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5 ――転身――

 気がつくと、窓の外からは鈍くも明るい朝の灯かりが差し込んでいた。


 カーテンを閉め忘れてしまったか。あぁ、だからこれほど眠い時間に意識が覚醒してしまったのだ。今日はまだ休みだから、早く起きると損した気分になってしまう――――。


 彼はそんな怠そうな思考を無意味に泳がせながら身体を起こした。そのまま首だけを捻って、ベッドの枕元の置物スペースに鎮座する目覚まし時計へと視線を流す。秒針は生真面目に自身を軸回転させ、時刻は『六時五八分』を指していた。


 存外に、常通りの、登校するのには丁度良いくらいの時刻に――――結局はやはり無駄に目を覚ました感を否めずに、だが起きてしまったものはどうあっても眠れないので彼は仕方が無いと嘆息して、ベッドから降りた。


 窓に雨粒が叩きつけられた音が耳に障る。


 ――――そういえば、昨日も雨が降っていた……か? 彼はふと疑問を呈した。


 昨日? 昨日はいつだったか。今は朝、それは間違いない。だが昨日とは……。魔族が襲来したのを覚えていると言う事は、――昨日があったという記憶が捏造だという前提で考えれば――その次の日であろうか。昨日の事とは言うがまだ十数時間しか経過していないのではないだろうか。


 しかし、それにしては随分と記憶にズレが生じている気がした。彼の記憶は――恐らく朝に――部屋にアカツキシズクが訪れた場面で終えているのだ。だから、仮に昨日魔族が襲来したとすればこの"昨日"という記憶は完全なる捏造うそとなる。あるいは勘違いに過ぎない。


 なぜならば、彼女とは学園以外であっていないからである。


 だが身体の疲れが異様なまでに取れている。妙に頭がすっきりして、身体が軽かった。たった数時間の睡眠でこれほどまで休めるだろうか? 今までの体験では、ありえない現象である。


 だとすれば、空白の一日が存在した、というのが手堅い仮定であろう。


 記憶が途中で途切れていると言う事は、恐らく彼女と対面している最中で気を失ったのだろうか。


 確かに、魔族と対峙しその指を喉に突き刺されたのだ。傷は浅くとも、その凶悪強力濃厚魔力が体内に侵入し、この貧弱すぎる肢体を冒した、と仮定すれば簡単な話である。


 だからといって――――どうという訳でもないが。


 少年はそのまま洗顔と歯磨きに洗面所へと赴き、ついでにシャワーを浴びる事にした。


 ――――中々お湯にならない水を風呂場で全裸のまま待ちくたびれる事数分、ようやく冷たいタイルからは湯気が湧き出て、少年はようやくと言った風にそれを全身に浴びて……。


 薄い下着にズボンを穿いて、清潔な綿のタオルで頭を拭きながら彼は居間兼寝室へと舞い戻ってきた。


 彼はそのままベッドに飛び込むように座る。するとその衝撃で、携帯電話がベッドから転がり落ちて軽く堅い音を鳴らした。少年は慌ててソレを拾うと、サブディスプレイに『着信あり』と表示されていることに気がついた。


「……?」


 誰だろうか。彼は純粋にそう思い――――もしかしたらアカツキシズクで、昨日が確かに、魔族襲来後の翌日であった事を確認できるかもしれない。次いでそう考えた。


 脳が忙しなく働き、だが手元は静かに折りたたみ式の携帯電話を開く。初期設定の待ち受け画面の左下に、着信ありと、携帯電話のアイコンに付属して小さくそう示されていた。


 少年は慣れた手つきで操作し、電話の主を表示させると――――そこには見たことも無い数字の羅列、つまり登録されていない電話番号からの着信だったらしいと彼に認識させた。


 そして良く見ると、画面上部に『伝言』と表示されている。つまり留守番サービス機能が発動したのだ。


 彼は然したる緊張も無く携帯電話を耳につける。そしてそのまま伝言を再生させると――――。


『ショウ君が言った特徴と似る男が寮の前をうろついている。気をつけるべし――――だって、諜報員の二人が言っていた。だからまず間違いは無いと思ったほうが良い。君がどんな行動に出るかは自由だけど、あまり無茶をしてもらうと困るんだけどね』


