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5 ――接戦――

 ハイドは前線から退いて見るものの最後まで見届けようと未だ霧の中に居た。話によればまだ勇者候補生は二組残っている。彼が居る場所なら接触できる可能性が高く、ハイドはそれを目論み、まるで出勤前のサラリーマンに挨拶運動をするような感覚で彼らが来るのを待っていた。


 その時、少しばかり遠くで話し声が聞こえて来る。どうやら一組目の勇者候補が敵と接触したらしい。ハイドは心配そうにその方向を眺めながら、日が上がると共に濃くなる霧の中で大きく息を吐いた。


 他の二体が、現在戦闘を開始していようとしている少年少女と出くわさなければ良いと思うが、現実は非情である事が多い。やはり何か、釘を刺してから退いた方が良かったかと悔やまれた。


 後悔先に立たず。何度目かになるこの言葉を思い出して、彼はうな垂れた。


 しかし接触して何になる?


 無意味に彼は思考する。そんな事を考えても今は意味が無い。自分がやるべきことは、為すべき事象は全て終えた。少なくとも今日は自分がやるべき義務は終えたのだ。勇者としてでもなく、魔族としてでもない。選ばれなかった勇者の名ではなく、一個人、ハイド=ジャンとしての仕事は終えた。後は今回の勇者候補生の成績次第で、彼らの行く末と、ハイドがすべき行動が決まる。その結果が出るのを待つだけだ。


 なかば運命共同体のようであると彼は感じて、それから思惟を開始した。


 接触する理由。それは特には無い。強いてあげれば、どんな人間か見てみたいという純粋な好奇心、興味からの行動だろう。これからまた二組、計四名の仮勇者がやってくるのだ。昔では、たった一人の勇者の存在も許されては居なかったのに、だ。別段悔しいだとか、恨み辛み妬みなどの負的感情は無い。ただ無垢にうらやましいと感じているだけなのだ。


 だから、接触して声をかける。自分の頃にはなかった一言を。応援し、絶対的味方が存在するという事を教えてやりたい。「がんばれ」と、相手は何も感じなくとも言ってやりたい。


 ハイドの胸中は次第にそれで一杯になっていった。


 やはり自分は昔より大きく変わってしまったのかもしれない。だが、昨日は自分がどうしようもなく嫌いだったのに、今では大分好ましく思えてきた。自分の心が清浄された気がするがこれは勘違いではないだろう。


 今ならレイドに何を言われようとも感情は昂ぶらない。自分の意思は、これよりの行動は決定されつつあるのだから。


 揺らぎやすい心は最早存在せず、他者の台詞では決して平静を乱さない。やはり久しぶりに身体を動かしたのが良かったのだろうか。終える事の無い魔物地獄を全て潰し終えた今だから、心が清々しいのだろうか。どちらにせよ、今のハイドに迷いはなかった。


 霧がさっきよりも濃くなった気がする。早くも、十数メートルより先の木々が白い影の中に消えてなくなったのを見て彼は理解した。


 予想以上だ。これならば、他の二組と接触する可能性も低くなってしまうかもしれない。


 ここは帝國へと続く一本道。道を外れれば木々がまばらに生える草原。彼が作り出したクレーターもそんな道から離れた場所で作られたのだが、あまりにも大きすぎる所為で道を侵食しているのだ。一組目の勇者候補は臭いを頼りに魔族へと導かれた。それを考えれば、残り二組もそうした行動を取って正規の道を辿らないかもしれない。


 ならば、少しばかり残念だがここから離れるか――そう考えた瞬間不意に、深くなりつつある霧の中から人影が現れた。


 だがそれは二人組みではなく単体行動。そして風を切るように歩くそれではあるが、動くたびに中身の無い長袖が揺れているのが特徴的であった。


 ハイドはソレを認識すると途端に残念そうな声で呼びかける。


「ちょっと待ってくださいよー」


 ふざけたような声は場違いな明るさを持って霧の中に溶けて消える。だが相手はそんな発言や声調から、ハイドの心境が随分と打って変わった事に気がついたのか、眉間に寄せていた皺を解して、やがてその表情を肉眼で認識できる位置まで近づいた。


