第五話 魔法
自慢ではないがルードはギャンブルに負けたことがない。
歴代最強の勇者である兄に勝てる唯一の特技だ。
「どう? 探せそう?」
「誰に言っているんだね? たしかに見ず知らずの人間の人探しは通常不可能だが……僕には関係ない」
ドブロイはルードの陰に隠れていたサーモンちゃんの髪を一本掴み、引き抜いた。
いきなり髪を引っこ抜かれたサーモンちゃんが少し怯えたような顔で頭を押さえながらドブロイを見た。
「いいかね、覚えておくといい。僕の人探しの範囲は……この大陸全てだ」
「は?」
ドブロイが印を結び、静かに詠唱した。
「ペンティゴア・ヌル」
ドブロイの足元に五重の魔法陣が瞬いた。
「ご、五重魔法陣……?」
賭場の客、恐らく冒険者、しかも魔法使いだろう、男が酒を注ぎながら呆然と呟いた。
驚きのあまり注ぎすぎでグラスから酒が溢れているのにも気付いていないようだ。
驚くのも無理はない。高度な魔法であるほど、魔法陣の数は増える。
才能ある魔法使いでも精々三重、それなりに上位の魔法使いでも四重がやっとだ。
五重魔法陣の行使は国有数の魔法使いであることを意味する。
ルードやサラは見慣れすぎて驚かなくなってしまったが……。
しばらくしてドブロイは羊皮紙を取り出すと、上からワインを振りかけた。
羊皮紙にワインが染みを作る。
「プロパティア・マピオ」
ワインの染みがうねうねと動き、線となり、地図となった。
ドブロイが地図のある点を指差す。
「ここに行くといい。対象が移動してしまうかもしれない、急ぐことをオススメするよ。
ああ、それと、今日僕は帰るのが遅くなる。先に寝ててくれ二人とも」
ドブロイが注ぎ直したワインをクイッと煽った。
「ああっ、サルモ! どこ行ってたの、家中探したのよ!」
ドブロイが示した場所には家があった。
そこから出てきたのはヒト族の女だった。
顔の半分以上が包帯に覆われており、声もひび割れ、どうにも体調が悪そうな女は、ルードとサラと目が合うと一瞬戸惑った様子だったが、すぐに腕を広げてサルモを迎え入れた。
「ママ!」
サーモンちゃん改めサルモがお母さんに抱きしめられる。
「お二人がこの子を……。ありがとうございます! 気づいたら家から居なくなっていて……心配していたんです。探しに行こうにもどこに行ったのかも分からず……」
「もうっ、ママったら、迷子になって!」
「いや、迷子っていうかサーモンちゃんの家出じゃない? よくそれでママが迷子とか言えるね?」
「ママはすぐ迷子になるんだから!」
「よく家出するんですか?」
「こんなこと初めてで……この辺りは物騒なのであまり外に出さないようにしてるんです」
「それで誰も見たことなかったんだ」
「そうだと思います……。とにかく、本当にありがとうございました。お礼をしたいのですが……」
そう言って少し困ったような表情になった。
家もボロボロで、着ている服も新しいものではなかった。お金に困っているのだろう。
「いえいえ、大丈夫ですよ。お構いなく」
「そんな……でも……どうしようかしら……」
しばらく考え込んでいた母親は、あ、と何か思いついたような声を上げると家から瓶を一本持ち出してきた。
「あの……、自家製の生姜のシロップです。
ワインカクテルにすると美味しいですよ。お友達のためにカクテル作ってあげてください。今日帰ったらすぐに」
「何で……今日? えっと、まぁ、ありがとうございます」
「美味しそうだね! ルード!」
「うん……」
少し釈然としないながらもシロップを受け取る。
サラがサーモンちゃんの頭を撫でた。
「あの、お母さん、お怪我や体調、大丈夫ですか?
