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第39話 二人暮らし記念日

 ……この計画の、妙に手薄なというか、変な手抜き感というか、そんな違和感とも相まって、先生をいっそうミステリアスに感じて……興味を持ってしまうのだ。


「……ところで」

「はい?」


 僕は、もぐもぐと咀嚼して、お味噌汁で流し込んでから、先生を見る。


「……工事って、明日で終わりそう?」


 設置物は、ほぼ終わりだ。

 シンクのコーキングもさっき終わったところだ。あとは、完成検査と養生テープを剥がせば……まぁ、細かい手直しは必要になるだろうけど、一応終了だ。


「はい、細かい見落としはまだあるかもしれませんけど……一通りの作業はおしまいですね」

「うん」


 先生は少し嬉しそうに頷いて、

「じゃあ、明日……お風呂の、入り初めしましょ♪ それから、簡単なお祝いも」


 そんなことを言っている。

 入り初め、か。

 落成式みたいなものかな、あるいはこけら落とし?


「あ、はい……。でも……」

「なぁに? なにか、予定とかあるの?」


 いや、予定などは……無い。あったとしても、この仕事が最優先だ。


「いえ……。お風呂だったら、すぐにでも入れますよ? ……というか、どうして今まで入らなかったんですか?」


 ずっと楽しみにしていたので、てっきり出来上がったらすぐにでも入るものだろうと思っていたのだけど……。


「せっかく、大工事が完成したのよ? やっぱり最初は、作った本人に入って欲しくて」

 そう言って……先生は、すこし恥ずかしそうに微笑んだ。


 ……どきり、とした。

 まさか、そんなことを考えていたなんて……。


「え、えぇ……と。………あ、ありがとうございます」


 ……で、いいのか……な。

 え、僕のために……、わざわざ?


「……なんか、すみません。そんな、気を遣わせてしまって……」

 すると、先生は、ふふふっ、と微笑んでから、


「そんな顔しないで。わたしも、お祝いみたいなこと、したいと思ってたのよ」


 そう言って、一息ついてから、少し改まって、


「……なんか、なし崩しに、ここに連れ込んで……。一緒に、ここで寝起きまで……してもらっちゃってるし。一度、ちゃんと仕切り直しっていうか……、区切りがほしいって思ってたのよ」


 それは、確かにそうかもしれない。

 あの日、突然先生に呼ばれて……、そのまま訳の分からないまま、………しちゃって。

 そして僕と先生は、契約を結んだ。


 立ち止まって考える暇もないほど、目まぐるしい毎日だった。

 それでも、そんな日々はとても充実していた。学生の本分なんか、忘れてしまいそうになるほどに……。


「僕たちの、共同生活の……始まりの記念日でしょうか……ね?」


 少々、僭越に過ぎるかとも思ったが、僕はそんなことを言ってみる。

 それは言いすぎ、そう言われちゃうかな……、とも思ったのだが。


「あら、いいわね! そうしましょう。……えぇと……」


 先生は、デスクの上にあった卓上カレンダーに丸をつけていた。

 そして、こちらを向いて、

「んふふふ、明日は早く帰ってきてね♪」

 そして、そんな冗談まで言っている。


 帰ってきてね……か。

 確かに……。もう、ここは就業場所じゃない。ここが僕らの帰る場所……そんな感じさえしていた。


 …………………


 そして、次の日……


 工事の方は、滞りなく終わった。

 厳密に言うと、細かな部分は使いながら手直ししていく予定なので完全ではないのだが、使いながら修正したり修繕したりできる余地を残しておく方が、この環境には相応しいだろう。


 キッチンの完了を告げると……先生が、養生テープを剥がしたいと言うので、そこだけ残しておいて、先生にお任せした。

「剥がした瞬間、きれいな地肌が出てくるのが、気持ちいいのよね~♪」

 そう言って、ご機嫌であった。


 作業が終わると、早速ボイラーの操作方法を先生に説明して、お湯張りを始める。

 能力の高いボイラーを選んでいたので、あまり気にするほどでもないのだが、水を張って後から沸かすより、最初からお湯を出して湯張りする方が早く準備ができるので、その旨も伝えておいた。


「──さて、じゃあテーブルにきて」

 先生が食卓に来るように促してくる。


 僕がそこに行ってみると、すでに食事の準備ができていた。先生がいろいろ揃えておいてくれたのだろう、いつものメニューとは違って、すこし豪華なものだった。僕の好きな、たこ唐揚げが用意してあるのにも気づく。

