冷徹な完璧令嬢は、愛しき愚かな王子を手玉にとり裏の支配者になりました~「仕事と俺、どっちが大切なんだ……?」と婚約者に聞かれたので抱きしめておきます~
王宮のとある執務室の一番奥。
国の様々な重要書類や決裁書、報告書に埋もれるようにリーリエは虚ろな目で仕事をしていた。この部屋では私の他にも疲れきった文官たちが今もあくせく働いている。
私はここ数週間に渡る寝不足によるクマが酷く、疲労でのストレスで表情も禍々しいものとなっている。
つい数時間前、部下が書類提出に来た時に「悪魔が宿っているようなオーラですよ」と言われてしまった。
事実だろうとあまりの物言いに腹が立った私は、本当に悪魔のように彼の書類のミスを問いただし、やり直しを言い渡してやった。
つい溜息が零れる。
私は一応身分的に誇り高き公爵令嬢で次期王妃なのだけど、その煌びやかさは見る影もなかった。
髪を後ろで適当に束ね、オシャレより機能性を重視した仕事スタイルの私を見て、即座に公爵令嬢と理解する人はそうそう居ないだろう。
長時間椅子に座っているせいで、まだ二十歳という若さなのに腰痛に悩まされていた。高貴なる私のために特別に支給してもらった高級でふかふかの椅子を使用していてもこれである。
どこかの天才技術者が、何時間座っていても疲れない椅子を作ってくれないかしら。私が言い値で報奨金を出すから、と切実に願う。
そんな現実逃避的なことを思い浮かべながらようやく書類の山の一角を片付けた。
文字通り一息分だけ目と脳を休めた時、廊下の外が騒がしいのに気がつく。大きな足音と静止を振り切る声に、私は全てを察する。
私が眉をひそめるのとほぼ同時、唐突にバタンと扉の開く大きな音がする。
「おい、リリィ!!」
私の婚約者である、ライオネル王太子殿下がズカズカと私の執務室へと訪れた。その身分にふさわしい煌びやかな服装は、この部屋ではかなり浮いてしまう。
そんなに大声でなくても聞こえるというのに、と耳を塞いでしまいたくなる。
あと部屋に入る前にノックや声をかけなさい、とかれこれ口を酸っぱく百億回は言った気がするが、改善される見込みは無いようだ。
こうしてライオネル様が時を問わず仕事の邪魔……否、婚約者である私に会いに来てくれるのは日常茶飯事である。
私の仕事量に免じて誰でもいいから止めてくれないかと日々願っているが、今のところ叶えられたことは無い。やはり彼の身分が最強なのが良くないのか。
同じ部屋にいる文官たちは慣れたもので、簡易的な礼をとった後は、もはや気にも留めず仕事に夢中でペンを動かしている。
不敬で怒られそうな対応ではあるが、ライオネル様は基本的に文官達に興味が無いというか、私しか視界に入っていないので彼らが咎められる心配は特に無い。
私としても仕事を進めて貰った方が助かるので、完全に空気になってもらっている。
部屋はそれなりに広く、ライオネル様の長い足でズカズカ大股で近づいたとしても、私の元にたどり着くまで十歩ぐらいは歩く。
その間も私は書類から目を離さずペンを高速で動かした。この後どうせ滞るのが確定しているから最後の悪あがきだ。
私の机に影がさし、「リリィ……」と先程とは違って蚊の鳴く声に、私はゆっくりと顔を上げる。
そして今気づきましたと言わんばかりの満面の笑顔を浮かべる。
「あらライオネル様。私に会いに来てくれたのですか?」
私が分かりやすく嬉しい!と表現をするように目を細めた。
……おや、返事がない。いつもなら私の問いかけに瞬時に、
「そうだ!!! 俺が来てやった幸せを噛み締めて喜ぶがいい!!」
などと叫んでは、尊大な態度で仰け反っているというのに。不思議に思った私は彼の言葉を待ち、可愛らしく首を傾げておく。彼は何だかモゴモゴとしている。
普段はその横暴さや粗雑さが隠せない我儘君主の代表みたいな彼だが、今は泣きそうな顔で雨に濡れた子犬のようになっていた。
「仕事と俺、どっちが大事なんだ……?」
バキリと音を立てて手にしていたペンを折りそうになる。
周りに人がいるというのになんて質問を……と舌打ちしたくなるのを抑えて、私はキリのいいところでしぶしぶ手を止める。
今私はあなたの尻拭いのための仕事を手懸けているんですけどね!?
そういえば、最近忙しすぎてここ一週間は話すどころか顔すらも見れていなかったなと思う。だから寂しくて来たのかと納得する。
椅子に久々の別れを告げ、私より背の高い彼に近づいてそっと抱きしめた。
待って急に立ち上がったから腰が痛いし足がプルプルする。
「……そんなこと聞かせてしまってごめんなさい。そんなこと、私達の仲なら聞かずとも明白でしょう?
私も殿下と会えず寂しゅうございました」
痛みに耐える間が、良い味を出したのではないだろうか。この苦痛もまた良い感じに表情に現れている事だろう。
もしかしたら私、名女優になれるかもしれない。今から全部の仕事と責任と立場を放り投げて女優になろうかしら。
「……そうか!! いや、俺は寂しかった訳では無いぞ!」
明らかに私の数千倍は寂しかったであろう犬王子は、私にだけ見えるしっぽを嬉しそうにぶんぶんと振っている。
王族としては欠点でしかないが、まったく犬みたいに分かりやすくてお可愛いこと。
「あら失礼しました。まだまだ感情制御が未熟な私と違い、ライオネル様はご立派ですね」
「うむ! だが恥ずべきことでは無いぞ、寂しくなったら何時でも俺に言うがいい!」
私のささやかなる嫌味もすり抜けて胸を張る能天気王子に、にこりと笑いかける。きっと彼はありがとうの気持ちと受け取ることだろう。
万が一、寂しいなどという感情を抱いても素直に言うつもりは一切無いのだけど。
それにしても、どうして仕事場でイチャついているところを部下に見せつけなきゃいけないのか。この後半笑いで書類提出されるのは私なんだぞ。
あぁ、このやり取りの時間だけで私であれば三件は仕事を処理できたものを。今日も何時に寝れることやらと泣きたくなってくる。
「そうかそうか、お前は泣きそうになるほど寂しかったんだな!」
「ふふふ」
私の胸に伸びそうな手を、華麗で自然な動きで避ける。これももう慣れたものだ。
全くもう、ライオネル様が私の豊満な胸が好きなので困ったものだ。今は仕事着で一切の露出をしていないのだが、それでも視線を感じる。
彼に尽くすのも、世のため国のため。腐った王族に嫁いでしまったのが運の尽きか、自身の真面目さを恨むべきか。
王宮内でライオネル様は「愚かな王太子」と噂されている。未来の王に対して不敬な噂は、優秀な私が地道に叩き潰しているので次第に聞かなくなるだろう。
私が王妃になった時に邪魔な不穏分子を残しておく必要は無いもの。
近い将来、「愚王の妻」なんてヒソヒソ言われるなんて私の矜持が許さないのだ。
こんなライオネル様にとって聖母のように生きている私だが、それでも一度この王子を手のひらで転がすのを諦めて婚約破棄をして握りつぶしてやろうかと考えた時期がある。
彼との出会いを思い出せば、もう十年も前になる。
ライオネル様と初めて出会ったのは、婚約者同士の顔合わせも兼ねたお茶会での事だった。
公爵家に娘として生まれた時から、私はライオネル様の婚約者になる事が決まっていた。
現在の王家にはライオネル様しか男児が存在しない。
王妃陛下がライオネル様を授かった時、難産の結果これ以降のご懐妊が難しくなってしまったのだ。
我が国は基本的に貴族も王族も変わらず基本的に一夫一妻制である。
万が一、子に恵まれなかった場合は血の存続のため側室を迎えることは認められているが、両陛下は既に王子と王女を一人ずつ設けているので今回は適用されなかったらしい。
この頃は王女派と王子派で派閥が別れ、水面下で争いが耐えなかったという。我が国は歴代の中に女王も存在し、第一王女殿下が産まれてからは、彼女が次期女王になると期待されていた。
しかしそんな中、王妃陛下が男児を懐妊したと発表される。貴族社会では男児が尊ばれる気質があるため、情勢が一気にひっくり返ったのだ。
ライオネル様を王位につけたいと考えている王家は、彼の地位の向上や命を守るために、確固たる後見人が必要となる。
そこで歴史があり王家の血が近い我が公爵家に白羽の矢が立つこととなったのだ。歳が近く婚約者の決まっていない高位貴族がたまたま居なかったのも原因だろう。
しかしもっと深い大人の事情の面で言えば、
私を未来の王妃にしてそれなりの立場を保証し、美味い汁は吸わせてあげるから、低いながらも継承権があるお父様とお兄様、そして私は王位争いに入ってこないでねって事だ。
これ以上派閥が生まれ王位争いが荒れたら、更に国が混沌となることは予想に難しくない。
こうして我が公爵家を味方につけたライオネル様が王太子となり、王女派閥は静かに抑圧されたのだ。
王太子の婚約者、そして未来の王妃というその重厚で立派な肩書きに押しつぶされないよう、お父様とお母様は最高峰の教育を私に施してくれた。
そうして私は物心ついた時から、朝から晩まで勉強勉強勉強、歴史、マナー、ピアノ、刺繍、護身術、ダンス……と過酷なスケジュールをこなす日々を送っていた。
