引っ越し
婚姻届をすぐに提出し、その足で爵位継承の手続きを済ませたジェシカは無事に女男爵となった。
ユーグが屋敷に引っ越して来たのは翌週だ。
その一週間で、主寝室から父の荷物を運び出し、元々ジェシカが使っていた部屋に移した。そしてジェシカの荷物を代わりに主寝室に移動させる。いずれ父の遺品は整理しないとならないけれど、今はまだそのままにしたい。
引っ越しの日、ユーグの荷物は彼の商会の馬車が運んできた。この国に来て借りていたのは家具付きの部屋らしい。最低限の衣服と小物だけなのか、トランク五つにまとめられていた。整理はユーグがやると伝言があったため、アンもジェシカも開けていない。
それなりの職に就いているジェシカは立場に見合った給料をもらっており、さらに魔術院は開発した魔術や魔道具に応じて特別手当ももらえるし、ジェシカは特許もいくつか持っているため、同年代の王宮勤めの人の平均より収入は多い。それでも、大商会の支店長の彼の方が収入が多いだろう。
「こういうとき、配偶者のために衣装をずらっと揃えておくべきかもしれないけど、うちじゃあ無理ね」
見合いのときの彼のこげ茶色コーディネートを思い出し、「私じゃ流行もわからないし」とジェシカは首を振る。
男爵家の婿として参加してもらわないとならない夜会なんて滅多にないから、必要になったときに用意すれば問題ない。普段の衣装は自分で揃えてもらおう。
父が急死して四か月。新しい家族が増えるのは、考えることが多くて面倒だけれど、久しぶりに心が浮き立つことでもあった。
荷物を運んだ馬車がとって返し、ユーグを乗せてきた。
「ようこそ、男爵家へ」
「よろしくお願いします。ジェシカさん? ジェシカ様?」
「爵位はあってないようなものよ。ジェシカでいいわ。敬語もいらない。私もユーグって呼ぶけれど、構わないかしら?」
「ああ、好きに呼んでくれ」
ユーグは金髪をかきあげて、うなずく。
「それじゃあ、屋敷を案内するわね」
ジェシカが踵を返すと、ユーグは「ちょっと待て!」と声を上げた。
「あ、ごめんなさい。お茶でも飲んで少し休んだ方がよかった?」
「そうじゃなくて! 俺を見て何か言うことはない?」
「あなたを見て?」
ジェシカはユーグを上から下まで見渡す。
緑がかったグレーの上品な色合いの揃い。綺麗に磨かれた革靴は黒だ。タイピンのエメラルドを目にとめて、ジェシカはやっぱり彼の衣装は自分で揃えてもらおうと改めて考えた。
「今日はこげ茶色じゃないのね」
「まあ、そうだけど。それだけ? もっと気づくことがあるだろ」
呆れ顔と期待を浮かべた瞳に、ジェシカは母を思い出す。
「わかったわ。髪型を変えたのね。その方がいいわよ」
「そうか?」
「ええ、前髪が長いと見にくいでしょ?」
「そうか……そうだな……」
「あら、そういえば、金髪? 前は髪もこげ茶色だったわよね。ヒゲもないわ! メガネもない! どう? 完璧でしょ」
「ああ、まあな。正解だ」
ユーグは苦笑を浮かべた。
ジェシカは「あは、なんだか懐かしい」と笑う。
「母がよく父に聞いてたのよ。新しい服を下ろしたときや髪型を変えたとき」
母が十年前に亡くなっているのは、見合いのときに説明済みだ。
ユーグは「仲の良いご両親だったんだな」と同意してくれた。
屋敷を一階から順に巡り、最後に案内したのは主寝室だ。
「ここが私たちの部屋よ」
「私たち?」
「ええ。あなたの荷物、そこにそのまま置いてあるわ。衣裳部屋はその扉。共用で申し訳ないけれど、右側を使って」
説明を続けるジェシカに、ユーグは再び「ちょっと待て!」と叫んだ。
「同じ部屋なのか? ベッドが一つしかないんだが」
「ええ、結婚したんだから、構わないでしょ。私の元の部屋に父の荷物を移したから、空き部屋がないのよ」
「子どもは作らないって条件だったよな」
「そうね」
ジェシカはうなずく。
「同じベッドで寝ただけじゃ、子どもはできないわよ。知らないの?」
「知らないわけがあるか!」
真っ赤になるユーグにジェシカは「じゃあ、何が問題なの?」と腕組みする。
「私から子作りするつもりはないわ。あなたも自分で出した条件を自分から破ったりなんてしないわよね?」
ジェシカはユーグを見上げる。
彼は、うっと言葉に詰まり、ジェシカから視線を逸らした。
「そうだな……」
「じゃあ、同室でいいわね」
ジェシカは手を叩く。
「荷物の整理、手伝いは必要?」
「いや、いらない。少し一人にしてくれ……」
ユーグは疲れた声でそう言ったのだ。




