第九話 サラとルード 後編
本日二話目の投稿です。
「取引まではまだ時間がある。娘を見張っておけ」
「へい」
扉の向こうでそんなやり取りが聞こえる。
聖女と、天才とおだてられてきた。
そんな彼女だったが馬車に剣を抜いた男たちが乗り込んできたときに感じたのは
ひたすらの恐怖だった。
魔法で撃退しようとか、護衛を回復させて守ってもらおうとか、
そうした冷静な時なら思い浮かぶであろう対抗策は頭をよぎりもしなかった。
ただただ、怖い。誰か助けて、殺さないで。痛いのはイヤ。
そんな負の感情に飲み込まれていた。
それはどこかの部屋に閉じ込められている今も同じだった。
サラ・ホーテルロイは七歳の少女だ。
部屋の隅で怯えながら震える、それしかできなかった。
数時間は震えていただろうか。サラの耳が聞きなれない音を捉えた。
コンコンコン
「サラ……、サラ」
コンコンコン
音の方に目をやると、壁の隙間から指が一本飛び出ていた。
「な、なに……?」
指が引っ込み、隙間から誰かがのぞきこんだ。
「サラ、僕だよ。ルードだ」
「ど、どうしてここに?」
「助けに来たよ」
「ほ、ほんと?」
「ほんとだよ。今からここに穴開けるから、そしたらサラは穴を通ってきて」
「ばれないの?」
「大丈夫、メリザにばれないで出かけるときとか、厨房のお菓子くすねに行くときとか、こっそりお城に忍びこむときとか、よくやるんだ。
音を立てずにやるコツがあるんだ。見てて」
そういうとルードはナイフを使ってするすると壁に穴をあけていった。
その間、運良く見張りが部屋を除くことはなかった。
「さ、おいで」
「う、うん」
「よし。僕は勇者だけど、さすがに大人には勝てない。急いで逃げよ?」
ルードに手を引かれ街を駆ける。
しばらくして後ろの方で怒鳴り声が聞こえた。
「うわっ、やっばい、逃げたのばれたみたい」
「ど、どうしよう!」
「このあたりの路地はかなり入り組んでるんだ。あそこで撒こう」
足音が迫ってくる。
走って走って走る。サラはルードの手が震えているのに気づいた。
ああ、この子も私と同じで怖いんだ。当たり前だ。同い年と、そう聞いた。
なのに私を助けに来てくれた。
なんて勇気があるのだろうか。自分は震えることしかできなかったのに。
「すごいわ……」
「え、何? なんか言った?」
「ううん、逃げましょう、私の勇者様」
勇者様、その言葉にルードが目を丸くした。
「僕はラルク兄さまじゃないよ?」
「知ってるわ。昼間はごめんなさい。あなた、本当に勇者だったのね」
「……僕、実はね、よく名ばかり勇者って言われるんだ。落ちこぼれにできることなんてないって」
「それでも、あなたは助けに来てくれたわ」
「それは、そうだけど」
「誰になんと言われようと、今のあなたは私の勇者よ」
「そっか、ありがーー」
ルードが照れ臭そうに笑う。
「見つけたぞ!」
後ろから怒鳴り声がした。
「サラ、下がって」
腰の短刀を抜いたルードが低い声で言った。
ただの子供だと思っていた相手が刃物を持っていたことに追手が一瞬、たじろぐ。
「大丈夫なの……?」
「大丈夫、僕魔法は苦手なんだけど剣は得意なんだ。
ちょっとだけだけど……」
さっき大人には勝てないと言っていたはずなのに、臆することなくルードはサラの前に出る。
ルードが追手に剣を突き付けた。
「近づかないで。斬るよ」
「あぁん? ガキが……」
追手は迷っているようだった。ルードが只者ではない可能性を考えているのか。
世界には見た目が子供でもとてつもない力をもつ猛者がいることがよく知られていた。例えばルードの兄ラルクのように。
ルードもその類かを測りかねているのかもしれない。
「大人しく立ち去れば見逃してあげる。僕はルード・ブレイバー。勇者のーー」
「はっ! 例の落ちこぼれか! 心配して損したよ!」
男が突進してくる。ルードが怯んだように一歩後ずさった。
(き、来た……! 間合いに入るタイミングに合わせて、3,2、1……)
「やぁぁぁ!」
渾身の一振りはあえなく空振り。
男はルードの間合いの外でぴたりと止まっていた。ルードが剣を振り上げたのを見て男はフェイントをかけたのだ。
「な、なんで……」
「はっ、聞いてた通り才能ねぇな! こんな手に引っかかるなんてよ!」
男の蹴りがルードの腹を抉った。
「げほッ」
大の大人の蹴りでルードの身体が吹き飛んだ。口から吐瀉物が地面を濡らす。
「ルード!」
サラが叫ぶ。
「あー、死んだか? ハッ!」
壁に叩きつけられたルードは蹲ったまま、動けない。
男がルードの落とした短刀を拾う。
「逃げたら殺せって命令だ。嬢ちゃん、悪いな。死んでもらうぜ?」
「待……て……」
「あぁん?」
男が振り返る。ボロボロのルードが立ち上がっていた。
フラフラとした足取りで、傷ついた身体で。
もはや立つのもやっとのはずだ。
それでも、サラを守る。その決意に瞳を燃やしながら。
「おいおいおい、寝てろよ! こいつにそんな価値あるか? お前ら今日会ったんだろ?」
「そんなの……関係ない……」
「ルード、もういいの、死んじゃう! 逃げて!」
「大……丈……夫。
サラは、僕が……守るよ。
僕は……君の勇者だから」
ルードサラに向かって、笑った。
「ほーん。ま、いいわ。どっちも変わんねえし。
お望み通りお前から殺してやるよ」
男がルードに近づいていく。ルードはいつ気を失ってもおかしくない。戦って勝つなど夢のまた夢だ。
サラは震える手をぎゅっと握りしめた。
(私は、私は! 何をやっているの! 怖い……怖い、けど!)