しかし公爵家という恵まれた地位に生まれた者の務めと、愚痴のひとつも零すことなく淡々とこなしていた、完璧幼女だったのだ。
そのため婚約者同士の顔合わせがある年頃には、
『リーリエはどこに出しても恥ずかしくない完璧な淑女』
と両親や厳しい家庭教師の先生方に太鼓判を押されるほどになっていた。
完璧な幼女から、完璧な淑女にレベルアップである。
そうして万全の準備で迎えた当日。
この日のために頭から足の先まで磨きあげられた姿は、リーリエの可愛らしさを活かす愛らしく品のあるドレスで着飾っていた。
大人も聞き惚れるような美しい声で生み成す完璧な挨拶。
淑女の見本となれると口々に言われた美しいカーテシー。
貴族として完璧で隙のない優雅な笑顔。
お茶は音を一切立てずに優雅に見えるように口をつける。
私を見て王妃陛下も満足そうに笑っていたので、安堵する。その日は全てが完璧だったとリーリエは確信していた。
それをあの王子に、いとも簡単に崩されたのだ。
挨拶を終えれば、仲を深めるためと二人で庭を歩くことになった。私をエスコートをする訳でもなくただ隣を歩く彼は、ずっと黙ったままだ。しかし物凄い視線を感じる。
何か言いたいことがあるのだろうかと私は彼の言葉を待つが、特に何も無いまま進んでいく。
そう思った時、彼の足が突然止まった。
「すごい!!!」
突然の歓声に目を丸くする。
何か綺麗な花や虹、それとも好きな虫でも見つけたか? と後ろを振り返っても特に何も無い。そして視線はまだ私を見つけている。
「俺、こんな妖精みたいに可愛い子と結婚出来るの!? やったー!!」
彼は鼻息荒く、目を輝かせて全身で喜んでいた。
この時私の頬がつい赤くなってしまったのは、そう、怒っていたからだ。それが王族に相応しい態度かと。
決して、この私が照れた訳では無い。
いつもだったら王子相手だろうと、私は変わらずやんわり苦言を呈しただろう。口調も一人称も、初対面の人に対する反応も、言いたい事は山ほどある。
しかしその時の私は予想外の出来事に、考えていたことが全て飛んでいってしまったのだ。
言っておくが私はこの日話題に困らないよう、
世界情勢を知るため毎朝新聞を見て、今王都で流行っている舞台を全て見て、王子の年代で読みそうな本を網羅し、商会と連携をとって王子の好きな物を取り寄せる準備だってしていた。
彼が虫や魚が好きだった場合に備えて図鑑を見て、もし遊びたいと言った時には対応出来るように兄と木登りや模擬剣で格闘などもしていた。
しかし今の私はただ、顔を赤くして口をパクパクとさせることしか出来なかった。
「ずっと黙っててごめんな! こんな幸せでいいのかって噛み締めてたんだ。あとずっと所作も全部綺麗だなって見てた!」
呆然とする私に彼は言葉を続ける。
「リーリエって名前まで綺麗なんだな」
「……ありがとうございます。王太子殿下に褒められる名誉、お父様とお母様に感謝しなくては」
「それ嫌だ!」
「え?」
「おうたいしでんか、ってやつ! 俺はライオネルってかっこいい名前なんだ!」
私を指さした後、そう言って彼は胸を張る。
「お名前はもちろん存じておりますわ。ええと、ライオネル殿下とお呼びすればよろしいでしょうか」
「殿下も禁止だ!」
「……ら、ライオネル様」
「様もいらないぞ」
「これ以上は流石に譲れませんわ」
「俺の命令だぞ!!!」
私は困って口を噤む。不満を露わにして口を尖らせている彼は本当に子どもらしい。ここは私が大人にならないと、と気を引き締めて柔らかな笑みを浮かべる。
「それならばこれから仲を深めていって、呼び方も変化させていきましょう? 先の楽しみがあるのも良きものですよ」
「じゃあ、俺はリリィって呼ぶな! 他のやつに呼ばせたら駄目だぞ!」
「私の話聞いてました?」
「俺も愛称で呼ぶのを許可してやる!」
うん、会話のラリーが続かない。段々と頭が痛くなってきて、思わず額に手を当てる。もう好きに呼んでくれればいい。
「……何とお呼びするか、家で考えてきますわ」
「あぁ、次に会う時は呼んでくれ」
「……二人の時だけですからね」
思わず完璧な笑みが剥がれてジト目になってしまったのは許してほしい。ふと、日が暮れているのに気がつく。
「そろそろ戻らなくてはいけない時間ですわ」
「嫌だ! もっとリリィと一緒にいたい!」
ギュッと唇を結ぶ。いけない、ペースを乱されすぎている。完璧な淑女として不覚である。
この失敗の結果のまま終わるわけにはいかないと、私はすぐに次のお茶会の約束を取り付けなければ。
「では、次はいつ会えますの?」
「俺は明日でもいいぞ!!」
「流石にいきなり過ぎて無理だと思いますわ。どちらにせよ、王妃様とお母様に聞かないとダメですわね。戻りましょうか」
渋々といった態度で歩き出そうとするライオネル様を引き止める。
「ライオネル様、こういう場では男性が女性をエスコートするものですわよ」
淑女に恥をかかせないでくださいまし、と私は手を差し伸べる。本当は男性からするものだが仕方ない。
そうしてようやくエスコートされ……いや、ライオネル様のエスコートがお粗末なため、ただ手を繋いでいるように見えてしまうだろう。あたたかい……と通り越して手汗のような感覚がある。それでも手を離そうとは思わなかった。
そうして元の場所に帰ればお母様に微笑ましそうに見られてムッとする。次のお茶会の日程を決めて、無事帰ることになる。
帰りの馬車で母に彼の愚痴を漏らせば「良かったわね」と言われ、帰ってから父や兄に報告すれば「仲良くなれそうで良かったね」と微笑まれたり、「惚気話かよ」と呆れられた。何故だ。
婚約者同士といえど私は日々の勉強が忙しく、ライオネル様もそう簡単に会える身分ではない。
お茶会の顔合わせも終えて正式に婚約者となったリーリエは、元々厳しいスケジュールをこなしていた日々の教育に加えて更に王宮での王妃教育が追加された。
完璧と言われる彼女であれど、普通の人間なのでそんな生活をしていればストレスは溜まる。しかし彼女は上手く発散していた。
例えば、ある日のこと。
忘れもしない、勉強の合間のわずかな休憩時間に廊下でお兄様に出会った時のことである。ニコリとすれ違う時に会釈をすれば声を投げかけられた。
「お前ってホント、人形みたいで可愛さの欠片のない妹だよな。友達の妹とかもっと無邪気で可愛いのにさ」
と、尊敬する兄に言われたのである。
私は兄の言うその人形じみた笑顔のまま、彼を有無も言わさず庭に引き摺り出した。
「お兄様、ちょうど良かったですわ。無邪気な私と遊んでくださる?」
そうして私は習ったばかりの護身術の練習台として、不意打ちも使い、兄を投げ飛ばした。
お兄様がいつもご友人方と模擬剣を振り回して遊んでいるように、お兄様が鼻血が出るまで模擬剣でぶっ飛ばし遊んで、ストレスを発散していた。
「リーリエは世界一可愛い妹です」
可愛い私と一緒に遊んでいて思い直してくれたのか、最後にはそう言ってくれた。その言葉を聞いて私はようやく無邪気な笑顔をお兄様に向けることが出来たのだ。
妹の可愛い笑顔がやっと見れて嬉しいだろうに、何故か怯えた瞳を向けられていた。これからも勉強の合間にお兄様を追いかけ回して遊んでもらう、可愛い妹なのであった。
また、ある日のこと。
理不尽な授業をして鞭を打ち、年端もいかない少女を泣かせるのが趣味な悪質な家庭教師が混ざりこんでいたことがあった。
腸が煮えくり返った私は、家庭教師をも超える知識と磨かれた鋭い言葉で言い負かす。許すつもりは無いと、彼女を泣くまでやめなかった。
そうして逆上し私に鞭を打ちそうになったところで取り押さえ、紹介状もなしにクビにしたのだ。
あの時の顔は今思い出してもスカッとする。
高貴な身に理不尽な鞭打ちなど、そのまま捕えてもよかったのだが、あえて放り出すことになった。
もちろんそれだけではただ悪を野放しにするだけなので、私の広い情報網を使い、過去の被害者を懐柔し証拠を大量に集め、しかるべき機関に提出した。
結果その家庭教師は免許を剥奪されて、被害のあった数多くの家から慰謝料を請求されたと言う。
さらに私が社交の場で涙ながら真実を話して噂が出回ったことから、彼女は未だまともな勤め先もないまま借金まみれのようだと聞いた。ある意味捕まるより辛い生き地獄である。
そのため被害者達から涙ながらに感謝され、恩も売れて私の交流も広がってと大満足である。
未来の王妃である私の信者は多ければ多いほど良いのだ。
教えが厳しい者を排除するのではなく、教えどころか人間性が間違っている者だけを排除するのが大事なのだ。
そうすることで優秀なものだけが残る。
新人の家庭教師が来た時は、逆に私に私が教える立場になることもあったが、人に教えるということは勉強になると知れたのでいい経験であった。
またある時は女主人の練習もかねて、使用人たちの管理をするようになった。
装飾品を横領するメイドはクビにしてお金を請求して、生活ができないようにする。酷い虐めをしている侍女には、そっくりそのまま内容をそのままお返ししておく。
自分の身の回りが綺麗になっていくのって素敵よね!
