第二十八話 死霊魔術
広間の松明が同時に全て消えた。
暗闇の中、魔法陣の外周に配置された赤、青、紫の火の玉がゆらゆらと揺れる。
「ザックベル・ボイド・キャロライド」
ガラスの割れる音。火の玉が動き出し魔法陣の周りをグルグルと回り出した。
火の玉の描き出す軌跡が混ざり合い、溶け出し、魔法陣を構成する文字や線が外側から順番に染まっていく。外周に配置された見るからに貴重そうな金属器が次々と砕けていく。
光が中心に達すると、安置されていたサラが宙に浮かび上がった。
「ドデカディア・ネクロマンス!」
合わせて十二の魔法陣が展開され、サラの身体が激しく発光する。周囲を回っていた三つの火の玉がサラに吸い込まれていく。
「甦れ、服従せよ。サラ・ホーテルロイ」
ゆっくりと下降し、
サラが、立ち上がった。
その姿は生前と見分けがつかない。
「あ、あ、サラ……」
目が合う。
駆け出し、力いっぱい抱きしめる。
「ルー……ド? よかった……私、頑張ったのよ」
「うん、うん、頑張ったね」
「もう会えないかと思ったの……呪いをかけられて、すごく苦しくて……それで……もうダメだって」
「ごめんね、ごめん。辛い思いさせて」
「でも、ルードもきっと頑張ってくれたのよね。
ありがとう……」
「……僕の、頑張りなんか……ううん、いや、頑張った。けど、もっと早く来れなくて、ごめん」
「いいの。こうして、会えたもの」
「ごめん、ごめん……」
『サラ・ホーテルロイに命じる。ルード・ブレイバーを殺せ』
サラの頭の中に邪悪な声が響いた。
ルードの背中に回されていた手がゆっくりと動き、ルードの首筋にひんやりとした手が触れる。そして、サラはルードの首を絞めた。
「かっ……! サラ……何を」
「分かんない! 分かんないの! 身体が、勝手に!!
いやっ! やめて! やめてよ!」
サラは後衛職で本来力は強くない。にも関わらずルードはその手を振り払うことができなかった。
(苦し……まずい……このままじゃ……)
サラに殺されてしまう。そんなことになればきっとサラは、泣いてしまう。
(そんなこと……させない!)
ルードは膝を伸ばしてサラと自分の身体を軽く持ち上げ、二人の体が軽く浮いた瞬間、瞬時に重心を下げた。反動で首から手が緩んだサラの身体をそのまま放り投げる。
「ごめん、サラ!」
剣を引抜き、ドブロイへと斬りかかる。議論の余地はない。どう考えてもこいつが元凶だ。
だが、見えない壁に剣が阻まれる。
「魔法障壁……!」
「君ごときには壊せないとも。役者はショーに集中したまえ。大好きなサラ君と殺し合うんだ! クハハハハハ!
ああ、言っておくが君は要らない。生き返らせないからね」
「クソっ!」
何度も何度も剣を打ち付けるが障壁はびくともしない。
もっと集中しないと。目を閉じて剣に集中する。今の自分にできる最高の一撃ならひょっとして。
「大好きよ、ルード。余所見、しないで?」
可愛らしい声と共に後ろから飛んできた光球が、無防備に剣を構えるルードの身体を強く打ち据えた。
「かはッ!?」
吹き飛ばされた衝撃で、剣が手からこぼれ、床を滑って行く。そしてサラの足元へ。
サラは屈んで剣を拾うと剣身を愛おしそうにゆっくりと指でなぞった。
「ふふっ」
剣をサラが恍惚とした表情でぺろりと舐める。
「大好き、死んで?」
型も何もない素人そのものの所作。ルードへと剣が振り下ろされる。慌てて床を転がるルードを楽しそうに笑いながらサラが追いかけ回す。
「待ってよ〜、ルード〜!」
「やめてっ! サラ!」
サラの手を叩いてルードが剣を奪い返す。また奪われては敵わないと慌てて鞘に納めた。
「むぅー、じゃあ、こっち!」
サラが伸ばした手から光弾が何発も何発も放たれる。
「うわっ!」
生粋の回復魔術師であるサラの攻撃魔法の威力は低い。だが、体勢を崩すには十分であるし、当たりどころが悪ければ気絶もありうる。動きを止めてさえしまえば剣でも何でも使ってルードを殺しうるだろう。
「死んで! ルード、死んで! いや、死なないで、やだ。やめてよ、何で身体が勝手に動くの!? ごめんなさいっ! 死んでルード! 嘘! そんなこと、思って、ない!
