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第二十一話 友情の選択

「ウィズッッッ!!!!」

 

 自分の絶叫がどこか遠く聞こえる。

 溢れ出る真紅の鮮血。血飛沫の一つに至るまで、この先ルードが忘れることができないだろう光景。

 

「ルード君……無事……ですか」


 刺された腹部を抑えて膝をつくウィズは息も絶え絶えだ。

 ルードはまさに脱兎といった様子で無我夢中にウィズを抱えて走り出す。


「サルモ。逃がすな。でも殺しちゃダメよ、まだね」

「はい、ママ」


 嗜虐的な笑みを浮かべながらイリーナが命じる。

 背後で触手が蠢く気配。次の瞬間背中に強い衝撃。視界にスパークが走った。小石のように跳ね飛ばされ、無様に地面を転がる。石畳で肌が擦れ出血。ズキズキとした痛み。だがそんなものには構ってられないと即座に立ち上がりウィズの元へ。


「必死ねぇ、あなたが好きなのはサラちゃんじゃなかったの?

 他の女の心配しているあなたを見たらあの子は何ていうかしらね」


 嘲笑うようなイリーナの言葉も、気に留めてなどいられない。


「ウィズ! ウィズ!」


「あはははは! 私を否定したこと! 膝をついて謝るなら楽に殺してあげてもいいわよ!」


 何度も、何度も、弄ぶかのように触手はルードを打ち据える。その気になれば殺すことも簡単だろうに、それでも触手がルードの命を刈り取ることはなかった。


「はぁっ、はぁっ。っぁ……ああぅ」


 朦朧とする視界の中でルードは何度でも立ち上がる。膝はガクガクと震え、手には剣を握る握力さえも無い。しかしそれでも彼は友のために立ち上がる。


(僕は……いつもこうだ)

 

 かつてサラを守ろうと人攫いに立ち向かった時もそうだった。敵を打倒するだけの力がない。いつだって敵はルードよりも強く、彼にできるのはただ立ち塞がることだけだ。だが変わらないのは守る意志。それだけは昔も今も、そしてこれからもルードの中に在り続ける。


 


「ルード、君……逃げて……ください」


 満身創痍でよろめくルードに掠れた声でウィズが懇願する。そうこうしているうちにまた一層血色が失せている。友の命の砂がこぼれていく。


「だい……じょうぶ。ウィズは僕が……守る。約束……したでしょ。僕は君の……勇者だ」



********


 かつて弟のように可愛がっていた男の子を手にかける。本当に堕ちたものだ。あの日からイリーナ・ドルチェの歯車は狂ったままだ。むしろ罪に罪を重ね、どんどんと深く昏く堕ちていくのを感じる。もう戻れない。


「もう、終わりなの? 二人とも。

 まだ何か手があるんじゃないの、早く出しなさいよ」


 しばらく待つが、返事はない。


 イリーナは深くため息をつき、遊びは終わりとばかりにパンと一つ手を叩くと彼女の下僕へ命じた。


「サルモ、殺しなさい。これは、命令よ」


「はい、ママ」


 サルモの頬を涙が伝う。イリーナがその涙を拭うことはない。


「サルモ、命令よ」


 ただ言葉を繰り返す。


 傷口を焼かれ触手の再生こそ阻害されているが、それでもろくに動けない人間を殺すことなど、彼女の最高傑作にとって造作もないことだ。


 触手が弾丸のような速さでルードへと襲いかかる。これまでのような遊びではない全力の速度。人間が耐えられる威力ではない。


 全ては一瞬だった。


 衝突の瞬間イリーナがルードが死んだと確信したのも。

 触手が細切れになったのも。

 イリーナの身体を莫大な殺気が襲い、悪寒が止まらなくなったのも。


 彼女は知らなかったのだ。


 この場における絶対強者は誰なのかを。


「仕方がありません……ここからは、僕が相手です」

 

 ルード・ブレイバーの形をした()()が言った。


 カタカタとイリーナの歯が鳴る。姿形は満身創痍のルードのまま。しかしこのプレッシャー、格が違う。かつて龍に遭遇したときの記憶さえ生温く思える。何かが変わったのだ。


「は……?」


 状況が変わったことは火を見るより明らかで、自分が喰う側から喰われる側に変わったことも直感的に理解した。だが理解が及ばない。納得などできない。

 

 コツコツと音を立てながら()()が歩いてくる。無警戒にも見えるその足ぶりは、この場の何者も脅威にはなり得ないという傲慢さの表れにも見えた。


「ああ、これがドブロイが求めたものなのね……」


 何かは分からない。分からないが、あの死霊魔術師がルードに固執した理由はきっとこれなのだ。


「い、いやっ!!」


 莫大な殺気に晒されたサルモが悲鳴を上げる。


 触手が迫り、剣が踊った。


 それはまるで剣舞のようだった。優雅で力みのない美しい剣。だが決して速くはない。剣士ではないイリーナの目でも捉えられる速度であり、かつて見慣れたアーガスと比べてもかなり()()()()()

