第七話 激突
「首が落ちたら……死ぬのが……礼儀です」
「千年経てば礼儀も廃れる、クハハハハ」
ドブロイの生首が何かに吊られているように浮き上がり、胴体と結合する。
切断面が血で泡立ち、傷が塞がっていく。
僅か数秒で再生した皮膚を抓り、不思議そうにドブロイが問う。
「おいおい、僕の回復を待つなんて、君らしくないぜ?」
「回復してから……言いなさい」
「なにを……チッ!」
怪訝な顔が驚愕の表情に変わる。
同時に肩、肘、膝、足首から指の関節の一つ一つに至るまで、ありとあらゆる関節から血が噴き出し、ドブロイの全身が文字通りパーツごとに分割された。
「斬られていることにも……気づかない。老いましたね……マハト」
「いやね、斬られたところで意味がないものだから、気づく必要などないのだよ」
ドブロイが口を大きく開くと、歯の一本一本から青白い糸が伸び、切り離された全てのカケラと結びつく。
魔力の糸に操られた指が宙を舞い、印を結んだ。
「礼を言うよ、アリス。切り離す手間が省けた。
ペンティゴア・コンティフレイド」
真紅の五重魔法陣が夜空に輝く。
「ファイア」
魔術師の号令と共に魔法陣から火弾が放たれる。
アリステアが抜刀し、火弾を切り裂いた。
「ファイア、ファイア、ファイア」
アリステアに操られルードの身体が音もなく駆ける。
続け様に連射される三発をステップで躱す。
地面に激突した火弾は炸裂し、まるで真昼のように空を照らした。焦げ臭い匂いが鼻をつく、
頬を撫でる爆風は回避しても尚かなりの熱量を感じさせた。擦りでもすればルードの身体など一溜まりもないだろう。
ルードは自らがこの戦いで何の役にも立たないことをよく理解していた。
魂からして格が違った。
身体の主導権を取り返そうとすることもなく、最高峰の戦いをただ傍観するしかなかった。
「良く躱すな。これならどうだ?」
ドブロイが手を明後日の方向に向ける。
その腕の先を見て、ルードの背筋が凍る。
(サラ!)
「ファイア」
サラを焼き尽くさんと特大の炎弾が放たれる。
「……貸し一つです」
そう呟いたアリスが剣を振う。斬撃が空を飛び、火焔を両断する。真っ二つになった火球は地面の少し離れたところに着弾し、大きく爆ぜた。
「ファイア、ファイア、ファイア、ファイア、ファイア、ファイア、ファイア、ファイア、ファイア、ファイア、ファイア、ファイア、ファイア、ファイア、ファイア」
矢継ぎ早の詠唱と共に、この世の終わりを思わせる密度で空を埋め尽くす火球がサラへと次々に襲いかかる。
一つ一つを神速の剣技で斬り伏せながらアリステアが呟く。
「貸しニ、貸し三、貸し四……ああ、面倒くさいですね……」
両手で握っていた剣を片手に持ち替えると、右手で火球を払いながら空いた左手で印を結ぶ。
「ペンティゴア・コンティコルド」
現れるは濃紺の五重魔法陣。
間髪入れずににアリステアが次の印を結ぶ。
「プロパティア・オートモギュール」
アリステアの頭上に爆炎が集まり巨大な『口』が顕現する。
本来顔にあるべき目や鼻といったパーツは一切なく、ただ『口』だけが宙に浮いていた。
ゆっくりと『口』が開き、呪文を紡ぐ。
「シュート」
つんざくような人ならざるものの声。
濃紺の魔法陣から岩のように巨大な氷弾が射出される。
高速で回転するそれは火弾と激突し、爆音と莫大な水蒸気を残して相殺された。
「自動詠唱か。品がないな。ファイア」
「シュート」
赤と青、対の魔法陣から弾丸が同時に放たれる。激突。
衝撃に髪が、木々が揺れた。
「ファイア、ファイア、ファイア、ファイア、ファイア、ファイア、ファイア、ファイア、ファイア、ファイア、ファイア、ファイア、ファイア、ファイア、ファイア、ファイア」
「シュート、シュート、シュート、シュート、シュート、シュート、シュート、シュート、シュート、シュート、シュート、シュート、シュート、シュート、シュート、シュート」
軍隊の激突の如き激しさで魔法が何度も何度もぶつかり合う。
魔力の余波が稲妻となり、夜空を駆ける。
蒸発した氷弾が濃い霧となり視界を覆った。
「君との魔法戦は楽しいなぁ、アリス。
この千年、魔法文明は随分と成長したが、それでもここまで打ち合える魔術師はほとんどいないんだぜ?」
濃霧の中に魔法を打ち込みながらドブロイが笑う。
対してアリステアは何も答えず、
音もなく背後からドブロイの心臓を抉り取った。
ぐちゅ。
脈動する臓器を握り潰すアリステアの顔はただただ冷たい。
腕を伝う生暖かい血にも、砕け散る肉片にも動じる様子はない。
「自動詠唱は……オトリです……。マハト」
「ヘプティゴア・イスワルド」
展開される七重魔法陣。現実離れした魔法の極地。
膨大な魔力に世界が軋む。
霧の一雫に至るまで、ありとあらゆる全てが瞬時に凍りつく。
重力さえも凍りつき、凍結した血や肉片は宙に固定されたままだ。
