3 ――自分に出来る事――
拒絶者を名乗る魔族の提案はただ一つ。
『一対一で挑めば能力は使用しない』という事である。だが数人、或いはたった二人でも固まって行動をすれば好意的に出した提案はすぐさま却下され、効果不明の特殊能力によって打ちのめされてしまうのだ。
この条件は、人間の立場から見れば頷かずには居られない筈であるが――――現在この学園内に、一人でこの魔族に挑み倒せる希望の在る者は居ない。最も、誰もが『ローラン・ハーヴェスト』の存在を待ち侘びているのだが、無論のこと、この場に居るはずも無く、また来る筈が無い。
だから一見、その出された条件――能力の不使用――がどうしても好都合に見えてしまう。その実、人間のその本質を潰そうとしているのにも気付かずに。
――――生き物の大概は集団で生活する。それは生きるための生活をより楽に、より効率的にするためであるが、人間の場合はそれが顕著であった。
魔族はほぼ例外的に単独行動を貫くが、それ以外の殆どは集団行動である。
戦闘などに移行する場合、集団のほうが圧倒的有利なのは明瞭。一体の場合は一、二体の場合は二、という風に戦闘力を数値化し現わすとそんな感じに増えるのであり、それは人間とて同じ。
だが人間の場合は戦闘力よりもその知能が問題であった。魔族の高い知能を持ってしても見透かせぬ逆転の発想や奇抜な思いつき。一人で居るよりも二人、三人、と言ったように数が増えれば増えるほど発想の数と生まれ易さは比例して大きくなって行く。
魔族にとってはそれが、最も厄介であった。
だから彼は提案する。『一対一ならば能力を使用しない』と。
窮地に追い込まれながらも諦めぬ、勇敢な人間諸君にはその言葉がどれほど甘美な響きに聞こえるのだろうか。
相手がどれほどの力があり、またどんな能力を持つのか未だ分からぬ時点での提案である。拒絶者からの、この十分にも満たぬ時間で何かを感じたらしい故の発案である。
この中に、それに何かしら疑問を抱いたものは居ないのだろうか。
否、ただ一人――――たったの一人、戦力外の人間でありながらもその場に駆けつけた少年が一人、その大よそに思考を巡らせ、答えにたどり着く直前である者が居た。
彼は今現在、ある程度の予測が付いたところで一息ついていた。そうしているのに、彼は苦しそうに胸を押さえ、俯き加減で呼吸を乱し、それでも魔族から目を離すことはしていない。
その苦悶の表情は数分前の、自分の意思による行動がきっかけとなっていた。
――――僕は罪を犯した。だが今この世界で知る物は居ない。だったら黙っていても良いのか? 彼には家族があったろう。親しき友人も居ただろう。もしかしたら将来的に世界を揺るがす大人物になっていたかもしれない。
僕はそれを潰したのだ。たった数秒にも満たぬ時間で。
全てを感情に任せて――――あぁ、そうだ。この状況でそんな事は考えているべきではない。わかっている。最も考えるべきは、先輩から託された能力の効果解明である。
だがそれも、大半が予測であるが解けた。しかしそれでも、随分と複雑で難しいものでは在るのだが。
――――簡単に言えばソレは、相手の動きを任意で巻き戻す能力。
移動した距離などが戻らない所を見れば恐らく効果範囲は、その対象とした存在のみなのだろう。攻撃が防がれた、というだけなら分かるが、抜いた刀や突き出した棒が数秒前と同じ状態に戻っている事が注目点となっていた。
だがそれを連続で使用できるのかはわからない。もしそれが可能であるのならば、彼には掠り傷一つも付ける事は――――出来ないとはいえないが、難しい。
まず相手に攻撃を当てられる状況は、相手に自分を知覚されて居ないことが絶対条件である。そうしなければ攻撃が当たる直前でその動きは巻き戻され、そうして隙が出来た所に敵の一撃を貰ってしまうのだ。
そして魔法、魔術などの遠隔攻撃も、それが発動される前の状態に巻き戻され、実質"無かった事"にされてしまう。
そんな能力を持つであろう敵の提案は、それを知っていてもやはり好意的にしか捉えられない。もしかすると、という可能性がどうしても否めないのである。
――――だがどちらにしろ、集団でも倒せないのでは?