 どこかで聞き覚えの在る声だった。特徴がありそうで無いその口調は記憶の其処から、ぼんやりと一人の男の顔を思い浮かばせた。


 緑の頭に、落ち着きのある表情。彼は少年より二つ上の学年で、風紀委員に巻き込んだ諸悪の根源である。


 彼はノートリアスだろうと大体の見当をつけながら、なぜこの電話番号を知っているのだろうかという恐怖を抱き、一体何時ごろの電話なのだろうかと疑問を持った。


 携帯電話を耳から話してディスプレイを確認すると、それは前日の二○時であると表示されていた。


 そして、情報源は諜報員。ならば付きっ切りで少年が出てくるのを待っている。そう考えてもあながち間違いではないだろう。


「面倒な事を……ふわっ」


 少年は大きな欠伸をして、着替えを始める。簡単に特殊素材の下着と上着を着てサイフと携帯をポケットに突っ込むと、彼はすぐさま部屋を後にした。





 寄宿舎第二棟の一階ロビー部分へと行くと、そこはある程度の人がまばらに居た。


 集団でうろつく者達や、購買に買い物に言ったらしく買い物袋を手に提げるもの。待合席にて他人の迷惑も顧みずに、全席占領して横になり本を読み貪る者など居るが――――その中で、彼は早速見つけていた。


 短く刈り込んだ金髪に、右耳に連なる三つのピアス。鋭く悪い目つきは狡猾に全ての学生を、食い殺す勢いで視線を突き刺している男。


 それは出入り口の手前の端、自動ドア付近の壁に張り付いていた。


 真四角のロビーの横腹に伸びる階段への通路から、少年は彼の姿を捉えるが、自動ドアから真っ直ぐ進んだ先にあるエレベーターから眼を離さない彼は、少年の姿に気付くことが無かった。


 執念深い。だがこれで探す手間も省け、罪を償う事が出来る。


 最も――――今朝目が覚めた瞬間から、そんな気持ちは一切なくなっていたのだが。


 そして状況的には少年に分がある。だから彼は、威風堂々が背景に達筆な文字で浮き出るほど毅然とした態度で、彼へと歩み寄る。


「何かお探し物ですか?」


 彼はある程度距離を詰めたところでそう口にした。男は「うるせぇ」と言いかけた口のまま、此方をみた瞬間――――その表情は度肝を抜かれたような間抜けな表情で止まっていた。


 角ばった輪郭に、はれぼったい目。薄い眉は自分で剃ったのだろうか、あまり清潔感が感じられない風貌であった。


「あぁ……だが見つかったよ。お前がなっ!」


 男は小さな目を大きく開いて口元を歪ませる。同時に腰から抜き出されたナイフは、抜き掛けに投擲されて――――どすっと、鈍い音を立ててその刃は深く鳩尾に喰いこんだ。


 その行為は至極通り魔らしいが、違うところと言えば、


「全く同じ事を、してやんよ」


 そう言って充血した目で、お世辞にも理性的とは言えない表情で力いっぱい顔面を殴り飛ばしたところであろう。


 鋭い衝撃が脳に達する。力強い拳が身体ごと吹き飛ばして、少年は勢いに押されて背中から床に飛び込んだ。


 視界が歪む。だが容赦なく迫る影は、再び顔面に拳を振り下ろした。


 鼻を殴られ、なんとも言えないツンとした痛みが滲むように広がった。痛みに思考が途絶えて、


「死ねっ! 死ねっ!」


 ――――辺りは悲鳴を上げる余地が無いのか、そんな光景に呆気にとられているのか、驚くほど静まり返っていた。


 人気は在る。その気配は肌を叩くほどよく感じられたので、誰も居ない、という事は無いだろう。


 彼はそう考える。そして事実、その場の学生は皆全ての動作を止めて、少年が危なげな男に何度も殴られているのを見ていたのだ。


 止めるなんて事は誰も考えない。皆、"自分は関係ない"を貫くのだが――――やはりついこの間魔族の襲来があったせいで、心に巨大な恐怖心を生み出した。そして今、それが俄かに爆発しかけているのだろう。


 いくら男子ばかりとは言え、死の恐怖が身近にあって平然としていられるものなどは数えるほど居ない。現在の世界、特に学園都市はそれほどまで実戦とは程遠い教育をしているのだ。


