第二十二話 葛藤と
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「ごめん、ウィズ」
本当にごめん。ドブロイは本当に強くて、僕なんかじゃとても勝てないんだ。
そして僕はサラが大事なんだ。初めて会った時からずっと好きで、好きで、大好きで、
だから見捨てることなんてできないんだ。
弱い僕で本当にごめん。
だから、もしアリスの言う通り、ウィズを助ければサラが死んでしまうなら僕は、僕は。
唇を噛み締め、泣きそうになりながら天秤に横たわるウィズの姿を見る。
でも君は言ってくれたんだ。
『ゴーレムとも、死霊術師とも一緒に戦ってあげます。あなたがピンチの時、必ず駆けつけます。
だからルード君、私を守ってください。
私はあなたを守ります。
大丈夫、あなたは、1人じゃない』
僕は、一人じゃない。
君が一緒に戦ってくれる。
君となら、戦える。
君を信じてもいいかい。
必ず君を守るから。
どうしようもなく弱い僕を守ってくれ。
力を貸してくれ。
僕の勇者、ウィステリア・ソーン
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サラ・ホーテルロイ、そしてウィステリア・ソーン。彼女たちには傷一つない。
覚悟を決めた少年、ルード・ブレイバーが斬ったのは彼女たちを秤る天秤そのものだ。
それは彼が選択自体を拒否したことを、どちらかを選ばないことを意味した。
アリステア・アリストラは思う。
なんて愚かなのかと。
彼にはルードが何を考え、それに至ったかが分かっていた。肉体を共有している以上、思考を読み取ることは容易い。
分かった上で、愚かだと思った。
たかが一人、女が加わったところで何になるというのか。あの死霊術師との力量差に気付いていないわけでもないのに、どうしてその結論に至る。
サラ・ホーテルロイが大事なら彼女を生かせばいい。
ウィステリア・ソーンが大事なら彼女を生かせばいい。
命に優先順位をつけるだけだ。より大切な方を選ぶだけではないか。
共に過ごした時間の長さを大事にするならサラ・ホーテルロイを。
共に戦った経験に価値を置くならウィステリア・ソーンを。
どちらかは確実に救えるというのに、両方失う可能性のある選択をするなんて愚か極まりない。
合理性に欠くというものだ。
だがアリステアは知っていた。この世界にはどちらかを切り捨てるなんてことはしない人間がいることを。
「君と……同じですね……アカシア」
かつて彼女は同じ選択をし、そして全てを救ってみせた。そんな彼女を美しいと思ったのも事実だ。
「まあ……悪くないでしょう」
「え、なんて言った? アリス」
ぽつりと言った言葉に、深刻そうに天秤の残骸を見つめていたルードが振り向く。
「君の選んだ道は……いばらの道です。
君も……ウィステリア・ソーンも……死ぬかもしれません」
「アリス、僕は」
「説明は……いりません
超えて見せなさい……
今回も……これからも……
そして証明……するのです
それが……勇者の血を継ぐ……君の宿命です」
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「致命傷です……」
現実の世界でアリスが言う。
横たわるのは意識なく横たわるウィズ。
傷口からはどくどくと血が流れ出し、血の気の失せた唇から溢れる吐息は浅く不規則だ。
「これを治せるのは……回復魔術の達人だけです……。僕は……苦手です。傷を負ったことなど……ほとんどありませんから……」
(助けられるんだよね?)
心の中でアリスに問いかける。今は肉体の制御権をアリスが握っているので声を出すことはできない。
「当然です……幸か不幸か……ここにはその達人がいる……。彼女の力を借ります」
そう言うとアリスはイリーナの襟を片手で掴んでずるずると引きずってウィズの横に並べた。
イリーナもまたアリスによって意識を刈り取られていた。
(イリーナさん? 起こして助けてもらうの?)