良かったら私、治しましょうか? こう見えても回復魔術師なんです」
包帯だらけの姿に気遣ってサラが治療を申し入れたが、女はゆっくりと首を横に振った。
「実はもうほとんど治ってるんです。サルモも時々薬を買ってきてくれますし、お気遣いありがとうございます」
「そうですか……」
明らかに体調が悪そうだが、本人がいいと言っている以上出来ることはない。宗教上の問題などで魔術を嫌っている場合もあるのだ。同意なく治療することは法で禁じられている。
少し心配そうにしてるサラの背中をトントンと叩き、「帰ろう」と合図をした。
「じゃあね、もう迷子になっちゃだめだよ」
「またね! パパ!」
「パパじゃないって……」
二人を見送った後、母親がサルモの手を引き、家へと誘う。
「さあサルモ、戻るわよ。
今夜はあいつが来るんだから」
「はい、ママ」
****************
「ごめん、結局ドブロイの尾行できなかったね」
宿に戻るとサラが言った。
「ううん、もういいや」
「え? もういいの?」
「うん」
ルードは今日の出来事を思い出す。
アーガスとドブロイと三人で風呂に入ったこと。
最初から魔法を使ってくれるつもりで、わざと負けてくれたこと。まあポーカーに関してはいづれにせよルードは勝っていたが。
確信があった。やっぱりドブロイは自分たちの仲間だ。
きっとアリステアは人違いをしているのだろう。
「サルモのママにも言われたし、ワインとさっきのシロップでカクテルでも作ってあげようか」
「あ! 私も作りたい! 他にも色々混ぜてもいい?
「自分で飲むんだよ?」
「ええー、じゃあいい」
「食べ物で遊ぶんじゃありません。ドブロイの樽はーっと……」
「あれじゃない?」
酒場の隅に並べられた樽の中からドブロイの名前が書かれたものを見つけ出す。
「これだこれだ。蓋を開けてー、あれ、どうやってワイン汲むんだっけ、んー、まあいいや、グラスで掬っちゃお」
グラスの外側についたワインの雫を布で拭き取り、先程のシロップを適当に入れる。
味見をするがそもそも僕はワインが嫌いなのでよく分からない。
「渋い……」
顔を顰めているとサラが僕の肩をトントンと叩いた。
「ルード、この樽……なんか変」
「えっ? どの辺が?」
「かき混ぜたら美味しくなるかなってそこにあった棒でかき混ぜてたんだけど……見て」
樽を覗き込む。
「見えづらいけど……底につく前に何かに当たって止まっちゃうの」
「ほんとだ……なにこれ」
サラが棒から手を放す。
しかし棒は見えない底に支えられているかのように樽の中でそのまま浮かんでいた。
「魔法?」
「多分……。幻術系の何かだわ。全く魔力が漏れ出してないから……相当高位の魔法使い……間違いなくドブロイの仕業ね」
「何のために?」
「それは開けてみないとだけど……。どうしても隠したいものでしょうね」
ドブロイが、どうしても隠したいもの?
アリステアの言葉が脳裏に蘇る。
『マハトは今も……多くの死者の指を……保管し、隠している……。それを……見つけてきなさい』
嫌な、予感がした。
「うーん、でもよく考えると、ドブロイがここまでして隠そうとしてるもの暴くのも可哀想ね。やめときましょう?」
蓋を閉めようとするサラの手を掴んで止める。
「駄目だ。何が入ってるか確認する」
「ど、どうしたの? 急に。怖い顔してるわよ?」
「サラならこの魔法解ける?」
「幻術はかけるより解く方が簡単だから……、私でも何とかなると思うけど、本当にやるの?」
「頼むよ」
困った顔をしていたサラだったが、ルードの真剣な表情をチラリと見ると、渋々頷いた。
「大事なことなのよね?」
「うん」
「それは、今日ドブロイを尾行しようとしていたこととも関係ある?」
「……うん」
「分かった。そんなに真剣な顔のルード久しぶりだもん。きっと本当に大切なことなのよね。
私、ルードが冗談でこんなこと頼まないの知ってるもの」
「少し準備するわ。幻術は解く側が有利といっても、私とドブロイの差を無視できるほどじゃないから」
