魔物調教所の小さな所長さん ~魔物を手懐けて訓練するのが私のお仕事です!~
高い壁にぐるっと囲まれたとある街。
その外、城壁に沿うようにぽつんと一軒、石造りの大きな建物が立っている。
中は王城のホールにも匹敵するほど広く、そこには複数の人影と魔物の姿があった。
ここは魔物調教所。
人のために働かせることを目的に、捕獲した魔物を飼育・調教するための施設である。
世界を見渡しても、このような施設は他には存在しないだろう。
魔力を得た動物――すなわち魔物は、その知能の高さと狂暴さから手懐けることは不可能だとされているからだ。
そんな不可能を可能にした者がいた。
「所長ー! ちょっといいですかー?」
「はーい!」
所長と呼ばれた、この銀髪の可憐な少女がそうだ。
少女はとととっと走り出すと、隣にぴたりとくっつくように白い大きな狼も駆ける。
少女の名はルミア。
彼女は魔物の言葉を理解することができた。
半年前まで、ルミアは4年近くもの間、森で暮らしていた。
8歳の時に父を病で亡くし、一人きりになると、住んでいた村を追い出されてしまったからだ。
そんなルミアを支えたのが、フリジットウルフという氷の魔法を使う狼の魔物――ユキだった。
森に来てすぐの頃。
傷だらけで倒れていた彼女を見つけたルミアは、父から学んだ薬草の知識で治療を施した。
すると、すっかり懐いてくれて、他の魔物からルミアの身を守ったり、食料を取ってきてくれたりしてくれていた。
魔物との会話能力は、ユキとの生活の中で自然と身についた能力なのである。
そして半年と少し前。
散歩中、森の中で魔物に襲われていた男たちを見つけたルミアは、ユキにお願いして彼らを助けてもらい――その数日後。
ルミアとユキのもとに、領主の使いを名乗る者がやってきた。
彼は『魔物と話せるのは本当か?』『新たに魔物を手懐けることはできるか?』など、さまざまな質問をぶつけてきて、それに全て答えると、満足したように帰っていって。
一週間後に再び来たかと思えば、『魔物の調教師として働いてほしい』と頼まれた。
何でも魔物を手懐けることができれば、人々の暮らしがより良いものになるからとのこと。
それをルミアは引き受けた。
疲れているだろうに、ユキは毎日自分のためにご飯を持ってきてくれたり、見張りをしたりしてくれている。
そんなユキに楽をさせてあげたかったから。
こうしてルミアは魔物調教所の所長に任命され。
この半年で、実際に数体の魔物を手懐けては訓練を施し、要望に応えてみせた。
そして今日は新たな魔物が搬入されてくる日であった。
「――ルミア殿、スパークホースの収容、完了しました」
「あ、はい、お疲れ様です! では、みなさーん! あっちには入らないようにー!」
兵士からの報告を受け、ルミアはいつものように職員たちへ注意喚起。
長方形のこの施設には北側と南側に、それぞれ魔物が出入りするための巨大な門がある。
さらに空間を区切るように、大広間の中央にも設置されていた。
普段は門を開いて一部屋として使っているが、今は閉ざされており、ルミアたちは南側の部屋にいる。
あっちというのは、北側の部屋のことを言っているのだ。
『はーい!』と元気な返事を確認して、ルミアは満足そうに頷く。
ここで働く職員たちは元兵士で、領主が揃えてくれた。
皆、優しくいい人たちで、一回り近く歳が離れているが、ルミアのことを『子供だから』と軽んじることはなく。
また、ルミアも所長だからと威張るなんてことは全くなく、良い関係を築けていた。
ルミアは兵士たちを見送ると、北側の部屋に繋がる人間用の小さな扉へ。
そーっと扉を開き、隙間から中を覗く。
おがくずが敷かれた大きな檻の中で、角を生やした大きな黒い馬が横たわっていた。
スパークホース。