私が上の立場にいるという事を分からせてやるのも、高い鼻をへし折るのも楽しいのである。
どこからか私の苛烈なストレス解消……いや、武勇伝が漏れたのか、
「お前のためと思ったが、厳しくしすぎてごめんな」
「色々間違えてしまったのね」
とお父様とお母様に抱きしめられながら泣かれてしまうこともあったが、それはそれだ。
私は忙しさに目が回りそうになりながらも、そんな満ち足りた毎日を送っていた。
ほぼ毎日王宮に通い長時間王妃教育を受けている私であるが、婚約者であるライオネル様と会えるのはそう多くない。
それでも婚約者の務めとして、交流は大事だ。
そこで私は手紙をしたためることにした。
婚約者同士は手紙を送り合うのが普通らしいと友人たちとの社交の場で聞いたのである。
私の貴重な時間を削ってまで書くべきかと疑問なものだが、信頼なる彼女たちがそう言うので仕方なく書くことにしたのである。
そうして私は相応しい便箋を選ぶのに一時間は余裕でかかってしまったし、それに似合う封筒や封蝋の色を考えるのにも真剣に悩んでいた。
そうしてようやく文を書くところまで言ったは良いものの、内容を考えるのにも時間をかなり使ってしまった。書いては消して書いては消してを繰り返す。
招待状の返事や社交の手紙は光の速さで書き終わることができるこの私が、婚約者への手紙ごときでこんなに時間がかかるなんて。
我が家の書斎に、婚約者への手紙の書き方という本がなかったのが悪いだろう。
途中で無礼な私の専属侍女が「恋文は順調ですか?」などと意味不明なことを聞くものだから、驚いてインクの瓶を手紙にぶちまけたりもした。これは彼女のせいだ。
最後に私の香水をかけたのだが、これは要らなかっただろうか。しかしもう綺麗に折りたたんで封蝋をしてしまったので後戻りができない。
そんなこんなで出来上がった手紙を持ってウロウロしていれば、「さっさと出してきますね」と侍女に勝手に手紙を奪い取られてしまった。それから手紙に間違いはなかったかとソワソワする日々が続いたのだった。
「良かったですねお嬢様。殿下から手紙のお返事ですよ」
「あら、随分遅かったわね。やはり王家の検分は厳しいのかしら」
「ほんと早く来て欲しいですよね。毎日数時間おきに手紙が来てないか聞かれるこちらの身にもなって欲しいです」
「招待状とか友人からの手紙がいつ来るかも分からないのだから、別に毎日の確認ぐらい普通でしょう」
文句を垂れる侍女を軽くあしらい、封蝋の役割をほとんど果たしていない歪んだ丸を撫でてからペーパーナイフでそっと手紙を取り出す。
中身を見て私は眉をひそめる。一見、私への嫌がらせの手紙か怪文書かと思ったのである。
そう、ライオネル様は字がとても汚かった。
そして香水をぶちまけたのかと思うほど香りがキツイ。よく封ごときで抑えられていたなと思う。これならただの暗号解読のほうがまだ簡単じゃないかと泣きそうになりながらなんとか読み解くと、
『手紙ありがとう! リリィの文が難しくて読むのに時間がかかってしまった。手紙、大事にする! またリリィに会える日が楽しみだ!』
といった簡単な内容だった。手紙の文の形式の欠片も何も無い。文字を習い始めたばかりの私の方が圧倒的に文字も文章も上手いのではないかしら……と本気で思う。
こんな手紙、薪にくべてやろうかと私の中の悪魔が囁く。
しかし、青色の花が綺麗に描かれた便箋を見てふと思い出す。そう言えば私が手紙を出した後のお茶会で、私の好きな色を聞かれ青と答えたのだ。
別にたまたま最近青色が好きになったのであって、ライオネル様の瞳の色が澄んだ海のような青色であることは何一つ関係がない。
私はため息をついてから、机の鍵のかかった引き出しに手紙を入れた。
「返事を書くわ。用意してちょうだい」
普段の何倍も文字を大きく書いて見やすい字になるよう配慮し、文章も不敬とならないギリギリの所を攻めた簡略化した文章を考えることになった。
そうして今回もまた手紙を書き上げるのに、貴重な時間をかなり費やすことになったのであった。
そして、ライオネル様は好き嫌いが多かった。たまたま彼の昼食の場を覗いた時に驚いたものだ。
「こんなもの食えるか!!」
と並べられている皿にほとんど手をつけずに彼は立ち上がる。聞けば、彼が食べられるものは本当にわずかしかないらしい。お茶会ではお菓子やケーキをあれだけ食べていると言うのに。
このままでは栄養が偏り倒れてしまってはいけないと、私は次の日カゴを持って王妃教育のお昼休憩にライオネル様のところへ突撃した。
「ごきげんよう、ライオネル様。一緒に昼食を食べましょう」
彼は突然現れてそう言った私に驚いたようだった。私はそんな彼を無視して横に座りカゴを開ける。
そして野菜とお肉がたっぷりの栄養満点サンドイッチを取り出して、困ったような表情の彼に見せつける。
「私が作りましたのよ、このサンドイッチ」
「え、公爵令嬢のリリィが?」
「私に出来ないことはありませんわ」
私は家事も一通り覚えている完璧令嬢なのだ。過去には使用人に振舞った事だってある。
私はパクリとサンドイッチを口にする。休憩時間は決して長くないので彼に食べさせる前にしっかり私も食べなくては。優雅に昼食を楽しんでいれば、そっと彼の手がカゴに伸びる。
何だか野良猫に餌をやっているようだと思いながら、話しかけることはせず横目で見るだけにとどめる。
野菜が多いからか彼はギュッと目を閉じて口に入れて何度も咀嚼して飲み込む。パチクリと目を丸くして、その後は夢中で食べていた。食わず嫌いは良くなくってよ。
「……美味しかった」
「それはようございました。明日からは一緒に食べましょうね」
あらいけない。午後の授業に遅れてしまうわ。
私は彼に華麗なカーテシーをして、軽くなったカゴを片手にマナーの先生に怒られないほどの速さでその場を後にする。
そして王妃教育のある日は昼食を一緒にとる事が習慣となる。彼に会える口実ができて嬉しいとかは決して考えてない。毎朝わざわざ早起きして昼食を作る手間が増えて面倒なだけである。
そうして今日も私は二時間ほど早起きをして、前日から仕込んでいた食材を手にするのであった。
また、ライオネル様のセンスは独特だった。
「なんですの、この変な柄のスカーフは」
「ライオネル殿下からお嬢様へのプレゼントです」
豪華なラッピングを丁寧に解けば、原色で目に悪そうな青と赤が使われた変わった柄のスカーフが入っていた。
こんな色合いと柄に合う服など、この私が持っているはずが無い。
「誕生日プレゼントはこの間貰ったのにね」
数ヶ月前のお茶会で、私が婚約者同士でスカーフを贈り合うのが流行っていると言ったからだろうか。
しかし既にそのブームは過ぎ去っていて、今の流行りはブレスレットだ。人の好みの移り変わりは激しいものだが、それを察知するのも貴族の嗜みであるというのに。
最近寒くなってきたから、ライオネル様とのお茶会の時のひざ掛けにでも使いましょう。こんな柄のスカーフじゃ雑巾にしても悪目立ちしそうですもの、仕方ないわ。
これのお返しには品の良いスカーフを送り付けて、私とのセンスの違いを見せつけてあげましょう。
王家へのプレゼントにスカーフだけだと失礼かもしれないから、普段身につけるのに恥ずかしくないデザインのブレスレットも一緒に贈ろう。