「彼女が聞いてくれるなら……それも悪くはありませんが……可能性は低いでしょう。
別の手を……使います。
ところで……殺してもかまいませんか……」
なんでもないことのように投げかけられた問い。もしここでルードが頷いたなら迷いなく殺してしまうだろう、そう思わずにはいられない。
根本から自分と異なる価値観。
(できれば、殺さないで欲しい、かな。こんな人でも、アーガスの妹なんだ。僕も昔は良くしてもらったし……。きっとドブロイさえいなければ今も優しいままだったはず、なんだ)
アリスにとっても予想通りの答えだったのだろう。特に動じることもなく、そうですか……とだけ答え、ポーチからチョークを取り出した。
イリーナを中心に地面に円が描かれる。周囲にルーンが刻まれ、複雑な図形が足されていく。コンパスも何も使っていないのに全く歪みがない。
「使い捨てでよければ……適当にやるのですが……殺したくないと言うので……」
描き終わったアリスはしばらく完成した魔法陣を眺めながらブツブツと呟いていた。
「1、2、4、8……ここが……こう……線は……まあ、充分でしょう……多分。
完成です……。
プロパティア・プロジェクタ」
チョークで描かれた陣の真上に全く同じ魔法陣が写し出され、青白く明滅する。続け様に普段の途切れ途切れの話方が嘘のように堂々とアリスが詠唱した。
「へプティゴア・ラ・ドーラ」
宙空の魔法陣が陰鬱とした灰色に変わり、そこから痩せ衰え筋張った何かの腕が這い出してきた。
それは探し物をするかのように辺りを探り、真下にあるイリーナの身体へとゆっくりと伸びていった。生者のものとは思えない、どちらかといえば明らかに邪悪なモノに見えるそれは、キシりキシりと軋む音を立てながら、手を開いた状態で動きを止めた。
十の指先からか細い糸が伸び、風に揺られながらイリーナへと接近していく。額、肩、手、腹、足に絡まってからゆっくりと溶けるように身体と結合する。
グイとそれが手首を返すと操り人形のようにイリーナが起き上がった。依然として目は閉じられ意識はないままだ。
糸に繰られフラフラとウィズの元へと近づいていく。
「へプティゴア・コンバーティド」
糸が大きく脈打ち根元から赤黒く染まっていく。それは血が滲んでいくようだった。
莫大な魔力が糸を通してイリーナに注ぎ込まれていく。肌がひりつく感触でそれが分かった。
イリーナの首筋に刺青のように紋様が浮かび上がる。
ゆっくりと、イリーナが目を開いた。
その瞳の中にもまた、何らかの魔法陣。
掠れた声で彼女が唱える。
「ペンティゴア・ディプトハイル」
聖女による回復魔術の行使。
ルードが最後にその魔術を見たのは随分と前のことだが、展開された魔法陣も、その清浄な気配も記憶そのままだった。見る見る内にウィズの傷口が塞がっていく。
一分もせずに傷口が跡形もなく治癒され、蒸発したかのように流れ出た血液もどこかへと消えていた。
破けた服の隙間から覗くすべすべした白い柔肌さえなければ、怪我をしていたことさえ疑わしく思えてきそうだ。
「……疲れ……ました……この魔術は……燃費が……悪すぎます……」
アリスがうんざりしたようにそう言うと、糸や宙に浮かぶ粒子が光の粒子に変わった。
支えを失ったイリーナの身体をアリスが受け止め、意外にも優しさを感じさせる仕草でゆっくりと床に横たえる。
「イリーナ・ドルチェは……肉体の損傷を抑える……魔法陣を刻んだので……死にはしませんが……負荷の大きい魔術です……当分起きないでしょう。
ウィステリア・ソーンの方は……一時間もすれば起きる……はずです……。
僕も……寝ます……どうせ……ドブロイと戦えるほどには……回復しませんが……とにかく眠いので……」
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ウィズの寝顔を見ながらルードは悩んでいた。
「なんて説明しよう……」
ウィズに助けてもらう。それしか道はなかったし、間違いだとは思わない。ルードにとってはそうだ。
だがウィズからしてみればどうだろうか、善意でダンジョンについてきただけなのに、巻き込まれて殺されかけた。そして知らないうちに会ったこともないサラと天秤にかけられ、挙句今度は救出に協力してくれと。しかも相手は史上最悪の死霊魔術師。
迷惑この上ない話だ。本当に申し訳ない。
自分勝手な話だがそれでもウィズに納得してもらわなければいけないのが今のルードだ。
もしルードがウィズの立場なら文句の一つも言ってしまう。
回復魔術のおかげで体調が良くなったのだろう。苦しげだった呼吸は安定し、気持ちよさそうにすやすやと眠っている。
毛布にくるまれたウィズの頭をそっと撫でる。
正直もうウィズが傷つく所を見たくないと言うのが本音だ。ウィズの身体から吹き出す鮮血の色が頭にこびりついて離れない。意識を失い弱々しく震える手を、どれだけ強く握ったことか。
それでもルードはもう一度言わなければいけない。一緒に戦ってくれ、と。
短い言葉なのにそれを言うのはひどく困難なことに思えた。そんな一言言うだけの勇気もない自分のどこが勇者だ。
それに問題はそれだけではない。
「断られたらどうしよう……」
断られても全然おかしくないのだ。というか10人いたら9人は断るのではないか。敵は御伽噺に出てくるような死霊魔術師、そこらの悪者とは格が違う。兄のラルクでさえ勝てるかどうかという化物だ。誰が好き好んであんなのと戦うものか。確かに口では一緒に戦ってくれるとは言っていたが……
断られた時に言う言葉は何がいいだろう。アリスのことを話して彼がまだ戦えると嘘をつくのはどうだろうか? それなら勝ち目はあるように錯覚させられるのではないだろうか。ドブロイに挑むのも悪くはないと思わせられるのではないか。
それしかないのではないか?
