2 ――候補生――
――――怒轟が鳴り響いた。
其処は帝国ズブレイドの外、魔物が溢れんばかりに生息する平野であった。
――――凄まじい衝撃に大地が激震した。
その地面こそが"彼等"を支える唯一の足場であるために、その場に居る者は皆揺れに対応しきれずに、在る者は跪き、在る者は尻で大地を叩いていた。
地面には巨大な穴。クレーターと称しても問題が無いような陥没地は、その中心に居る男の拳による打撃によって作られた。彼の拳は自身より遥かに巨大な――――足が糸の様に細く中心部に眼球が無数につく蜘蛛の様な魔物を捉え、叩き潰したのだった。
男――――ローラン・ハーヴェストはコメカミに浮かび上がる血管がはちきれそうな程血流を激しく行き渡らせ、肘辺りまでを覆う手甲を、その奇妙な魔物から引き剥がした。
緑色の液体が音を立てる。拳から汚らしい粘膜が糸を引き、その下には見るも無残な眼球の残骸が原形無く土と化していた。
――――少年に別れを告げた後、彼はそのまま帝国へと連れて行かれる。そして促されるままに玉座の間へと行くと、其処には男女、複数の人間が、それぞれ自由な格好で、自由な武器を背負い、あるいは装着し、彼を、あるいは皇帝が言葉を発するのを待っていた。
レイド=アローン曰く、彼等は"勇者候補"なのだと云う。
そしてそのあくる日、実力を確かめるために実戦を要求されて――――。
「ふむ。ローラン・ハーヴェスト、お主は良く自分の出来る事を理解して、それを行動に移せている。だが無鉄砲になりやすい。勇気と蛮勇は違う事を理解して於くように」
初老を迎えた管理職らしい男は、ボード上の紙に何かを記入しながら簡単な感想と注意点を述べて、彼が、候補生の下へと引いて行くのを見ながら、その後を追うようにして、彼等の前へと移動した。
ロランは自分より一○以上も年上らしい男の羨望にも似た尊敬の眼差しに気付かぬ振りをして、一同の一番後ろに立ち、手甲を外して地面に鈍い音を立てて落とした。
そうして彼は周囲からの、あらゆる意味での注目を受けつつも、やはりソレを知らん振りをして、ただ静かに、手甲を一纏めにし、手に提げながら男の話に耳を傾けた。
「君たち六名の実力は概ね理解した。君たちは個別に、あるいは数人の集団か、組で更に訓練を積む事になる。一ヶ月、それをこなし、皇帝殿に認められた者のみが魔王の許へ出陣できるわけだが――――その組み合わせは、明日知らせる。今日はゆっくりと休むが良い」
辺りは、犬の形をする小型魔物が無数に倒れていたり、あるいは空を飛べぬ竜のなり損ないのような大きな魔物が首を切断されていたりと、妙に凄惨な光景であった。
そして魔法によって地面が焦げたり凍っていたり、砂と化したりしているのだが――――その中でも一番の注目を引いたのは、やはりロランの大穴である。
さらに彼が皆の視線を集めるのは、ただそんな桁違いの力を持つためではない。それに到るまでの、華麗な足捌きや無駄の無い動きなどが、正等に評価された為でもある。
本来ならば――――ショウやアカツキに、やりすぎだと、初めて見る筈のこの力を見ても冷静に、行き過ぎと注意してくれたはずであろう。
しかし今は、ただ暴力が起こした結果だけを評価された。限界は無く、恐らく帝国を破壊せんとする打撃を繰り出しても、一言「すごいなぁ」と言われて終えるだろう。
あまりの環境の変化にロランの頭はどうかなりそうだった。このまま訓練とやらをサボって、あるいは手を抜いて魔王へ挑む権利を掴めない程度の実力で一ヶ月を過ごそうか、そうとすら考えた。
彼等が初めて揃ったときの事である。そうロランが考えるのは、その際の皇帝の言葉に、少なからず影響を受けたためであった。
