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5 ――放課後――

 騒ぎはしないものの、授業中、休み時間、昼休みに様子を伺いに来た風紀委員諸君は、決して一同で来る事は無く、ペアで来たとしても侍口調のシップ=スロープと変態のヤマモトロクロクの二人だけであった。


 トイレへ向かう途中で、廊下の端へ慌てて退いて行くオレンジ頭を見た際には、唯一の救済者かと思われた人物も所詮……、と幻滅したものだが、壁の染みと化していた少年少女が中庭の木陰から双眼鏡を片手に、少年が窓際に来るのを待っていた光景を見ると、何故だか微笑ましくなってしまった。


 その諜報員の役割を持つ彼等のネクタイとリボンは青色――つまり二年生――で、制服は紺だったのだが、まさか風紀委員はその制服の色だけで諜報員の席を与えたのではないかと、思わずそんな短絡的嗜好で全てを決定したのかと、不安に駆られてしまう。


 それは無いだろう――――少年は自分に言い聞かせて、


「ショウ君、私は生徒会の仕事で行かなくちゃだけど、途中まで一緒に行く?」


「あぁ、ごめん。今日はロランのお見舞いに行こうと思ってるから、委員会には顔を出さずに帰るつもりなんだよ」


「そう、残念ね。でも何かあったら何でも言ってね。幾ら上級生でも、生徒会の権力の方が上だから。それじゃまた明日」


「ありがとう。じゃ」


 彼女はそういって廊下を真っ直ぐ進み、移動用魔法陣が設置されている部屋へ。


 少年は向かう場所が違う故に、階段をくだった。彼女はスズ・スターが捨て際に暴露した少年のあだ名が気に入ったらしく、ソレを口にしていた事だけは解せないと、心の中で呟いて。


 ――――移動用魔法陣の使用レベルは一五らしい。明確な設定は一年生には知らされていないが、一年でも何人か利用している者がいて、さらにシズクと、ロラン以外は皆レベル二○以下なのだから、それが妥当というものだろう。


 ――――時は放課後。少年は先ほどアカツキ・シズクに伝えたとおり、病院へ向かおうと昇降口へと向かっていた。


 病院の場所は、休み時間にレイドにメールで尋ねた際、謝罪の言葉を添えられて知らされたのだ。


 後は学校を出て、魔王に襲われた付近に青果店があったからそこで何か果物を買って……、いや、やはりお見舞いの品は暇を潰せる物が良いだろうか。だとしたら、学生を標的にしているその商店通りに本屋があるから……。


 少年はそう考えながら、一定のリズムで段を降りて、やがて二階部分。三年生のクラスが羅列している階まで降りた。


 しかしやはり、緑髪の男――――ノートリアスが言った通り、一年以外は本当に休みらしく、降り階段に割り込んでくる上級生の影も無い。少年は安心し、穏やかな気持ちでまた一階、四年生が占め、また昇降口の在る階へと向かうために、踊り場部分から再び足を向かわせると――――不意に迫った気配が、肩を二度、力強く叩いて、握った。


 ――――他のクラスは平均七つだというのに、四年生に限りその数は四つである。それでも約一六○人もいるのだから多いと判断しても良いだろう。


 なにせ全七学科あるこの学園である。他の学科、例えば制服の赤い”普通学科”は全学年平均で四クラス。一クラスには三○人程度で、誤差を考えず簡単に計算すれば四八○人。


 これが大体の平均であると言っても良いのだが、少年が所属する”冒険科”の全学年人数は約一○○○人。幾ら夢見る少年少女が多いと言っても、流石に夢を見すぎではないだろうか。


 四年生のクラスが少ない――それでも平均的な――理由は、三年掛けて幻想ゆめから目醒めた結果といってもそう違わないだろう――――。


 などと、少年は半ば現実から意識を離して思考をキリが良い所で終わらして気がつくと、無意識は勝手に身体を突き動かし、振り向かせていた。


 これが反射神経か、などとまたもやこの状況にてふさわしくないどうでも良い事に思考がぶれている中、立派に前方へと突き出るような髪型の――――こげ茶色の制服を着る男は、少年の手を掴んで無言のまま廊下の奥へと連れ込んだ。


