第三十一話 呪術師
呪弾が直撃した瞬間、
イリーナの体温は即座に40℃を越え、動悸、飢餓感、吐き気、その他ありとあらゆる病的症状、そして全身にナイフを突き立てたかのような激痛がイリーナを襲った。
「ぁっ……グゥっ……ぁぁっ……」
苦しげに膝をつくイリーナ。
だが、その目はまだ屈していない。
「展……開……!」
短い起動ワードを唱えると、イリーナの身体を無数の魔法陣が覆う。鎮静、鎮痛、消炎、解毒、解熱、吐き気止め、血行制御、血管修復、気道保護、心拍正常化等々。
それはいつか復讐をなすその日のため、イリーナが己の身体に刻んだ反呪の魔法陣。憎しみによって彩られた解呪の魔法だ。
フラフラと立ち上がり、青白い顔で、震える足で、ピンと背筋を伸ばしてイリーナは笑う。
「全ッ然……効かない……ッ……わ。
この……ヘタクソ。
アハッ、アハハハハハハッッッ!!!!!」
「な、、、な、、なんじゃとこの小娘がッッッ!!!!
貴様のような凡才がッッ! 雑魚の分際で儂をヘタクソじゃと!!??」
「あら? 三流呪術師の方が……良かったかしら?」
「殺すッッッッ!!!! 儂がこの手で殺してくれるわッ!!」
呪いは老人の全てであった。それを貶され、許すことなどできない。
激怒したカースにもはや普段の温厚な雰囲気は微塵もない、憤怒の形相でイリーナに迫り顔を鷲掴みにする。
黒いモヤが二人の身体を包み込み、彼女を守る魔法陣が砕け散る。再びイリーナを地獄の苦しみが襲う。今度の呪いはさっきの速攻性重視の汎用呪弾とは違う。カースが直接制御する最悪の呪いだ。
「この程度で勝ち誇ったか小娘が!!」
「あは、あはははは!」
激痛の中、蒼白な顔で聖女が笑う。
「何がおかしい、言ってみよ!!!」
「あぁ、カース……ゴホッ……この時を……待っていたの。
ずっと……ずっとよ?」
汗ばんだイリーナの手がカースの頬を愛おしげに撫でる。
カースの身体を激痛が襲った。
「ァ……ガァ……」
比喩ではなくカースの目玉が飛び出る。口から血を吐きながらカースが苦悶の声を上げる。常に呪う側だったカースが初めて味合う地獄の苦しみ。
「なん……じゃ……これは……苦し……ぃ、やめ……ろ……」
「驚いた……あなた、自分に呪いかけたこと、ないの?」
自らも苦しいはずなのに、イリーナは心底幸せそうにうっとりと笑う。
「は……ぁ?」
「私は……あるわよ? 毎日、毎日、子供たちが寝静まってから……1日も休まず、自分に呪いを……だって……こんな苦しみ……子供たちに味合わせられないもの……。
おかげで……あなたの呪いなんて……ただの日常……そよかぜ、みたいな、ものだわ……。
治療と……呪いは……表裏一体。
聖女だなんだって……言われてたけど……不思議ね、わたし、呪いの方が……適正あるみたいなの。
ねぇ、カース……あなたのために……あなたを殺すために……憎くて憎くて憎くて、わたし、成ったの……
呪術師に」
「これ、はっ……呪いかッ、イリー……ナ!」
「聖女と、呪術師……いいえ、呪術師と呪術師同士……。
どっちが先に呪い殺すか……
これは、競争よ?
