照明の魔道具
ジェシカは、今日はユーグに連れられて結婚披露パーティーの会場に来ていた。
パーティーは明日に迫っている。
「当日にジェシカを驚かせてほしいって頼まれていたんだが、起動できなくて……」
そう言ってユーグは天井を指さす。
シャンデリアの代わりに、球状の物体が太い鎖で吊り下げられている。
それを見てジェシカはだいたいの予想がついた。
「ミックたちね? 魔道具に仕立てたのはルイスかしら」
ジェシカと部下たちは多方向に光を発する魔術の開発を行っていた。依頼された仕事ではなく自由研究だ。ジェシカの班の今年度の研究発表はこの魔術陣だった。まだ陣だけで魔道具への応用は行っていなかった。毎日居残って何かやっているとは思っていたけれど、魔道具研究課のルイスを巻き込んでこれを作っていたのか。
「説明書はある?」
「ああ、もちろん」
ユーグから取扱説明書をもらい、ジェシカは目を通す。魔術院の書式で、筆跡はミックだった。
「球体に並んだ石が全て光源なのね……。あの魔術陣を使っているなら……うーん、光源の位置と魔術の方向を合わせるの大変だったんじゃないかしら。……合っているのよね?」
ジェシカはユーグに「起動してみた?」と聞く。
「渡されたときに説明がてら起動してもらったが、きちんと光っていた」
「そう。なかなか力作ね。どうやって合わせたのか帰ったら教えてもらわないと」
「ジェシカ。それで、今ここで起動できないんだが……」
本題から逸れそうな予感がしたのかユーグがジェシカを引き戻す。
「シャンデリア用の線は繋いだ?」
「ああ、繋いだ。迎賓館専属の魔術師にも確認してもらった」
天井に取り付ける照明魔道具は壁に設置された操作魔道具で起動させる。天井から壁まで線を敷く操作魔道具は内装工事のときに取り付けるため、共通で使えるように規格が決まっている。照明魔道具をその規格に合わせて作るのだ。
「それなら、操作魔道具の規格が違うのかしら。国が違うのだから事前に確認しておくべきだったわね。遠隔操作の魔道具はないし……。魔術陣を呪文で起動させるしかないかしら」
「呪文で起動できるのか? 説明書にはなかったが」
「それはそうよ。魔術師以外が使うことを想定した説明書なんだから。私は中身の魔術陣を知っているからできるだけ」
なんでも呪文で起動できると思われても困る。
「これ、パーティーの始めからずっと起動させておくの?」
「いいや、途中で点灯させたい。一つしかないから光が弱いと会場全体を照らせないが、強くするとギラギラしすぎるんだ」
多方向に光を発しながら回転する灯りで、光の強弱が調整できるようになっている。しかし操作魔道具が使えないなら調整も呪文で行うしかない。
ミックが自分の結婚披露パーティーで設置したものに着想を得た魔道具だ。彼は会場を暗くして回転灯だけを使ったらしいが、彼の貸し切ったレストランとは会場の広さが違う。王宮の大広間級の広さの、王都一番の迎賓館だ。――何人の客を招待したのかジェシカは聞いていないし、もはや怖くて聞けない。
それよりも魔道具だ。部下たちや同僚が贈ってくれたものを使わないで終わらせたくはない。
パーティーの途中で呪文を詠唱すればいいが、天井まで声を届かせるとなるとなかなか重労働だ。たくさんの人の前で魔術を披露するのも気が進まない。
ジェシカは頼んで、一度魔道具を手が届く高さまで下ろしてもらう。
素材が気になって手袋を外して触れてみたら紙だった。貼り重ねて厚みと強度を出してある。
この球体の作り方も帰ったら教えてもらおうと考えながら、ジェシカは呪文を唱えて起動させてみた。
起動した魔道具はゆっくり回転しつつ光を四方八方に放つ。
しかし、明るいところでは思ったより目立たない。魔術陣の研究中は薄暗い部屋で実験していたから気づかなかった。
「明るかったら起動していてもわからないんじゃない? 弱い光ならなおさら」
「確かにそうだな。俺も暗い中でしか光っているのを見ていなかった」
「そうしたら、この回転灯は起動させたまま吊るしましょう。それで会場の暗さを変えればいいわ。これは余興でしょう? そのときだけカーテンを引いて、他のシャンデリアを消せばいいんじゃない?」