 黙って背を向け、手を引く彼は、場面と状況と、少年の性別さえ違えば酷くロマンチックで男気溢れる行動に見えなくも無かったのだが、少年は流石にそんな巫山戯ふざけた事を考える余裕は無く――――訳の分からぬ状況に陥った際に決まりきって抑えられなくなる”不安”を肌に感じて心臓を高鳴らせていた。


 ぱっと一瞬眼に入ったネクタイの色は赤かった。それは同級生を意味していて、またこげ茶色のブレザーは――――建築と建築設計を統合した、建築・設計科。略して建設科であった。


 一年生だから学校に登校しているのは分かるが――――なぜ彼がここ――冒険科の棟――にいて、さらに何故ピンポイントで僕を捕らえたのだろうか。いや、恐らく無差別なのだろうが、なぜ最近あまりよい事がない僕を……。いや、それは考えすぎだろう。ただ悪い事が重なっているだけで、冷静に判断すればそんな事は良くあるのだ。


 だからといって、少年のような境遇は流石に良くはないし、あっても困る。少年は僅かに錯乱しながら――――やがて完全に人気のない、廊下の奥、移動用魔法陣が設置されている部屋に少年を連れ込まれたのだった。


 ドアがバタンと音を立てて閉まり、その中に放りこまれた少年は肩をびくりと弾ませて――――。


「お前ら風紀委員あほ共は休みでも仕事熱心らしいな。休みだから色々な所に廻って来やがる……」


 同年代の男は顔を俯かせ肩を震わせながら、腰を抜かし地にへたる少年を見下した。


 何をすべきか、何を言うべきか分からぬ少年はただただ彼の行動を警戒しながら見守り――――そういえば、この魔法陣はそれぞれ行き先が違うんだよな、と、またもや場違いを脳裏に過ぎらせた。


「高々煙草の一本で、俺は一ヶ月停学よ……。あぁ、そりゃ学校にはあんま乗り気じゃなかったし、ここに寄越されたのも半ば強制的。受かったのも奇跡って位、両親は喜んでたが、俺はいやだった。だから授業やらも全部適当に受けてきたが――――停学や、サボりみたいな、内申に傷を付ける事をしないよう、気をつけてきたんだ」


 なるほど。


 少年はそれだけで彼の言わんとしてる内なる怒りを把握できた。最も、”それだけ”と言っても理由全てを独白しているのだが。


 ――――驚く事に、あの巡回は暇だから少年にちょっかいを出していたのではなく、散策ついでに少年の許に赴いて騒いでいただけなのだ。


 そして、休みでも風紀委員は居るぞと、辺りに知らせる役割もそれで果たしていた。


 ただの馬鹿な人たちではなかったようである。少年はいささか彼等を見直した後、それはそうと、何故僕が風紀委員だと、名も顔も知らぬ彼に知られているのだろうかと、疑問が浮上した。


「だが、あの緑頭野郎グリーンピースが狡猾に、まるで最初から俺がそうするように見張っていたんだ。勿論、気づかれないように……。だが奴にやり返すには力がなさ過ぎる。だからお前を選んだんだよ!」


