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第23公開資料P群 D類型指定文書  作者: 祐機系触媒 -Yuganic Catalyst-
ファイル-002-S 自然科学的事象
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時間 -次元間におけるズレと紀年法について

(ビデオ再生)


《PLEASE STAND BY》

《3,2,……》



 ……おっと、もうこんな時間でしたか。どうも、立葵(たちあおい)です。今回は皆さんに、2つの次元における時間の流れが一体どうなっているのか、そして、讖湍界(しんせかい)において普遍的な暦であるグレゴリオ暦(A.D.)と、朽湍界(きゅうせかい)において普遍的なソルデウス暦(S.D.)との違いについてお伝えしたいと思います。


 ではまず、時間という概念がこの世界観においてどのような役割を果たしているのか。その概略をざっとお話ししましょう。


 時間という概念は、空間と並んで次元を構成する重要な要素の1つです。特に2つの世界の間での交流や相互作用について俯瞰する際には指標にも成り得るものでもあります。


 時間とは、常に一方向に、つまり、過去から未来の方向へと運動し続ける不可逆的な流れのことです。しかし、次元構造学の観点から考えた際、両次元における時間の流れというものは絶えず揺らぎ、変動しているということを発見することができます。そのため、片方の世界における1分や1秒の長さがもう片方の世界におけるそれと符合しないことはさることながら、暦で事象を表したうちの数年単位でのズレが観測されることもあります。


 これは一見すると奇妙に思えるかもしれませんが、一般的に我々を含む個々の次元の住人達は各々の世界における時間感覚というものに既に順応してしまっています。また、スレッショルドを介してもう片方の世界へ転移したとしても、それはそれで即座にその世界での時間感覚に順応してしまうのであまり違和感を抱かないと言われています。


 実際、どちらの世界においても時計の刻む1分1秒は我々の知っているものと完全に符合し、それは他方の世界の住人にとっても同じことでしょう。それは換言すると、次元の内側からの観測によって流れている時間のズレを確認することはできませんが、外側から俯瞰して比較したときに、初めて認知されるということになる訳です。まあ、そもそも比較対象が必要とされている訳ですから、その両者を冷静に観測できる環境が必要だとも言える訳です。


 ではここで、何故2つの次元で流れる時間の間にズレが生じるのか、皆さんは疑問に感じませんか?


 ……先に答えを述べてしまうと、これは次元を構成する素粒子によって構成される"次元素"の差異によってもたらされていると考えられています。これは現在において最も有力視されている定説でもあります。


 次元素なるものが何なのかという詳細に関しては後の為に取っておくことにして、ここでは前述の通り"次元を構成する素粒子の集団"として捉えておいてください。


 時間の流れが、「重力の大きさによっても影響される」(Oxford University[2023]:https://languages.oup.com/)ということは、一般相対性理論でもよく知られた事実です。ただこの事実は讖湍界においてのみ完全に適用され、朽湍界においてはこれに媒介力という変数が追加されます。


 媒介力とは、まあ、言ってしまえば、"力を媒介する力"のことを指しています。もっと噛み砕いて説明するなら、魔法の生み出すエネルギーに関与する根源的な力学的力と言っても過言ではないかもしれません。


 まあ、それはさておき、次元素は時間を媒介するものとして次元ごとの時間の流れに関与します。


 それはちょうど、ある対象の運動状態によって流れる時間が変化するように、次元素における差異はあらゆる力場や運動状態を全く別のものへと変化させます。なぜなら、次元素たる素粒子は相互作用の連関の中にあり、決して分離できない不可分な存在であるからなのです。


 さて、ここまでで、両次元における時間という概念について理解していただけたかと思います。


 それでは、この時間の差異が如実に示されている例として、両次元において普遍的に扱われているそれぞれの暦の属性についてお話ししていきましょう。


 まず、讖湍界で普遍的に用いられているグレゴリオ暦(A.D.)に関して、これはイエス・キリスト誕生の翌年を紀元として定められた紀年法です。グレゴリオ暦は共和制ローマ時代以降用いられてきたユリウス暦が改良されて誕生したという歴史を持ち、ユリウス暦を旧暦と呼称するのに対し新暦と呼称されることもあります。


 また、この紀年法には0年や負号の付く年は存在せず、紀元1年の前年は紀元前1年となります。ただ、天文学においては計算に支障をきたす為、0年や負号を用いた天文学的紀年法という特別なものを用いているようです。


 一方、ソルデウス暦は古代に広く伝承されていた太陽神話における"創造の樹"が枯れたとされている年を0年として定められたものです。グレゴリオ暦とは異なり、この紀年法には天文学に用いられるもの以外にも0年という年が存在します。この理由については諸説ありますが、やはり天文学的な計算に際しては数学的な正しさがあるほうが好ましい為にこのような形態を取っているとされています。初めは学術的な色の濃いものだったこの紀年法が、階級や身分の別に関係なく人々の日常生活へ徐々に浸透していったという説が有力となっています。


 また、このどちらの紀年法においてもそれぞれの次元における太陽、惑星の存在する(システム)の中心で光を放っている恒星の地上から見た動きを基にして算出されたという点で共通しています。が、次元が異なることでその恒星や惑星の動きも勿論異なってきますので、多少のズレは生じてきます。


 まあ、歴史的にはソルデウス暦の紀元はグレゴリオ暦のそれと一致するように調整されたということもありましたが、それでも完全に合致していないことはよく知られています。


 これにより何が結果としてもたらされるのでしょうか? 前述した次元における時間の性質を基に考えてみると、ある1つのことに帰結します。


 それは、作中に示唆されている年代や日付は必ずしもこちらの世界のそれとは全く符合しないということになります。参考程度に、大体そのぐらいといった参照の仕方に留めておくことが、物語を読み進みていくうえでは意外に大事かもしれません。


 とはいえ、記録として残っている以上は全て過去の出来事なのですがね。はは。


 では、今回はこの辺で終わりにしておきましょうか。それでは、また次回。



《To be continued》


(ビデオ終了)

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