 レイド=アローンはハイドの数歩手前で、そのぬかるんだ大地に足を落ち着かせた。


「お前の身に何があったのだ?」


 彼が見るハイドの姿は、いつもと変わらぬ魔族の漆黒の肉体に、激しい戦闘を思わせる衣服の乱れ具合があるものの傷が一切無い、余裕を見せる風貌が目立っていた。だがそれは常に見ている彼の姿だ。再会したのはごく最近であるものの、最後に見たときとは実力以外そう変わったところはない。


 だが何か、その表情には満ち足りたという感じがあった。その肉体は、さらなる強さを得た雰囲気があった。


 ハイドがしたのは、魔族をこの時刻まで引き止める事。戦闘内容などは知らぬし知ったところでどうなるというわけではないのでレイドは聞かないが、明らかに、その中で何かがったのだろう。少なくとも、悪いことではない。


 レイドが身なりからの推察を行っている最中、ハイドは軽く笑ってから、口を開いた。


「俺は俺の後任を見て、俺を思い出した。あの日あの時あの場所に居た、あの俺を。俺はどうやら、大切な何かを見失っていたらしい、な」


「オレオレやかましい、玉蹴りでもしていろ」


「ったく、久々に俺が良い報告をしたっつーのによ……。悪いが、最期にシャロンのトコまで送ってくれ」


 彼はレイドの返答を受けてすぐさま表情をほころばす。自身の言葉とは正反対の態度を取って台詞の重さを取り除いているようであるが、レイドは狡猾に聞き逃す事無く聞き返した。


「私はタクシーじゃないんだが――っと、なんだ、最期とは一体? 貴様、これから何処へ行くつもりだ」


 ハイドは気軽にレイドの肩に手を置いた。レイドはそれを振り払うように肩を大きく後ろへ退いて、そのままハイドへと向き直った。


 途端に、妙な威圧がレイドを襲う。敵意ではない、だが護ってくれるような安心感は無い。純粋な強さとしての気配が無防備な身体を侵していると、レイドは暫くしてから気がついて自身を強く持つ。


 それに続くように、ハイドは重そうだと感じられる口を開いた。


「今回の事全部が終わって、そんで宿敵テンメイと決着を付けたら、おさらばすんぜ。この世から」


 ハイドは苦笑するように表情を歪めて笑う。レイドはその瞬間、なにやら焦燥に似た何か謎の感情を、胸の中に産み落とした。不意に言葉が詰まり始める。飽くまで軽口に言う彼になんという言葉をかければよいのか見失った。そして不覚に、先日彼に浴びせた失望の念を、これほどまでに無いくらい、悔やみ始める自分に気がついた。


 レイドは自分らしくもなくと感じるが、開けっぱなしの口を閉じることが出来ない。


 ハイドは自分らしくないと思いながら、そんな自分語りに似た台詞を恥じた。


 それからハイドは改めてレイドの肩を掴む。レイドは改めて、ハイドの顔を見て、


「貴様、今まで自由こいていた分の落とし前、つけさせるまでこの世を後にはさせんぞ」


「ったく、毎度毎度、勘弁してくれよ」


 そう言葉を交わした後、両者は両者なりの関係で、仕草で互いを認め合い、その場から姿を消した。接触を諦めていた二組の勇者候補生がその場に現れたのは、そうした直ぐ後のことであった。






「空気を操るのだから、攻撃が一切通用しないんじゃあないの? 生きてる内に頭使えよド低脳」


 それぞれが貧弱であるも途切れることの無い魔力の線でつながり、その意見は離れた位置でも鮮明に通る。下手に無線機を使うより果てしなく便利な技術を、前回、魔族襲来によって皮肉にも教えられたのだ。