「ありがとう。君に相談してよかった。……ああ、そういえば、暗くするのは魔術でやる予定なんだ」
ユーグは会場に入ってきた男性を認めて、片手を挙げた。
濃い灰色のローブ姿はいかにも魔術師だ。
こちらまでやってきた魔術師にユーグはジェシカを紹介する。
「彼女が花嫁のジェシカ。彼は迎賓館専属の魔術師のセザール氏だ」
「はじめまして。ジェシカと申します」
「はじめまして。よろしくお願いいたします」
ジェシカとセザールは握手した瞬間、二人ともぱっと手を離した。
パチンと手を叩かれたような衝撃だった。
「まあ!」
「驚いたな……」
「何かあったのか?」
鋭い声で尋ねるユーグにジェシカは首を振る。
「いえ、大丈夫。魔力の相性が良くなくて弾かれたの。それにしても、こんなに相性が悪い方って初めてだわ」
「そうですね。私も初めてです」
「相性が悪いだって?」
ユーグはジェシカを庇って前に出る。誤解があると思って、ジェシカは彼の腕を引いた。魔力を遮る手袋をつけていないため、触れたところからユーグと魔力が混ざる。相性の悪いセザールに触れたあとでは、まるで口直しの甘味のようだった。
「魔力は魔力よ。魔力の相性が悪いからって、相手に害意があるわけではないから。触れなければいいだけ」
「そうか……」
「魔力の相性が悪い同士だと、共同で一つの魔術を展開したり相手の魔術を打ち消したりするときにうまくいかないですが……今回は私しか魔術を使いませんのでご心配は無用です」
セザールもそう説明した。
ユーグは「なるほど」と唸った。
「申し訳ない」
ユーグは謝ると回転灯の魔道具の件をセザールに伝えた。
「暗くする魔術は何を使う予定ですか?」
ユーグの話が終わったところでジェシカはセザールに尋ねた。
「闇籠りの魔術を……」
「ジェシカ様!」
突然の明るい声がセザールを遮った。振り返ると、先日の王妃の茶会で知り合ったマーブルグ伯爵令嬢シドニーだ。
「すまない、俺のことは黙っていてくれ」
ユーグが囁いて、ジェシカから離れた。セザールを促して、会場の端の方に移動していく。
ジェシカは疑問に思いながらも、その場でマーブルグ伯爵令嬢を出迎えた。
「ごきげんよう。シドニー様」
「ジェシカ様! ユーグ様はご一緒ではないの?」
「え?」
思わずユーグに目を向けそうになったが、ジェシカはぐっとこらえる。
「この迎賓館を使ってくださるってお聞きしたから、ここに来ればユーグ様にお会いできると思って毎日来ているのだけれど、打ち合わせにいらっしゃるのはいつもあの代理の方でしょう? 今日はジェシカ様がいらしていると聞いたから、きっとユーグ様もって期待したのだけれど……」
彼女が代理と言うのは変装したユーグだ。
ミナリオ国に着いてから、ユーグは屋敷の中以外はずっとこげ茶色のもさもさに変装していた。シドニーは変装姿の彼に気づいていないらしい。
「ユーグ様は今日もいらっしゃらないの?」
「え……さあ……」
「明日がパーティーですよね」
「はい」
「ユーグ様はお忙しいのかしら?」
「ええ、まあ、そうですね……」
ジェシカは嘘が苦手だ。
ごまかしているとシドニーは眉をひそめた。
「先日も思ったのですが、ジェシカ様はユーグ様のお顔がお好きではないの?」
「え? 顔ですか? 顔は特に……」
「まあ! なんてこと! ユーグ様の価値がわからない方が結婚相手だなんて!」
「価値?」
大きな声を上げたシドニーにジェシカも言葉を返す。
「確かに、私はユーグの顔には特に魅力を感じませんが、だからといって彼の良さがわからないわけではありません。彼の価値が顔だけだと思っているのでしたら、あなたの方がわかってらっしゃらない。ユーグは私の話をきちんと聞いてくれます。私が自分の興味に従って突っ走ってしまったときも、呆れずに見守ってくれたり引き戻してくれたり……。得難い存在です。それに私と彼の魔力の相性はとても良くて、私は毎ば」
そこでジェシカは口を塞がれた。――今回はユーグも速かった。
「シドニー様。ジェシカは誰よりも私を高く評価してくれているのです。申し訳ありませんが、先ほどの言葉は撤回していただけますか」
