が淡い藍色に光を放つ。彼は応急処置として肺の傷を塞ごうと試みたのだ。とり合えず穴を塞がなければ呼吸が出来ない。それを可及的速やかに処置しなければ、仮に後々命を取りとめてもまともな生活を取り戻せなくなるのだ。


 ――不意にこめかみを、まるで丸太を倒すような勢いで蹴り飛ばされた。ロイは表情を歪めるが、必死に地面を踏ん張りその場からは決して退かない。つうっと、額から血が流れた。


「早まるな。テメェの相手はきちっとしてやるから待ってろっつー話だ。触れも見えもしないからって、調子付くなよ……?」


 魔族は確かに、彼の言うとおり新たな力を得たお陰で、能力が成長したお陰で、任意に姿を隠しまた触れさせもしない。故に彼は誰にも倒せない……筈なのだが、彼がそう言ってまったく見当違いの場所を睨んだのにも関わらず、その心臓はありえないほど縮み上がった。


 恐怖だ。


 彼は認識する。自分を殺せる者は居ない。そう分かっているのに、なぜだかソレを感じた。未だ実感があまりないからであろうか。


 ロイは魔法を続ける。吹き出て口元を隠す血の泡はやがてぷつぷつと消え始め、とうとうフォズの呼吸は安定した。然程時間は掛からなかったはずだが、応急処置の結果が心配である。潰れた肺胞を再生させたが、肋骨は刺さったままであるために彼は動かせない。この戦闘が終えた後に帝國から医者と医療器具を取り寄せ、この場で手術を行わなければならないだろう。ちょっとした衝撃も命取りになるやも知れぬので、瞬間移動テレポートも自重しなければならない。


 彼はようやく立ち上がると、脇に置いていた斧が消えていた。まるで大事なときに限って悪戯小僧が現れた気分だが、今は武器がなくとも、どうでも良いと半ば開き直るような心境で彼は拳を構えた。


 なぜだかフォズの大剣は残っている。これを隠す余裕はなかったのか――彼は考えて、首を振る。隠す余裕が無いのではない。持つ余地がないのだ。


 彼が消せるのは自身の身体と、触れた物体、物質。手が失せた彼はロイの大斧を抱えるのが精一杯で、恐らく攻撃もできないだろう。


 だが、武器を隠してなんになる? フォズの薙ぎは確実に魔族を首を刎ねていた。だがその瞬間に透明化した、という事は、透明化して斬撃をやりすごしたと言う事。避ける暇がなく、また能力が能力と言う事で、透明化して触れることも出来なくなった、という訳だろう。ならば、武器を隠す必要は無いはずだ。その武器が、敵へと当たらないのだから。


 しかし、もしコレが激昂を狙っているのだとすれば、先ほどのロイが睨んだ方向と同じく全くの見当違いである。


 武器が失せたくらいでは怒らない。


 彼の脳の血管が千切れるのは、友人を侮辱された時と、友人が必要以上に痛めつけられたときである。


 だから彼は既に激昂している。故に、武器を隠して怒る事を狙ったのならば、それは無意味であった。


 ――不意な斬撃が、右太腿を深く切り裂いた。


 鋭く重い一閃。それは自身の斧による一撃であろうが――手を失ったものが、斧を振るう? 一体、どうやって……。ロイはかすかな疑問を抱きつつも、再び拳を構えなおす。足からは血が流れ続け、傷口が痛みを訴えるが、怒りの最中に置かれた彼は既に精神が肉体を凌駕していた。


 そして、怒っているから考えが無い。というわけでも、あながち無い。


 再び一閃、今度は腹部を横に薙ぐが――その瞬間、力強く、斧が有るであろう場所を掴むと、そこには確かな感触があって、同時に掌を切り裂くが、


「温い」


 そんな痛みなど物ともせず、腹に差し込まれた斧を逆に振るい返した。


 すると斧の先に確かな重量があり、それが地面を強く弾く。肉を叩く音がして、ロイはそこへと跳躍して肉薄した。


 透明化が、自身が地面に叩きつけられた衝撃に耐え切れずに、所々を消失。ノイズを散らすように肉体を見せた。


 そんなところに、跳び上がったロイが上空から襲撃して――迷う事無く、その拳は魔族の顔面を叩き潰した。


 地面を叩き割る程の轟音が大地を振動させる。頭蓋骨は容易に砕けて、脳漿、皮膚、眼球、顎、歯、その全てはまるでキャタピラに引かれた様に地面の模様になった。


 断末魔も無く命は失せた。


 不意に現れた魔族の身体。腕部分に斧の柄を突き刺しているその姿に、ロイはそれ以上怒る気にはなれず、感心した。自分を傷つけても相手を倒す。いくら憎くともその心意気は立派である。


 上あごから上全てが地面にこびり付いた魔族は、辺りを血に染めていく。彼は落ち着いた心でそれに一礼して、それからフォズを見る。戦闘での影響は一切無いようで、呼吸は先ほどと同じく安定していた。


 ほっとすると、不意に脳がきゅっと締まる感覚がする。そして、腹と、太腿に深い傷を負った痛みがようやく全身の痛覚以外を麻痺させて、出血多量であることに、それから気がついた。


 激痛に堪えきれずに頭が意識を途切れさせて――ロイは魔族に重なるように地面に崩れた。意識が完全に失われる前、彼は自分の”賭け”がどれほど危険か思いなおし、肌を粟立たせた。


 ロイは、魔族は姿を消しさらに触れさせぬ能力へと進化したが、攻撃する瞬間、自分が何かに触れる、あるいは自らの力で物理的に何かに影響を与える瞬間は、触れさせぬ、という能力を解除すると認識した。だがもしかすると一方的に触れる能力かもしれなかった。だから彼は命を賭けて全てに挑んだのだ。


 その結果は、彼の命がある通り。今回ばかりは、強運が強かったとしか言い様が無い――。彼は微かに微笑んで、意識をどこか遠くへ旅立たせた。


 彼らが帝国兵に救出されるのは、それから二時間後のことであった。

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