電撃の魔法を放つ、危険な魔物である。
今は麻酔が効いているようで、ぴくりとも動かない。
(クロ君……)
その姿に森にいた時、お友達になってくれた子を思い出す。
クロ君もまた、スパークホースだった。
蔦に絡まって動けなくなっていたところを助けたところ、心を許してくれたようで、時折自分たちの住処に顔を出しては、その背中に乗せてくれていた。
そんなクロ君は他の魔物に襲われ、もういない。
そして目の前のスパークホースも、自分が手懐けることができなければ、危機回避のために同じくこの世を去ることになる。
そうさせないために頑張るぞ。
あのスパークホースにクロ君を重ねたルミアは、自分に「よし!」と気合いを入れた。
「――わんっ!」
ルミアの隣に座るユキが、前に並ぶ職員たちに向かって吠えた。
それを受け、職員たちは「うーん」と唸る。
「『お肉』……じゃないよねぇ」
「『扉』かな?」
「『炎』、ではないか?」
「正解です!」
炎と答えた男性に向かって、ルミアは指を差す。
確かにユキは炎と言っていた。
魔力を持つ者が声を上げると、空気中の魔素がわずかに振動する。
その振動の違いによって、ルミアは魔物の言葉を解しており、それは魔物側も同じだった。
すなわち、その違いさえ理解できれば、誰でも魔物の言葉を理解できる。
何も魔物との会話能力は、ルミアだけの特殊能力という訳ではないのだ。
だからルミアは職員たちにも理解できるよう、空き時間にはこうして授業している。
現時点での職員たちの正答率は単語で5%程度。
まあ続けていれば、いずれは理解できるようになるだろう。
「じゃあ次――」
バンッ! ダダンッ! っと、騒がしい音がルミアの言葉を遮った。
音の出所は北側から。
「あ、起きましたね」
目覚めたスパークホースが暴れているのだろう。
起きたら知らないところにいるのだから、当然だ。
「じゃあ続きを――」
ルミアはなだめるでもなく、平然と授業を再開した。
まずはこの環境に慣れさせる必要があるからだ。
そのためには放っておくのが一番であった。
それから2日後の昼には、鳴り響いていた音がやんだ。
ルミアは次の段階として、部屋を仕切っている巨大門の扉を開く。
「ヒヒィーン!」
自分たちを視認した黒馬は、再び暴れ始めた。
檻に向かって突進したり、その場で地団駄を踏んだり。
頭の角が光輝いたかと思えば、電撃がほどばしった。
なお、檻には結界が張られているので、魔法が漏れることはない。
「――じゃ、じゃあ、私はニャン太君の散歩に行ってきますね」
「はい、お願いします!」
しかし、未だスパークホースには構わず、ルミアたちは普段通りに過ごす。
人の存在に慣れてもらうため。
そして魔物と友好的に接している姿を見せることで、自分たちが危険な存在ではないということをアピールするためだ。
ちなみにニャン太とは、治癒魔法を使える猫の魔物――ヒーリングキャットの名である。
ルミアが最初に訓練を施した魔物であり、自分たちや魔物たちが怪我や病気をした時に癒してもらうため、ここで飼われているのだ。
3日も経つとさすがに慣れたようで、スパークホースは大人しくなった。
そこでようやくルミアは黒馬のもとへ。
ゆっくり近づいていくと、スパークホースが『来るな!』と嘶き、敵意を露わにしてくる。
かと思えば、ふと怯えた様子で後ずさった。
ルミアの後ろを歩くユキが目に映ったからだろう。
スパークホースにとって、フリジットウルフは格上。
戦って勝てる相手ではなく、喧嘩を売る訳にはいかない。
逆らう訳にもいかず、ユキがルミアに従うように言えば、スパークホースは聞かざるを得ない。
しかし、それでは意味がなかった。
訓練を施した後、この魔物は馬車の牽引用兼護衛として、領主に引き渡される。
