1 ――学園都市前、総動員――
「――――我が拒絶者だッ! 依然変わりなくッ!」
その声は高らかに響き渡り、広がる魔力は否応なしに都市全体の人間にその言葉を知覚させた。
魔力はその汎用性に富んでいる。だから一定以上の魔力量があればそういったことが、補助器具――人間で言う携帯電話――等を使用せずとも出来るのだ。そして自動車や列車を動かす事も出来る。最もその燃料となるのは純粋な魔力ではなく、魔力を含む鉱石であり、それが高炉でエネルギーを生み出し……と言った科学・工学技術によってソレは動く事が出来る。
そして人間ならば魔法・魔術に、魔族ならばその特殊能力に魔力を消費する。使えば疲れ、消費した分を取り戻すには休憩が必要となった。
――――彼はそう叫ぶと直ぐに、満ち足りたように顔を穏やかに緩めた。
彼には名前が無かった。と言うのも全て、魔王の発想の怠惰が原因である。
一○八生み出された魔族の中で、名づけられたのは精々八○程度。しかし魔王が現存する時点でその半数以上が殺され、魔王がいなくなってからまたその半数以上を殺された。
今生き残っているであろう者達はテンメイとライメイを合わせて十体のみである。その中で名前が無いのは恐らく二、三体はいるのだろう。
名前、というのはただの記号であり、対象を認識し呼ぶ事を簡易化するためだけの、人間ならではのくだらないことだと思っていた。
だがそれもどうやら違ったようだ。拒絶者を名乗った彼は胸の奥が暖かくなっていくのを不思議に思いながら考えた。
名前、というのは付けられると割合に……喜ばしいものである。誰かに認められた、この存在は無駄ではなかった、そう、思えるようで。
――――しかし彼は、他者にその名を付けられた訳ではない。自分でそう名乗り始めたのだ。
いま、この瞬間から。
それは即ち、誰も必要としていなくとも、自分が自分を必要としている。それを意味しているのだ。
だから彼は決して孤独を味わう事がない。人間よりも遥かに高度な知的生命体であっても、ある程度の通った理屈があれば納得できるのだ。例えそれが矛盾していても。最も、今回のそれが矛盾しているというわけではない。
魔王は――――魔族の名前を、その役割か特殊能力の特徴で名づけていた。だというのに発想の枯渇というのは嘆かわしいものである。
テンメイは天命であり、その能力は"喰らった人間の寿命と記憶、力や魔法、魔力"を得る事。だから彼に限っては魔族としての身体は関係なしに、寿命が尽きれば死んでしまう。あるいは、喰った分プラス一"殺されれば"その命は果ててしまう。
『人間を食わなければならない』という宿命を辿るしかない故に、その名であった。
そんな具合に付けられてきた名前だが、彼には役割は無く、また能力を与えた魔王も、どちらにしろ抽象的な為につけることが出来なかっただろう。
だが今は名前がある。そしてこの場に侵入した時点で、目的も半ば達成したようなものであった。
彼は独り、満ち足りた顔で心の奥の暖かさが引いて行くのを味わっていた。
「くっ……、おいお前、相手の能力を探るから突っ込めよ」
――――そうして拒絶者が快感の絶頂点に達した表情で硬直する事暫く、その状態に痺れを切らしたらしい"平和を培う会"の一人が、腰に下げる刀の柄に手を掛けたまま、細い呼吸を続けている男の肩を揺すった。
そうすると微弱に、若干太いと思われる、だが男としては割合に細い首が連動して、額から汗が降り落とし――――直後、その汗の雫を拳で打ち抜きながら、彼の裏拳が男の顔面衝突寸前のほぼ零距離に迫り、ピタリと止まる。
少しして、弱い衝撃の風が頬を撫ぜた。
「巫山戯るのも大概にして欲しいでござる。拙者が捨て駒? 貴公がそれを拙者に勇断させる力があると……?」
「す、すまな――――」
い、緊張にやられて気がどうにかしていたようだ。
そう続ける暇もなく、侍口調の男が拳を刀の柄に戻し、今度はそれを力強く握った。
