第二十六話 聖女の勝利
「十四人目……おわり」
悪夢と言う他なかった。
最初に運ばれてきた四人を治療したところで、さらに四人の患者が運び込まれてきた。それが終われば更に四人、その後も四人という具合だ。
もはやどれだけの時間が経ったのかも分からない。1日か、2日か、もしかしたら3日かもしれない。
サラは人並み外れた魔力量を持つ。故に魔力にはまだまだ余裕があった。
キツいのは頭だ。呪いの解除は呪文をかけてハイ、終わりではない。呪いの作用機構を解明し、絡まった糸をほぐすように慎重に慎重に治療を進める必要がある。呪いと回復魔術は表裏一体。雑な処置はそれ自体が患者の命を脅かす。
回復魔術師が初めに教わる事だ。骨を治療した結果、再生した骨が内臓を突き破って患者が死亡した例もある。
そのためサラは常に最高の集中力を持って治療にあたってきた。体力には自信がある、が、こうも立て続けの治療となると話は別だ。肉体的疲労は魔法で誤魔化せるが、精神はそうは行かない。
限界が近づいていた。
「ルード……」
15人目の患者の治療を進めながら、悲鳴のような呟きが漏れる。そしてすぐに意味のない呟きだったとブンブンと首を振った。今の自分に求められているのは泣き言を言うことではない。目の前の患者の命を救うことだ。
いや、やっぱりそうは分かっていても苦しい。早く逃げ出したい。ここから出たらどうしようか、そうだ、ルードとあったかいご飯を食べよう。シチューか、ハンバーグもいい。ルードはハンバーグの方が好きだろうか。
食べ終わったらデザートも食べたい。アイスがいいな。ミルクたっぷりのやつ。お店になければ魔法で作ってもいい。その後はゆっくりお風呂に入って、次の日の朝はルードとお散歩がしたいなぁ。
「駄目、駄目、集中、集中しないと」
ハンバーグにチーズかけるのもいいかも。
「あっ!」
まずい。ミスをした。切除した血管を止血しようとしたら血を固めすぎた。関係ない血管まで血流を止めてしまった。すぐに溶かさないと。
「あああ、これはいかんの。ここに来て初めてのミスじゃ」
不審な魔力の流れ。溶け始めた血液がまた逆に固まりだす。
サラを更に疲れさせるもの、それはこの悪魔のような老人だ。どうやらサラの治療を監視しているらしく、嫌らしいところで妨害をしてくる。
苛立ち混じりに睨むが老人はホッホッホと笑いながらどんどん魔力を流してくる。魔力が拮抗し、溶解と凝固がせめぎ合う、かと思えば突然逆向き、溶解させる魔力に切り替えてくる。サラ自身の魔力と相まってさっき塞いだばかりの切除痕まで溶けてしまいそうになる。ギリギリで踏み留まると、すぐさまサラは妨害を止めるために血管に結界を張った。
老人が降参とばかりに手を挙げる。
「お見事じゃ。また負けてしもうたの、ホッホッホ」
と言いつつもこっそり心臓に穴を開けようとしているのを阻止する。
そこで妨害は止まった。
まだ幸いなのは老人が本気を出してこないところだ。患者にかけられた呪いの強度、バリエーション、妨害の手際。悔しいがかなりの腕だ。
本気で来られたら勝てるか危うい。
「もっと弱かったら良かったのに……」
もしそうなら老人を先に倒すという手段もとれただろう。サラも後衛職とはいえある程度の心得はある。だが、未だに底の見えないこの老人に通じるかは心許ない。攻撃を仕掛けるのはかなりのギャンブルだろう。もしサラが負ければ患者たちは命を落とすのだ。
「はやくきて、るーど」
今は耐え、待つしかない。
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(いや、まっこと見事じゃ。
が、ふぅむ、分からぬ。なぜあの方がこうまで欲しがるのか……)
確かに素晴らしい才能だ。魔力量、精度、集中力、判断力、どれをとっても申し分ない。お世辞抜きで天才だ。
才能という点ではカースの上をいくだろう。
それでも、だ。イリーナ・ドルチェとそこまで差があるとは思えない。あれはあれで怪物のごとき回復魔術師だ。聖女と呼ばれる者にそもそも凡人はいない。
既にイリーナという手札を持っているにも関わらずここまでこの娘を欲するのは何故か?