持ち帰りの課題を横に置いて、私はどんなデザインのものにしようかしばらく悩むことになったのである。
「またまたお返しを貰ったのはいいものの、こんなの幼少期の私でも似合わないデザインですわ」
今回贈られてきたのは、ハートとリボンと天使の羽根のモチーフが着いたブレスレットである。
この間のスカーフといい、こんなデザインを王族に売りつけるのは一体どこのブランドだ。どうして止めてくれなかったんですかってクレームしてやろうか。
私は何度目か分からないほどのため息をついた。
そして少々お顔がぶちゃいくな犬のぬいぐるみと目が合う。このセンスのいい部屋で異彩を放っているもの全てがライオネル様からの贈り物であると言ってもいい。
私は閃いて、この犬のぬいぐるみに私の代わりにネックレスを付けてもらった。
ぬいぐるみの色合いがライオネル様に似ているので、この女児がつけそうなネックレスを付けている彼の姿を想像してしまい、少し笑ってしまった。
ライオネル様のセンスに任せると良くないことが分かったので、今度からは私家お得意の商会を呼びつけて私の好みを教えつつ選ぼうと思う。
これ以上私の部屋を奇抜にされては困るからで、決してその日を楽しみにしている訳では無い。
嘆かわしいことに、ライオネル様は運動神経も悪かった。
彼とダンスを何曲か踊れば、必ずと言っていいほど足を踏まれる。あれはわざとなのだろうかと、ライオネル様が呼び出され離席している間にライオネル様付きの執事に問い詰めてしまったほどだ。
聞けば決してわざとじゃないらしい。しかしダンス中に巻き込まれて転びそうになったことは数え切れない。
「リリィと踊るのは楽しいな!」
「左様ですか」
私はずっと転ばないか冷や冷やしているけれどね!!!
今は練習で使用人しか周りにいないから良いとして、私たちはいずれ公式の場でファーストダンスを踊る身分でなのである。もし衆目の前で二人で転びでもしたら暫くは笑い話の種になるに違いない。
人の揚げ足を取る、人の失敗を酒のつまみにする。それが貴族社会というものだ。
それに転んで万が一ライオネル様に怪我でも出来たら大変である。その時は私が怒られるに違いない。
このままではいけないと、私は上目遣いでライオネル様に告げる。
「ライオネル様、たまに足元にも注意されるといいかと」
「嫌だ!」
は? と言葉が口から飛び出そうになったのを何とか押し戻す。食い気味の否定だったぞ今。
そうですか、私の嫌味(指図)には従わないと。さすが身分の高い王子様ですこと。
「せっかくリリィとこんなに近づける機会なんだ。
足元なんて見ずに、ずっと美しいリリィの顔を見ていたいに決まっているだろう!」
その言葉にこれまた頭が真っ白になってしまった。
私が何か返事を返さないとと口を開いたその瞬間、ライオネル様の足を思い切り踏んでしまった。
ハッとして青い顔で謝り倒す私に、
「これでおあいこだな!」と痛かったであろうに溌剌とした笑みを返された。
私が一回踏んだだけで、これまでの十数回をおあいこにされてたまるか!と内心罵りながらも歯噛みしていた。
帰宅して直ぐに、もうお役御免と退職したダンス講師を手配するよう指示を出した。
「執事長、今すぐダンス講師を呼んでちょうだい!」
「お嬢様のダンスは完璧だと太鼓判を貰って、レッスンは終わったはずですが……?」
「私はもっと足さばきを磨かなきゃいけないのよ」
それから改めてダンスのレッスンを始めた。
完璧と謳われるこの私がライオネル様の足を踏んでしまったのだ。なんという体たらく。
それにこのままだと踏まれすぎて私の足が壊れてしまいそうだし、お気に入りの靴が汚れてしまうから仕方なくだ。
長年の努力の末、ライオネル様の足の運びを予測し避けるという技術を取得したのだった。彼とのダンスにしか活用されないので努力に見合わない気もするが、私達のデビュタントまでに間に合って良かった。
そんな特殊な技術を極めている人間は私以外に居ないと確信しているので、ほかの令嬢がライオネル様と踊ろうとしていればそれとなく注意する。
ライオネル様は見目と身分がいいので踊りたい令嬢は沢山いるのだ。
「やめておきなさい。貴方のダンス技術ではライオネル様と踊れないわよ」
「そんな、酷い。他の人とダンスをさせないなんて、嫉妬ですか……?」
そんな泣きそうにさせてごめんなさいね、貴方の足を守るためなのよ。きっと今日のために新調したであろう、リボンが着いた可愛い靴が汚れては可哀想でしょう。
心の中では謝罪するが、これ以上馬鹿正直に「王子のダンスが下手すぎて貴方の足を踏んでしまうかもしれないの」と言っても私が不敬罪で捕まってしまう。
どうしたものかと悩んでいれば、いつのまにか隣に来ていたライオネル様に肩を抱かれた。
「あぁ! 婚約者が嫉妬してしまうから遠慮して貰えるか?」
私が否定の言葉を入れる前に肯定されて、怒りで顔を真っ赤にした私は何も言えなくなる。しかし人前で王族の言葉を否定するわけにも行かない。
ライオネル様の登場とその言葉に、ご令嬢は苦い顔をしていたが大人しく去っていってくれたので良しとしよう。
大声で彼がそう宣言したからか、踊りたそうに周りに集まっていた令嬢達が蜘蛛の子を散らすように去っていき安堵する。
先程の物言いに腹が立ったので次のダンスではわざと足を踏んでやろうかしらと考えたが、完璧な淑女である私がそんなことをする訳にはいかない。
全く、見目ばかり良くてエスコートは様になっているのが腹が立つ。
私達の、主に私の努力のおかげで華麗なファーストダンスが無事終わる。すると周りから歓声と溢れんばかり拍手を頂いて、練習した甲斐があったかなと思えた。
そんなこんなで、問題の貴族学園時代。
私は苛立っていた。あのスカポンタン王子が、執務も生徒会の仕事も私のことも放っておいて、聖女と側近と遊び呆けていたからである。
聖魔法が使えることで中央教会から聖女として認められて、平民から伯爵家の養女となり貴族学園へと転入してきたアリスという女。
聖魔法は癒しの力、国を豊かにする力、予知、祝福などが使える奇跡のような能力だと伝えられている。
以前に聖女が存在したという記録は百年ほど前で止まっていて、伝説の存在に学園内で話題になるのも無理はなかった。
そして貴族社会に慣れていない彼女を、私やライオネル様が所属している生徒会がフォローするよう学園長から指示されていた。全く、彼女を学園に通わせれば国からお金がたんまり貰えるものね。
気に入らないのはその素性ではなく、可愛らしいお顔と華奢な身体に見合わずお胸がたわわなことだ。
しかも所謂庇護欲の溢れる妖精のような見た目で、推定になるが彼の好みのタイプど真ん中だ。コロッと恋に落ちても納得する。きっと彼女を前にデレデレしているのでしょう。
そして彼女とライオネル様が仲良くしていることで、私への嘲笑の視線が増えていく。
元が平民でも聖女なら十分に王妃に相応しい立場とも言えるため、私の婚約者という立場が危うくなっていると周りに思われているのだ。
王家の結婚はそんな簡単なものでは無いと言うのに。
彼らが遊び歩いているため全ての仕事が私に降り掛かる事になり、書類の提出のため職員室へ行った帰りのこと。