彼は自分に疑問を投げて、すぐさま答えを導いた。
――――集団ならば、倒せる余地は十分ある。
まず一つに、群れていれば紛れて姿を隠せる事が出来るかもしれない。そしてまた、拒絶者の能力が個人に対してだった場合、その集団故の効果は大きい。
もし仮にそうであれば、その個人自体は知覚されても攻撃までは分からないであろう。誰の攻撃か理解できなければその動きは巻き戻せない。故に攻撃は"ざる"とも思える能力を容易に突破できる。
が――――仮にもし、それが物体に対しても発動できる能力だった場合。攻撃が触れた瞬間、武器だけが動きを戻されてしまい、武器を振るったつもりになっているその個人には無自覚に隙を作り出されてしまう。
そう考える中で少年は思う。推測ゆえに、可能性の数よりも不安要素の数のほうが多いな、と。
その不安要素のもう一つが、敵の能力が範囲効果を持つものであったら、の場合。
そうした状況では最早集団で居ても個人でいても何ら変わりが無い。攻撃をされてもされなくとも、それらの動きは全てまき戻り、一人ずつ消されていくだろう。
そしてまた一つ、その能力が自動発動だった場合の事だ。
仮にそれが実現してしまっている場合、人間には勝ち目が無い。能力は彼が気を緩めぬ限り半永久的に発動し続け、攻撃は一切通る事が無い。この場に結果として残るのは、勇敢な人間達の無残な残骸のみである。
そうした場合、彼の提案はただ人間を油断させる嘘でしかない。発想を恐れるなどと言う事は一切無く、その殺戮を楽しむだけの、自分の為の提案に過ぎない。
この中で――――最も可能性の高いものはどれであろうか。
複数と言う事も考えられるし、全てであるという判断もそう難くは無い。
「どれだ……っ」
焦燥はやがて、ふと口から言葉を漏出させた。
――――その瞬間。
視線の先の魔族の耳がぴくりと跳ねて――――凄まじき速度で飛来する、濃度の高い邪悪な魔力が、額を貫いた。
殆ど反射的にソレは飛んできたのだ。だが、何が起きたか判然としない。本当に何かが起きたかすら分からない。ただ一瞬、酷い眼力で意識が飛んだような感覚がして――――吐き気が、胸の奥に溜まっていた嫌悪感が、不意に炸裂したような不快感が全身を襲った。
『一応聞こう。何が、だ?』
魔族の声が脳内に響く。
驚いて少年は慌ててその口元を見るが、開いた気配は無く、また周囲は何かに反応した様子が無い。ということはつまり、この声は少年の妄想であるか、魔族の念波のどちらかである。
少年は迷わず後者だと受けて取り、数分経っても答えを出せずに居る"平和を培う会"諸君等を見ながら、返答を頭の中で強く発信した。
『何がです』
身体中が倦怠感に覆われる。立っていることが苦痛以外の何物でもなく、またただの呼吸が酷く苦しい。
"男を刺した"際の――――たった十数分前の記憶が、まるで悪夢のように何度も頭の中で再生した。感覚が焼き付いた網膜は、幾度と無くその感触をリアルに蘇らせた。
『質問を質問で返すんじゃあない。学園では疑問文には疑問文で答えろと教えているのか? 貴様の"どれだ"に対してこの拒絶者が"何がだ?" と聞いたのだッ! 答えろッ!』
絶叫にも似る声に、脳が激しく揺さぶられる。
壁を背にしていなければ今にも崩れてしまいそうな少年は頭を抑えながら必死に、睨みを利かす魔族を睨み返した。
『貴方の能力ですよ。それさえ分かれば、貴方なんて屁でもない』
しかしそんな脅しも、今では、今の彼が口にすれば負け惜しみ以外には、どう頑張っても聞くことが出来ない。
『今にも死にそうな小僧が何を言う。人を殺した罪悪感に、今にも自殺してしまいそうな貴様が何を言う。……――――なるほど、だが推測だけは優秀なようだな』
――――平和を培う会諸君等は、彼と同じく魔力波を応用した念波で会議をしている。故に、拒絶者の注意が少年に逸れていて、今こそが隙を突くチャンスであることに、気付けないで居た。
『だからこの拒絶者、貴様に答えを呉れてやろうと思う』
『そいつはありがたいですね。しかしそれが自殺行為だと自覚はしています?』
そんな苦し紛れの発言は、だがそれでも拒絶者には予想外だったのだろう。
「クハハハッ! 抜かせ! 小僧ッ!」
彼は思わず高く笑い、少年を指差して大きく叫んだ。
それ故に、その注目の一切は魔族に向き、その為に見えた隙に――――ヤマモトは迷わず、先ほどと同じ光弾を叩き込んだ。