「その声はユーグ様?」
シドニーは口を開けて、こげ茶色のユーグを見上げる。
「打ち合わせは終わったから帰ろう」
では失礼、と軽く会釈して、ユーグはジェシカの手を引いた。
会場を出る際に振り返ったが、シドニーはぽかんとしたままだった。
馬車が走り出すまでユーグは何も言わなかった。
「ごめんなさい。せっかく変装していたのに、私のせいで」
「いや、俺の方こそすまない。君が悪く言われる可能性を考えていなかった」
この迎賓館はマーブルグ伯爵がオーナーらしい。商会の取引先としても大手だったため、シドニーがユーグに入れ上げていることは知っていたがここ以外の選択肢はなかったそうだ。
「悪く言われるってほどでもないわ。それよりも、あれではあなたに対して失礼だわ」
憤慨するジェシカをなだめるように、ユーグは唇を重ねた。
「俺のために怒ってくれてありがとう」
軽い口づけでこれ以上の反論を抑え込まれたジェシカは、ユーグの膝に座らされた。珍しく少し強引に深く口づけられるけれどジェシカは素直に受け入れた。
ジェシカがユーグの胸に寄りかかって息を整えていると、彼はジェシカの右手を取った。
「この指輪、初めて見たな。母さんから? それとも、姉さんから? まさか他の誰かからじゃないだろうな」
ユーグが見たことがないのは、出かけるときにしかつけていなかったからだ。
「これ、王立魔術院の三長老からいただいたの」
「三長老?」
「役職じゃなくて、単に年齢順の称号のようなもの。最長老は院長よ」
「それじゃあ、外せとは言えないな……。魔道具なんだろう?」
「ええ、もちろん。爪を隠す魔道具だって」
ジェシカが笑うとユーグは首を傾げた。
「私の魔力を抑えて、敵を油断させるんですって。攻撃するときには指輪を外して全力を出しなさいって言われたわ」
「敵?」
「三長老は南大陸は危険なところだと思ってるみたい。無事に帰ってくるんだぞって心配されて大変だったのよ」
「孫をかわいがる祖父か……?」
ユーグは呆れたけれど、この指輪がすでに役に立っていたとはジェシカも思っていなかった。
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会場に取り残されたシドニーは、呆然とつぶやいた。
「ユーグ様があんなヒゲに……! なんていうことかしら!」
「ジェシカ様のご希望なのでは?」
後ろから声をかけられたシドニーはびくりと振り向く。
迎賓館専属魔術師のセザールだった。伯爵家専属魔術師はいないため家の用事も頼むことがあり、シドニーも面識があった。
「ジェシカ様が? まあ! ユーグ様と結婚するだけでなくあの美貌を独り占めしてらっしゃるの? だからこの国には引っ越してらっしゃらないのね?」
なんてこと、と嘆くシドニーにセザールは囁いた。
「お嬢様がユーグ様をジェシカ様から解放してさしあげたらいかがですか」
「それは……どうやって?」
おそるおそるシドニーは問いかける。
セザールは微笑みを浮かべた。
「私は明日のパーティーで魔術を頼まれているのです。会場が真っ暗になりますから、そのときにユーグ様を隠してしまいましょう」
「でも、それではあなたがやったってすぐにわかってしまうわ」
「足止めしている間に逃げてしまいますから。私がやったとばれても捕まらなければいいのです」
「え……でも……」
「人間の一人や二人、私の魔術であれば簡単に攫えるのです。ジェシカ様も魔術師だそうですが大した魔力ではありませんでした。相性の悪い私の術を打ち破るなんてできないでしょう」
ぐずぐずと悩んでいたシドニーも、「こんな好機は二度とありませんよ」と言われてついにうなずいてしまう。
「術をかけるときにユーグ様に近づきますので、お嬢様もお近くにいてください」
「わたくしが話しかけてユーグ様を油断させるのね?」
「ええ、そうです」
セザールは優しく微笑んだ。
「こんな良い機会を逃す手はありませんから」
ユーグをジェシカから取り戻すことで頭がいっぱいのシドニーは、セザールが自分をじっと見つめていることに気づかなかった。