 彼ら自由学園風紀委員諸君は、最後尾に司令塔とする少年を置き、前線に素手のヤマモト、刀のスロープを置き、その背後に遠距離攻撃型のスズ・スター。手負いの派遣教員は傷の手当てに臨み、彼らは現在、一体の魔族と対峙していた。


 残る一体には敵意が無い。だからといって手を貸すとか言うわけではなく、純粋に今は手を出さないという事であろう。理由は『フェア』ではないから。見る限り、三対一で人間側が圧倒的にフェアではないのだが、彼は総合実力的な意味合いで言ったのだろう。


 だとすれば、というかそれは最早確定的な事実であるのだが、完全に舐められているという事になる。そしてヤマモト、スロープは別として、スズ・スターはそれを最も嫌う人種であった。それから導き出される結果は――唯一、遠距離攻撃手段を持つスズ・スターが好戦的に零距離戦闘を行う可能性を呼び起こした、という事である。


 十分に殺傷能力のある武器と化した泥を容易に跳ね返し、さらに威力を増加させるくらいの自由度で空気を操るのだ。並大抵、生半可な攻撃は到底通用するとは思えない。


 相手が自分を打ち破れる敵は居ないと確固たる自身を持つ理由がなんとなく分かった気がした。だが殆どの魔族は、というか、今現在生き残っている魔族は大抵、そういった”勘違い”をしている。少年はそう思った。


「先輩、味方じゃなくて敵を煽ってください」


 少年は指示にもならない注意を伝える。少なくとも相手が感情的になれば、いままできっちり隙間なく攻撃を跳ね返していたものに隙が生じるかもしれない。可能性があればやってみるべきであるが、少年にはそういったことが自分に向いていないことを自覚している為に、それを仲間に依頼することしか出来ない。


 自分がなぜここにいるか問われれば、やはり『英雄を気取りたい』というのが一番先に口をつくだろう。


「黙ってな木偶乃棒でくのぼう


 スズ・スターから辛らつな返答がやってくる。少年はおもわず肩を落として、次第に明るくなる空を視界の端に捉えながら考えた。


 敵が泥を背後で受け止め跳ね返したのは異常であると捉えると少しばかり大袈裟かもしれないが、着眼してもおかしくは無いだろう。


 なぜわざわざ避けるという行動をしなければならなかったのか。考えるに、恐らく彼は自分より背後の空気しか操れない――と思われたが、派遣教員が撒き散らし隠れ蓑にした泥が全て上空へ舞い上がったのを見ると、そうではない。自分を中心としたかなり広い範囲の空気を操れるのだ。


 そして泥は上空で更に風に乗って、今この場所とは関係のない位置で落ちた。此方への被害はなく、魔族自身にも泥の跳ね返りは皆無である。これは自分が汚れないように、という戦闘に置いて隙を生む思考の賜物だろう。


 そして情報の漏洩を防ぐためか、かなり無口である。それは彼自身、かなり大きな弱点を抱えていると言う事ではないだろうか。だがそういった予測は出来ても、攻撃が出来ない、通用しない、通らない時点で結果を拝見することは出来ない。


 ならばなんとかして一撃与え、一瞬でも魔族の隙ないし本性を見てみなければ、作戦も立てようが無い。


 立てるすべが無いというのは言いすぎであろうが、究極的にはそうである。事実、現在魔族からの手出しは一切無い。様子を見ている此方だけが妙に気に病んでいる。そして徐々に、その精神力をすり減らしているのだ。数を見て有利なのはこちらであるが、やはり実力的には不利なのだろう。


 少年は、自分の無力さに歯を噛み締める。どうすべきか。そういった思考は全て空転した。


「ショウ、ちょっと捻た考え方してみねぇ? 隙がねぇなら、作り出せばいいじゃない。バイ、スロープ」


「ちょ、責任を勝手に擦り付けないでくだされっ!」


 彼らは元気良くやり取りをする。そして銃を構えるスズ・スターは今にも、敵も味方も関係なしに引き金を引いて銃弾をブチ当てそうな雰囲気だ。


 少年はちょっとした焦りに身を包まれて、そして徐々に――自分の意識が遠のいていくのを感じた。


 意識を失うのとはちょっと、というかかなり違う。自分が起きていて、そしてさらに自分が今何をしているのか、どうすれば良いのかを継続して考え、行動できる。だというのに自分が起きているという実感は無い。まるで夢の中に居るような感覚。全ての物事が遠くに感じられ始めるのだ。