 その台詞だけでは、どこまで自分の存在が知られているのか分からなかった。名前か、顔か? 風紀委員に所属している事だけだろうか。わからない。


 一方的に知られている、という事がコレほどまで恐ろしい事だとは思わなかった。


 少年は、怒りを露に拳を振り上げる男に対し、冷静に構え、右手を前に、左手を拳に変えて、拳を腰元に携えて――――次の瞬間。


 一瞬にして肉薄した男の拳は、少年の反射神経を上回る速度で飛来し、無防備なその顔面を殴り飛ばす。


 強い衝撃が脳に響いて、凄まじい衝撃に顔が勢い良く背後へ飛び、身体がつられて、足は床を手放した。


 身体は宙を滑空し、そう広くも無い部屋の奥、固い人造石の壁へ到達し、べちんと叩きつけられたカエルのように四肢を広げて少年は壁に叩きつけられた。


 轟音が室内に鳴り響く。


 痛みが全身に広がった。浸透する衝撃は脳を激しく揺さぶって、叩きつけられた衝撃に麻痺した身体は動かず、やがてひりひりとした痛みを覚えた。


「俺は強い奴より、弱い奴と戦ってるほうがワクワクするんだ」


 こんな人間でも、ある程度の知能さえあれば学園へ入れるというのだから、この学園の、エリート校という評定は黒く塗りつぶすべきであろう。


 いや、それは差別だろうか――――だとしても、関係ないか。


 少年はほっと息を付くと、痛みに喚く身体に鞭打ち、迫る男に対して、苦しい息を漏らしつつも立ち上がる。


「ほォ、立ち上がるのか。結構、俺、戦闘実技は成績良いんだけどな」


「……いやあ、座っているのも失礼ですしね。短絡思考な御馬鹿様には無礼がないよう気をつけなくてはいけませんから」


 模擬戦闘の授業の成績は良い。


 それは確かにそうらしい。


 その証拠に、少年の足は情けなく、生まれたての子馬の様にガクガクと震えていた。


 そうして少年が口を開くと同時に――――下方向から迫る拳が、少年の顎を突き上げる。


 下あごは鋭く上あごへと叩きあがり、勢いよく噛み合わせられた音は、打撃音に混ざって響く。脳内は幾度も、虚しい空気の咀嚼音を繰り返した。


 口の中に錆びた鉄の味が広がった。少年は一、二歩怯みながら下がって、そうして直ぐ近くの壁に背を預ける羽目となる。


 乱れる呼吸に雑じって垂れる唾液は赤く染まり、唇は血液のあかさに色づいた。


「野郎共は放課後だからって帰ったろうよ。そしてお前は一人ぼっち。一人で帰るところを見るにお前にゃ友達は居ないみたいだし、そいつぁ俺にとって丁度良いのよ」


 頭がぐらぐらとして、視界が常に回転する。定まらない視界に混乱する脳は、規定とされている景色の見方のと、現に見ている廻る景色との相違に対応できずに、忙しなく動いて働き、少年は吐き気を催した。


 体中の痛みはより強くなって、動きはより鈍くなる。


 世界から見捨てられたような孤独感に包まれる少年はただ男の言葉を聞いて――――。


「君もここに独りで居るところを見るに、友達が居なさそうだけどね」


「俺ぁ一匹狼なんだよッ!」


 目の前から拳が降り注ぐ。


 拳は顔面ではなく、今度は腹部を狙い、そうして避ける体力もない少年はそれを受けざるを得ず、即座に拳が肉を叩き、内臓を間接的に殴り抜けるのを生々しく感じていた。


 鈍い弾丸は身体を貫く事は無く、腹に鋭い痛みだけを残して行く。胃で消化されているおにぎりは原形をとどめない姿のまま、来た道を戻りかけて――――少年はそれを飲み下しながら口を開いた。


「格好良い言葉だね。それじゃ僕も、それで」


「野郎……ッ!」


 遂には激昂しすぎて脳の活動がテンプレートになってしまったように、彼は再び拳を振り上げ、腹を殴った。


 少年は息を呑んで痛みを堪えて、力の抜ける足を奮い立たせた。


 少年には最早”勝つ”だの”逃れる”だのの意思は無く、ただ堪えていた。


「減らず愚痴がッ!」


 ――――そうして、意識する。


 拳が放たれる予備動作を。その軌道を。速度を。威力の低下具合、速度の落ち具合を。


 それは少年が、同じ箇所に八発、強い衝撃を受け終えた際に、全てを理解し――――。


「いい加減ッ! 倒れろよォッ!」


 また腹部に降り注ぐであろう九発目の拳が飛来する瞬間、少年の足はよろけて、身体は地面に沈んで行き――――止まる事の無い男の拳に手を添えて軌道を逸らし、腹の横でその腕を抱えた。


 同時に、よろけた右足は全体重をかけた蹴りを放ち、腕を持っていかれる動作に浮つく足元を、男は強く蹴飛ばされて、彼は僅かな間、床を後にした。


 少年は空いた右手で男の胸倉を掴み上げ、身体を反転させるように、男に覆いかぶさるような姿勢に身体を持ち直して――――やがて、その男の全身を、床に叩きつけることに成功する。