先ほどよりもより早い速度で駆ける光はだがしかし、一瞬にしてその場から瞬間的に失せた魔族には当たるはずが無く――――。
――――凄まじい速度で音も無く迫る魔族に、少年は堅い覚悟を決めた。
魔族の魔力が失せた事により全ての倦怠感、嫌悪感は吐き捨てられ、同時に先ほどまで感じていた罪悪感は元に戻るものの、先刻が大きすぎた故にさほど大きいものとは感じられなかった。
罪をただ胸に秘めるだけでは勿体無い。全てをメリットに変えるのが、この人生で強者たる存在になれる近道。
今までが白昼夢に思えていたが――――。
「教えてやろう、この拒絶者の能力をッ!」
魔族が少年の首へと二股の槍に形作る手が喰らいつく。
凄まじい衝撃が一瞬遅れて全身を嬲り、それによって少年は壁に何度も叩きつけられた結果、押し付けられるような体勢になってしまい、魔族に身体の全権を委ねてしまった。
「この能力は貴様が思う通り『対象の動きを巻き戻す』モノだ。時間支配ではない故に、今まで動いた距離を戻す事は出来ない。対象が触れた場合、能力は発動する機会を得る。連続使用は可能だが一秒の時間を置かなければならない。……なぜこの拒絶者が、貴様にコレを教えたか理解るか?」
ギリギリと締めあがる首に、指は鮮血に塗れながら突き刺さる。少年の言葉は最早発せられる状態には無く、それを知りながらも問うた魔族はほくそえんだ。
「この距離では誰にも言葉は聞こえない。そして勘付いた貴様ここで死ぬ。周りは阿呆共ばかりと来ては、最早この能力の最たるに気付く者は居ないし――――仮に、それを知れたとしても、この拒絶者を相手に息を付かせぬ攻撃を出来る者が居るはずが無い」
詰まる話、彼がこんな行動を出たのは単なる気紛れに過ぎない。そんな一寸した、誤差程度の心境の変化によって、少年の人生は今正に終焉の一途を辿っていた。
魔族の腕に巻きつく少年の指先の力が失せていく。だというのに、その瞳は未だ光を失わず拒絶者を睨み続け――――そしておかしなことに、その口元は俄かに歪んだ。
――――恐怖に、異常を起こしたか。
仕方がない。聡い分心が弱いのだな――――そう納得して、魔族が更に、指に力を込めた。
咽喉許の筋肉が小刻みに震え、唇が出るはずの無い言葉を紡ぐ。
「去らば。聡く、歪み、捻た少年よ」
柔い筋肉を指が貫いた。若干の反発はあれど、それは本来筋肉が持つべき弾力で――――。
――――その背に一つの衝撃が走ると同時に、背後から発砲音が鳴り響いた。
指先から、不意に力が抜けた。
そしてその直後に――――衝撃が走った場所から再び凄まじい爆発が巻き起こる。それは自身の背中で起きたことであるのにも関わらず、何が起こっているのか、わからなかった。それはひたすらに理解の範囲外の出来事でしかなかった。
魔族は少年の首を手から離しながら、爆風に、爆撃に背を押されて建物に叩きつけられた。
彼はその折に振り返りながら――――次いで飛来する弾丸を、手のひらで薙ぎながら発射前まで巻き戻す。
そうして掻き鳴る発砲音は直前で消え失せて、
「卑怯だって怒るかい?」
紅い髪を短く、爆風に揺らしながら不敵に笑む少女は一丁のリボルバーを両手で構えながら、凛とした声で問いかけた。
「……、魔力波――――いつの間に」
彼女の問いかけの中で、彼は自身を貫通していた、ほんの些細な魔力の波に気がついた。
一体いつからコレがあって、どこから話を聞かれていたのだろうか。全ては陰になり、少年を殺す瞬間に大きな隙が出るものの、それさえも誰にも見ることが出来るはずが無かったのに。
それが出来て、また射撃を成功できたのは全てが聞こえていたという推測が正解だろう。
拒絶者はそうして、自身の魔力波のように深層意識の思考まで読み取れるモノなのではないかと危惧をした。
「最初から、といえば分かるかな。言っておくが、前線の野郎よりもあたしの実力の方が高いんだ。よく肝に据えておけ」
「クク……もしや、まさかとは思うが――――たった一度当てただけで、この拒絶者を倒せた気でいるのか? だとしたら――――」
「いや、殺せたつもりでいるんだよ」
彼の言葉を、彼女は遮って、
「――って言えば、アンタは激昂して我を忘れるんだろう?」
拒絶者は眼を見開いた。
「かかって来いよ。痛がり屋の道化さん!」
そんなスズ・スターの台詞に、彼の動きは暫しの間、沈黙した。