――貴様等は人類の命、この世に存在する全ての生き物を強制的に背負わされた、と思っているんじゃあないか? もしそうなら、私は違うと断言しよう。貴様等には可能性がある。だから我等人類を助けてもらいたいと考えたのだ。貴様等に拒否権は無い。だが、この状況では逃げても仕方が無いと考えている。
――貴様等は命を背負わされたのでも、押し付けられたのでもない。ただ握っているだけだ。だから、貴様等は逃げる事でソレを握りつぶす事も可能となる。
――貴様等がここへ来て、勇者候補だと告げられる事までは強制だが、それ以降は飽くまで自由とする。逃げても非難はしない。だから貴様等の両親等、保護者やそれ以外の身内には何も告げなかった。
――だが少なくとも、貴様等には世界を救う可能性がある。それだけは心に留めて置いて貰いたい。
まだこの世界に産み堕とされて二十年も経たぬ若者ばかりが、世界を救える可能性を持つ? たかが若造が。ありえない話である。
ロランは吐き捨てた。
ただ素質がある。それだけだ。
ただ勇気がある。蛮勇でも義勇でも構わないそうだ。
ただ可能性がある。それが抽象概念であることすら、皆忘れている。
若者はいずれ未来を背負うが、しかしソレは、若者が若者たる年齢を過ぎた時の話である。世界を支える者たちは若者に希望を持つが、今すぐに世代を交代してくれと懇願するわけではない。
だというのに、何故――――。
「――――なぁ、聞いてる?」
不意に肩を激しく揺さぶられ、ロランの思考は深淵に落ちた。今一瞬、何を考えていたのか失念し、意識を内から外へと引き出した男の問いを、彼は理解できずに首を振る。
「……、いや」
彼は、だろうな、と肩をすくめて息を吐いた。
気がつくと、候補生が皆ロランに視線を流して、横一列に並んで、一体となって都市へと歩んでいた。
てっきり、さっさと瞬間移動で城へと戻っているかと思っていたのだが、どうやら注目を引きすぎた所為で皆興味津々らしい。
自分の事を話す以前に、人との係わり合いがそう得意ではないロランにとっては苦痛そのものであるその視線は、矢の如く胸に突き刺さった。
「いや、親交を深めるために、どっかで遊ぼうぜって話だよ」
最年長らしき男が話の流れを簡潔に告げた。彼は背に斧を背負い、肩までの長い髪を持つ好青年風の男で、涼しげな目元が特徴的だった。
そして、その隣、彼の長身に隠れているような――――勇者候補に選ばれたとは到底思えない少女はうんうんと元気良く頷いた。
長い白髪頭の目立つ、大きな瞳をした彼女はどこか小動物チックで、腰に下げる剣は単なる飾りにも思えた。
「あぁ、そう……ですか」
ロランは男に反応するが、その薄さに彼は苦笑を呈してしまう。
「それで、ハーヴェストはどうかなってよ。皆は行くって言ってるけど」
皆遊んだ後は、その境遇やらこれからの事などを話題に出して、悲劇が出れば傷を舐め、喜劇が出れば場を和ますように笑うのだろう。思い浮かべれば想像するほど、その様は酷く滑稽だった。
だがその間抜けさこそが、この張り詰めた生活の中で必要不可欠なのだろう。逃げなければ全てを強制される日々である。息を抜かなければ肉体的にも精神的にも、廃人コースまっしぐらである。
ここで断れば、所謂"空気の読めない奴"と認定されてしまうのだろう。
だが、どうせならそう決め付けられて妙な気を使わないほうが気が楽なのかもしれない。
ショウと居たときのような、あの適当で気を使わない空間を、この場に居る誰かが作り出せるとは到底思えないのだ。
だとしたら、今の自分にとってはやはりその息抜きすらも苦痛にしか代わらない。
「いや、悪いけど……」