廊下を歩いていれば、端で談笑している令嬢達の視線が突き刺さる。
「曲がりなりにも生徒会なのに一人のけ者にされてお可哀想。聖女様が来る前はあそこに居たのはあの方だったのに、ねぇ?」
「やっぱり悪役令嬢よりも、聖女様の方がずっと王太子殿下には相応しいのではなくて?」
「この間は聖女様に水を被せたんですって? 恐ろしいわ」
クスクスと私に聞こえるように、そして私の名前を出さずに話しているのがまた貴族らしくとても腹立たしい。
そう私は、聖女とライオネル様の仲を引き裂く悪役令嬢だと噂されている。
曰く、暴言を吐いた。彼女の持ち物を壊して捨てた。足を引っ掛けて転ばせた。扇子で頬を叩いた。ワインをわざとかけた。階段から落とした。挙句の果てには暗殺を企てているなど数え切れないほどの噂だ。
呆れるほど全く事実無根のため、念の為王家には影をつけてもらっている。
馬鹿馬鹿しい。私が本気を出したらそんな可愛い悪戯で済まず、彼女はもうこの学園に居ないというのに。
今相手をするのも面倒なので、彼女達の名前と顔を記憶してその場から去る。
気分を害しながら生徒会室に戻れば、部屋の中から話し声が聞こえた。いつも遊び歩いている彼らが珍しく生徒会室に全員揃っているようだ。
扉に手をかけようとした時、耳を疑う言葉が聞こえてきた。
「僭越ながら、ライオネル殿下。リーリエ公爵令嬢と婚約破棄し、聖女アリスを妃にするのはいかがでしょう?」
婚約破棄などとほざいてメガネを指で押し上げ提案したのは、宰相の息子。
「それは、リーリエ様に申し訳ないです。それに私は聖女で、結婚するつもりはありません」
皆に囲まれ、困ったように眉尻を提げている聖女アリス。
「アリス、謙遜しすぎじゃないかな。二人はとてもお似合いだと思うよ」
軽薄な笑顔とともに、大人だというのに無責任な発言をしている生徒会の顧問。
「そうだよ!卒業パーティであの女と婚約破棄して、二人の婚約を発表しちゃえば? 素晴らしい門出になるね!」
猿のように手を叩き、この私をあの女呼ばわりした伯爵家次男。
その話を聞いて、ぷつんと何かが切れた音がする。
よろしい、戦争よ。
私は誇り高き名門の公爵令嬢。数代遡れば王家の血筋である私も王位継承権を持っている。
まずは国民を大事にしない愚王も、着飾ることしか興味のない王妃もこの国のトップから引き摺り降ろす。
そして彼らより先手をとって公の場で私から婚約破棄をして、あのバカ王子を王太子から退けてやる。私が婚約者であるからこそ彼は王太子なのだ。
そして愚かな側近は今の華やかなレールから転落させてやる。
支配者に向いていないロザリア王女殿下には遠くへ行ってもらって、私の味方をしないならお父様もお兄様も全員ぶっ倒していけばいい。
そうだ、私が女王になってやろうじゃないの。私が何のために今までの人生のほとんどを使って必死に学んできたと思っている。
まずは中立派をこちらに誘導して、親戚にも優秀な者に目星をつけているので声をかけて……
私が一瞬で完璧な謀反の計画を脳内に繰り広げていれば、教室から怒鳴り声が聞こえる。
「冗談でもそんなことを言うな! 不敬だぞ!!」
それは今まで黙っていたライオネル様の声だった。怒りを顕にしている彼に周りは動揺していた。彼の怒号に慣れている私も目を丸くした。
「この完璧な俺に見合うのは、世界中を探してもリリィしか居ない! 婚約破棄などするわけが無いだろう!」
………………まーあ? あの言い方は腹が立つが、あのバカ王子の手網を取れるのは広い世界を探してもこの私ぐらいだろう。
まぁ完璧な私に、ライオネル様がお世辞にも見合っているとは言えないけれど仕方ない。この私に婚約破棄を叩きつけるほどの愚か者ではなかったようだ。
女王でも陰ながら支配するのも、私にとって仕事はそんなに変わらないのだし。私はとても優しいから、彼には私の手のひらで転がされる方を選ばせてあげるわ。
計画を少々変更することになったが、私は嬉々として粛清を始めた。
まずは聖女アリスを、身元引受人の伯爵に公爵家から圧力をかけ絶縁させて平民に戻す。貴族であるという入学資格も無くなったので、学園も退学させた。
私は優しいので行き場のない彼女を私の管理する教会で保護し、聖魔法の力を使わせ死ぬまで働せることにした。
そうして愚策しか進言せず、諌めることも出来ない無能な側近候補を総入れ替えすることにした。
宰相の息子は卒業後宰相補佐としてエリートコースで働くこととなっていたが、息子と違ってまともな宰相と直談判して、下級文官ですらなく雑用係として低賃金で働く事になった。
プライドの高い彼は立場が下だと思ってた者に顎で使われミスをすれば怒鳴られ、精神を摩耗していくことだろう。
生徒会の顧問だった先生は、学園に寄付をしている額トップの公爵令嬢で次期王妃である私が学園長を脅し、栄えある貴族学園からクビにさせた。そうして彼は地方にある男しかいない平民学校で働くことになった。
数多くの女性を泣かせていた先生なので、男に囲まれて過ごすのはいい経験になるだろう。王都に来るのに一ヶ月は必要なので、もう会うことはないだろう。
伯爵家次男の男は学園を卒業後、婚約者である侯爵令嬢に婿入り予定だったが、私が浮気の証拠を彼女に渡して呆気なく婚約破棄された。
長男が既に結婚し子供もいるため実家に居場所はない。
婿入りし王太子の側近として過ごすつもりで、まともに勉強も鍛錬をしておらず就職先も決まっていないのでこれから苦労する事だろう。
そして王と王妃を離宮に閉じ込めた。
元々優秀な臣下に仕事を丸投げして遊び暮らしていたのだから何も支障はない。
民には彼らが流行り病にかかってしまったと伝え、ライオネル様の戴冠式の日程を早める。二人はまだまだ王位を譲る気のなかったようだが、さっさと降りてもらう。
私は優しいので、血を流すことなく平和に解決してあげた。私に素直な傀儡になってもらう為には、ライオネル様に綺麗な椅子に座ってもらわないと。
そうして卒業するまでに無事全てを終わらせることが出来た。周りから人が消えていき不安そうな彼に私は寄り添う。
卒業パーティでは何事もなくライオネル様と腕を組み入場し、優雅にダンスを踊った。神聖な場で婚約破棄など行われることもなく、無事私達は卒業した。
学園内では悪役令嬢だと散々言われたけれど、未来の王妃に表立ってそんなことを言う訳にはいかず直ぐに噂も消化した。王妃になった暁には、悪役令嬢と呼ぶものを諌めたり中立派にいた生徒たちを重用しようと思う。
卒業後は私が王宮に移り住み、本格的に執務に励むようになる。戴冠式の準備や結婚式の準備もあり、とても忙しいのだ。
「……ィ、リリィ」
そこで意識は現在まで戻ってくる。
「はい、ライオネル様」
「五回は呼びかけたが反応がなかったぞ!
随分ぼんやりしていたが、やはり疲れているのではないか? この後の会議のために呼びに来たのだが、やっぱり俺一人で行った方がいいだろうか」
おっと、この後の会議のことすっかり忘れていた。
てっきりライオネル様が寂しくてここに突撃してきたのかと思っていたが、私を呼びに来ていたのか。
いや、普通呼びに来るのは私の使用人の仕事だから、私と一秒でも早く会って話したかったライオネル様が使用人から仕事を奪い取ったのだろう。
「もちろん私も行きますわ!
