4 ――戦闘段階――
「うっわ……なんだ、こりゃあ……」
現場、つまり魔族らを受け止め打ち破る予定の場所へと一番乗りしたロラン達は、思わずそこを見て絶句する。近づくたびに強まる臭気に、確かに異常性を見出していた彼らでは有るが――これほどまで酷いとは、思わなかった。
雨が止み、薄い霞が辺りを包む。彼らはその中で足元を見ると、何処までも途絶えることの無い肉片が地面を埋め尽くしていた。それが悪臭の根源であるものの、それはほんの一部でしかない。決定的なモノはもっと別な場所にあった。少し足を伸ばして、そして辺りを見渡す。するとそこは、血の湖が出来上がっていた。
否、正確には血だけではない。想像を絶する肉の量と、計り知れぬ命がその穴に沈んでいるのだ。
彼らは思わず、自分たちは違う場所へと来てしまったのではないか。そう思った。そう考えてしまうのも仕方が無いことだろう。なにせ、昨日この場所を、こういう作戦でこうに使うと説明されたときにはこんなものはなかったのだ。
鼻を突くのは陰鬱とする雨のにおいだけだった。だが一日、否、ほんの十数時間が経過しただけで地面には巨大な穴が空き、そしてその穴を埋め尽くすほどの死骸が生まれたのだ。死骸なのだから生まれた、という表現は矛盾しているだろうが、今、彼らが認識するにはそう表現するのに精一杯だった。
「ったく、ようやく二名様ご登場! ってか? いいねぇ、”お気楽”で」
そして不意に現れた男――否、その姿は魔族であった。人間の姿をそのまま黒く塗りつぶしたような身体。肌を隠そうとしているのか身につける衣服はボロボロに破け、ただボロキレを被るような状態。
凄まじい魔力は物質に干渉できなくとも目の前の二人の心臓くらいは、驚かすだけで簡単にとめることが出来そうであった。
「くっ、そぉ――いきなりかよっ!」
だからロランは、負けじと魔力を解放し威圧し返す。それが、鼠が猫に対して威嚇する程度の効果しかないのを、彼は焦燥の中で気付けずに居た。そしてそんな彼を、相方である白髪の少女、アータン=フォングが前に一歩出て制した。ロランは腕に蓄えた筋力を溜めたまま、「どいてくれ」と口を開こうとする。
が、それよりもはやく、フォングは言葉をつむぎ出す。
「このヒトに敵意はないよ。敵であるべきだけど、敵じゃないみたい」
「今はそれを喜ぶべきだァと、俺ァ思うんだがな」
そうだそうだと調子に乗る得体の知れない一本の角を生やす魔族に、ロランは奥歯を噛み締めた。ぎりりと音が鳴り、彼は不快感を表情に出した。
一本角の魔族――ハイドはやれやれと肩をすくめ、首を振る。自分にもこんな素直じゃない思春期があったのだろうと思い出すと、なんだか恥ずかしくなってきた。自分の過去を知る物は、既に片手で数えるほどしか居ないのにも、関わらず。
しかしまぁ、と、ハイドは値踏みをするように彼らを見比べた。人間全盛期だった頃の自分よりもやや年齢が下らしき少年は、その頃の自分に敵わずとも、だが確かな実力を秘めているらしい。そして少女、どうやら人間ではない雰囲気と魔力の質を持っているが、短い期間の旅の中、その時間を共有した少女のような儚さ、頼りなさを彷彿とさせて若干心配となった。が、その彼女を彷彿とさせるのだから、その心配は無用であろう。
――これから彼らは自ら進んで楽しくも嬉しくも無い死地へと向かい、修羅を得る。まだ二○歳にも満たぬ少年少女が、こんな残酷な未来を辿るのだと、改めて考えるとなんとも言い難い。
この現状では、魔族は彼らが倒さざるを得ず、また彼らの力でしか倒せない。それほどの力を持っているのが、彼らしか居ない、というわけだ。しかしロラン達はあまりにも若すぎる。人生経験も然程無いだろう。そんな彼ら、彼女等が――魔王へ挑み、仮に倒し、その結果、魔王を倒すほどの実力を持つ、人間の形をした”化けモノ”と認識されるのだと思うと、胸が苦しくなってきた。
だがそれを承知で彼らが選んだ道だというのならば、最早何も言うまい。
ハイドは崩していた表情を引き締めて、軽くフォングの頭を叩き横を過ぎる。次いでロランの肩に手を置くと、
「後は任せたぜ」
意味深に呟く一言は会話に発展することがなく、そのまま霧の中へと失せていく。いつのまにか話されていた肩はいつまでもハイドの重さが乗っている、ような気がした。
触れられた瞬間には重みなど感じなかった。だが、今になってようやく感じる。先ほどの台詞と、今聞いた言葉。それがどれほど重かったのか、彼は時間を掛けて知覚した。
この血の海を作り出したのは彼だ。凄まじい量の魔物と、たった一体で挑み、そして生き残った。それは即ち勝利を意味している。この先には魔族が居る。なぜ魔族が何もせずそこに居るのかは分からないが、ともかく、ロラン達が倒すべき敵はそこに居るのだ。
あの魔族は自分に託した。見ず知らずの、敵対すべきである存在に託されたモノがなぜだかロランの中で誇りとなった。
鉄甲の中で握る拳が強くなる。硬くなる。まるで今の決意、意志のようだ。
「――よ、ようやく行きましたね。別に怖くなんかなかったですよ。化け物じみてて不気味だっただけで……ん? おや、おや、人間ですかァ? この臭いで逃げなかったと言う事は貴方、覚悟して来ているヒトですよね……」