アハハハハハ!!!」
呪術師が嗤った。
****************
「ママッ! ママッ!」
「ああ、サルモ……ゴホッ。生きてたのね、わたし」
「ママ、死んじゃ、やだよ?」
ポンっとサルモの頭を叩く。
「馬鹿ね、あなたを残して、死んだりしないわよ。
最期はあなたに殺されるって、決めてるもの」
イリーナが手を振ると、物言わぬ呪術師の身体が炎に包まれ、やがて灰となった。
『イリーナ&サルモ VS 呪術師カース。
勝者 イリーナ&サルモ』
****************
術者であるカースが死んだからだろう、イリーナの身体に残された呪いはほとんど残っておらず、自らの回復魔術もあって数分でイリーナの身体は減った魔力を除いて元通り回復していた。
「もう後戻りできないわ。サルモ、逃げなさい」
「ママも逃げよ?」
「わたしはお兄ちゃんを止める。ルード君たちを逃すわ」
「そしたら、わたしも、戦う」
「駄目よ、あなたが痛い思いする必要ないわ」
「わたしも、戦う。ママとサルモは一緒いるの」
同じ言葉をサルモが繰り返す。その瞳には子供らしからぬ確固たる意志が宿っていた。それを見てイリーナは「はぁ」とため息をつき、「わたしの傍から離れないでね」とだけ言った。
「うぅぅっ!!」
斬り合っていたルードがアーガスに蹴り飛ばされる。追い討ちをかけようとするアーガスにウィズがナイフを投げつけて牽制をかけた。アーガスはナイフに煙玉が結びつけられているのに気づくと、剣で弾くのではなく受け流して遠くへと吹き飛ばした。誰もいない場所で煙玉が弾け、煙が立ち込める。
「ウィズ!!!」
ルードの掛け声と共に、背後に周りこんでいたウィズが分銅付きの鎖を投げる。ルードは分銅をキャッチすると、アーガスを中心にルードとウィズが円を描いて走り、アーガスに鎖を巻きつけようと試みる。
アーガスは一振りで鎖を両断すると、切断したところをグイっと引っ張った。反動で引き寄せられる二人。まとめて剣で斬られそうになったところをサルモの触手が救出する。
「サーモンちゃん!」
「ルード君。助太刀するわ」
現れたイリーナとサルモに一瞬警戒する素振りを見せるルード。だが突進してきたアーガスを見て、疑う暇はないとすぐに思い直す。
「ありがとう!」
「カースはどうした?」
ルードを吹き飛ばし、ウィズの飛び道具を弾き、サルモの触手を何なく飛び越えながら世間話をするようにアーガスが問う。
「殺したわ」
「ハッ! よくやったぜ、清々した!」
「悪いけど、次はお兄ちゃんを倒させてもらうわ」
「世話かけて悪いが、是非そうしてくれ!
逃げ切るのでもいい!!」
そう言いながらもアーガスの猛攻は弱まる気配はない。
必死で剣を振るいながらルードが悲鳴をあげる。
「そう思うならっ、手加減してよアーガス!!」
「すまねぇがそんな自由はないみてぇだ。身体が勝手に動きやがる。だが、それでもだいぶ弱くなってるぜ? 俺が本気で戦いやぁとっくにお前ら死んでんぜ。
まぁ、要は、あれだ。
俺を越えていけ! ルード!」
「そうするッ、つもりだよ!!」
ガキンッ! ルードとアーガスの剣がぶつかり合い、火花が散る。
ふいにルードたち全員の身体を白の結界が纏った。見ればイリーナが何らかの魔法を行使している。
「これは?」と聞くルードに「いいから」とイリーナが継戦を促した。
ルードは頷きアーガスへと駆けた。
横薙ぎに振るわれた剣をアーガスが受ける。同時に、「エチルゴア・フレイド!」ルードが至近距離で術を詠唱した。
だがアーガスは即座にルードの腕を掴み、射線をウィズの方向へずらす。放たれた炎弾をウィズが慌てて回避した。
腕を掴んだアーガスがルードの重心を操作し、片手で投げようとする。瞬間、ルードの背中にイリーナが放った漆黒の呪弾が直撃した。
「!!??」
まさか裏切ったのか!? 焦るルードだったがすぐに違うことに気づいた。
呪いは白き結界に阻まれルードの身体を犯すことはない。しかし、しかし弾けた呪弾は結界の周りをなぞるように拡散し、ルードを投げんとする腕を伝ってアーガスを侵食した。
「うぉっ、呪いかッ!」
驚きの声を上げるアーガス。
続け様に射出される呪弾目掛けてルードを投げ飛ばし相殺する。
「身体が重い。骨も軋むな……。すげぇ動きづれぇ。
いい術、持ってんじゃねぇか、イリーナ」
「その割には随分ピンピンしてるわね……」
「はっ! 学校で習わなかったか? 呪いの弱点は根性ってよ!」
「聞いたことないわよ!」
雨あられと降り注ぐ呪弾を避け、斬って、ルードを盾にして、あらゆる手段で回避し続けるアーガス。呪いがかかった人間とは思えない機敏な動きだ。
「そうはいってもクソ痛ぇ。この辺生きてた頃とあんま変わんねぇな。
何発も喰らえば動けなくなりそうだ。
これ以上喰らってやれねぇな」
「普通一発で動けなくなるんだけどね!!
これならどう?
プロパティア・カースメイル」
サルモ、ルード、ウィズ。前衛三人の身体が黒いモヤに覆われる。反呪の結界も纏っているため覆われた当人たちにダメージはない。結界と呪いの二層構造だ。
「この子たちに触ったら呪うから、お兄ちゃん」
「うーわ、性格悪りぃな、ガハハハ!」
ここまでアーガスは剣と体術の組み合わせでルードたちの猛攻を防いでいたが、ここからは直に接触する体術は使えないことになる。剣と回避だけがアーガスに許された防御手段だ。
更には一発入った呪いの効果で行動自体も大きく阻害される。イリーナの参戦でルードたちがかなり有利になった形だ。
「あー、なんか楽しくなってきたな。
少しずつ本気出すから、死ぬなよ、お前ら」
「ねぇ、何で本気出すの?」