そこにユキの目はないからだ。
それゆえ、ルミアはユキに魔物を脅したり、説得したりしないよう事前に伝えていた。
「ごめんね、いきなり知らないところに連れて来られて怖かったよね」
「…………」
「でも安心して。私たちはあなたを傷つけたりしないから」
ルミアがゆっくりと、穏やかな口調で語り掛けるも、返事はなかった。
「あ、そうだ、自己紹介しないとだね。私はルミア! これからあなたのお世話をする人です! よろしくね?」
スパークホースは顔を背けた。
取り付く島もないとはこのことである。
それでもルミアは諦めず、声をかけ続ける――優しく、焦らずに。
☆
ルミアの頑張りもあって、翌日の夜には言葉を返してくれるようになった。
そこでルミアは名前をつけてあげることに。
「えーっと」
ルミアは股間を覗き込んだ。
立派なものがついていた。
「男の子だね! うーん、じゃあ……」
顎に手を当て、スパークホースをじっと眺める。
頭から尻尾に向け、ゆっくり視線を動かし、
「あっ!」
四本ある足のうち、左後ろ足の下側だけ白くなっているのに初めて気付いた。
それはまるで、左後ろ足だけ靴下を履いているかのよう。
その特徴から名前をつけることにし、ルミアは目を閉じて考える。
(そのまま『くつした』はちょっとかわいそうだし……白い靴下、白い靴下……)
「そうだ! シロク! これからあなたの名前はシロクでどうかな?」
『しろ』い『く』つした、で、シロク。
「ブルッ!」
スパークホースは『シロク!』と、ルミアの言葉を繰り返した。
気に入ってもらえたようで、この子の名前は無事シロクに決まったのだった。
それから2日。
「――へえ、すごーい!」
「ブルッ!」
「じゃあじゃあ、ウインドタイガーは倒せる?」
「ブ、ブルッ!」
と、会話も弾むようになり、敵意が全く見られなくなったところで。
ルミアは今なら問題ないだろうと、シロクを洗ってあげることにした。
ここに来てからお風呂はまだ。
身体のあちこちに泥やおがくずがついていて、ばっちいからだ。
綺麗にしてあげたらきっと喜ぶ――そう考えての判断である。
「じゃあ、お願いします!」
職員の一人が頷くと、緊張した面持ちで檻に手をかける。
それを見る他の職員は、真剣な顔で剣に手をかけていた。
いざという時に、すぐ仕留められるように、だ。
確かに今は大人しいが、外に出した瞬間に暴れ出すかも知れない、と息を呑む。
そんな彼らとは対照的に、ルミアはニコニコとしていた。
シロクなら大丈夫だとわかっていたからだ。
そして実際に何事もなく、お風呂は終わり。
石鹸を洗い流したところで、
「きゃっ!」
シロクはぶるぶると身体を震わせた。
巨体にたっぷり含まれた水がまき散らされる様は、まるで横殴りの雨。
「……もー!」
おかげで服や顔がびしょびしょに。
ルミアはぷくーっと頬を膨らませる。
するとシロクは嬉しそうに目を細め、お風呂に入り直した。
かと思えば、すぐさま出てきてルミアの目の前へ。
「え、もしかし――」
予想通り、二度目の豪雨がルミアを襲った。
ルミアは目元を拭うと、シロクをキッと睨みつける。
「シロクっ! めっ!」
それを受け、シロクは「ブルルッ!」と高らかに笑うと、勢いよく駆けだした。
「あっ!! 待てー!」
ルミアもその後を追う。
その様は小さな姉弟であるかのよう。
何とも微笑ましい光景に、それまで気を張り巡らせていた職員たちは緊張を解き、明るい笑い声をあげた。
それから二週間が経った。
シロクが晩御飯を食べたのを確認したルミアは、後のことを女性職員に任せると、施設内に設けられた自室に入った。
その瞬間、大きな溜め息を吐く。
「どうしたらいいのかなぁ」
いくら檻が大きいといっても、自由に走り回れるほどではなく、シロクにしてみればストレスが溜まる。
