1 ――半壊――
「奴が死んだか」
つまらなそうに呟くのは、暫く見ぬ間に随分と力を蓄えた魔王だった。
「はい」
そして跪き頭を垂れて委細を報告するのは、列車にてハイドを襲った実力の無い魔族。彼はただそれだけでも途轍もない恐怖に、威圧に、そのひ弱な心臓を握りつぶされそうな気迫に、身を縮こまらせていた。
「貴様が生きているのにか」
「わ、は……、はい。俺は目的……あの、はい」
「理解に苦しむな。もう少し、此方へ近づけ」
困ったように頭を抱えて首を振る魔王は大きく溜息をついた後、立ち上がった。王座を動けぬ身とは言うものの、ただそれは激しい戦闘が不可なだけであり、ただ出歩くだけならば十分可能なのだ。
彼は近づけと言う割には全ての距離を自分で縮める。魔族は身体を硬直させたまま、恐らく来るであろう罰に強く眼を瞑った。
――――目的は完遂した。自分の目的は対象を目標へと連れ出す事。その目的は十分なまでに果たし、さらに生きて戻ってきたのだ。誉める事こそすれ、罰を与える事なぞは問題外なのだが、魔王は恐らく、そもそも彼が生きて帰ってくること自体を予想していなかったのだ。
つまり彼が帰ってくることは予想外。自分の思い通りに行かない結果となった。俄かに、プライドを傷つけられたのだ。
彼はその威圧的態度だけでそれを、言葉には出来ないが本能的に察知する事が出来た。最も、正確には死の香りを嗅いだだけなのだが。
「貴様は報告せんで良い」
そんな言葉が耳に届いた直後。ぬちゃりと、粘り気のある液体が音を立てた。
頭上に生温い空気が降って来る。何故だか、そこに全神経が集中して――――。
――――口の端を切り裂いて大きく口を開いた魔王は、そのまま頭を飲み込んで首を噛み千切った。
口内で溢れ変える血液は口から漏れて喉へと垂れる。押しつぶされて砕ける頭蓋骨をスナック感覚で噛み砕き、半熟じみた脳髄をよく味わって彼は飲み込んだ。喉は、まるで大量の水を送り出し膨らんだホースのように膨張して、そして通過すると供に元へと戻る。
ばたりと、首から血を噴出す魔族の身体は、闇の中に更なる深淵を作り出す彼の影が包み込んだ。これでまた、力の蓄えが魔族一体分増えた、という事になる。
今消化しているのは純粋なエネルギーである。故に、単純な記憶や"特殊能力"だけの処理ならば通常通りの速度で行われる。つまり魔王は、その魔族を喰らった事によって"また"一つの特殊能力を増やし、そして同時に、彼が見て聞いたその全てを理解した。
――――最も。
魔族の持つ特殊能力は、全て魔王が与えたものである。故に、その能力は魔族が死した瞬間に彼へと戻ってくるのだ。しかし、封印されていた期間は、戻るべき身体を探せなかった能力は自然と消滅してしまったタメに、彼が生きていた、そして今生きている間に死んだ魔族の分だけ彼は能力を取り戻すのだ。
しかし、テンメイのように喰らう事によって力を得るタイプの能力は、魔王の身体に戻るとその時点までの力を維持しているのか、または無力の状態から特殊効果だけを得る形で戻ってくるのか、それは食らって見なければ分からない。
「――――なるほど、一撃か……。常時展開できる能力で無い故に隙を突かれたか」
能力は戻れど、それをどう生かしたかの記録までは付加して身体へ刻まれないが――――わざわざ喰らって特殊能力を得る理由には、そうした経験がついでに継続して蓄積される、という甘美な特典があるからである。
しかし、魔王はそこまでを予定して彼を食ったわけではない。ただ単に記憶を見るためであるが――――そうした事で、彼は同時に気付いてしまった。
魔族の不要性。
そして、再び魔族を自分の身体に収めなければならぬ慢心的使命感に。
「だったら、そうだな……貴様等全員で襲撃するか」
恐らく誰かが拒否を思わせる言動を起こすだろう。
そうすれば、狂った王の様にではなく、反逆した部下を仕方なく始末する悲しき王として奴等を喰える。
そうすれば、私のプライドは飽くまで保たれたままだ。
彼の頭は既に壊れ始めていた。先に喰われた魔族が見た、魔王の落ち着きは、嵐の前の静けさ、と言っても差支えが無いだろう。
そう考えれば彼は先に死んで、逆に幸せだったのかもしれない。魔王の恐ろしい虐殺劇を目の当たりにしなくて済んだのだから。
――――魔王の予想とは裏腹に、悪戯に零した独り言に誰一人として反応する魔族は居なかった。
そんな事は彼にとっての予想外となる。つまり自分の思い通りに行かなかったと言う事。
彼の怒りの沸点は極限までに下げられていて、そして不本意に傷つけられたプライドは、思わずその頭に血を遡らせた。
血液が逆流する。
筋肉が膨れ上がった。
自身で禁じている戦闘形態へと、彼が移行している中――――ふと気付く。
その場には、誰も居ない事に。
――――彼が悪戯に零した独り言の直後から、その室内には彼以外の気配が失せていた事に。
総勢六体の魔族が、どちらにせよ魔王の思惑通りに動かず、疲弊しボロボロになる学園都市を目指した事に、彼は気がつき……。
――――直後、城が凄まじい漆黒の輝きに満たされたかと思うと、一筋の黒い柱が、王座の間から垂直に天井を打ち破り、天をも貫いていた。




