5 ――談笑――
学園都市は変わらず平穏を保っており、その日の午後も大層穏やかであった。
しかしその日は、少年が通う"自由学園"の全生徒を体育館に招集して行われる生徒総会が午後に催される。
体育館はその為かなりの広さを持ち、生徒全員分の椅子を用意し片付ける教員たちが忙しくなる一日でもあった。最も、用意には魔術を使って椅子を持ち上げ均等に並べたりするのだが、量が多いだけにそれでも大変となるのだ。
それは彼が通う学園のみならず、学園都市に存在する――――ソレを含む、七つの学園全てが同じ日、同じ時間にその行事を行う予定である。
そうする理由はただ一つ、特定の学生らに時間を作る為。部活動やクラブ、その他兼業している委員会の予定などで都合がつかない生徒を無くすためであった。
何故時間を作るのか。それは少年が今目の前にしている建物内にて、生徒総会をする一方で、陰で行われている会合を行う為である。
それは一般的に――――"平和を培う会"と、そう呼ばれていた。
「――――はぁ、全学園の風紀委員が揃うって……、なんだか、考えるだけで寒気がしますよ」
少年はそう言って体を抱いて、大袈裟に身を震わせた。そんな彼を見て――――シップ=スロープは禁止されているはずの武器携行を物ともせず腰に木刀を差したまま、彼の所作に軽く笑った。
――――彼らは半円状のドームのような建物の前に立っていた。というより待たされていた。
そこは都市内の外側に建設される学園とは違い密集地、即ち都心部であり、周囲、その敷地内の外は――――学園都市と言えども、多くの一般人で賑わっていた。
人造石の壁で囲われているその中には、やはり彼らのように多数の学園の風紀委員であるらしい者たちが数人集まって、中で行われている会合が終わるのを待っていた。
日は高く、少年はそんな強い日差しを腕で遮りながら、学園の方も丁度生徒総会が始まった頃か、とそんな事を考えていた。
「しかし随分と非道い言いようでござるなァ。会長殿はともかく、ノートリアス副会長殿やユーリヤ・ピート書記殿は中々に聡くまともでは?」
現在、会合に参加しているのは今挙げられた三名である。重要役職に付く者のみが集い話し合う場であり、そんな風紀委員同士で妙ないざこざが起こらないよう、役職に付かぬ下級生がそのお供についてくるのだ。
最も、正常に考えればその下級生こそが問題を起こしやすい。だからそれは、下級生が風紀委員として自覚があるか、また本当にそのいざこざが起こったときに上手く対処が出来るか。そういったちょっとした試験のような意味も孕んでいる。
既に自由学園の風紀委員は、木刀を腰に下げる彼と、少年、そして殆ど影の存在である諜報員の少年少女以外は三年生であり、会長は四年生。
今回一年生が入会しなければ風紀委員は間も無く破綻しかけ、さらに来年も同じようであれば、生徒会との統合案が出されていた。
しかしそうなると、今までのように自由が利かなくなるとノートリアスは反発したらしいのだが――――彼はいつまでこの学園に居るのだろうか。
武勇伝のように語る彼の顔を思い出しながら、少年は今更にそう思った。
「いや、あの人たちも大概ですよ」
そしてアナタも。そう付け足したい衝動に駆られながら、また言っても彼なら笑い飛ばしてくれるだろうと思いながらも結局は口に出来ずに、彼の返答を脳で処理した。
「うむ、しかしそう悪く言わないで置くのが良いでござろう。先輩方もただ個性が強いだけに候。あれでも各学園の風紀委員――――同業者には、割合に人望を持っているのでござる。最も、その分、とりわけノートリアス先輩は、学園内での評判はあまり良くは無いらしいのでござるが」
「有名なんですか?」
しかしクラスでは名前が挙がったのを聞いたことがない。そもそも風紀委員の話題が出た事すらないので、ふと疑問に思った。
「うむ、悪い意味で」
だったら僕もそうなのだろうか。しかし、模擬格闘の授業ではちゃんと相手を組んでくれる人はいるし、挨拶をし、世間話をする程度の友人はいる。この場合はどう判断したら良いのだろうか。
そう不安に駆られると、スロープは「しかし」と付け加えて一つ息継ぎをした。
「かといって嫌われている、という意味でもござらん。ただ近寄りがたいと言うわけで、それを証明するように友人もいるらしいでござる。中には驚く事に、恋心を抱く乙女も居るらしいでござるよ」
彼も彼なりに非道い口ぶりである。まるで最初から変人で友人なんてものはいない、といった前提で話をしているのだから。
だが少年もまた出会い頭からそう、ノートリアスの存在を捉えていたのでとやかく口を挟めない。
「へぇ。意外な一面、という奴ですか」
「ははっ、でもまぁ、人もそれぞれでござるから、そう詮索するのも良くないでござるよ? ショウ君」
「わ、わかってますよ」
少年は不意にそんな――――まともな事を言われて、その言葉で胸に突き刺された。普段ならば全てに気を回してどんな発言であろうと、脳内で作り出すオブラートに包んでから飲み込むのだが、突発的なこと過ぎて少年は思わずどもってしまった。
そんな少年にスロープはまた笑顔になって――――また不意に、その表情を引き締めて、声を細めた。
「ところで――――ヌシが見る限りでは、魔王は今どれほどまで成長しているか……、わかるでござるか?」