(この娘ならあれが解けると……?)
ドブロイ・ネクロマンシーに刻まれた古い呪い。それはカースでさえ理解の及ばぬ術理によるものであり、かの死霊魔術師が千年かけて未だに解呪できない至高の呪いであった。
初めて見た時の震えは忘れられない。極めたと思っていた呪いの世界の遥か先を見た気分だった。
「……ねぇ」
深く深く思考の海に潜っていたカースの意識が聖女の声で現実へと引き戻される。
「うん? どうしたかの?」
「あとなんにん?」
そう言いながらも少女の視線は患者から外れることはない。
「用意した呪いは105人分。じゃから、今診てるそれを抜いて残り90人じゃの」
ハンマーで殴られたような衝撃。半分くらいは終わったかと思っていたが、まだその半分にも達していないとは。
何故最初に人数を確認しなかったのかと過去の自分を呪う。
「そんなに……もう、げんかい……」
「そうか、ならば休むといい。その間患者は苦しみ、もしかしたら死ぬかもしれんかもしれんがなぁ。気の毒に」
「もうげんかい、なの……はやくやすみたい」
「おぉ、おぉ、休むといい。無理強いはせぬよ」
「げんかいだから……」
「……」
しばらくの間、サラは動かなかった。目をつぶって、沈黙すること数分間。そして、パンっと頬を叩くと決意に燃える目で言った。
「まとめて全員、連れてきて?」
****************
「おい、ドブロイ」
「何かな、我が友アーガス」
「は? 死ね」
「クハハハハ! 残念だがそれはできかねる」
「チっ、どうしてここまでサラの嬢ちゃんに拘る?」
「君が知る必要はない……と言いたいところだが。オイオイ、そんなに睨むな。一緒に旅をしたよしみだ。少しぐらい教えてあげよう。
こう見えても僕は随分と長く生きていてね。聖女も何人も何人も、それこそ掃いて捨てるくらい見てきたんだ。
聖女なんてのはどれも天才だが、それでもその中で特別と呼べるのはほんの一握りだった。
アカシア・ローズウェイン、アイシャ・ザックベル、ユーフィリア・キャロライド、ハンナ・ボイド……そして、サラ・ホーテルロイ。
特にサラ君はある能力が本当に素晴らしい。
彼女だけだ。彼女にしかできない。
彼女こそがカギとなる。千年待った逸材だよ」
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流石に全員は入りきらない。そう言ったカースに連れてこられたのは城の広間だった。広々とした空間には一切の調度品もなく、ただひたすらに患者たちが無造作に転がされていた。
死屍累々、いや、もっとも全員まだ生きているので死屍累々とは正確な表現ではないかもしれないが……どうにもそう言いたくなる惨状だった。
ペタリ、サラが手近な患者の頬に触れる。この人もあの人も、全員が全員強力な呪いに蝕まれている。やはり、一刻の猶予もない。他の患者たちも同じだろう。
膝が震える。サラの体力はもはや限界。見捨てて休んでしまいたいという気持ちがないと言えば嘘になる。
サラは信じている。ルードは必ず助けに来る。どれだけ敵が強大でも、道のりが苦しくても、サラの勇者は絶対に諦めない。
だからサラ・ホーテルロイも諦めない。諦めてしまえばきっとサラは笑えない。助けに来たルードの手を、迷いなく取ることはできない。
患者のためか? 自分のためか。 自己中心的と笑いたければ笑えばいい。
全員助ける。それが全てだ。
とはいえあまりにも数が多い。今までのペースでは取りこぼしが出るだろう。サラ自身の限界もある。
効率化が必要だ。でも雑になるのはダメだ。焦らず、丁寧に。その上で速度を十倍にするだけだ。この現状を打破するにはそれくらいのスピードアップが必要だ。