 自分は選ばれし者かもしれない――そういった事実無根で現実からかけ離れた妄想を純粋に事実である可能性もなきにしもあらずと考えられる、酷く自分主義な、現実から視線を少し離した状態を極端化したような感じである。


 寝起きの、頭が醒めていない状態といったほうが早いであろうか。


 兎も角、そういった現象に陥ってから、少年には責任感や妙な焦りは肌に纏わり付かなくなり、


「でしたら、スロープさん。ちょっと自分なりに攻撃してみてください」


 彼は無責任な発言をし、そしてそれが半ばきっかけとなって流れるように、無意識の内に『これはダメだ』と判断し捨ててきた思考を頭の中で再び浮かばせ、そして他の発想と結合させた。


 スロープが「おう」と返事をする。視線の先の彼は背を向けながら頷いて、そして駆け出した。


 ――強く地面を踏みしめるたびに、泥が足を掴んで離さない。走るだけで随分と体力が要ると人事に思いながら、スロープは腰に差した刀の柄に手をやりながら、低姿勢に走り続ける。魔族は彼を捉えるも興味がなさげに視線だけで追い、他の行動は無い。能力の発動すら、未だ無いようだった。


 まさか肉弾戦で相手をするつもりか? スロープが一定の距離内に踏み込んだ瞬間思考する。した途端に、まるで図られたように足元が掬われた。


 地面が急に斜面になったのかと思うが、不確かな感触は質量の無い何かであると確信できた。視界が鈍い灰色の空を捉える。背はやがて地面と水平に保たれて、


「う、わ――っ」


 スロープは空高くまで浮かび上がると、まるで波に乗るサーファーの如く滑空し、やがて地面に滑り込んだ。大地に衝突し激しい衝撃に身体機能すべてを瞬間的に麻痺させられ、彼はそのまま泥沼に飲み込まれるようにして身を落ち着かせた。


 少年は短く息を吐く。スズ・スターはあからさまに失望の表情を見せ、ヤマモトは真剣な表情で魔族を睨んだ。


「遊ばれていますね」


「遊ばれる程度の実力だからだ」


「舐めやがって……」


 彼らは好き好きに口を開く。スロープは泥まみれの姿を気にせず立ち上がり、その会話に加わった。


「い、今ありのままに起こったことを伝えるでござる。『走っていたら浮かんでいた』。何を言っているかわからないで御座ろうが、拙者にも何が起こったかわからなかった……。超能力や魔法だとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてないでござる。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったで候」


「見てたから分かってるよ腐れ脳みそ」


 しかし見た印象と、実際に受けて感じた印象は似て異なる。スロープが冗談でなく本気でそう言っているのならば、かなり厄介だ。


 足元を掬う。ただ空気を操るだけで、だ。それはつまり、地面と足の接触面に大量の空気を瞬く間にして送り込むことが出来るのだ。その素早さを持っているのだとすれば、本当に、厄介だ。手出しが出来ない。そして軽々と、青年一人を空高くまで浮かび上がらせる事ができるほどなのだ。問題は一つなのに、それが妙に大きすぎて解決策が浮かばない。


 空気を貫くのはどうだろうか。だが残念ながらその力が足りない。空気を消せばよいのではないか。しかしどうやって? 空気を燃焼させる……有力であるかもしれないが、雨の後では不可能に近い。であれば、空気を水素に変換させて、ただの摩擦による火花で一瞬にして爆発させるか? 魅惑過ぎる提案であろうが、どうやってここら一体の大気を水素に変換させるのだろうか。そもそも、そんな事をしたら味方も何も、あったものではない。