彼がそう尋ねる理由は、少年が以前魔王と間近で対峙した事実があるからである。最も少年は、そういう事があったから、貴重な体験だと言う事で半ば風紀委員にサンプルとして保護されている、と認識していた。
流石にそれを口にするのははばかられたので誰にも聞けずじまいだったが、結果的には皆ヘンな人であるものの、そう悪い人たちではないので心を許し始めている。
「魔王、ですか……」
そうして少年は考える。
魔王が魔王としてこの世界に君臨したのは、今から約二週間前のこと。そしてその数日前に、彼は魔王と対峙して――――友人が一方的に負けるのを、かつて勇者と時間を共にした英雄たちが無様に負けるのを前にしたのだ。
その頃の魔王はまだ、自分よりも歳が下らしい風貌をしていたのだが、北の空にその姿を見せ付けるように映し出したときには、既に身体は成体になっていた。
筋肉質の身体は屈強そうであり、そして身体に張り付くような鎧は完全補修されていた。肌は褐色であったが、恐らくそれが地なのだろう。
そして王都ロンハイドを占拠した――――魔王はそう言っていた。
だから恐らく其処に住む全ての住民を"喰った"のだろう。そうすれば、幾ら力のない人間たちだとは言え、数を喰えば一英雄よりも強大な力となってしまう。
それは酷く恐ろしい事実であり、信じがたい事であるのだが――――魔王がその力を手に入れるのは、当分先であろう。
肉を食えば、力を吸収すれば身体が成長する。魔力が膨らむ。彼の場合、それだけだ。
そして魔王の今までを書物で読み明かした限りでは、その力を喰らう『口』である暗黒物質は彼が復活した際、あるいは封印されてから手に入れたモノである。
それが純粋な特異能力ならば、孕む暗黒物質の容量は増えども今までのような能力には変わりがない。つまり、肉体が力を得てもそれの消化能力がより強くなるというわけではない。
能力は使用すれば経験をつんで強力となるが、肉体とは別。そう考えるのが一般的であるために。
そう楽観的に考えれば――――都市内全ての人間を食おうとも、流石に、一瞬にしてその力を得る事は出来ない。強くなるには時間が掛かる。
図らずとも時間が稼がれた、というわけだ。
が――――その時間は恐らく、勇者育成に費やされるのだろう。
勇者候補に選ばれたロランは強い。しかしそれは人として、一学生としてである。世界は広く、彼以上の実力者はごまんといる筈。ただの学生でいるだけならばそれで納得し満足する事も許されたであろうが、彼が勇者として――――候補生として選ばれたのならば、話は別である。
世界一になる必要がある。魔王を倒す実力を持たなければならないのだ。
しかし――――。
少年にはそう思考する中で唯一つの疑問があった。
それは、何故かつての勇者は、その実力がありながらも魔王をこの世から消し去らなかったのだろうか、という事である。
未来永劫封印。それが勇者の選んだ道であるが、失敗した。それは予想し得る事態ではないのか? 彼は身を犠牲にして封印を成功させたが、それならば自爆という形で魔王を巻き込めなかったのか?
それとも何か――――魔王を封印するという選択を選ばざるを得なかった状況だったのだろうか。
真実は闇の中とはこの事だろう。
魔王が封印されたという結果はどんな書物に記されているのだが、その過程を詳細に書きとめてある本は彼が探した限りでは存在していない。
勇者と魔王の一騎打ちであったためであろうか。だったらその状況で、今生き残っている、かつて勇者と共にしていたレイド=アローンやシャロンは何をしていたのだろうか。
疑問は募るばかりであり、推測は出れども答えを発掘する事は出来ずに居た。
「魔王、は――――」
考えて、分かりやすく意見をまとめ、そして大きく息を吸う。
シップ=スロープはいつにない真剣な表情で彼の言葉に耳を傾けていた。
「全盛期、程度でしょうか。それの前後でしょう。前回はそもそも強くなかった――――しかし油断し、或いは昂ぶった"彼ら"は判断を誤って、大怪我をした。だから成長自体は、そう目を見張る事は無いでしょう。最も、このまま行けば敵なし……正に無敵で、魔王無双が実現してしまいますが」
そう、成長性はさほど無いのだ。ただ力を得る場所、人間を喰らう事が出来る『餌場』さえあれば彼は無限に――――否、有限、生命体がある限り、全生物の力を凝縮した分までは成長できるだろう。
腐っても魔王。その容量や潜在能力は果てしない。だからそれが実現し得るのだ。
「……我等人間に、勝ち目があるのだろうか」
可能性は酷く薄い。しかし"ただ"の人間に勝ち目が無くとも、亜種族――――人狼や竜人、エルフや鬼子、猿人、半妖、そんな彼らがいる。或いは――――『魔族』が居る。
それに最近、今まで見かけなかった魔物が現れているらしい。これは何かの予兆と捕らえてもいい現象であり――――今現存する魔王が、何かしら影響を与えている。そう考えて良い事である。
即ち、人類に良くも悪くも関わる大きな事が近々起こるのだろう。
「勝ち目は無いでしょう」
不安がって視線を落とすスロープに、少年は冷酷に、恐らく事実となるであろう言葉を投げつけて、大きく息を吸った。
「ですが、負けるとも限りません」
少なくとも希望がある。彼はそう意味ありげに頬の肉を吊り上げてから、まるで幼稚な『都市伝説』について語り始めた。