男は何かを感じ台詞を止める。『まさか――――。いや、しかし……』。そういった不安定で不明瞭な思考を何度も構築し直して行く中で、再び彼の言葉が空気を震わせた。
「それもまた一興。でござるな」
彼は穏やかに微笑みかけると、数歩離れた所にいる、拳銃を構えた女性へと歩みを進めた。
「恒星先輩」
「スターだ。覚えろ塵。しかし珍しく誉め言葉か?」
「いえ、ただ最期は壮大に散って頂きたく候」
言い終えると同時に、腹部に鈍い痛みが走る。だがそれも、いつもと同じような"戯れ"の痛みであった。
そんな行動に彼、シップ=スロープは軽く笑い、言葉を続けた。
「先輩なら見極められると思いまして」
「あぁ、だが私よりも適任がいるだろう」
勿論、諜報員の少年少女のことではないぞ、と彼女は付け加えてから、振り向かず、親指で後方を指し示す。スロープはそれに促されて指された方向へと視線を流すと――――其処には、入り口から真っ直ぐ伸びる大通りに面した建物を背に立つ少年の姿があった。
それに思わず息を呑む。
彼は、副会長らと一緒に他の風紀委員と合流しに行ったのではなかったのか? 正面の結界が破壊されても空の結界までは破壊されていない。以前の魔王程度の魔力ならばすり抜けられるかもしれないが、普通の魔物ではとても無理な筈。
だから危険がない。だがずっと壊されずにいるとも限らない。故に可及的速やかな行動が絶対である。
そのため、彼がここに来る余裕が無く、居るはずがない。居て良いはずが無いのだ。
思考回路も推測も優秀ではあるが、実力が圧倒的に足りない。ただ戦闘知識があるから何もしない者よりは優位であるだけであり、力等に置いては学園都市外の一般人に負けてしまうほどであろう。
「な、何故ショウ君が……」
しかもその表情は酷く苦しそうであり、未だ夏服に着替えないそのブレザーには多少の血が付着していた。
「知らん。だがここに居る、ということは然るべき指示を与えるべきだと思うけどな」
しかしその指示を与える立場のヤマモトロクロクは数人と前線――――魔族に一番近い位置に立っていて、連絡の取りようが無い。この状況で指示を下せるのは、恐らくそう言うスズ・スター彼女自身だろう。
その中で、ふと眼があった。
彼は怯えたようにびくりと身体を跳ねさせると、およそ彼らしくなく、引き攣った笑顔で軽く手を振った。
一体彼に何があったのか。どちらにしても、見て分かるほど精神状態が乱れているようでは、到底使い物にはならない。彼には失礼ではあるが、殺されても仕方が無く――――さらに足を引っ張ってもらっては困るのだ。
だが彼女はしかるべき指示を、といった。彼女は彼女で苛付く所もあるし、その低脳さをひけらかす場面が多い。だが一概に阿呆だとも言えない。そんな彼女がそう言ったのだ。何かしら、考えがあるのだろうか。
「惑星先輩」
「今回の事が終えた後で人知れず轢死していろ」
「魔力波出せますか」
――――魔力波とはその名の通り、魔力を空間に影響を与えられる形――風や、重力――に変換し、空間に波を起こす魔術である。
簡単に言えば、魔法、魔術として扱う一歩手前の状態で魔力を維持する訳なのだ。それには多大なる集中力と神経が必要となるために、学園では必修魔術というわけではない。
そしてソレを完全に利用する事が出来れば、大量の魔力をあたりに振りまかずとも、一本の長い道を対象に伸ばし、その作り出した"波"に声を乗せて会話をすることもできる。
余談であるが――――魔術と魔法の違いは、魔法陣が出るか否かである。魔術は人間の魔力だけを使用して発動するために、脳に刻み込まれている魔法陣が発動し、特殊効果をはじき出す事が出来る。
魔法は自然の魔力を使用するために大量の魔力を消費し、そうすると必然に大きな威力の魔法が弾き出される。無論、他の魔力を利用するために、魔法陣を空間に出さなければならない。