呼びに来てくれてありがとうございます。助かりましたわ」
私は優秀なため会議用の資料は早めに完成させていたためそこは特に困らない。ちらりと一瞥し内容も確認したので、秘書も兼ねている文官に資料を持たせ会議室に向かうことにする。
ライオネル様と腕を組んで威厳を保ちながら部屋に入れば、嫌な視線が向けられる。新参者の私達のことを舐め腐っていると言ってもいい。
ここにいる重臣達は、先代から変わらず私腹を肥やしている者たちの集まりだ。貴族の象徴のように肥えて必要のないほど宝石をつけている。
身分を問わず優秀なものを引き入れ、次は国の重臣達という膿の排除をしなければ。
側近候補とは違い、簡単に総入れ替えが出来るものでは無いので骨が折れているところだ。それでも、ライオネル様の戴冠式までには何とかするつもりだ。
そして会議が始まる。議題は不作の改善案と失業者の減少案を練るというものだ。暫く無駄な話し合いが続き、脱線する会話を引き止める。
一人が、厭らしい笑みを浮かべてライオネル様に問いかける。
「民衆から不満が出ていますが、王太子殿下はどうお考えですかな」
「まずは貧民街を中心に炊き出しを行い、失業者に補助金を出し仕事を斡旋するつもりだ」
真っ直ぐな瞳でそう答えるライオネル様に、重臣達は目を見合せて笑い出す。
「そのお金は何処から出すつもりです?」
「いやぁ、流石心優しい王太子様が考えることは違ってますな!」
「仕事を斡旋するにも金がかかりますからね」
「しかし! 夜会の数を減らし、先の案にあったカジノの建設を見送れば資金は出来るはずだ」
ダン、と机を叩くも意味は無い。嘲笑が増えるだけだ。
「いやはや、貴族を敵に回すつもりですかな」
「逆に資金援助を絶たれると思うがな」
下品な笑い声が部屋の中に響いて、言い返すことも出来ないライオネル様は悔しそうに唇を噛む。
賢い宰相や私の息がかかった人物は今も黙り込んでいた。
愚かなライオネル様。
国のためだと思って思ったことをそのまま口に出してしまう。悲しい事ながら、綺麗事だけでは政治はできない。
貴族たちの不満が増えれば貴方は王太子の座を奪われかねないし、貴族の意見に偏れば国民が苦しみいずれ国は傾く。バランスが重要なのだ。
そして資源やお金は有限で、国民はそれをわかっていないのだ。
お金や物資を恵んでばら蒔いて一時期は栄えても、更に更にと求められるだけ。資源がなくなってきて節約のために切り上げでもしたら民衆から不満が溢れ、王家や貴族は叩かれるだろう。
彼らに憎まれるのが役目、そんな見方もできる。
それでも幼い頃から変わらず真っ直ぐな貴方は繊細で、愛し守るべき国民から憎まれたらとても傷ついてしまうだろう。
姉君であるロザリア王女殿下も、ライオネル様も、あの人の心がない両親から生まれたというのに、非常に優しく真っ直ぐに育たれた。
ロザリア王女殿下とライオネル様は両陛下から、愚王になるような洗脳を受けていた。
何時までも自分たちの言いなりになるよう余計な知恵を吹き込ませまいと、まともな教育を受けさせず人格を歪めるような人材を配置した挙句、育児放置をしていたのだ。
優秀な私を婚約者に置いたのも、面倒な仕事を全て押し付けるのに丁度良かったらしい。
彼らの劣悪な環境に気がついたのは、正式な婚約者になってから数ヶ月が経ち、何度かお茶会をして王妃教育のため王宮に通い始めた頃。
たまたまロザリア王女殿下の部屋の近くを通った時、部屋から悲鳴が聞こえた。私は不敬と知りつつも、暗殺者や強盗の可能性があるため彼女の部屋を覗き見た私は驚いた。
高貴なる身分である王女殿下に家庭教師ごときが理不尽な授業をし、あろうことか鞭を降るっていたのだ。
すぐさま信頼出来る騎士を引き連れて扉前で待機させ、私だけが中に押し入った。
授業とも呼べないお粗末なものに乱入し、その家庭教師を完膚なきまでに知識と言葉で叩き潰した。
案の定彼女は逆上し、私が鞭を打たれそうになった所を控えていた騎士たちに捕らえてもらった。
私はそのまま処罰をと思ったのだが、あんな目に合わされていた張本人、心優しきロザリア王女殿下が涙ながらに命を奪う処刑は望まないと告げた。
だから私は、処刑はせずに家庭教師の彼女の人生を破滅に追い込み、生き地獄になるよう仕向けた。
次に王女殿下の元にやってきた家庭教師は、人に教えたこともないような新人のリアナという女の子だった。これも両陛下の差し金だろう。
没落したばかりの元下位貴族で、まだ小さい弟と妹を育てるために高給のこの仕事に飛びついたらしい。また性根の腐った者なら追い出そうと、しばらく彼女の動向に目を光らせていた。
しかし彼女は知識が覚束無いだけで学問に対する熱意も、王女殿下に対する敬意と、まるで妹を見守るような慈愛の感情も見て取れたので合格とした。
しかし下位貴族の教育しか受けていない彼女が、一朝一夕の努力のみで王家の高水準の教育などできる訳もない。
そこで仕方なく私が教鞭を取ることになった。
家庭教師の子から教科書と専門書を奪い取り私が読み解き、噛み砕いて2人に説明する。そうして二人は十分な教養を身につけていった。人に教えるということは私も勉強になったので結果的には良かったと思う。
ロザリア様が成人しお役御免となったリアナは、今では引く手数多の優秀で素晴らしい家庭教師になったと聞く。
そしてロザリア様の使用人の質も最悪だった。
王女殿下の宝飾品を盗む、陰口、お湯が水に張り替えられている、食事がお粗末なものに変えられているなど、挙げればキリがなかった。
聞けば、ライオネル様が産まれてからはずっとこうだったらしい。両陛下も黙認しているも同然だと涙ながらに語っていた。
「私が王太子にもなれず、王女としても役に立てないから悪いのです」
「いいえ、ロザリア様は悪くありませんわ。
未来の王妃で、そして貴方の義妹になる私に任せてくださいまし」
そう言って使用人ではなく自分を責めてしまう彼女の背中を撫でて、粛清を開始した。
私が将来暮らす環境が悪いままなんて耐えられないもの。
王族の宝飾品を盗んだものは逮捕。陰口を叩いた物は不敬罪でクビに。水に張り替えたメイドには、ロザリア様に近づこうとすれば私の水魔法で真冬だろうと水浸しにする。
そしてある日、ロザリア様に食事を作り運んだ者達を呼び出した。
私お手製のスープとパンを彼女達の前に置く。腐った匂いのする、芽の出た野菜のスープとカビの生えたパンだ。
「ロザリア王女殿下に毎日このようなものを出すのだから、貴方達はこのような料理が好きなのでしょう?