簡単簡単。
『確実に治せると判断できるまで時間を稼ぐのも治療の一つなのよ』
(うん、イリーナお姉様はきっと正しいわ。私も普段ならそうするもの。でもね、でもね。今は違う。それじゃ間に合わない。私が保たない。この人たちも。
だから、
定石を、作り替えるわ)
まずは残りの患者たちの状態を把握する。これは魔法を90個並列起動するだけだ。別に難しくない。
患者たちそれぞれの上に魔法陣が浮かぶ。
「……見事じゃ」
サラの指先に光が灯る。指揮者のような動きで指先が踊り、空に光る文字が刻まれていく。
「血管系 15人
心臓系 30人
脳系 20人
魔力回路 8人
その他 16人。
合計89人……。
嫌らしいバラけ方させるわ。
系統ごとにまとめて見ればちょっと負担が減りそう。
あとはまとめて治すだけ……とは言っても全員呪いの内容が違うから……まとめて、でも別々に治療しないと。
さあ、ここからが正念場よ……高位魔法の並列起動」
血管系の呪いにかけられた患者たちの魔法陣がが明滅する。
(全部違う呪いだけど、細かく見れば共通の部分があるわ。例えば、この人たち、全員血液の粘度が上がってる。
魔力を流してサラサラに……。
安定するまで少し時間がかかるからその間に次のこの人たち。血管に異物が……)
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カースもまた、ドブロイにサラの何が良いのかを聞いたことがある。
『僕がサラ君を欲する理由は幾つもあるが……最たるものは並列処理だよ。カース。
彼女は一人で同時にいくつも魔術が起動できるんだ。
かつてイリーナは君の呪いを解くのに失敗し、サラ君は成功した。それもその力のおかげさ』
『ふむ、イリーナ・ドルチェの奪取とサラ・ホーテルロイの器を測ること、それがあの件の目的じゃったな。
じゃが魔術の複数起動……それくらい儂らもできるじゃろう?』
『ああ、違う違う。僕らの複数起動と彼女のそれは全くもって別物だとも。
僕らがやってるのは事前にセットした、決められた動きをする魔術を複数起動すること。彼女ができるのは繊細な、その場限りのオーダーメイドの魔術を同時に操ることさ。
これが出来る魔術師は本当に珍しいが……彼女はその中でも群を抜いていてね……しかもまだまだ発展途上だ。
追い込めば追い込むだけ、花開くだろうね』
そうドブロイ・ネクロマンシーは言っていた。そのための100人を越える患者たち。これほどの数を準備するのはカースを持ってしても骨が折れたものだが……
「まさか、これほどとは……」
カースの眼前に広がるのは一寸のミスもなく治療された患者たち。カースの首筋を汗が伝う。
「驚いた、驚いた……まっこと、見事じゃ」
驚嘆の念を禁じ得ない。
ぐったりと地面に崩れ落ちる少女。
仰向けになってふうっと深く息を吐いた。
「終わりね。ああ、疲れた……」
「うむ、うむ…」
「あ、そうじゃ」
「もう一人、おるんじゃった。
最後の呪いは君のじゃよ。ゆっくりお休み。
サラ・ホーテルロイ」
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冷たくなった少女の髪を優しく撫でる。
「まさか解呪寸前まで行くとは……並の苦痛じゃなかったはずじゃが……生きる意志が強いのじゃの。疲弊さえしておらねば解呪に成功していたやもしれん。
惜しかった……まっこと、惜しかった。
君に敬意を表してこの者らは全員生きて帰そう。
これは本当の本当にじゃ。
君はこの者らの命を救ったのじゃ。
君の、勝利じゃよ」
そうしてサラ・ホーテルロイは命を落とした。