「魔力波? まぁ、魔銃を使ってるからある程度なら自由自在だな」
「ある程度と制限されているのに自由自在とは矛盾にござらぬか」
――――魔族が一歩、足を進めた。
緊張がより一層高まって、同時に前線に立つヤマモトロクロクが武器である何の変哲も無い棒を敵にさす向けながら、一歩進んだ。
誰もが息を呑む。辺りはさっきより静まり返って、高鳴る鼓動はやかましくも思えた。
「……、おい、敷いたぞ。何を言えばいいんだ」
――――そうしている間に、スズ・スターはスロープがして欲しいことを遂行したようだった。
彼女は既に魔力を大気に混じりこませ、少年へと流したのだ。そうする理由はただ一つ、何かを伝えるためでしかない。
だから彼女は問うた。何か指示をしたほうが良いといったのは自分だが、何を指示するか、それを託されたのは彼だから。
「だったら"良く見ていろ"、とだけ、伝えてくださらぬか」
スロープがそう言うとほぼ同時に、少年は再び身体を弾ませた。恐らく言伝を頼まなくともその声は恐るべき伝導率で届いたのだろう。
だから彼は、それから少年に微笑みかけて背を向けた。
「ほう、勇敢な害虫共だな? ん? こう言えば、貴様等は激昂し我を失うのだろう? 掛かってきてみろ。死にたがりの人間どもめ」
一歩進んで足を止めた魔族は口を開く。どうやら長い時間を要してようやく我に帰ったらしい。
そしてその影響か、辺りの緊張は先ほどの何倍にも膨れ上がった。思わず彼は足を踏み出してしまったが、攻めて勝ち目を見出す事は出来ていない。
「はっ! そう言ってられるのも今の内って訳だ。気楽でいいなぁ魔族さんはよ」
身の丈ほどの棒が敵を向く。そうして喚く中、言葉を遮るように魔族は強く足を踏み降ろすと――――瞬間、地面は激しい振動を彼らに伝えて、次いで轟音を掻き鳴らす。
大地の破片が飛び散って、良く見ると魔族の足元は凄まじい力によって破壊されたようであった。
「拒絶者だ。覚えろよ、低脳」
鋭い視線が、彼らの心臓を鷲掴んだ。
一瞬、ただその眼力だけで呼吸が止まった。心臓すらも底冷えて、送り出される血液が全身を傷つけた。思わず息が苦しくなり――――ヤマモトロクロクはそれでも睨み返し、手のひらに魔力を固めた。
「ヤマモトさん、本当に大丈夫なんですか」
自分より一歩分後ろに居る男が静かに声を震わせた。誰が聞いても怯えている様子で、それは恐らく先ほどの"睨み"による呪縛から解けていないかららしい。
だから彼はソレに対して軽く頷くだけで対応を終え――――大きく腕を、下から上へ振り上げた。
残像を繋げ尾を引く早さを持つ腕は風を切り、そうしてそれが中ほどに到達した瞬間、彼は手に握るソレを弾き放った。
その光弾じみたそれは、全ての時間を置いてきぼりにする速度で敵へと迫る。誰もがその瞬間、それに意識を集中させた。
腕が完全に空を見上げる頃、同時に魔族はその光弾へと手を差しだした。それは恐らく、賢い判断であろう。
どれほど強い魔法であろうとも、魔族の皮膚は鋼鉄並み。しかしそれは急所に当たれば少なからずダメージを与える事が出来るのだが――――そういった風に、腕を犠牲にしてしまえば人間側の攻撃はもう繋がらない。
全ては終わりだ――――というのに、ヤマモトロクロクの表情は愉快そうな笑みに変わっていた。
――――彼は倭皇国で生まれ、そして育った。故にその魔力の清さは倭皇国ならではであり、それによる魔術も全てが邪を払う。同じ魔力でも、その邪と聖の純度の違いで大きな影響をもたらすのだ。
そして今回の場合――――倭皇国の魔力は邪が強ければ強いほど、接触した瞬間、その威力を強くする。そのために、魔族への影響は多大なるモノで、
「馬鹿めっ!」
その光弾が手のひらに接触する。
恐らく次の瞬間には腕がはじけ、彼の魔力に溶け込んだヤマモトの魔力が全身に回って勝手に自滅するだろう。