 しかしその剣は鉄壁の結界のように触手の接近を阻み、粉砕する。

 防御しているというより、剣が触手の軌道上にただ()()という感じだ。イリーナには触手が剣筋に飛び込んでいっているようにさえ見えた。

 まさか不規則な触手の動きを全て予測し先手を打っているとでもいうのか。

 ありえない、ありえないはずだ。


「よく見なさい……ルード・ブレイバー。魔力が少なくとも……使わなくとも……できることはあります。相手を良く見なさい……先を読みなさい……。今すぐ……できるようになりなさい……。大切なものを守る……準備期間など……本来……ないのです」


 じゃりっ……。イリーナの足元で砂が音を立てた。無意識のうちに後退りしたのだと気づく。そしてすぐに拳で足を叩き、一歩前に出る。

 ジュード。ジュード。ジュード!!!


「あっ……あぁぁぁぁぁぁっ!!!」


 悲鳴を上げながら攻撃魔法を幾度も打ち込む。回復魔術とは比べるまでもない練度だが、彼女の高い魔力もあって十分に高い威力だ。サルモの触手と合わせて単純に手数が二倍になる。


 届かない、届かない。服の裾すら傷つけることが叶わない。どう見ても向こうは本気を出していないのに足元にも及ばない。

 触手は斬り払われ、切先の僅かな動きで魔法は逸らされる。時には触手が魔法を防ぐ盾に使われる。


 一歩、また一歩と一定の速度で近づいてくる。


 初めにサルモが無力化された。頭を撫でられただけに見えたが、それだけでサルモは壊れた魔導人形のように動かなくなった。




「サルモっ!!!」


 悲鳴を上げてサルモへと駆け寄る。即座に回復魔術をかけようとし……ただ気絶しているだけだと気づいた。


「そう……生きている……のね」


「ええ……もったいないですが……子供には……優しくする約束なので……」


 既に()()は目の前にいた。

 ゆっくりとサルモを降ろし、見上げる。


「ま、まあ……どうでも、いいわ。この子はただの、傀儡だもの。私に絶対服従の、哀れな実験動物よ」


 懐に隠していたナイフを抜き、ルードの姿をしたそいつに叩きつける。当然のように弾かれ、ナイフが地面を滑っていく。防がれたことに驚きはなかった。

 逃げきれない。避けられない運命を悟る。


「あ、ああ……ああ……」


 死ねば全て、終わってしまうのだ。

 

 踵を返して脇目も振らず、髪を振り乱しながら走り出す。逃げられぬ運命を知ってなお、それでも荒い息で必死に足を前に繰り出す。


 百万分の一、いや。百億万分の一の可能性であっても、生き延びて、彼にもう一度会えるならば……!


「君のような美女となら……追いかけっこも悪くありませんが……余裕がありませんので……終わりにしましょう……。おやすみなさい……」


 そんな言葉を耳にしたのを最後に、視界が暗転した。


 ああ、これ、で、終わ、る。


 ジュー……ド


****************


「君は……本当に弱い」

「アリス……」


 ただただ白い空間に一本だけ地面に突き刺さった剣。気づけばルードはアリステアの精神世界で彼と向き合っていた。


 部屋の主はあぐらに頬杖をつき、酷く退屈そうに呆然とするルードを見ていた。



「安心してください……ここでの時間は……流れ方が違う。ウィステリア・ソーンは……まだ無事です」


 ウィズ。その名を耳にした途端、呆然としていた意識が急激に覚醒した。

 ルードの目に光が宿ったのを確認したのか、アリスが軽く手を振った。すると突如現れた大鏡の中に血を流し倒れ伏すウィズの姿が映し出された。


「ア、アリス……お願いだ。ウィズを、ウィズを助けて! 悔しいけど、僕の力ではもう……」


 窮地を打開する力を持った強者に、ルードは血を吐く思いで懇願する。力至らず、上位者の慈悲に縋る。ルードの想い描く勇者の姿とはかけ離れたものだ。

 この世に生を受けてから常に兄と比較され、自信を砕かれ続けてきたルードであっても、プライドくらいある。だが彼は自らのプライドと友の命を天秤にかけるような男ではなかった。


「可能です……」


 ゆっくりと、アリスが答える。


「なら……!」

「ですが……君は選ばなければ……」


 這いつくばって縋り付く姿は無様にも見えるが、アリスは笑わない。淡々と無表情で選択を突きつける。


 アリスが指を鳴らすと彼の背後に人間大の天秤が現れた。もう一度指を鳴らせば空からゆっくりとウィズそっくりの「何か」が降りてきて、天秤の左の皿にふわりと横たわった。

 そのウィズはきっと本物ではないのだろう。目を瞑ったまま、意識はなく、生気も感じない。ただそこにあるだけだ。

 