 それから、見慣れない料理が、一皿……。


 僕が、それに目をやると、

「……これね、あたしが作ってみたの。上手くできてるか……わからないけど、良かったら食べてみて?」


 それは、深めの皿に盛り付けられた、牛肉の煮込み料理のようなもの。色がかなり濃く、変わった香りがしたが、不思議と食欲をそそられるものだった。

「……すゞめがね、あたしに作ってくれたの……、学生時代にね。昨日、作り方聞いて、やってみたんだけど……」

 そこまで言うと、なぜか言い淀んで、

「あ、あの……、ね? 無理に……食べなくていいから」

「え? そんな、ちゃんといただきますよ?」


 妙に消極的な先生に、不思議に思って尋ねると、

「……ちゃんとした料理作るの、初めてだし……」

 そう言って、不安そうな表情をした。


 先生の初めての、お料理……。

 疑いようもなく、僕のために作ってくれたのだろう。


「大丈夫ですよ。ありがとうございます」


 ぼくは、いつものように、いただきます、と手を合わせてから、フォークを差し込む。

 肉はほとんど手応えもなく、ほろりと崩れるほど柔らかかった。それを口に運ぶ……。


 ……噛み締めると、甘くて……すこしだけ酸味を帯びた味と複雑な香りが広がる。色からすると、赤ワインで煮込んだものだろうが、お酒というよりはオレンジジュースで煮込んだような、味わいがあった。馴染みの無いものではあったが、とても芳醇で味わい深かった。今まで知っている、どんな料理とも似ていない、初めての感覚だった。


「……おいしい、です……すごく……!」

 じっくり間を置いてから、僕がようやく、そう感想を口にすると、

「ほ、ほんと……!?」

 そう……先生は、半ば怯えるような不安を浮かべた表情で聞き返した。


 ぼくは、表情を緩めて、

「はい、おいしいです。ほんとですよ? 先生も食べてみてくださいよ」

 そう、促すと、先生はようやく表情を綻ばせた。

「よかったぁ~……」


 先生は、子供のようなあどけなささえ感じさせるような、表情までも見せてくれた。


 初めて誰かに食べてもらう……、きっと不安もあったんだろう。それが、僕らの記念日だったのだから、余計に。

 でも、これからもそういう機会は訪れるかもしれない。……それなら今度は、一緒に料理をしてみるのもいいのかもしれない。そんな考えさえ、僕の脳裏に浮かぶ。


 願わくば、先生にとっても……今日という想い出が良いものであってほしいと、心に念じていた。


 ………………


 浴室の扉を開ける。

 先生のご要望通り、一番風呂は僕だ。


 すでにお湯は張られており、浴室には湯気が充満している。僕は換気扇を弱く回してから、浴室に入り、戸を閉める。


「は~……」


 自分で施工した浴室を、改めて眺める。

 ──細かなところで気になる部分が無いわけではなかったが、おおむね満足行く仕上がりだった。何より、機能的な不備が一つもないところは、及第点といっていい出来だろう。


 シャワーを出して、身体に浴びる。

 以前から、ここにあったシャワー室のものよりも、湯量が多く安定している。さすが大型ボイラー、性能が段違いだった。これなら先生も満足してくれるだろう。


 ざっと、身体を流して浴槽へ。


 この浴槽は先生のチョイスだ。それほど重視していないと思っていたのだが、いざ来てみればなかなかのこだわった逸品だった。

 背中を付けて座ると、脚を目一杯伸ばしてもまだ余裕がある。きっと、僕より脚の長い先生でも充分な広さだろうと思った。

 不思議なのは、長さだけではなく幅もかなり広いということだった。真ん中に座れば両手を広げられるほどの横幅もあるのだ。どちらかというと、正方形に近いものだった。


 この辺は、さすがお嬢様育ち……という感じだろうか。僕には無い感性だと思っていた。


 とはいえ、広い湯船というのは、無条件で気持ちいいのも、また事実。久しぶりに、熱いお湯にゆっくりと浸かれる喜びに、心までとろけてしまいそうになっていた。


「作って、良かったなぁ……湯船。……むふふふ」


 浴室の中で、一人悦に入っていた……、その時、

「深山く~ん? 湯加減どぉ~?」

 先生の声が、扉のすぐ向こうから聞こえた。


「あ、はい~。とてもいいですよ、気持ちいいです……ありがとうございます」

 僕は、扉の向こうに声をかけた。


 すると……


 がちゃ

 扉が、開いた───。


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