「――――死ねぇっ!」


 拳が飛来する。少年の意識は半ば途絶えかけて居たのだが――――。


「あぁっ!?」


 衝撃は一向に来ない代わりに、男の威嚇と怒気を孕んだ唸り声が頭に響いた。それは、痛みが来ないのは感覚が失せたから、という仮定を綺麗に打ち消し、


「一方的、という言葉ほど……、気分の悪い者はないで御座るな……。そう思うで御座ろう? お主も」


「はっ、てめっ、誰だよ!?」


 静かな怒りが言葉に成る。だが男はそれに気付かず、必死に腕を振り解こうとするのだ、尋常でない腕力はまるで腕が壁に固定されているのではないかと錯覚するほど強靭で、ぴくりと動く気配すらなかった。


「人間相手はこれほど容易と言うのに、拙者は情け無いで御座る。それと――――」


 肌を弾く打撃音が耳に届く。と、同時に馬乗りになる男の重さは消えて、足の先で床に何かが落ちる音がした。


「今の拙者は気分が悪い。友人の処断なくまま自己判断にて貴様を裁くやもしれぬが、異論ないな?」


 透き通る金属音が、何かから抜かれたような音を鳴らす。それに少年は、痛む全身を気合で起こし、


「そいつは許せませんよ、先輩……。彼は僕に用事があったらしいのです。なのに先輩が賜ってしまうというのは腑に落ちない。立場が逆ならそう思うはずです、先輩?」


「……そうで御座ろうか」


「そんなものですよ」


 ふうっと一つ息を吐くと、彼は素直に刀を納めた。それから彼――――シップ=スロープはあらゆる箇所から血を流し腫らす顔をする少年へと手を差し伸べた。


 少年は弱々しくそれを掴み、強く息を止めて立ち上がる。痛みは少しばかり鈍くなった気がした。


 そうして彼は、いまだ強気に睨み続ける男に、また近づいた。


「お前の罪を数えろ――――といいたいところですが、貴方の頭の程度では昨日のことも覚えてないですかね? 言っておきます。僕は証拠を持っていますが、貴方には証拠が無い。僕は社会的に保障されていますが、貴方がこうした現在、社会的に抹殺されるでしょう。僕が貴方を殺しかけた、なんて事実はありますがね、それを示す証拠が無い。だから貴方は僕に仕返しに来たのでしょう?」


 男はどうやら怯えているらしく、その表情を歪めて歯をかちかちと鳴らしていた。これでは話にならないと、彼は一つ嘆息して――――胸から一本のナイフを引き抜いた。


「魔法障壁の貼ってある下着を着用していました」


 次いで彼は屈んで――――その頬を、生温い刃をぺちぺちと軽く叩いた。


「貴方には何がありますか? ――――僕は貴方のように仕返しだとかお礼参りだとか、そんな事は一切しません。だから、今回素直に殴られました。これで互いに清算は済んだ、と言う事でよろしいでしょうか?」


「ふ、ふざけんな――――」


 彼が大きく口を開いた瞬間、少年はすかさずその中にナイフを差し込むが――――即座に閉じた歯は、がちりと鈍い金属音を鳴らしてそれを止める。だが少年は一定の力でそれを押し続ける故に、男の安堵は訪れなかった。


「一応、疑問系にしておいたのが間違いでしょう――――。ふざけるな? 此方の台詞だ。ふざけるなよ、お前。自分の好き勝手に生きていればいつしかその清算がやってくる。知らんのですか、それくらい」


 男は最早、恐怖なのか怒りなのか分からぬ表情で彼を睨み続ける。だがやがて、その瞳も焦点が合わなくなってきているようだった。


「まぁ、良いです」


 少年は無表情を崩して、男から顔を離すと同時にナイフからも手を離し、薄い笑みを浮かべて振り返った。


 彼がその隙を付いて刺そうとするなんて事も予想が付くが、魔法の防壁付きのシャツを着ていると知らせたのだ。もしそれでも攻撃してくるのならば彼は最早救いようが無い。


「交渉決裂でした」


「ならば彼は風紀委員室にて罪状を判断し、裁く故。ショウ殿も保健室にて手当てするので、付いてくるでござる」


 殺気漲っていたスロープは軽く微笑んだ。


 少年も返すように軽く笑って――――スロープは男を肩に担ぎ、二人はその場を後にした。

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