この私がわざわざ作ってあげたのよ。食べなさい」
王女殿下の食事を床にわざと落としていた人の分の皿は、わざわざ床に落としてあげた。冷たい瞳で見つめる私に震えたまま、誰も口にしない。
「公爵令嬢である私が作ったのに酷いわ。今すぐ、これを完食するか辞めるか選びなさい」
彼女達は青ざめながら辞めることを選んだ。もし料理を口にしていたら毒で身体が暫く痺れてしまっていただろう。賢い選択だ。
彼女達は心優しいロザリア王女殿下を見下し、何をしても咎められず反撃されるなんてないと思っていなかったのだろう。愚かな事だ。
そうして抜けた穴に私の息がかかったまともな使用人を周りに配置していった。段々とロザリア様の笑顔が増えていった。
王太子になってから長年洗脳を受けてしまっていたライオネル様は、今でも尊大な態度も乱暴な言葉遣いも中々治らない。
しかし、今後この国の頂点に立つ彼なら目をつぶれる程度だろう。中身が伴ってくれば、それもまたカリスマ性と人の目に映る日も遠くないと思う。
彼もまた、まともな教育をして貰えていなかったのだ。
文字すらまともに書けなかった彼に、私は手紙を通して字や文章の書き方を教えた。
優しい王子は、手紙など書いたことがなかっただろうに、出来ないと放り投げることをせず自分で時間をかけながら返事を書いてくれた。
王太子である彼は、日々命を狙われていた。食事に毒が入っていることなど珍しくなく、彼は食事に抵抗感を持つまでに至っていた。王太子とは思えないやせ細った姿を豪華な服で誤魔化そうとしていた。
優しい王子は、私とのお茶会で率先してお菓子を食べて紅茶を飲んでいた。ガリガリに痩せた彼が、お腹が空いているからではなく、私のために毒味をしていたと気づいた時の私の顔はどんなものだっただろう。
食事が怖かったというのに、私の手作りのご飯は食べてくれた。青ざめながら完食して、美味しいと言ってくれた。
私はまともな料理人を王宮に潜り込ませていき、彼の食事環境を改善していた。
両親からまともなプレゼントを貰ったことも無く、品のいいプレゼントを贈ることが出来なかった彼に、私の好みや人に喜ばれる贈り物を教えた。
優しい王子は、私の誕生日はもちろんのこと、何も無い日にもプレゼントを贈ってくれた。
世の中には、誕生日にプレゼントを贈らない婚約者だっている。使用人に任せるのではなく、自分で考えてプレゼントしてくれていたのだ。それが嬉しかった。
そして私が贈ったものも大切にしてくれた。私が手作りして贈ったブレスレットには、毒消しの効果を付与している。
ダンスの授業を一度も受けたことがなかった彼の、初めての私と踊った社交ダンスは酷いものだった。基礎の足の運びすら分かっておらず、何度も足を踏まれた。
優しい王子は、私が密かに手配したダンス講師の厳しい指導に、私と踊るためだと根をあげることなく必死に努力してくれた。そうして例え失敗しても私がフォロー出来る程度の、何とか形になるぐらいには成長した。
私がさり気なくまともな人材を二人の周りに配置したのもあるだろう。それでもお世辞にも恵まれているとは言えない環境で、腐らずに優しく真っ直ぐに立っていてくれた。
そんな二人だからこそ私のように貴族らしく冷徹で、時には残酷な手段も取れる婚約者が隣に必要なのだ。
王族に無礼を働いた使用人を処刑することも出来ない、心優しいロザリア王女殿下は女王には向いていない。
これから彼女は隣国との国交の強化という名目で、隣国の公爵令息に嫁ぐ事になっている。
それはあくまで口実で、留学に来ていた彼とロザリア様が両思いになったのを知って、二人の婚約を取り付けたのは仕事の出来るこの私だ。
そして真っ直ぐでまだ学の足りない、いい意味で貴族らしくないライオネル様も王には向いているとは言えない。
しかし、それは私が補えばいいだけの話だ。
私はライオネル様の前に出るように話し始める。
「長年続いている不作についてですが、聖女アリスが聖魔法を用いた新しい農業方法を取り入れています。
試験段階ですが、寒さに強い作物が出来れば広範囲で栽培していく予定です。その過程で、平民の雇用を拡大し少しずつ状況が打破できると思われます」
聖女アリス。彼女は決して賢くはなかったが、側近たちのように愚かではなかった。
彼女のライオネル様を見つめる瞳に、恋する熱がないことを知っていた。
「あなた、私に言いたいことがあるのではなくて?」
私は全ての粛清を始める前に、こっそりとアリスを呼び出した。思えば、二人きりで話すのはこの時が初めてだった。
「……失礼ながら、正直言わせていただきます」
「ええ、今は無礼を許可するわ」
「この国には、まだまだ課題が多すぎます」
そう、今の国は決して豊かで活気に溢れているとは言えない。王家や一部の高位貴族の散財や見栄のために下々の税は重くなり、猛吹雪や災害による不作も続いている。
貧民街は年々広がり失業者も増えている。
冬を乗り越えるのが難しい人も、明日食べるものに困る人も大勢いる。そして不衛生な環境では感染症も広まり悪循環となっていた。問題は数え切れないほど抱えている。
「本当は学園に通わずに、この力を使って今も苦しんでいる人を一人でも多く救いたい。聖魔法の新たな可能性を見つけたい。
でも、伯爵様が許してくれなくて……多大なお金を寄付してくれた人にしか使ってはならないと制限されたのです」
そう言ってアリスは喉元のチョーカーを見せる。それは聖魔法制御装置だと教えてくれた。
引き取られた時に無理やり付けられて、逆らったり勝手に魔法を使えば電流が流れ気絶してしまう。伯爵の言いなりになるしか無かったらしい。
「それに学園に通うのだって、この聖魔法の正しい使い方や他にも効率のいい使い方が分かればいいと思ってここに来たのに、授業も知識のある先生も、参考書すら何も無かったんです」
「聖魔法について書かれた本はおとぎ話程度の記載だもの。ここの教師たちだってまともに教えられるはずがないわ」
「えぇ、伯爵は私が高位貴族に見初められ嫁ぐために学園に行かせたんだって分かりました。できることが限られた中で、私は好意を持ってくれた男性を利用しようと思ったんです。
私が貰ったネックレス一つで、孤児院の子どもたちが一年憂いなく暮らせるんです。ドレス一着で、貧民街の人達がパンを口にすることが出来る。そうしてお金を巻き上げていたんです」
そう告白する彼女は自嘲気味に笑っていた。
「聖女様は平民の人気取りをしているって噂が流れていたわね」
「そう思われてもいいんです。でも、そうしているうちに王太子殿下に相応しいと持ち上げられるようになっていたんです。私が相応しいわけないじゃないですか!! 私、この間まで平民だったんですよ!?」
「そうだったのね。でも聖女なら可能ではあるわ」
「私は王妃になどなりたくありません」
それは強がりでも謙遜でもなく、強い決意の目だった。
彼女は男に囲まれて笑顔を浮かべていても、女子生徒から陰口を受けている時でも、いつもその瞳をしていた。
貴族の平民差別意識は根深い。聖女と褒め称えられる反面、彼女がいじめにあっているのを知っていた。私の悪役令嬢という噂を隠れ蓑にしていたため、全て私のせいになっていたが。
「私は、自由な平民のままでいたかった。そうしたら、これからももっと誰かの役に立てたかもしれないのに」
恵まれている彼女は伯爵家に縛られている。これからも彼女は鳥籠の中で生きていくのだろう。
「私は婚約者の居る王太子殿下に近づき、令息たちからお金を巻き上げ不敬なことを致しました。いかなる罰も受けます」
そう言って彼女は深く深く頭を下げる。彼女が今、どんな表情をしているのかは分からない。
「……分かった。貴方に然るべき罰を下すわ」
そう言って私は踵を返した。粛清を開始する。
私は伯爵家に圧力をかけ、アリスの養子縁組を切るよう仕向けた。しばらく渋っていたが、手切れ金をチラつかせればすぐに頷いた。
そうして彼女と縁が切れたあと、伯爵の脱税の証拠や聖女の力の悪用を世に知らしめた。そうして彼の爵位を剥奪し、平民となった彼はあっさりと死刑となった。
聖女は護られるべき者と国の法で定まっているのだ。かなり昔に制定されたものなので、ただの伯爵である彼が知らないのは無理ないが、少し考えれば分かりそうなものを。
平民となり学園をやめることが出来たアリスは、制御装置を外され私の管理する教会で働くこととなる。
私は彼女に聖女の位に相応しい立場を与え、人々を救うという仕事を与えた。
人を癒し、各地を周り地を繁栄させ、この国を豊かにすることを義務付ける。それに責任はあれど、貴族であるよりはよっぽど自由だ。
私は仕事の合間を縫って、彼女のいる教会へと訪れた。
彼女は子どもたちと一緒に土にまみれ畑を耕していた。遠くからでも彼女の笑い声が聞こえてくる。
爽やかな風に吹かれていれば、私に気がついたアリスが駆け寄ってくる。
「リーリエ様! どうしてこんなところに」
「田舎にあれど一応私が管理する教会ですもの。自由に来ていいはずよ。それに貴方がしっかり働いてるか見に来たの、どうやら息災のようね」
私の言葉に、アリスは学園では見た事のないほど柔らかな笑みを浮かべる。
「えぇ、毎日が幸せです。なんとお礼を言っていいのか……しかしこれでは罰にはなりません」
「いいえ? 貴方は死ぬその時まで、この国のために、次期王妃となるこの私のために働き続けなさい。それが罰よ」
私の言葉を聞いたアリスは、涙を零していた。泣きじゃくり、土にまみれて質素な服を身に纏う平凡な姿。