だからルミアは初めてのお風呂を終えた翌日から、短い時間だけ檻から出してあげることにした。
もちろん、警戒は万全な状態で。
そうして数日観察した結果、シロクは一度たりとも暴れたり、攻撃の構えを取ったりすることなく、ルミアは危険性なしと判断。
一週間前から放し飼いするようになった。
それからも変わらず、敵意を見せることはまったくなく、そこは一安心。
だが、別の問題が発生してしまっていた。
シロクが素直に言うことを聞いてくれないのだ。
大好きなはずなのに、お風呂に入るよう言えば、逆方向に走り出す。
ご飯を用意すれば、見せつけるように寝床のおがくずを食べ始める。
散歩だと言えば、その場で寝転がる。
――と、挙げればキリがない。
最終的にお風呂に入るし、ご飯を食べれば散歩にも行くが、それは自分の意思であって、ルミアの言うことを聞いたという訳ではない。
こんな状態では、領主のために働いてくれと言っても聞いてもらえるはずもなく。
これまでお世話した子が、運よくお利口さんばかりだったこともあって、ルミアは頭を悩ませていた。
「わん! わん、わん、わぅーん!」
「えー? うっそだー!」
シロクはただ構ってほしいだけだよ。
ユキのそんな言葉に、ルミアは笑った。
自分はただナメられているだけ。
遊んでほしいと思われるほど、懐かれているとは感じていなかった。
「わん、わん!」
疑うルミアに、『絶対そう!』とユキが伝える。
「うーん、まあユキがそう言うなら。明日遊んでみるね?」
「わんっ!」
「ふふ。よし、じゃあご飯いこっか!」
翌朝。
朝礼を終えたルミアはユキと一緒に、職員に用意してもらった餌を持ってシロクのもとへ。
「おはよ! はい、朝ごはんだよー」
言いながら、牧草やカットしたリンゴなどが入った桶を目の前に置く。
すると、シロクはいつものように、寝床のおがくずを食べ始めた。
「もう!」
ルミアはぷりぷりと頬を膨らませる。
と、その時、昨晩ユキに言われたことを思い出した。
物は試し、と、遊びに誘ってみる。
「ねっ、シロク、今日はお散歩じゃなくて、私たちと一緒に遊ばない?」
耳がぴくっと揺れた後、シロクはすっと首を上げた。
その目は期待に輝いているように見え、ルミアは「おっ」と前のめりになる。
「ど、どうかな?」
「ブルルッ!」
「よかった! じゃあ、遊んでいる時にお腹が空かないように、しっかりご飯食べておいてね!」
シロクは素直に与えた餌を食べ始めた。
こんな素直に言うことを聞いてくれたのは、初めてお風呂に入れた時以来。
ユキが言っていた通り、構ってほしさにいじわるしていたようだ。
さすがユキ! と、隣を見ると、彼女はふふんと自慢顔。
ルミアはそのふわふわな背中を撫でると、他の魔物のもとへ向かった。
各魔物の健康チェックと施設のお掃除。
朝のお仕事を終えたルミアたちは、職員を二人連れてシロクのもとに。
「ブルルン!」
「あはは、お待たせ! それじゃ、あそぼっか。まずはボール遊びからでどお?」
「ヒヒーン!」
良いとのことで、三人と二匹は少し離れて輪を作る。
「じゃあ、いっくよー! それー!」
ルミアは両手で持ったボールを放った。
高く上がったボールは、緩やかな放物線を描いてシロクの頭上へ。
そうして落ちてきたボールを、シロクは下げた首を勢いよく上げることで打ち返した。
「わぁ! 上手~!」
「ブルルッ!」
シロクは嬉しそうな声を上げると、これまた器用に職員が繋いだボールを上げる。
その後もラリーは長々と続き、その間、シロクは本当に楽しそうだった。
それから綱引きや追いかけっこなども行い、たっぷりと遊んだところで。
機嫌が良さそうなシロクを見て、ルミアは次のフェーズに移ることにした。