そこまで考えてルードは首を振る。
嘘をつくのはダメだ。彼女を死地に連れ出そうとする自分は、せめて誠実であるべきだ。
ふと、想像した。ドブロイに殺されそうになっているウィズが僕を見る怨みがましい目を。嘘をついたなと僕を責める目を。
身震いする。耐えられない。耐えられるわけがない。
やっぱり嘘はつきたくない。
今度は別の想像をした。
「お断りします」ウィズがそう言った。何も言えないルードは一人、ドブロイへと挑む。
そして、サラの目の前で、死んだ。サラが泣きそうな目で僕を見て、ドブロイが嗤った。ドブロイの手がサラへと伸び、彼女が悲鳴をあげ……
「嫌だ……それだけは……嫌だ」
結局のところ、ウィズを助けて、サラも助ける。その選択をした後になっても、天秤にかけ続けなければいけないのだ。ウィズを取るか、サラを取るか。
いつまでも優柔不断ではいられない。
それが分かってもルードは決められない。
決断できないまま、時間だけが過ぎる。
どれだけの時を無為に過ごしたのかさえ分からない。
そして、ある時、ウィズがゆっくりと目を開いた。
「ルード……君?」
「ウィズ……」
「助けて……くれたんですね。ありがとう……ございます」
ウィズが微笑む。感謝の言葉がルードの胸を抉る。そんな顔で笑いかけないでくれ、僕に感謝しないでくれ。君を地獄に連れ出そうとする僕を、僕の決意を、揺らがせないでくれ。
「ウィズ……僕を……助けてくれ……」
結局、考えに考えて、出てきた言葉。
それは選べない男の、心の叫びだった。
そんな言葉に、ウィズは目を丸くして
「当たり前じゃないですか」
そう笑った。
胸を小突く拳の感覚と、広がる温かい感情。ルードは生涯忘れることはない。
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「なるほど、そのアリスさんと言うのは今は眠っているんですね?」
「うん、呼びかけても返事がないからね」
ルードはウィズに全てを話した。アリスのこと、ウィズを助けるのにアリスの魔力を使い切ってしまったこと、サラを助け出すために力を貸して欲しいこと。
ウィズは大昔の勇者の魂がウィズ宿っていると聞いても疑おうとはしなかった。
力を使い切らせてしまったことを謝ろうとするウィズと、逆に謝ろうとするルードで謝り合いになってしまう場面もあったが、終始穏やかに話は進んだ。
そして、力を貸して欲しいと言ったルードに対し、もう一度「当たり前です」と答えてみせた。
しばらくウィズが万全の状態に戻るまで休憩をしてから、二人はダンジョンの出口である転移魔法陣の前で計画を確認する。
「ドブロイさんには勝てそうもありませんから、見つからないようにこっそりとサラさんを救出して逃げ出すのがいいでしょうね」
「うん、僕もそう思う」
「こんな場所に刺客が来たと言うことは、向こうは私たちの動きを掴んでいます。
時間をかけるとまた別の誰かに襲われるかもしれません。それに前回のアリスさんとの戦闘で敵も多少は消耗しているはずです。だから速攻を仕掛けましょう。サラさんの居場所は分かるんでしたよね?」
「さっき改めて僕の魔法で確認した。動いてないみたい。街外れの古城だ」
「ばっちりですね」
そう言ってウィズがルードへと手を差し出す。
出口が転移魔法陣になっているダンジョンは多い。奈落もその一つだ。転移魔法陣の行き先はほとんど決まっているが、何らかの要因によって少しばらつく傾向にあった。それによりパーティーが分断されてはぐれてしまうケースがあるのだが、対策として手を繋いでおけば確実に同じ場所に転移することができる。
魔法陣は全員で手を繋いで乗るのが冒険者としてのセオリーだった。
手を握った時、ウィズの手が少し震えていた。それに気づいたルードが空いた手でポリポリと頬を掻く。
「ウィズ、実はね、僕、結構緊張してるんだ。正直、怖い」
ウィズが目をパチパチと瞬かせ、笑う。ルードの手を握る手に力が籠る。
「安心してください、ルード君。こう見えても私、隠密行動は得意なんです。シーフですから。
外に出たら私の指示に従ってください。
いいですか、絶対にドブロイさんに見つかったらだめですからね、見つかったら終わりだと、そう肝に銘じてください」
「頼りにしてるよ、ウィズ」
「はい」
そうしてルードたちは魔法陣へと足を踏み出した。
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「ルード君! ルード君!」
ウィズが呼ぶ声がする。
転移直後は少し意識が朦朧とすることがある。
彼女の声で意識が浮上し、視界に光が飛び込んでくる。
まず視界に入ったのは何本もの木々。どうやら森に転移したらしい。
そして、
「やぁやぁ。待っていたよ、ルード君。
僕を待たせるなんて、君も随分と偉くなったものだな? クハハハハ!!」
見たくもない、悪意に満ちた顔に、夢にまで見た笑い声。
一番会いたくなかった男が、そこにいた。