日差しが妙に突き刺さった。痛みは決してないのだが、何か――――謂れの無い罪を責められている気がして、酷く悪い、申し訳ないような気分がした。
「えっ。行きましょうよ、行って見なきゃわかりませんって」
自分よりも年上であろう女性は、そう声を発する事によってロランに認識された。
彼女はロランの隣に居て、その元気溢れるような雰囲気を纏う女性であった。深い藍色の短髪は冷静さを魅せるが、それでも年齢相応な元気を持ち合わせているらしい。
スカートがはらりと、歩く度に捲れる。そこからは無数のナイフが太腿に巻きつけられていて、妙な色気を魅せている。
次いで左端、藍色の髪の乙女の隣に居る、漆黒の大剣を背負う男は静かに、
「対人が苦手である人間にその強要は苦と言うものだ。察しろ阿呆共」
妙に嫌味に聞こえる言い方であるが、ロランにとっては救いに近い。
だから彼は頷きかけたのだが、ソレはロランの隣、肩を揺さぶった少年によって遮られてしまう。
「なんかトゲのある言い方じゃねぇ? もっと丸い言い方とかあるじゃん」
前髪が目にかかるほどの長さを持つ彼は、なにやらロランを護ろうとする様な発言をする。だからロランは、仲良くするために対立するのは本末転倒という奴じゃないのか? そう思うのだが、やはり口に出来ず俯いた。
「間抜け共には直接言わないとわからんだろう? それと、俺はそのくだらない集まりに、了解した覚えは無い」
「んっだと、てめぇ……、ちょっとばかし実力があるからって粋がんなよコラ」
「ちょっと、止めなさい貴方達」
「そうだそうだ」
外野は既に観戦状態となり、大剣の男と、武器が見当たらない男は前へ出て、以下は皆足を止めた。
なんて協調性の無い奴等だ。先ほどの、妙に気分の悪い一体感は何処へ行ったのだろうか。
藍色の髪の少女と白髪の少女は移動し隣接し、そして長身で最年長の男は、これが若さだな、と得意げに言ってロランの隣へと移動した。
「止めないんですか」
「さぁ? でもたまにはこんな事もいいんじゃねぇの? って話だよ」
「たまにって、出会い頭同然じゃねーかっ」
「面白い話だよ」
いやつまんねぇ。というか、意味がイマイチ……。
ロランが肩を落とす一方で、大剣が背から離れてすかさず、大きく振り落とされて――――地面を砕く。
一寸した振動があたりに響き鈍い音が砂煙を立てた。
同時に、手ぶらの男は手を差し向けて、
「火花」
そう口にした瞬間、言い終えるとほぼ同時に大剣を振り下ろした姿勢のままである男の眼前で、強い火花が弾けた。まるで癇癪玉でも破裂させたような甲高い音が響いて――――。
「戦い方は、俺のが上って事で良いかい?」
男が怯む隙を狙って彼は肉薄し、中腰で半ば倒れかけているような体勢の男の首筋を掴んで、彼はいった。
大剣の男はやれやれと体勢を取り戻し、そして彼と対面するなり、鼻で笑い、そして――――その場から、一瞬にして姿を消した。
同時に、ロランはなるほどと納得する。
恐らく、大剣の男が大人な態度で、一旦出てしまった手前どちらかが負けるまで事態は引っ込まないと理解した上で、わざと負けてやったのだろう。
しかし納得しきれないので、最後に思いっきり相手を馬鹿にするような態度で逃げたわけだ。
「全く、ヒヤヒヤしたわ」
藍色の彼女はそう言うが、果たして彼女は気付いているのだろうか。
「そうだそうだ」
延々と繰り返す白髪の少女は恐らく、何故戦闘に発展したかすら理解できていなさそうにも感じる。
「まぁなんでもいいが、俺たちも帰ろうぜ」
そしてこの最年長らしい男も気付いているのだろう。いや、全てを理解できていたのだろう。最初から。だからこそのあの態度だ。
俺としては、この男が勇者に一番近い。そう考えて、再び歩みを城へと向けた。