 実行しうる手段をもっていれば、確実に仲間から先に殺されている話である。


 ならば、最も実現可能で且つ”空気を操る”なんて目じゃない提案は――。


「空気を切れ、分からないか? 真空の、刃だ」


 脳内の発案を具体化し言語化する前に、少年の隣に居る派遣教員が声を上げた。彼がふとそちらを見ると、既に男は立ち上がり、その瞳を淡く輝かせていた。傷は完治できていないものの、体力的には少し余裕が出たようで、少なくとも苦しげな表情は失せていた。


 真空の刃。それならば、凄まじい速度で敵へと迫り、空気でその真空を埋めてしまうよりも早く敵を切り裂けるだろう。だが発生させ敵へと当てるには、割と近くなければいけなさそうな、そんなイメージが少年にはあった。


 さらに、


「超音速で武器を振れる人がいませんよ。確かに近づけない相手に衝撃波を飛ばすのならいけるかもしれませんが……」


 魔族がその攻撃を理解し、さらに対処に当たり始めてしまえばもう本当にどうしようもなくなってしまう。


「なるほど音速、試してみる価値はありそうで御座るな」


「超が抜けてるぞトンチキ」


 しかし、その呟きも音声による会話も、すべて魔力を介して伝わっていたようである。彼らはまるで当たり前のような、ちょっと難しい事にも果敢に挑んでみるような感覚で口にし、そして皆一様に構え始めた。


 途端に、彼らを包む魔力が増大する。そしてすぐさまそれらは消費され――肉体強化に、全ては注がれ始めた。


 しかし生身で超音速を出せるのだろうか。いくら魔術魔法で身体能力を本来の倍以上にすることが出来ても精々一○○メートル走を一○秒から三、四秒、あるいは二、三秒にする程度である。これでも十分に人間離れしているのだが、これをより化けモノじみたものにするのだ。


 いくらなんでも不可能だと思われたが――。


「常に超音速を保てというわけじゃない。一瞬、彼であれば抜刀の瞬間、彼であれば拳を放った瞬間、彼女であればその弾丸が放たれた瞬間に、その条件を満たせていれば良い。空気分子よりも早く物体が移動すれば、その衝撃波が瞬く間に敵へと到達する。そして隙が出る。敵は死ぬ」


「極端ですね」


「柔軟な発想さ」


 確かに、この魔物が居る、戦いこそが常であり、人間を超越する化け物しか存在しない世界で生きる彼らなら出来る。ただ軟弱に日々を過ごす人間には決して不可能である極致へ、彼らは歩むことを許されているのだ。


 そのための学園。そのための武器であり、その為にはぐくんできた心情だ。この肉体は今正にこの瞬間のためのものであり、


「拙者から参る」


 独りごちるように漏れた言葉は、まるで全ての動作の後に放たれたかと、誤認する。


 即ち、彼の行動はそれほどまでに素早かった。


 ――彼の内なる筋力は下腕と、鞘を支える手に集中する。握力は柄を離さぬよう込められて、スロープの意識は嵐前の水面の如く、静まり返った。


 そして次なる瞬間――残像を作る一歩手前の速度は彼の右半身を掻き消した。刀を鞘から抜く瞬間が肉眼で捉えられず、気がつくと彼の動きは刀を抜き敵へと向けた体勢で止まっていて、さらに刹那。


 一拍置いて、彼の周囲に凄まじい衝撃が飛び散った。抜刀の名残か残滓か、凄まじい突風の如く仲間の間を通り抜ける衝撃が、肌を強く叩いた。


 そうして――だが、魔族の反応は無い。


 やはり十数メートルも離れていれば真空刃を作り出せても、その間で空気が掻き消してしまうのかもしれない。そう考えた。


 その、やはり直後。


 不意に敵は仰け反ったと思うと、その胸に一閃、袈裟に切り裂かれたような傷が浮かび上がって――時間差的に、傷口から血潮が吹き溢れた。


 少年たちの風向きは、たったそれだけで先ほどとは対照的なモノへと移り変わった。

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