「ウィステリア・ソーンの命と……」


 空からもう一つ降ってきた。それは右の皿に横たわる。ルードのよく知る女の子。好きで好きで仕方がない、必ず守ると誓った幼馴染の女の子。


「サラ・ホーテルロイの命を……」



 アリステアが立ち上がる。絶句するルードの眼前に、地に刺さった剣を引き抜いて差し出した。

 理解できないものを見る目でルードがアリステアを見上げる。

 これで斬れとでも言うのか。一体何を。


「選んで……ください。どちらを……生かすのか、どちらを……殺すのかを」


「っそんな……選べるわけ……」


 やっとの思いで捻り出した言葉は求めた答えではなかった。説明が不足していたとでも思ったのかアリスが言葉を続ける。


「僕は回復魔術が……使えませんが……一つだけ……莫大な魔力と引き換えに……彼女を救う手があります。

 ……ですが前にも言った通り……僕の魔力には……限りがあります」


 アリスが前に言った言葉が思い出される。


『覚えておきなさい……

 此度の戦い……僕に残された魔力は……あと僅か……

 その魔力は……奴を討つ……その時のため…』


 確かにそう言っていた。


「もしここでウィステリア……彼女を救えば……サラ・ホーテルロイを……助けられません。


 逆に……ウィステリアを見捨てて逃げるなら……これ以上魔力消費せずに済み……サラ・ホーテルロイを……助けられる可能性が残ります。


 つまり君は……どちらを救うか……選ばなければなりません」


 もしここでウィズを救うために魔力を使ってしまえばドブロイへの対抗手段を失うことになる。多少強くなったとは言え、ルードが自身の力だけでドブロイを倒すことなど不可能なのだから。



「ここは僕の精神世界……悩む時間は……存分にあります。悔いの残らないよう……よく考えなさい」



「サラ……」


 君の笑った顔が好きだ、声が好きだ。あの日からずっと君が僕の支えだった。

 一緒に冒険して、もっと、好きになった。


『私も、あなたみたいに! あなたのためなら!

 勇気を出せる!』

『私が、私の勇者様に送る、勇者の証のネックレスだよ。

 これからもよろしくね、ルード』



「ウィズ……」


 君からどれだけの勇気をもらっただろう。助けてもらっただろう。強くて、優しい、僕の勇者。


『だからルード君、私を守ってください。助けてください。

 代わりに、私はあなたを守ります。


 大丈夫、あなたは、1人じゃない』


『行きましょう。私の勇者、ルード・ブレイバー。

 共に敵を討ち果たしましょう。


 私はウィステリア・ソーン。勇者の、仲間です』



 手に持った剣を地面に叩きつける。


 選べない。選べるはずがない。この問いに答えを出せる人間は果たして存在するのかとさえ思える。

 仮にどちらかを選んだとして、ルードは生かした子に笑いかけることができるだろうか。死なせた子の墓の前で仕方がなかったと言えるだろうか。二人はルードの選択を認めてくれるだろうか。

 

 ああ、何故天秤に載っているのは自分の命ではないのだ。もしそうなら迷うことなど無かったのに。


 ルードは自身の運命を呪い、そして直ぐに呪うべきなのは自らの弱さなのだと、死ぬ気で努力してこなかった怠惰だと気づいた。

 もし過去に戻れるならどれだけの苦痛が待っていようとも彼女たちを守れるだけの強さを手にしてみせるのに。そんな妄想はなんの役にも立たないのに、そう願わずにはいられない。


 考えて考えて、考える。どれほどの時間が経ったのかもわからない。


 ぐるぐる、ぐるぐると二人との思い出が頭を巡る。


 天秤にひとつずつ思い出を載せていく。


 長い時間をかけてようやくルードは一つの答えに辿り着いた。これでいいのかと自問してみてもはっきりとした答えは出ない。


 手の中の剣がとてつもなく重く感じる。

 ゆっくり、ゆっくりと振り上げた。

 何もない真っ白な空間に、衣ずれの音が響く。


 ぎゅっと目を閉じ、深く息を吐く。

 もう後戻りはできない。これは、彼女たちの人生を文字通り決定づける決断だ。責任は全て自らにあり、この先どれだけ非難されようとも、後悔しようとも取り返すことはできない。


 それでも、救いたい、救わなければならないもののために。


 覚悟を、決めろ。


 そして、大きく踏み込んで剣を振り抜いた。


 僕は選んだ。





「ごめん、ウィズ」








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