サラは懐からチョークを出すと床に線を引き始めた。その手は迷いなく、寸分の狂いもない円を描き、細部を刻んでいく。
「よく覚えられるよね、そんなの」
「たくさん勉強したもの」
話してみると普通の女の子だが、サラ・ホーテルロイは紛れもない天才だ。
聖女の二つ名を冠し、回復魔術を最も得意とするが、その才能はそれだけにとどまらない。
ものの数分でサラが描いたのは精緻に古代語が刻まれた五重の魔法陣。
印を結び、詠唱する。
「ペンティゴア・リベリオ」
魔法陣が音もなく弾け飛び、霧散した。
そして現れたのは目を瞑った赤子に抱えられた白銀の鏡。
宙に浮かぶ赤子が鏡を掲げ、樽を映し出した。
鏡の中の樽には一匹の蛇が巻きついていた
赤子が鏡の中の蛇に手を伸ばす。手が鏡の世界に沈み込み、蛇を掴んだ。
赤子は蛇を引き摺り出すと、目を限界まで見開き、笑った。
「きゃはははっ!」
無邪気な顔で赤子が蛇を握りつぶした。
そして赤子は蛇諸共少しずつ霧となり、空気に溶け出していき、消えた。
「さ、幻術、解けたよ」
「なんか不気味だよね……」
「幻術関係って全部そうなのよね、なんでかな?」
「ま、まあいいや、ありがとう」
サラに礼をいい、樽に近づく。
樽を上から覗き込んだ
樽一杯、ぎっしりと敷き詰められた指、指、指。
無数の指。
老若男女の指。
白い指、黒い指、傷だらけの指、人ならざるものの指。
アリステアの言っていたことは本当だった。
これが死者の指というのなら、一体何人殺めればこれほどの指が集まるのだろうか。
「ッッッ!?」
無意識に後退り、尻餅をついていた。
裏切られたと言う気持ちよりも先に恐怖が来た。
「る、ルード!? 一体何が……きゃっっ! な、何これ!?」
サラの顔が恐怖に染まった。
「指だ……」
「なんでドブロイがこんなもの……こんなにたくさん、誰の指なの……?」
「それは……」
「ッッおい! こりゃなんだ!!!」
「うわっ!!」
突然の第三者の声に飛び上がる。
心臓をバクバクさせながら振り返るとそこにいたのは元騎士団長のアーガス・ドルチェ。
「び、びっくりさせないでよ、アーガス」
「おい、これ、まさかドブロイのか……? うおっ、何本あるんだこの指。百人は殺ってんじゃねぇか」
深刻そうな顔で酒樽を検めるアーガス。
「ドブロイのだよ。幻術で隠されてたんだ」
「幻術? 解いたのか?」
「うん」
「この馬鹿野郎が!!!!」
突然の怒鳴り声を上げるアーガスにルードとサラは二人してまたまた飛び上がった。
「解く前に相談しろ馬鹿が!!
この結界は解いた瞬間術者が気づくようになってんだよ!」
「つまり?」
「ドブロイが殺しに飛んでくんだよ!
急げ! 逃げるぞ!
俺一人じゃお前らを守りきれねぇ!!」
ルードたちは荷物も何もかもを放り出してすぐに街を出た。
幸いにもドブロイは直前まで賭場にいたのか、まだ姿は見えない。
「こんな時間に出門ですか?」
「ああ、緊急の依頼だ。消息を絶った行商がいてな。救援に向かう」
「冒険者証を確認します。……ドルチェ元騎士団長様でしたか! 失礼しました。お前たち! 開門の準備だ!」
「「「はっ!」」」
通常、夜間に街の外に出ることはできないが、アーガスの高位家族の肩書は凄まじい。
テキパキと衛兵が開門の準備をしていく。
門が軋む音を立ててゆっくりと開きはじめる
思い出したかのように衛兵が言う。
「それにしても一晩のうち2回も特例の開門を行うとは。珍しいこともあるものです」
「他にも誰かいたのか?」
「えぇ、あなた方と同じAランク冒険者の魔導士でしたよ。こう言ってはなんですが随分と悪人ヅラでした……」
「悪人ヅラのAランクの魔導士?」
ルードの知る限り、そんな男はこの街に今一人しかいない。
門が開く。
心臓が、跳ねた。きっとそれは恐怖のせいだ。
そこには、奴がいた。
「おやおやおや、こんな夜更けに奇遇じゃあないか。
一体どうしたのかね、ルード君。クハハハハ!」