3 ――平凡――
「わたしはいわゆる吸血鬼」
――――外では豪雨が地面を叩く。激しい雷を伴う雨は防音性十分な建物内でも微かに聞こえるが、やはりそれは微々たるものなので特に気になるというものではなかった。
しかし、吹き抜け二階部分の窓が稲光で一瞬白く染まると、隣の、そんな瞬きにも似る白髪が特徴的で儚そうな少女は、大きな瞳を強く瞑って怯えるのであった。
彼女の名前は『アータン=フォング』で、年齢は一五歳だと言う。歳にしては少しばかり少女少女しているものであり、また舌足らずである。
板張りの床が一○割を占める室内演習場では、それぞれが思い思いに自主訓練に打ち込んでいる。そんな中で場違いに壁際に並んで座る彼女の不意な発言に、ローラン・ハーヴェストは怪訝な顔で彼女を――――世界的に希少種である亜種人類、略称名"亜人"である中の一つ、吸血鬼を名乗る彼女を拝顔した。
フォングは眩く光を放ち続ける照明を見上げ、やがてそれが眩しくなったのか顔を落とした。見逃していた稲光が起こす時間差の、地響きを思わせる雷の唸りに彼女は驚いたように身を縮こまらせた後、
「ほんとだよっ!」
「いや、誰も疑っちゃ居ないけどさ」
相方である彼の呆れたような返答を受けた。
確か、この世界で唯一生き延びている吸血鬼一族の姓は『ヴィクトリア』であるし、しかも一名だけと言う噂である。最も噂なので、飽くまで判断材料にしかならないのだが。
実際、疑っては居ないのではなく、疑う余地も無いくらいに呆気にとられていた、というのが正確だろう。だからロランは次いで言葉を吐き出そうと喉の奥から息を出そうとする、瞬間。
彼女が目の前に突き出したその手のひらは、黒いモヤに包まれていた。それに驚いた。
まるでソレは湯気の如く。だがソレはミクロサイズの生物群集的に揺らぎ、そして気体のように空気中に消えることは無い。
そしてよく見ると、手はモヤに包まれているのではなく"同化している"のだと、彼は気がついた。
一先ず真偽を別として、ロランは思わずその光景に絶句して、目元に力を込めてじっとソレを眺めていた。すると彼女は誇らしげに、どうだ! とでも言いたげな満足げな表情で胸を大きく反らしていた。
いつしか闇の一部となった手は元に戻り、膝に立てかける、鞘に施されている細やかな銀細工がその高価さをより目立たせる剣に置かれていた。
「信じた? ねぇ信じた?」
ひらひらする洋服の中に折りたたまれる足は行儀がよく、そして結果的に膝に手を置くような形で座る彼女は利発そうに見えるのだが、そんな子供らしく目を輝かせて聞いてくる仕草はやはり成熟していないらしい事を窺わせた。
「あぁ信じたよ」
何か特殊な能力を持ち合わせているのだろうか。あるいは本当に吸血鬼なのだろうか。どちらにせよ彼女は見た目どおりの身軽さを武器に十分な実力を持ち合わせていて、そしてまともに攻撃を当てることすら困難な信頼できる仲間である事には違いないのだ。
突込みどころはあれど、深きに潜り込んだ質問はしない。それが仲間同士の信頼と言うものである。
だから彼は半ば適当に返事をすると、フォングは頬を膨らませてついでに紅潮させた。目つきを悪く鋭くさせるものの、その顔は愛らしさ以外の何物も生み出さなかった。
「自分の意思に身体を『闇化』させるから、攻撃はきかないけどねっ、純銀製の武器はきくんだよ!」
彼女は叫ぶように言い聞かせながら、鞘から白刃を煌めかせた。
それは驚くほど鮮やかで、そして度肝を抜かれるほど冷徹な刀身を持っていた。
柄、鍔、装飾、鞘、その全ては西大陸独特の洒落た、小奇麗で手の込んだ造りである。東大陸にある武具の大手である『鉱山都市レギロス』の武器とはまた異なる魅力があるそれはすぐさま誰もを魅了するが、特出して珍しい、素晴らしいというものではない。
だからこそ、その刀身の異様さに目が行った。
ソレはどこぞの倭皇国特有の武器を思わせる片刃で、穏やかそうな刃紋が走っていた。峰と呼ばれる刃のない側は黒く染まりあがり、恐らく硬度と重量を十分に含んだ墨鉄と呼ばれる特殊な金属を使用しているらしい。
そして刃側は対照的な白さを放つように輝いて、銀の濃度は十割以上なのではないかと思われた。まるで吸い込まれるような鋭い刃にロランは呼吸をも忘れて、彼女の指先が、それに触れるのをじっと見ていた。
そこではっと気がついた。彼女は一体何をしようとしているのだ? と。
だからほうっと気の抜けた息を吐きながら彼女の手を掴もうと手を伸ばしながら口を開いた。
「一体何をしようって――――」
「っ」
小さな悲鳴は強く締められた口の中に溶けた。歪んだ眉は暫くしてから緩くなった。
ロランの行動は遅くすでにその指は傷つけられた後だったが、刃には血どころか曇りの一つすら見当たらず、そのまま鞘に収められた。人差し指の腹はその中でようやく、時間差を終えて緩慢に傷口を開いて、鮮やかな朱色の液体を滲ませ始めた。