ああ! ルード、大好き! 死んで!!!!!」
表情はうっとりとした笑顔。しかし涙が頬を伝う。
「ドブロイィィィィ!!!!」
怒りの絶叫。これまでの人生でルードはこれほど怒り狂ったことはない。
「おい! アーガス、カース! チョコとイチゴ、どっちのケーキが好きだ!? 鑑賞しながら食べようぜ! クハハハハハ!」
「ほんと悪趣味じゃのぉ……儂ですらちょっと引いておるぞ? チョコで頼む。コーヒーは儂で用意しよう」
「イチゴ……クソがッ! 操るな! 何言わせやがる!
おい、ドブロイ! あいつらを解放しろ!」
「おいおい、アーガス。文句言うやつにイチゴケーキはやれないぜ?
ケーキが欲しければ黙ってろよ」
チッチッチ、とドブロイが指を振ると、アーガスの口が縫い止められたように閉じられる。
「許さない! 許さないぞ、ドブロイ!!」
「残念だけどルード君の分のケーキはないんだぁ!
僕が二つ食べるからなぁ!!! クハハハハハ!
あーはぁ、勇者をいじめるのは、楽しぃなぁ!」
いつのまにか置いてある椅子に座りながらコーヒーをがぶ飲みするドブロイ。見せびらかすように手づかみでケーキを貪り食う。
「殺す! 殺してやる!!!!」
「ルード君!!!」
「あ?」
ドブロイが白けたように声のした方を向く。
縛り付けられたままのウィズが真剣な眼差しでルードに声を上げていた。
「落ち着きなさいっ!」
「ウィズ……?」
「今するべきことを! 何が大切かをッ! 考えなさい!」
「うるさいな、側室は黙ってろよ」
「誰がっ! 側室……モガっ、、」
側室呼ばわりに冷静さを失いかけたウィズの口が塞がれる。どこからか飛んできた人骨が口へ押し込まれたのだ。声を封じられたウィズはそれでもルードに何かを伝えようと目で何かを訴えかけてくる。
怒りに囚われたルードにも、彼女のメッセージは届く。否、彼女だからこそ、届く。
「僕が、すべきこと……うん、うん。
ウィズ、そうだ。ありがとう。僕がすべきことは……サラを助けることだ。ドブロイに怒って、冷静さを失うことなんかじゃ、ない」
ニッとウィズの目が笑う。
「サラ……必ず、助ける」
サラへと拳を突き出す。それはルードの決意表明。
「死んで、ルード、死んで、死んで、死んで、死ん、じてる、信じてる!!!」
どうすればサラを助けられるか、そんなことは知らない。
出来ることは少ない、だから、出来ることを、するだけだ。
(願いなさい。強く、強く、願いなさい)
知らない女の声がした。
アリスではない、誰かの声。
(剣を……抜きなさい。あなたなら……斬れる)
剣を、抜いた。
「サラ!!! 絶対にッ!! 君を、助ける!!!」
サラがルードを迎え入れるように両手を伸ばす。
「ルード、信じてる!」
駆け出す。狙いは、ない。
ただ、そうするべきだと思ったから。
何かが、見えた。
サラの胸から伸びる、禍々しい鎖。
何故今になってそれが見えたのかは分からない。興味もない。大事なのはそれが悪き物だということ、サラを苦しめる呪縛だということ。断ち切らねばならないということ。
身体の中で魔力が蠢く。心臓が熱い。鼓動が速い。
剣身に伝わったのは魔術か、それともルードの想いか。
剣が蒼く燃え上がる。
「はぁぁぁぁぁ!!!」
叫べ。それが力になるのなら。
剣に込めろ。ありったけの魔力を、想いを。
サラを助けるのは、僕だ。
鎖を、斬った。
パキンという金属の割れる音。幻想的な光が散乱する。
「っ何だと!!!???」
ドブロイの驚愕の声。
自分が何をしたのかは分からない。でも、何が起きたかは分かった。
サラを苦しめる呪縛が解けたのだ。
振り抜いた姿勢のルードに、少女が抱きつく。
「ありがとう、私の、勇者」
「おかえり、サラ」
「何が起きた……」
呆然とするドブロイが呟く。
「儂には少年が単に空振りしたように見えたがの。
そしたら光がキラキラと」
「呪縛が、解けた」
「ほう、興味深いのぉ。あの少年、何をしたのか?」
「分からない、いや……実のところ過去にも一度、同じことが……。その力……まさかルード君、君が?
