ACT4.『多忙と閑暇』
世界は冷酷な支配に包まれようとしていた。
それに相対する思想を孕み実行する人間が生まれた国は既に消え、人類の希望は失墜した。
人類はただ何事も無い様に暮らしてきた今までが、一体何のための人生だったのかもわからずに、だが疑問など知らぬ、という振りをして、これからも時間を刻み続けていた。
単純に、実感が湧かないのだ。
夢だとか、冗談だとか言うわけではない。突然すぎて訳が分からないのだ。前振りもなくただ不意に、『私が魔王だ世界を支配する』、だなどと言われても、それを言葉として認識する事が出来ようとも、意味がわからない。理解できない。
「――――何故我々は、未だ待機命令を……?」
黒き肌を持つ――――魔族らは、玉座の間にてそう口を開いて様子を伺った。
――――王都ロンハイドは闇に包まれていた。
その中に人間は居らず。ただその城の玉座に魔王が腰を掛け、募り集まった魔族計八体が暇を持て余していただけである。
呼ばれ、遂に蘇ったかと喜びを胸いっぱいに溢れ返させて来て見るが、かつてのような勢いが失せた、以前と同じ姿の魔王に気力をそがれるばかりであった。
何故これほどまで慎重に出る? この国を単体で攻め倒した勢いは何処へ行ったのだ? 今回のように、街に傷一つつけないスマートさで作戦を実行すれば良いのではないか?
どれほど思考を巡らせても単独行動ではないが為に、その考え自体が無駄になる。彼等が本領を発揮するのは、自身が妄信する誰かの命令があったときだけなのだ。
何も考えずに与えられた身体で、力で、能力で、全てをなぎ倒す。横暴に、雑に、だが入念に、鼠一匹逃す余地も与えないほどに。
だから彼等は、そう口にした後押し黙った。
闇に包まれる室内であるが、彼等にとってはそれが本来の住処であるために、人で言えば電灯が点いているように辺りが認識できていた。
「……私の力が不完全だから、と答えれば納得を貰えるか?」
魔王は口元を歪めて静かに言った。彼はそれだけで気圧されて、恐れ多いと首を振って跪く。
「し、しかし、その御姿は、以前の魔王様と何ら変わらぬ……いえ、その魔力、力は圧倒的に、以前を凌駕しておりますが……」
「人は大量に食物を摂取すると消化しきれずに消化不良というモノを起こすらしいな」
「は、はぁ……」
突然何を言い出すのだろうか。
この事と言い、魔王様は何か変わってしまったのかもしれない。最近、何かと人でモノを例えるし、そして何かと――――人を尊ぶる発言を聞く。
「今の私がそれだ。排出する事は無いが、一気に全てを力に還元する事は無理らしい」
以前魔王は、実験体として二体の――――侵食系、あるいは吸収系の能力を持つ魔族を作り出した。
一体は"テンメイ"であり、彼は生きた人間の頭を丸齧りすることによって、その人間の持っていた力や魔法、知能や記憶を全て吸収する事が出来、また要らぬものを任意で消す事が出来た。
そしてもう一体が"ショウメイ"と呼ばれる、女性形態の魔族。彼女は『毒』を持ち、それを人間の体内に流し込む事によって強制的に肉体を魔族へ進化させ、また毒に自分の情報を溶かしいれる事によって、自分の意識を持つ別個体を作り出す事が出来た。
――――生き残りを見る限りでは、後者のショウメイは既にこの世界から消えているのだろう。
魔王はそう判断して、やはりテンメイの能力が、進化を目的とするならば良いのだろうと認識した。
しかし、現在の力でも十分に世界侵略に乗り出せることは事実である。ロンハイドでさえ大した実力者を置かぬ程平和惚けしているのだ。
帝国ズブレイドならばまだマシかもしれないが、油断せずに一気に攻め込めばそう難しい事はないだろう。
腕をなくしたレイドは戦力半減であるし、シャロンはもしかすると死んでいるかもしれない。