そして薄い霧は徐々に濃くなる。その中で、霧を裂いて、まるで選んできたような魔族が一体目の前へやってくると同時に、ロランたちを認識した。
――霧は自然的に、彼らを対峙させる状況を作り出す。彼らが闘い出せば自然に他は近づかず、故に他の魔族と他の組が出会う確率が高くなる。そうなれば本来の目的どおり、一組一体の割り当てが完成するのだ。
ロランがフォングに目配せをすると、彼女は頷いて背後へ移動する。ロランは頷き返し、腕と同化した鉄甲を構え、魔族――タンメイの前へと躍り出た。
ぬかるむ地面は十分なふんばりが利かない。それ以前に、恐怖か武者震いか、膝が小刻みに震える様が自分でも情けなく思えた。たった数秒で、決意が薄れたようにも思える自分がどうしようもなく嫌いになって――だが、これを克服してこそ、あの見知らぬ魔族に言葉を返せると、勝手な自分ルールを作り出した。
霧が肌に粘りつく。気分が悪い。だがそれもそろそろ関係なくなるだろう。
魔族がゆらりと左右に揺れた。だがそれも、今に動かなくなるだろう。
ロランは構えを解いて両腕を下げた。振り子時計の振り子のようにぶらぶらと揺れる両腕は、まるで落ち着く様子を見せずに、少しばかり魔族の気を引いている様だった。
背後からそれを窺うフォングは、ごくりと唾を飲み込んだ。相手に悟られぬよう大きく息を吸い込んで、足元から魔力を垂れ流す。それは緩慢に流れ始めて、魔族へと向かった。
「どうしましたか人間さァん、私と、戦うのでしょう?」
タンメイが挑発するように、手を向け、指をくいくいっと何度も伸ばし、折りたたむ。さっさと来いと言っているようだが、
「戦う……ですか。えぇと、ちょっと俺の思い描いていたものとはちょっとばかし食い違っているようなので訂正させていただきますが――これから起きるのは惨劇です。一方的な殺戮は、戦うといったフェアなモノではないんですが」
かれは依然腕を下げたまま、敵意を見せたままだが、戦う気力を垣間見せず敵を睨む。
完全カウンター能力であるタンメイは、厄介な人間の対応に小さく舌を打った。
これではただ無為に時間が過ぎてしまうではないか。なぜハイドが退いたかはわからないが、この隙に人間を人質に取っておかなければとても貧弱であるこの精神はいつ潰れるかかも、知れないのだ。そんな身近に迫る恐怖を抱えたままの生活なぞはとても我慢ならない。しかし、この『衝撃を跳ね返す』能力すらも貫通する、規格外な馬鹿力相手ではタンメイは無力そのものである。ならば、ハイドの弱みに付け込むしかないのだ。彼の弱みといえば、彼が護る脆弱な人間、それしかない。
だからまずは、相手の認識外である能力を使用して勝手に自滅してもらおう。そう考えたのだが、敵は一向に来る気配すら見せない。もしかすると能力が既に露呈しているかと心配したが――相手に逃げる気配が無いところを見ると、それはないだろう。
この能力はハイドの力を以ってしてようやく貫通する。しかもどちらにせよ、その衝撃は相手に還るのだ。故に今対峙している人間は、能力を知ろうとも対処法は皆無。その為にタンメイは自分が無敵であると、徐々に自信を取り戻し始めていた。
「調子付いた人間の意表を付こうと思って佇んでいたが、最早その必要もないようですね……ならば、此方から行かせて貰います!」
故にその行動力は、元来のものへと挿し変わる。ハイドと出会うあの日までの、最強ではなくとも決して死ぬことは無い、死の恐怖を手にしていないあの自分へと。
強く地面を弾き飛ばす。大地を背後へと送ると身体は相対的に前へと進み、軽い跳躍でほんの十数メートルの距離を詰める。タンメイは瞬く間に、ロランへと肉薄した。
ロランは拳が肉体を貫いていないものの、カウンター気味に、垂らした腕を前方から迫る魔族へ撃ち放つ。移動速度は速いが攻撃態勢へ移行していない魔族は、だがそれが満足そうに表情を満面の笑みに浮かばせて、
「無駄無駄ですゥッ!」
タンメイの顔面へ拳が迫り――冷たい鉄甲が、ぴたりと優しく頬を叩いた。
その瞬間、ほぼ同時にロランの頬も冷たく弱い衝撃が伝わって、
「えっ――」
直後、頬の衝撃を受けて一秒にも満たぬ時間を経て、気付かぬ内に迫っていた拳が、鋭く腹部を捉え喰らい付く。
腹に穴が空いたと思われた。衝撃を全て吸収する柔軟な身体を持つタンメイは本来ならば貫かれるはずだった腹を限界まで伸長させて、その与えられるべく衝撃を全て受け取った。
相手に被せるはずだった、衝撃を得て返す表皮は、最初の発動から間も無くの攻撃だった故に新たに作る時間がなく、その為に全力と思わしき攻撃を一身に受けて、その身体は元居た距離の倍以上、吹き飛んで霧を掻き消して、やがて消えうせた。
だが、これで満足はできない。ロランは緊張する。
相手はたまたま能力を発動させなかったようであるが、今の攻撃で威力、速度、タイミングなどを理解された可能性がある。できればフォングの助けを使わず一撃でしとめたかったのだが、身体の伸縮性が妙に富んでいたせいでそれができなかった。
ロランは考える。いまだ震える膝を押さえつけて、大きく息を吐いた。
「これからが本番だ」
魔族の本性がこれで垣間見える。考えると背筋が冷えたが、彼は覚悟を決めるしかなかった。