「ねっ、シロクにお願いがあるんだけど、いいかな?」
「ブルッ?」
「あそこにあるの馬車って言うんだけどね。あの上に私たちが乗るから、それをシロクが引っ張ってほしいんだ。いーい?」
『いいよー』と軽い返事。
承諾を得られたことで、一緒に遊んでいた職員たちが、シロクに手早くハーネスを装着する。
特に嫌がる素振りも見せず、シロクは大人しくしていた。
そうして準備ができたところで、ルミアとユキは御者台に上がる。
「よーし! じゃあシロク、歩いてみて!」
シロクはブルッと声を上げ、ゆっくりと歩き出す。
「おー!」
何の問題もなく馬車は進んだ。
ルミアが人生で馬車に乗ったのは、森からこの街まで運んでもらったあの一回だけ。
まだまだ新鮮な感覚で、それはもうご機嫌である。
だが、それもたったの三分ほどでおしまい。
「ヒィーン!」
シロクは当然立ち止まると、ハーネスを鼻で指し、『これやだ!』と言ってきた。
いきなり身体を拘束させる器具をつけられたのだから、まあ、無理もないだろう。
時間をかけて徐々に慣れさせていくほかない。
「ごめんね、すぐに外してもらうからね」
ルミアはシロクを宥めると、職員にハーネスを外すようお願い。
今日はここまでとするのだった。
☆
以降、シロクの日課に遊びの時間、そして馬車を引く訓練の時間が組み込まれた。
もっとも、シロクは馬車を引くことに対しては抵抗を示さなかったので、主な訓練内容はハーネスへの慣れだ。
やはりどんな物事にも慣れはあるもの。
最初は数分でハーネスを嫌がっていたシロクも、一ヶ月が経った今では、半日以上の着用にも耐えられるようになった。
これなら十分、輓獣として働ける。
それに毎日遊んであげた影響か、ルミアだけでなく他の職員にも完全に懐き、彼らの言うことも聞いてくれるようになった。
条件は整った。
ルミアは大きく深呼吸すると、シロクのもとへ。
晩御飯を食べ終え、リラックスモードのシロクにいざ切り出す。
「ねっ、シロク、今ちょっといい?」
シロクは顔を上げると、不思議そうに首を傾げた。
これまで、この時間にルミアが顔を出したことがなかったからだろう。
「あのね、シロクに大事なお願いがあるの」
「ブル?」
「えっとね、私のお友達にフェンゼっていう人がいてね。これから先、その人のところで暮らして、たまにお手伝いをしてあげてほしいの。あ、もちろんお礼はしてくれるよ」
フェンゼとは、この街の領主の名だ。
森にいたルミアをスカウトし、この魔物調教所を建てた人物であり、そして今回の依頼人であった。
「ブルルン?」
「うん、お手伝い。時々私たちを馬車に乗せて走ってくれてるでしょ? それをその人にもしてあげてほしいの。あとね、その途中でもしも魔物に会ったらやっつけて、フェンゼさんを守ってあげてほしいんだ。わかるかな?」
シロクは大きく頷いた。
「よかった! それでね、そのお礼なんだけど、フェンゼさんのところにはいーっぱい人がいるの。その人たちが毎日遊んでくれるって言ってるんだけど……お手伝い、してあげてくれる?」
魔物は賢く、普通の動物ほど単純ではない。
だから、お願いを聞いてもらうには、それに見合うだけの見返りを与えなければならない。
ただ餌と住処を与えるだけでは足りないのだ。
それゆえ、ルミアは要求と一緒に、その魔物が満足するようなご褒美を必ず一緒に提示している。
そしてシロクの場合は、遊び相手の提供が最適だと考え、先日領主にそれが可能か尋ねていた。
結果はルミアが言った通りである。
しかし、実際にそれでシロクが受け入れてくれるかはわからず、ルミアは不安を抱いていた。
もしも嫌だと言われたら、非情な決断を下さなければならない。
ここに連れて来られた魔物は、人の役に立ってもらうために飼育・調教をしており、それには膨大なコストがかかっている。