 胸に右拳を突き刺して、浮きっぱなしだった右足の膝を鳩尾に叩き込んで少年は崩れたバランスを整えた。


 男は大きくむせ返って――――。


「言われた通りに倒れたけど、次はどうすれば良いかな」


 口の端から血を垂らし、今にも閉じそうな瞳を薄く開けて――――今にも男を食い殺してしまうような、不穏な笑顔を男に向けた。


 彼はただそれだけで恐怖する。最も――――恐怖した理由には、倒れず、倒れても立ち上がる少年の姿が作用していたのだが、彼はソレに気づく余裕も、勘付く鋭さも持ち合わせては居なかった。


 そうした瞬間――――不意に、背にする扉はがちゃりと音を立てて、錆びた音と共に開いていって……。


「きゃっ」


 オレンジ頭の少女は、やる気がなさげに悲鳴を上げた。


「お、どうしたどうした」


 次いで、紺のブレザーを着る男は野次馬っぽくその部屋の中に押し入って、


「なんでござろうか」


 その言葉に返答するように、侍口調は後を追った。


「なにやら血生臭いな……」


 吐き捨てるように極力低く発音する少女は軽快に、太腿から拳銃を抜き、


「おっ、ショウ。大丈夫かい」


 最後にわざとらしく――――緑頭野郎グリーンピースと呼ばれた男は部屋に入場し、全員が収まりきった事を確認してから、静かに扉を閉めた。


 少年は振り返り、腫れ上がる顔で――――カラフルなブレザーに、カラフルな頭をする、何か特撮モノの撮影かと見間違う彼等を見て、一つ大きな溜息をついた。


 彼等――――風紀委員の主要メンバーは皆、少年の健闘を覗き見ていたのだ。いや、下手をすればこの男も仕込かもしれない。彼等ならばやりかねないのだ。


 もしかすると、これも入会試験の一つかもしれない。なんだかんだであの筆記テストも必要事項で、あたかも蛇足の様に扱っていたが、あれは緑頭――――ノートリアスが回答中にその答えを見ていたから、過程の中で結果が見えてしまったから、答えを書き終えたテスト用紙がいらなくなっただけなのだ。


 後を付けていた事は理解していたので、いつか助けに来てくれるだろうとは思っていたが――――まさか、魔法陣からではなく、普通に入場するとは。


 これだから、彼等は信用に値しない。例えどれほど優しくされても、だが――――どうやら今回は、話が違うらしい。


 ノートリアスは床を鳴らしながら少年へと歩み寄って、彼は手を差し伸べた。


「酷い怪我だ。だが、その実力レベルでは良く持ちこたえた方だ。単なる数値で計算していれば、君は二発目でノックダウンしていた事だろうね」


 男は、彼等の圧倒的威圧に身動き一つとることが出来ず、少年はそこから立ち上がり、彼を横目に見ながら一同の許へと退いていった。


 そう背を向けて歩む中、ノートリアスは高らかに声を上げる。その口調はいつもの、講釈じみていた。


「君、確か学校の成績やら内申に、傷が付くのが嫌だって言ってたね。なら分かった。煙草くらいで高々一ヶ月の停学は流石に酷いとボクは思い返してそう感じて、君には悪いことをしたと考えたよ。うん、そうだ。だから君は――――”退学”って事で。そうならいいよねぇ。だって少なくとも学校に出ていたという事実はあるし、だけど退学だから、煙草を吸って停学した、なんて悪い印象は付かないからさ。よかったね君。ボクが頭の回る人間で」


 しかし退学という事実が印象の悪化を促進させる。進路変更はあれど、退学なんてものは、殊学園都市に於いては稀な事象であるために。


 最も、ノートリアスに退学をさせるまでの権力は無いのだが、どちらにせよ、この事実を教員に知らせればその判断もいとわないだろう。


 男がただ呆然と、寝たままノートリアスを見上げていると、彼は残念そうな――――蜘蛛の巣に掛かった蝶を哀れむような目で見下ろして、背を向ける。


「彼は今から部外者だ」


 ノートリアスは、仲間達に満面の――――先ほどとは打って異なる、楽しそうな笑顔で、言葉を続けた。


「部外者には相応の天罰を」


 嬉しそうに銃を天井に掲げたスズ・スターの、引き金を絞った結果掻き鳴った発砲音が、憂さ晴らしに少年を私刑リンチにした男の、悪夢の始まりを告げた。


 結局――――何がなんだったのか分からぬまま、少年はオレンジ頭の少女、ユーリヤによる暖かく優しい治療を受けた。

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