しかし、学園にいた頃よりよっぽど彼女は美しかった。
聖魔法は、清らかで高潔な魂にしか宿らないとされている。この汚い世界に生まれてしまった、心優しい人間を守るための神からの贈り物が聖魔法なのではないかと私は思っている。
「リーリエ様の御心のままに」
彼女が落ち着いたところで、聖魔法について教えることが出来る人材をここに派遣すると言ったらまた感謝された。
彼女は広がりかけていた感染症を食い止め、災害があれば怪我人を治しに行き、今は不作の改善を試みている。
きっと未来では彼女の名が刻まれ、数多くの功績が記されているだろう。
「聖女アリスが国のために聖なる力を捧げ、豊かになるよう努力しているのは、学園時代にお世話になったライオネル王太子殿下のおかげだと言っておりました。
彼女がライオネル王太子殿下のためにこれからも奇跡の力を使っていくのであれば、今後は安泰に向かうと考えています」
「あの聖女アリスか……!」
「いやはや、これは素晴らしいですな」
「ライオネル殿下もいい働きをしたものだ」
私の言葉に彼らは顔を明るくし分かりやすく沸き上がる。どの世代でも聖女は夢の存在だ。その彼女を囲い込み、国のために働かせられるならば安泰だと騒いでいる。
ライオネル様がなにか言いたそうにしているのを、腕をギュッと握りしめ止める。
「これが資料ですわ。次の会議では詳しい計画書を持ってきますので、今日はここまでとさせて頂きます」
礼を取り、立ち尽くす彼の腕を引っ張りその場を後にする。息苦しい会議も終わりようやく肩の力が抜けた。
時間も遅いし疲れたので、今日は仕事を休もう。残りの仕事は部下がやってくれるだろう。疲れが限界で私はベッドに倒れ込んだ。
やっと二人きりになれた寝室で、ライオネル様がずっとしょぼくれている。今日は雨に濡れた犬になる日なのだろうか。
「リリィ、さっきはごめんな」
「あら、ライ。せっかく二人きりになれたのにまだ仕事の話をするの?」
憂鬱な会議の話などしたくないので、話をそらそうと私が可愛らしく頬をふくらませれば、目線が泳ぐ。貴方は何も謝らなくていいのに。
「だってでも、また俺は何も出来なくて……リリィの仕事を増やしてしまったし」
「ライはそのままでいいのよ。そのための婚約者でしょう?」
「仕事をしてもらうために婚約者になったわけじゃない!」
聞き慣れた怒鳴り声。でもこれは私への愛故なのだから嬉しく思う。
「ふふ、そうね。ライは私のことが大好きだものね」
私が微笑みながら言えば、彼は顔を真っ赤にして押し黙る。昔から恥ずかしがり屋で、意地っ張りなのだ。彼も私も。
それでもモゴモゴと先程の会議の話を蒸し返そうとしているので、微妙な距離感を保っていた彼にグイッと近づいた。
「仕事と私、どっちが大事なの?」
「もちろんリリィに決まっている!」
私が執務室でのお返しに悪戯っぽく笑えば、予想通り即答で抱きしめてくれた。私もよ、と優しく笑えばそっと唇が重なる。胸に伸びる手も今度は避けたりはしない。
「愛している」
と告げてくれる貴方の声に私は目を細める。
私も本当に愛しているわ、
私だけの愚かな王子様。
私の手腕があれば優秀な家庭教師を周りに置き、立派な統治者に導くことだって容易い事だっただろう。
でも、私はあえて王族として相応しい最低限の教育で留めた。だって、完璧になってしまったら私の存在価値が無くなってしまうもの。
私が必要なくなってしまうなんて耐えられない。
そういう意味では私も、彼の両親とやっていることは変わらないだろう。自分勝手な理由で、貴方の教育を制限した。
でも私はいいの。アイツらと違ってライオネル様を心から愛して、最期までしっかり責任を取るのだから。
彼があの時、間違った選択をしなくて本当によかった。
もし仮に、あの時婚約破棄をして聖女を選んでいたなら。
すぐさま計画的なクーデターを起こし、穴だらけの王家を容易く落としていた。
そして間違いなく私が女王として降り立つことになっただろう。そうして誇りも立場も居場所も家族も失って、心身ボロボロになったライオネル様を、私が助けてあげようと思っていた。
私が国を導くその隣で、ライオネル様は日の当たることのない王配として暮らしてもらおうと考えていた。
その時は、側近たちは全員命を落とすよう仕向けていたかもしれない。
聖女の意見を聞くどころか保護するなんて全く考えずに、聖なる力をただ利用することにしていただろう。
ちなみに彼女を苦しめていた聖魔法制御装置を作ったのは私だ。
今では読める人はほぼ居ないという古語を独学で習得し、古代の本を幼少期から読み漁っていた私は、聖魔法についてきっとこの国の誰よりも詳しかった。
年々聖女が現れる頻度が減ってきているため現代の本にはたいした情報はないが、古代の本には聖魔法について詳細に書かれていたのだ。汚く腐ったこの世界で、清らかな魂を持つ者が産まれにくくなるのは必然だろうと私は鼻で笑った。
きっと私は何度転生したとて聖女にはなれないだろう。
ちょうどその時の私は、小遣い稼ぎのため全属性の制御装置を作成しているところで、聖魔法について知識を得たついでに作って販売していたのだ。
理論上は完成したがその時は聖魔法の使い手が居なかったため、本当に使えるかどうか実験が出来なかった。
どうせ買取手も聖魔法の使い手に使う用途ではなく、聖魔法信者のコレクターに刺さるだろうと思い軽い気持ちで販売したのだが、まさかちゃんと効果があるとは。
毒を盛られる危険が日々付きまとう貴族なら喉から手が出るほどに欲しがるであろう、毒消しの効果があるブレスレットを幼少期から簡単に作り出すことができるぐらい私は天才なのだから当然か。
そんな私でも、長時間座ってても疲れない椅子は作れない。とほほ。
現在私の運営する教会で、聖女アリスは日々聖魔法の制御の方法や効率のいい聖魔法の取り扱い方を学んでいる。
どうやら彼女は私が公爵家や次期王妃としての伝手で、聖魔法を教える事が出来る人材を派遣してくれていると思っているようだが、裏で指導内容を伝えているのはこの私である。もちろん私に不利になることは教えていない。
『聖女が愛される幸せな王妃になった時、その国は聖なる結界が張られ、聖女が亡くなるまで災害や不作、疫病に襲われることは無い』とかね。
すっかり私の信者になった聖女アリスは、今日も私達の国民を救うために汗を流しながら笑顔で働いているのだろう。
アリスは国民の為に力を使いたいという願いを叶え、幸せになった。
劣悪な環境から助けてあげたロザリア王女殿下は、私にとても懐いてくれた。
そして家庭教師のリアナから教科書を奪い取り私が教師となって、勉強内容も操作した。
王に必須な帝王学などは省き、男尊女卑なこの国で女王になるのがいかに大変かを説いた。私だったら大して苦でもないが、彼女には過酷なのは嘘ではない。
ライオネル様が王位を脅かされることのないように、咲く予定もない小さな芽もすらも潰したのだ。
また国内で降嫁すれば、王女派が機会を伺うことになるだろう。私は友達として王女の好みを聞き出して、国外の有力な男性をピックアップした。
そんな時に、候補にあった隣国の公爵令息が、この国に留学に来ているのを聞きつけた。
すぐさま私はロザリア様の予定を聞き出し、人を雇い偶然を装って二人を会わせることに成功した。幸運なことにお互い一目惚れしたようだった。
身分の釣り合いもあったため、私の尽力で隣国との国交のためという名目でトントン拍子に結婚が決まった。
私としてはわざわざ各国の候補の男性を引き連れて、お見合いをセッティングする手間が省けて万々歳である。
ロザリアは愛し愛される結婚をして幸せになった。
それもこれも、全部ライのためよ。
両親からも、側近からも、臣下からも、暗殺者からも、私が全てのものからあなたを守って幸せにしてあげる。
どうか真っ直ぐで優しく、私のことを愛している貴方のままでいられますように。貴方が愛していてくれるなら、王位も私のからの愛も全て惜しみなくあげるわ。
両親のように遊び暮らしたって私は許すのに、国民のことを大事に考える貴方だから、戴冠式の後は彼が賢王として讃えられて国民に好かれるよう操作をしようと思う。
これからもやる事が山積みでしばらくは仕事に生きたいが、子どもが生まれないと側室を求める声が出てくるから見極めが必要ね。きっと彼との子なら可愛いだろう。
今では予約待ちで人気の家庭教師となっているリアナが、私達に子供が産まれたら必ず家庭教師になると息巻いていたのを思い出す。
そうね、私に似て優秀な子が出来たら早めに王位を譲って田舎でライと二人で穏やかに暮らすのもいいかもしれない。
そんな未来設計をしているとは露知らず、ライはいつもの間抜け顔で私を見つめている。この私に見蕩れている時の表情がとてつもなく好きだった。私からもキスを贈れば、タコみたいに顔が赤くなるのも好き。
初めて出会った時から、私はあなたが好きだった。
生きる楽しみなどなく勉強カリキュラムをこなすだけだった、ただの人形だった私を心から褒めてくれて、体温を教えてくれた。
ライは私に一生愛されて幸せになるの。
仕事よりも、世界の何よりもライが大好きだ。そう思って、私は彼を強く抱きしめた。
冷徹な完璧令嬢は、愛しき愚かな王子を手玉にとり裏の支配者になりました。
あぁ、なんて素敵なハッピーエンド。
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今後も異世界恋愛物の作品を書いていきますので、何卒よろしくお願いします!