まるで時間が止まったようだった。
「未来永劫……溶けることない氷の世界で……生き続けなさい」
「おお、怖い怖い、肝が冷えた……、おっと、嘘じゃないぜ?」
「ッ!? どこに……」
どこからか聞こえるはずのない声が聞こえる。
首を振り、あたりを確認するがドブロイの姿はない。アリステアの目が油断なく周囲を窺う。
「ペンティゴア・フィンデナム」
アリスが剣を地面に突き刺す。
剣を起点として青白い光が遥か先、地平線の先まで広がっていく。
術者であるアリステアの感覚が僕に流れ込む。ふと、すぐ近くで何かが引っかかる感触がした。
そこは、アーガスのいた場所だった。
横たわっていたアーガスが操り人形のように不自然な動きで起き上がる。開かれた目は虚ろで、手はだらりと垂れている。
斬られた筈の身体は何事もなかったかのように再生していた。
アーガスの口からドブロイの声が響く。
「高度な人探しの魔法だな。すごいすごい。居場所があっという間にバレてしまった。クハハハハ」
「隠す気……ないでしょう……うっとうしい。
それより、それは……なんですか」
「今の術、魂に作用する奴だろ。君お得意の。流石に喰らいたくなくてね、少し避難させてもらったよ。それにしても見事だなぁ、アリス。僕をここまで追い込むとは」
「……避難したところで……もう一度凍らせれば……いいだけです」
「クハハハハ! 君といえどあのレベルの魔術の連発は不可能だろう? 残念だったねぇぇぇ!! クハハハハ!」
ドブロイ本人の姿はどこにもなく、アーガスに表情もなかったが、それでもその瞬間ドブロイが満面の笑みを浮かべていることがよく分かった。
そして、笑顔の裏に底知れぬ憎しみが込められていることも。震えるほどのの憎悪。
僕たちが初めて見る、ドブロイの本性。
「結局……今回も逃げただけ……でしょう」
挑発的な声。
終始無表情だったアリスが薄く笑う。
「千年前も今も……僕から逃げ続ける……臆病者……僕にかかれば……君なんてすぐ……消し炭です」
「おいおいおい、僕はこの千年ピンピンしてたぜ? 一体いつになったら消し炭にしてくれるんだ? なぁ、アリス?」
「あと5秒で……消し炭にします」
「5、4、3、2、1、0。何も起きないなぁ。おかしいなぁ」
「かわいそうなので……やはり今度にしてあげます……覚悟しなさい……逃げて……いいですよ……」
剣を鞘に収めドブロイに背を向ける。
これ以上戦う気はないという意思表示。
「安い挑発だな……おっと、危ない」
パシっ
ドブロイが腕を交差してアリステアの蹴りを防ぐ。
「ちっ……」
舌打ちして距離を取るアリステア。
ドブロイが呆れたようにため息をつく。
「相変わらず油断も隙もないな。やはりここは一旦引くとしようか」
「どうぞどうぞ……雑魚は雑魚らしく……尻尾を巻いて逃げるのが……おすすめです」
「怒らせて足止めしようとしても無駄だよアリス。逃げると言ったら逃げるとも。
碌な手駒もなしに戦うのは僕のスタイルじゃないんだ。今日君と揉めるのは予定外にもほどがある」
指を鳴らすとドブロイが宙に浮く。
アリステアも無駄だと分かっているのか動く気配はない。ただ射殺すような鋭い視線から、依然として溢れるほどの殺気が窺える。
「次は……殺します」
「それはこちらの台詞だとも。
また会おう、アリス。近いうちにね。
さらばだ……、ああ、あと一つやり残したことがあった。
サラ・ホーテルロイはもらっていく。
ペンティゴア・コランティード」
(サラを!?)
展開される魔法陣は見たことがないほどドス黒く、
得体の知れない不安を感じさせた。
同時にドブロイ腕が文字通り、伸びた。
生物の限界を越えて伸びる死者の手が、意識のないサラの首を掴む。
腕を切り飛ばそうと即座に飛びかかるアリステア。
微塵も疲れを感じさせない動き。
だが振われた剣はサラに届くことはなく、
何かに弾かれた。
それは錆びた鎧に身を包んだ騎士だった。
生気を感じさせない青白い顔。
切り取られた左手の薬指。
ドブロイに操られた死者の騎士だ。
「……相変わらず……気分の悪い魔法です……」
「まだまだ、もっと来るよ」
ボゴっ、ボゴっ、ボゴっ
まわりの地面が割れ、突き出る何本もの腕。
鎧の擦れる甲高い音とともに這い出る死者たち。
腐った肉の臭いがあたりに立ち込める。
「総勢百人、君のための死者の軍勢だ。まあ、充分足止めになるだろう。
君からすれば取るに足らない歴戦の猛者たちだが、
その子たちにもかつては家族や恋人、友人、そうした大切な人たちがいたんだ。斬る時はそれを忘れないでくれよ。命ってやつは本当に重いぜ、クハハハハ!」
「マハトっ……!」
アリステアの剣が怒りに呼応し燃え上がる。
だがその怒りがドブロイに届くことはない。
間断なく攻め立てる死者たちがそれを許さない。
「今度こそ、さらばだ。また会おう、友よ」