魔族は残っているのが、この八体を除いてテンメイだけであろうし……。
障害というべき障害は殆ど無い。だが、レイドの両腕、シャロンの下半身を喰っただけでは現在の状況が把握しきれないのが、心残りであった。
喰えばその者の記憶を同時に吸収できる。この影はテンメイの能力と半ば同じで、ただ自立・融合型能力という特異な形態であるだけである。
彼等の部位を喰らう事でここ数年の記憶を読み取れども、魔王が封印されてからのことまでは読めなかった。
勇者の家系は一体どうなったのだろうか。伏兵としてどこかに居るのではないだろうか。
廃れたか? だとすれば、今正にレイドは焦って新たな勇者を探している頃だろうが――――もしそうならば、人類に未来は無い。
勇者が勇者たらしめ魔王を滅ぼす事が出来たのは、彼等が持つ聖なる雷の魔法故である。
習得レベルが非常に高い高位魔法であるらしいが、頑張れば誰でも使える雷系魔法。
だが勇者が使う魔法は何かが異なった。
全てを浄化する光。
闇を消し去る瞬き。
罪を断罪する意思。
その全てが、一筋の稲妻に籠っていたような気もする。聖なる魔力によって紡がれる倭皇国の魔術にどこか似ているような気がした。
勇者の家系は、それが受け継がれていたのだが――――今、恐らくレイドが探しているであろう勇者は勇者に非ず。
それは単なる"強き者"であり、どれほど魔王を追い詰める事が出来る力を孕もうとも、この世界から消滅させる事は出来ない。
かつて彼が対峙した勇者は、情が深すぎた故に殺さず封印と云う形で魔王をこの世から一旦消したが、それがそもそもの間違いだった。
魔王の力は浄化されず、故に弱まる事が無い。ソレに対して勇者の封印は時が経つにつれて弱くなり――――その結果が今この瞬間をである。
あの異質な雷さえなければ恐るるに足らず。
彼はそれでも、懲りずに人間を舐めくさるのは良くないと、慎重になっていた。
「暇か?」
不意に魔王が問うた。
言葉を返していた魔族は突然の質問に肩を弾ませてから、恥ずかしさを紛らわすために軽く咳払いをして、
「いえ、魔王様の許に居るだけで十分にございます」
「そうか。手始めに貿易の中心である『ハクシジーキル』を攻め落として人間の出方を見ようと思ったのだが……。そうならば良い、忘れてくれ」
「えっ……、あ、いやその……、魔王様のご命令とあらば、容赦なく行かせて貰いますが……」
「……そうか」
他の魔族は自由に立って壁を背にしたり、奇妙なことに逆立ちを継続したり、座禅を組んだりしているのにもかかわらず、受け答えをしている彼だけは片膝を付き、床に拳を突きたてて頭を下げていた。
魔王は忠義な事だと思いながら簡単な返事を聞かせて、言葉を止めた。
その行為に特に意味はない。ただちょっとした悪戯心である。
辺りが無音になり、やがて耳鳴りに似る音が響いた。静かな呼吸音も僅かに耳へと届き、激しくなりつつある忠義な部下の鼓動音が、魔王には手に取るように分かって――――。
「だったら行け。ただ今回は殲滅ではなく、船を全て打ち壊すだけだ」
「はッ!」
彼は嬉しそうな声で頷いて、立ち上がり、そうして足早にそこを後にした。
魔王はやれやれだと首を振って息を吐くと、その直後に、まるで彼の後を追うようにして玉座の間を出て行こうと背を向ける魔族があって、
「貴様、どこへ行く」
魔王が聞いた。すると彼は、なんでもないように、目もくれずにただ一言、
「俺は暇なんで、散歩に」
ただそれだけを言って、マイペースな足取りで玉座の間から消えうせた。
魔王はまた――――大きく息を吐いてから、辺りを見渡した。
今日も平和だ。
そう一日の感想を心の中で呟くと、彼は肘掛に肘を置いて頬杖を付き、暫しの間瞼を落とした。