「ほら、傷!」
彼女はこれが証拠だと言わんばかりの誇るような笑顔で、血液が表面張力で留まる指先を見せ付けた。
嬉しそうに見せてくるものだから、ロランは心配しただけ損だと脱力し、壁にもたれかかった。そうしている中でも見せ続けている指の腹の傷は――――気がつくと、跡形も無く消え去っていた。
「治ったし!」
「スゴイね、人体」
軽く笑うと、何故だか彼女もつられて笑っていた。
――――視線の先では、その他の組が健康的に汗を流しながら、木製の、自分が愛用する型と同じ武器を振るい健康的な汗を流しながら、雷などものともせずに組み手を行っていた。
鈍く、だが稀に甲高い武器同士の衝突音と、乱れる呼吸が室内に響き渡る。彼はそれを眺めながら、ようやく立ち上がった。
硬い床に座り続けていた尻は鈍い痛みを覚えるが、大したことではない。彼女の打撃のほうが十分に痛いのだ。
「アレをやろうぜ、アレの続きを」
自分の弱点を常に持ち歩く吸血鬼に、ロランは手を指し伸ばす。彼女は膝に乗せ余分を床に落とす剣を、壁際に立てかけなおしてから彼の手を力強くとって立った。
所々に白いレースがポイントされている黒地のワンピースを軽く払って、それから両者は合図も目配せもせず、背を向け距離を取る。
いつしかその瞳は真剣な眼差しを放っていて――――二人の足が、その広い室内の一部分を使用し状況を展開するべく広さを理解し、止めた、その刹那。
ロランの下半身が反転。力強く床を弾いて、身体全体がその動作に間に合っていないのにも関わらず全てを後回しにして、今まで進んだ距離を跳躍で縮めるが如く跳び上がった。
彼が跳び上がる直後に、まるで床を誰かが殴り飛ばしたような轟音が鳴り響く。稲妻の唸り声すらも堪えられないフォングは、だがしかし――――少女らしさなどはどこへやら、鋭い視線で彼の動作を狡猾に見極め、同時に駆け出した。
宙でようやく身体が前を向く。フォングは素早くその真下へと潜り込もうと移動し――――。
「魔法式展開――状態八、『天乃村蜘蛛』――超小規模発動」
機械的な言葉が紡がれる。同時に、フォングの足元――――その両足が入り込むのがやっとなほどの小さい魔法陣が膨張するように広がった。幾重にも重なる円の中の魔法文字が回転し、そしてその輪自体も緩やかな動きを見せた。
ロランの身体が降下へと移る中、着地点にはそんな紅い魔法陣を発動させる姿が眼に入った。彼は小さく舌を打ち、
「強化――『部分硬化』――対象、拳ィッ!」
真似るような口調で魔術を展開。
即座に発動するソレは、瞬く間に拳の色を鈍い光沢を放つ灰色へと変えた。
次いで身体を反転させ、頭を地に向かせる。拳を頭の先――――フォングへと強く突き出すと、
「実行」
冷たい言葉の直後、彼女を挟むように頭上にも魔法陣が展開されたと認識すると途端に――――その中心部分から、およそ人間と同サイズの黒い竜じみた何かが勢い良くはじき出された。
――――直接的な攻撃の打ち合いは多大なる被害が出る。故に他の組はそれを考慮して実力を押さえ、だが出来る限り経験を詰めるような戦い方をしているのだ。
だが彼らは常に行動を全力全開に、だが出来る限り被害を出さないように衝突の際だけを小規模――――自分の実力をミニチュア化させ、それを全力でぶつける。前者の彼らと然程変わることはないが、実質的に変わるのはその勢いの良さのみである。
「オラァッ!」
控えめに抑えた実力を全開に、拳は高速度ではじき出され――――早速その表面を、黒い竜に触れさせると……。
「っ!?」
その瞬間、竜は瞬く間に二分割された。真ん中から切り離されたように分かれるそれは、放たれた拳の両脇を素早く泳ぎ通り過ぎて、大きく開いた口で腹と首元に噛み付いた。
鋭い痛みが――――走らない。
彼に、甘噛み程度の衝撃を与えると同時にソレは霞となって消え去り、同時にフォングをサンドイッチしていた魔法陣は消えてなくなった。
ロランはそのまま体勢を崩して落ちると思われたが、そのまま突き出した拳で床を受け止め、肘のバネを利用し、そのまま跳躍。宙で華麗に体勢を整えてから、そして身軽に両の足で床を踏んだ。
重い衝撃が、床を鳴らした。
「機動力に重点を置いたから攻撃力はないよ。でもわたしの勝ちかな!?」
拳に掛けた魔術が解けて、その形に固定されていた手はようやく自由を得た。彼はそのまま軽く後頭部を掻いて、再び辺りの注目を受ける中で、やはりさして気にした様子も無く、また攻撃態勢を作った。
「だけど、次は負けねーよ」
――――その日の中で一等大きな稲光と、防音壁も無駄な轟音が彼女の頭上で鳴り響く。
そうすると彼女は悲鳴すら出す事も出来ずに怯え、頭を抱え身を更に縮込ませながら先ほどの場所へと戻っていった。
そんな動作にすっかり気力とやる気をそがれた彼はやれやれと首を振り嘆息し、仕方が無いと、その隣に腰を落とした。