深く深呼吸をした。歯を食いしばる。
男が短刀を振り上げた。
「私も、あなたみたいに! あなたのためなら!
勇気を出せる!」
それは籠の中の鳥のように大切に、大切に保護されてきたサラ・ホーテルロイが初めて振り絞った勇気。
サラの放った特大の光の球が男を弾き飛ばした。
**************
「朝までここで隠れましょ」
「何か……サラ、吹っ切れたね。結局、守ってもらっちゃったし」
サラと、彼女の回復魔術で回復したルードはとある橋の下に隠れていた。
「あなたのおかげかもね」
「はぁ、僕やっぱり弱いなあ……かっこわるい」
「そんなこと……ヘ、ヘクチュッ」
サラがくしゃみをした。
それもそのはず、この時期の夜の橋の下はかなり冷える。
本来なら夜出歩くはずではなかったサラは服も着込んでいない。
「これ着なよ」
ルードがコートをサラにかけた。
「でもルードが……」
「僕は大丈夫だよ。あと、これも使おう」
そういってルードは皮袋をポケットから出すと川の水を中に汲んだ。
ルードがしばらく眉間に皺をよせていたかと思うと袋の中の水から湯気が立ち始めた。
「もう一袋あるからそっちも温めてっと。はい、どうぞ」
「わぁ、あったかい」
それはサラがくだらないと酷評した魔法だった。
「便利な魔法でしょ」
「本当。勇者の魔法じゃないとか、いじわる言ってごめんなさい」
「いいよ。震えている女の子を温めてあげられるなら、これも立派な勇者の魔法だね。」
にこりと笑うルード。
追手から逃れて落ち着いたのか、温かいお湯のおかげでほっとしたのか、今日の出来事が頭を流れる。
(助けに来てくれた。私を守るために戦ってくれた……。
まるでお伽話の騎士様みたいに……)
「かっこよかったな……」
「え? なんか言った?」
「へ!? う、ううん。何も言ってないわ!」
慌てて口をふさぐサラ。
顔が熱いのはきっと、ルードの魔法のせいだろう。
次の日の朝になって、捜索に来た騎士団にルードたちは無事保護された。
メリザにはめちゃくちゃ怒られた。
サラを攫った一味の大半は迷宮から戻ったラルクの手で捕縛された。
だが捕まえられたのは下っ端だけで結局誰がなんのためにサラを攫ったのかは分からないままだった。
それからのこと、ルードとサラは頻繁に遊ぶようになった。
そんなある日のことだ。
「はい、ルード。これあげる」
サラが手渡してきた箱を開ける。
「何これ、ネックレス?」
小指の先くらいの大きさの、真っ赤に輝く宝石のネックレスだった。
「うん、ルビーのネックレス。ルビーはね、大昔の勇者様が身に着けていた石なの。
だから、勇者の石」
「勇者の石……」
「私が、私の勇者様に送る、勇者の証のネックレスだよ。
これからもよろしくね、ルード」
そういって笑うサラ。
ルードは眩しくて天を見上げた。
サラはどんな時も信じてくれる。
だからかもしれない、彼はいつからか、
サラのことが、好きになっていた。
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『ルード・ブレイバー……聞こえますか』
ルードはまだ眠っている。
だがアリステアは知っていた。返事はできなくとも声は聞こえているはずだ。
『彼女は……生きています……まだ……間に合う
とはいえ……儀式の準備が整うまで……猶予は僅か……急ぎなさい……』
アリステアはルードにサラを助けたいかとは聞かなかった。それは聞く必要のない自明な問い。
アリステアは続ける。
伝えねばならない情報があった。
『覚えておきなさい……
此度の戦い……僕に残された魔力は……あと僅か……
その魔力は……奴を討つ……その時のため……
死者を破り……サラ・ホーテルロイを救い出すのは……
君の役目です。
ルード・ブレイバー』