その目的が果たせないのなら、飼い続ける理由がない。
かといって森に帰すわけにもいかない。
いくらルミアたちに懐き、危険性がなかったとしても、やがて生まれる子供はそうではないからだ。
「ブルルン!」
肝心の答えは『いいよー!』ときわめて軽いものだった。
「ほんと!?」
「ブル!」
『うん』の返事にルミアはほっと息を吐く。
「よかったぁ! ありがと、シロク!」
そうして満面の笑みでシロクの頭を撫でるのだった。
それから三日が経ち。
用意を済ませたことで、シロクと最後のおしゃべりを楽しんでいた時、職員が駆け寄ってきた。
「所長、フェンゼ様がいらっしゃいました」
「わかりました! じゃ、いこっか」
ルミアはシロクの背中をぽんぽんと叩くと、手綱を引く。
魔物用の巨大門を出ると、先のほうに男が数人立っているのが見えた。
その中の一人、赤い髪を後ろに撫でつけた壮年の男が、こちらに向かって手を上げる。
彼こそがフェンゼ、この地方の領主だ。
ルミアはぺこりと頭を下げると、シロクにここで待つよう指示し、手綱を職員に任せる。
そしてユキと一緒に彼らのもとへ。
両脇に立つ兵士たちが怯えた顔を見せる中、フェンゼと執事だけは平然としていた。
「フェンゼさん、おはようございます!」
「わんっ!」
「おはよう、二人とも。今日もご苦労様」
そう言うと、フェンゼは執事に向かって頷いた。
前に出てきた執事が、木で作られたバスケットを差し出してくる。
甘い匂い。
中身はきっとお菓子だろう。
「差し入れだ。後で皆と食べるといい」
「わぁ! いつもありがとうございます!」
フェンゼは施設に来る度、差し入れとしてお菓子を持ってきてくれる。
ルミアも女の子。
甘いものは大好きで、これには毎度大喜び。
そんなルミアにフェンゼも頬を緩めると、彼女の後ろに目を向けた。
「あそこにいるのがシロクか?」
「はいっ! 見ての通り、もうすっかり懐いて」
ルミアの目に映るのは、職員に顔をなすりつけて甘えているシロク。
その見た目は頭の角と体格を除けば、普通の馬と変わらない。
これで彼が危険な存在ではないことは証明できただろう。
「こっちに呼んでも大丈夫ですか?」
「ああ、頼む」
許可を得られたので、ルミアは大声でシロクを呼ぶ。
すぐにトットットッと駆けてきて、ルミアの隣でピタリと止まった。
「この人がこれからシロクがお世話になるフェンゼさんだよ! ご挨拶は?」
「ブルルンッ!」
「よろしくって言ってます!」
フェンゼはフッと笑うと、怯えもせずにシロクの頭を撫でた。
「フェンゼだ。こちらこそよろしく頼むぞ、シロク」
「ブルッ!」
元気に答えるシロクに、ルミアはふふっと微笑んだ。
それからルミアは次に調教する魔物の種類と活用目的を聞き。
「――では、今日はこれで」
「はい、さようなら! ……じゃあ、シロク。お手伝い、頑張ってね」
「ブルル!」
シロクは『わかった』と答えると、フェンゼたちと共に背を向けて歩き出した。
少しずつ遠くなっていくその背中を見ていると、込み上げてくるものがあった。
「……ぐすっ」
シロクが行くのは領主宅。
城壁を挟むとは言え、同じ街なので、別にいつでも会いにいける。
それでも寂しいものは寂しい。
毎日一緒にいたのが、そうでなくなるのだから。
でも泣いてなんていられない。
シロクに頑張ってと言った以上、自分はもっと頑張らなくちゃ。
ルミアは袖で涙を拭うと、口に両手を添えた。
「シロクーっ! またねーっ!」
次に会う時を楽しみに別れの挨拶を大声で。
「ヒヒーン!」
その返事を聞いて、ルミアは笑みを浮かべた。
「じゃ、残りのお仕事頑張るぞ!」
ルミアは「よしっ!」と入れると、ユキと一緒に施設に戻るのであった。