だから彼の心の中には――――『勝った!』という勝ち誇った感情ばかりが満ちていた。
「そのまま返そう……"馬鹿め"」
その為に――――その光弾が手のひらに触れた瞬間に、"消えてなくなった"ことが理解できなかった。
光弾は忽然と姿を消した。その引いていた尾もまるで無かったようにして。そして次の瞬間には何故だか、ヤマモトのちょっとした疲労は消えていた。
何が起こったのか――――。
「理解できたか?」
出来なかった。
今正に、彼が何をしているのか、あるいは何をしたのか。ヤマモトには知覚出来ない。だがその中で一つ、本能が今何をすべきか叫んでいた。
ただ漠然と――――逃げろ、と。
同時に身体が逃げる体勢、駆け出す予備動作へ移り変わり、本能に飲み込まれたように腰が落とされ、棒は空を向く。空いている手は無意識の内に、背中に隠れて"平和を培う会"諸君らに退くよう指示をした。
そうして直ぐに、呼吸を乱しながらもまばらな足音が大きく、そして小さくなる。ヤマモトはその中で若干の冷静さを取り戻すが――――。
「一度手を出しておいて、逃げるつもりか? やれやれだな」
心だけが冷えて落ち着く一方で、高鳴る鼓動は、熱くなる筋肉は、定まらぬ焦点はその全ての行動を緩慢にしていた。
魔族がゆっくりと歩く。だがそう見えるのは、恐らく彼の感覚だけが研ぎ澄まされているだけなのだろう。時間だけが遅く感じるのにも関わらず、気がつくとその魔族は目の前にやってきていた。
身体が動かない。これは特殊能力の影響か? いや、ただ単に恐怖をしているだけだろう。
全ての動きがコマ送りに見えた。
確か一度、聞いたことがある。死ぬ前には全てがそう見えるのだと。
――――外野の悲鳴が耳に届くのに、それが何を言っているのか理解できない。雑音ではないのに、言葉だとは認識できなかった。
魔族の腕が振りあがる。それも酷く緩慢で情けない速度であるのに、自分は動く事も出来ない。果たして、どちらのほうが情けないのだろうか。
――――魔族、いや、拒絶者って言わなきゃ怒るんだっけ。……ん? 拒絶者? 拒絶……いや、だからってそんな……。
魔族の腕が張り詰めた弓の弦の如く引かれ、力が込められた、その刹那。
不意に視界の外から影が入り込んできて――――。
瞬間、時間の流れが、正常に戻った。
「秘技」
スロープが魔族に肉薄し、その白刃を太陽光に煌めかせた。
「居合いっ!」
抜き出た刀は、一瞬にしてその振り上げた腕を目指し、そしてその冷たい刃の腹が触れて――――。
――――気がつくと、彼は魔族に身体を向け、その脇に立っていた。刀は鞘に納まり、腕は行儀良く下げられていて……。
一体何が、起こった? いや、コレこそが彼の能力なのだろう。
時を止める? 戻す? 個体のみの? どんな系統かは判然としたが、それがどんな能力なのかはわからない。これは無駄だったのだろうか。いや、少年ならやってくれるだろう。
そして全ての注意は此方へ向いた。ヤマモトは恐怖の呪縛から解き放たれた様に動きを開始していた。
そうだ、逃げてくれ。貴方は逃げなくてはならない。拙者が尊敬する、貴方だけは――――。
そういった強い願いとは裏腹に、額に青筋を浮かべた彼の棒が、素早く魔族の腹を貫こうとした。
――――が、しかし次の瞬間にはやはり、その棒はさっきと同じに、空を向いた状態に戻っている。
「だから阿呆だと言われるんだよ」
そう言って妖しく笑んだ魔族は――――何故だかそう言った直後、足を退いて、門近辺へと下がっていった。
「どうせ潰すのなら楽しいほうが良い。今は気分が良い。貴様等に、勝てるチャンスを与えてやろう」
彼は腕を組んで、仁王立ちをする。
そんな行動に、ある場所ではほっと息を付く気配が伝わり、ある場所ではより緊張を高める気配があった。
ヤマモトとスロープはその両方が入り混じった感覚を胸の奥に覚えて、彼の言葉に耳を傾け――――思わず息を、するのを忘れた。