妙な魔法を持っているとは思っていたが……あれを、受け継いだのか?」
「して、どうする?」
「無論。殺して、捕える。
遊びは終わりだ」
「まずいわ、ルード。どうする、戦う?」
呪縛は解けたが以前敵の腹の中。
窮地も窮地、大ピンチだ。今まで以上にドブロイが殺気立っている。
「無理無理、絶対勝てないよ。ウィズ連れて逃げよう」
「ウィズって、あの女の子ね。どこの子?」
「え? それ今重要?」
「ううん、ちょっと気になっただけ」
サラが少し複雑そうな表情しているが、一旦無視だ。それどころではない。
「後で説明するよ。僕が時間を稼ぐからサラはウィズを解放して」
「その後は?」
「頑張って逃げる」
何の答えにもなっていない回答にサラがクスりと笑う。
「それは大変そうね。時間を稼ぐ策はあるの?」
「ないよ。頑張る」
「そっちも、大変そう」
「うん、でもここまでの苦労に比べたら……」
「楽勝ね!!!」
ルードとサラが同時に二手に駆け出す。
「調子に乗るな。雛鳥どもがッッ!!」
ドブロイが手を振り上げ、死者たちが武器を構える。
カースが詠唱を始め、アーガスが剣を構える。
あまりにも大きい戦力差。
ピシッ
天井に亀裂が走る。
「なんじゃ?」
ピシッ
床にも、亀裂が走る。
「ん?」
そして轟音ともに城が丸ごと崩落した。
突然足場を失い落下するルード。下を見る。意識を失ってる間に連れてこられたせいで気づかなかったが、今までいたのは一階や二階ではないらしい。
死を覚悟する高さだった。
「うわぁぁぁ!!」
思わず情けない悲鳴を上げる。
どうしよう、どうしようもない。ルードの持つ魔法にこの状況を打開できる術はない。
ゴミ同然に落下していると、突然伸びてきた木の枝がルードをキャッチした。見ればサラとウィズ、そしてアリスの封じられたぬいぐるみも樹木に捕われ、どこかへと運ばれて行く。
落下死はどうやら免れたが、いい状況には思えない。剣を抜き、木を斬ろうとしたところでウィズが叫ぶ。
「大丈夫です! 身を任せてください!」
目が合う。ウィズが頷く。剣を納める。
「救援です!」
地面に叩きつけられた瓦礫が轟音を上げた。砂煙があたりを埋め尽くす。
****************
「クソっ、何が起きた!
アーガス! カース!」
苛立たしげにドブロイが大声を上げる。当然のようにダメージはないが、突然の城の崩壊、流石のドブロイも多少混乱していた。
「やつらめ、逃さん……!」
人探しの魔法を展開する。僅かの間に随分と距離が離れている。ドブロイの知るルードたちの速度ではあり得ない。
「何が起きている?」
しかし如何に離れていると言えども千年以上生きる魔術師から逃げ切るのは困難だ。移動速度が違う。
ドブロイが浮かび上がる。数分もあれば、追いつける。
「行かせねぇよ」
背後からドブロイの身体が叩き切られる。続け様に裂けた身体を巨大な樹木が押しつぶす。
かと思えば樹木が燃え上がり、ものの数秒で灰となった。灰の中から死霊魔術師が再生する。
「何者だ」
二人の人影がドブロイの前に降り立つ。
「冒険者パーティー『夕凪』。ケイン・ケファー」
「そして、ミミンである」
「チッ! 森に帰れ、忌々しいエルフが……」
「ああ、帰らせてもらうぜ。
土産はてめぇの挽肉だ」
****************
「ケインさんと、ミミンさんです!」
樹木から降りたウィズが言う。
「来てくれたんだ……」
「何だかんだ優しいんです、あの人たち」
「さ、今のうちに逃げますよ」
「加勢しなくていいの?」
アリスの封じられたぬいぐるみを拾いながらウィズが笑う。
「大丈夫です。あの人たち、強いですから」
果たしてルードたちはドブロイから逃げ切ることができるのか!?