喧嘩
「……やっちまった……」
俺は路上で1人、頭を抱えた。
俺のバカ。
喧嘩して出ていくって、俺は一体何歳だ。
高校2年生のやることじゃねえ……。
俺はげっそりと溜息をつく。
荷物は部屋に置いてきまってるし、月光も置いてきたし戻らなきゃならないんだけど、当然ながら戻りづらい。
……しばらくその辺を散歩して頭を冷やそう。
そもそも、龍香はちゃんと謝ってくれてたのに。
あんな言い方する必要なかったのに。
「俺、龍香と……喧嘩してる場合じゃないのに……」
就業時間中だからか路上に人影はなくて、俺はぼそぼそと独り言を呟く。
謝らなきゃ。
……でも。
なんで龍香は、自分に霊が見えてないなんて大事なこと、黙ってたんだろう。
いつか言ってくれるつもりだったんだろうか。
だとしたら、いつ?
龍香が俺に虚勢を張らず一緒に仕事出来るようになるのに、どのくらいの時間がいるだろう。
「……あぁ」
何だよ。
俺が勝手に拗ねて怒ってるだけか?
……確かに俺も言い過ぎた。
でも一回話し合うべきことであって……。
……っていや、だったら尚更、なんで俺は飛び出してきちゃってるんだ……!
「気まずい……」
幅の広い霞ヶ関の歩道で頭を抱え、天を仰ぐ。
……もうちょい、歩こうかな。
とぼとぼと歩き始めたその時だった。
地面が蠢いた。
咄嗟に立ち止まる。
と、つま先の僅か数センチ前の地面を突き破り、巨大な力が這い出してきた。
……さっき逃した奴!
何でこんな時に……しかも、こんな距離に!
突然敵いそうもない大きさの力が目の前に現れて、俺は混乱した。
大蛇、にも見えるそいつは、胴の太さだけでも屋久杉くらいあるんじゃないか、多分。
凄まじい速度で湧き出続けるソレが巻き起こす爆風が、俺や街路樹を吹き飛ばそうとする。
炭みたいな、深い黒。
遠くで存在を感じた時とは段違いの迫力だ。
壊れた蛇口みたいに、そいつは湧き出続ける。
あたりを見回して、ぎょっとする。
……目の前どころか、歩道を塞ぎ、車道に溢れ出し、10m先のビルの壁にさえウゴウゴと登っていくじゃないか!
…どこまで、今どこまでこいつで埋まってるんだ。
他の人は大丈夫なのか?
ってか、こいつ……まだ、まだ出てくんのか!?
ばくんばくんと俺の心臓が警笛を鳴らす。
……逃げよう。
何にも出来ない奴が関われる相手じゃ、ない。
突然の恐怖に小刻みに震える脚をなんとか動かし、じわりと一歩下がる。
……この蠢く塊に背を向けたら、その間に俺なんか簡単に消されてしまうんじゃないか……?
そんな考えがよぎって、ぞっとする。
……駄目だ、脚が、動いてくれない!
何を馬鹿なこと考えてるんだ!?
大丈夫、大丈夫に決まってる、それよりここで突っ立ってる方がよっぽどヤバいに決まってる!
あと二歩、二歩下がったら、ダッシュしよう……!
ほら頑張れ、動かせ、駄目だ、駄目だ駄目だ!!
更に鼓動が早くなる。
ぎこちなく足を動かして、うるさい心臓を抑え付けて振り返った、その時。
「創太!」
知ってる声が、背後から聞こえた。
今この状況下で、一番頼りになるこの声は。
恐る恐る、背後の大蛇の方を向き直す。
その黒い蛇がまだ埋めていない、100m以上向こうを走る、うちの高校の制服は。
「……龍香!」
肩の力が抜け、どっと背中から汗が吹き出る。
俺めがけて一目散に走ってくる龍香を見て、嫌でも安心する自分がいた。
龍香は必死の形相で、俺めがけて全力疾走してくる。
俺めがけて。
……あれ?
龍香が失速しない。
……あぁ、そうだった……!
気づいた瞬間、頭からサァッと血の気が引いていくのが分かった。
見えてないんだった。
龍香には、この大蛇が。
「来ちゃダメだッ!!龍香ァァァ止まれ!!」
咄嗟に絶叫する俺。
その叫びの最後は多分、突然のたうった蛇の地響きでかき消えていたと思う。
ぽかんとした龍香の顔。
轟音と共にうねるドス黒い大蛇の腹で、数メートル先の視界が黒く染まる。
……一瞬の間だった。
次に俺が見たのは変わらない大蛇の腹と、静かな土煙だった。