第二十話 血
過去編が終わり、時間軸が元に戻りました。
ルードたちはゴーレムを倒しましたが、何者かの襲撃を受けてしまいました。姿を現した襲撃者はなんと街で出会った女の子、通称サーモンちゃんでした(16話)。
サーモンちゃんの初登場シーンは4話です。
「パパ」
「サーモンちゃん・・・・・・?」
熊耳にふさふさのしっぽ。街でともに過ごした迷子の女の子がそこにいた。
高難度のダンジョンの最奥で。
間違ってもたまたま辿りつく場所ではない。
それに先ほどルードとサラを襲った何か。
はっきりとは見えなかったが、あれは一体……。俄には信じがたいが、状況を考えるとサーモンちゃんが襲撃者である可能性を否定はできない。半信半疑。混乱しながらもルードは剣の柄に手をかけ、半歩、後ずさる。
ルードの警戒した様子にもサーモンちゃんは何ら反応することもなく、ただ可愛らしくルードたちを見つめていた。
「殺しに来たよ?」
表現し難い不気味さに、得体の知れない怖気が走る。あれはサーモンちゃんなのか、サーモンちゃんの形をした別の何かか、答えの出ないといが頭をぐるぐると巡る。結論が出ることはなく、従って攻撃に出ることもできない。
「あら、私もいるのよ? ルード君。久しぶりね。大きくなったじゃない」
聞き覚えのある声がした。
コツコツ、コツコツ。
サーモンちゃんの後ろの方から足音がした。大人の足音。
暗がりから女の影が歩み出てくる。
こちらもまた、ルードからすれば何故ここに、そう思わずにはいられない存在。
死んだ、そう思っていた。
「イリーナ……さん」
「昔みたいにおねぇちゃんって、呼んでくれないのかしら。寂しいわぁ」
「どうして……生きてたの……?」
「勝手に殺さないでくれるかしら。もちろん、生きてたわよ?」
扇子で口を隠してイリーナが笑う。
「っ! それならどうしてアーガスに連絡してあげなかったんだ! アーガスがどれだけ苦しんだと……」
「あ、お兄ちゃん? さっき会ったわよ。死んでてびっくりしたけど」
何でもないことのように明かされる事実。それは彼女たちがドブロイの仲間であることを意味し、そしてルードたちの敵であることを告白するものでもあった。
「実の兄を何だと……ドブロイがアーガスを殺したんだぞ!」
サラの師であり、ルード自身も昔はよく遊んでもらった相手。師であり、友であったアーガスの実の妹。そんな相手と戦わなければならないという状況に陥ったルードが感じるのは困惑ではなく、怒りだった。純然たる怒り。
何故あなたが。裏切られた。
そんな感情は、イリーナの次の言葉で立ち消えた。
「生き返ってたし、別にいいんじゃない?」
「……は?」
「まあ肉体の成長も止まるし、あの方に絶対服従とか、多少制約はあるかも知れないけど。
些細な問題よね。そうでしょ?」
戦慄する。
人はこうも変わるものなのか。どんな時も必死に命と向き合っていた聖女と呼ばれた女が、発するはずのない言葉。
本心か嘘かは分からない。だがかつての彼女なら嘘でも言うはずのない言葉。
言葉を失うルードとは対照的に、イリーナはまるで昨日の夕食の話をするように、何でもないことのように話し続ける。
「ああ、死霊魔術って素晴らしいわよね。そう思わない? あんなに必死に治そうとしていたのが馬鹿みたいだもの。怪我人も病人も、一回死んであの方に生き返らせて貰えばいいんだわ」
そこにきてそれまで黙っていたウィズが、絶句するルードを見かねたのか口を開いた。
「人が人を生き返らせるなんて、人の領分を外れています」
「そうね。あの方は人と呼ぶには偉大すぎるわ。神と言うべきかしら」
「そんなことを言ってるんじゃありません。人が人を生き返らせるなんて許されない。
それに生き返らせられる人間もそんなこと望んでません!」
「あなたに何が分かるの?」
イリーナはただ一言、そう言った。
事実、ウィズには死者が何を考えているかなんて分からない。望んでるとか望んでないとか分かるはずもない。ただイリーナの発言に底知れぬ嫌悪感を感じ、反射的に否定してしまった。故にイリーナの問いに答えることはできない。
イリーナは押し黙るウィズをしばらくただ見ていた|。
顔に貼り付いているのは依然柔らかな笑みだ。
散歩の途中であったかのようにリラックスしていて機嫌が良さそうにも見える。
だが、その目を見た時、ルードは直感した。
(怒ってる……)
目に炎が燃えているなんてことはない。静かな静かな目。凍てつくという言葉が相応しい冷たい目だった。朗らかな表情とのアンバランスさに怖気が走る。
「何も言わないの?」
「……」
「何も言えないのに、私を否定したの?」
「私なら、生き返らせて欲しいなんて思いません」
「死んでから言ってちょうだい」
ウィズの返事がないことを確認すると、イリーナは長い長いため息をついた。頭をガリガリと激しく掻きむしる。何度も何度も何度も何度も。
その間も、彼女はずっと笑顔だった。
「ねぇ、回復魔術って便利よね」
不意に、そう言った。
そして、
ナイフで自身の左手首を切り落とした。
勢いよく吹き出す血飛沫。跳ねた雫がルードの頬を濡らす。
目を見張る僕たちの前で嫌な音と共に手首が地面に落ちる。
「ああ、痛いわ。でもこれで元通り。
ペンティゴア・リジェンラム」
パッと白い光が点滅する。それだけで失われた腕が一瞬にして生え替わった。
欠損部位の再生。この国では2人しかできない絶技。
地に転がる切り落とされた腕の断片を路端の石のように蹴飛ばし、元聖女が言う。
「前の腕と今の腕、何か違うかしら?
私はね、同じだと思うの。
だったら、多少痛い思いしたなんてこと重要じゃないと思わない?」
「そんなこと……」
「それともルード君は、治療された患者たちは失った血肉を悔やみ続けるべきだと、そう言うつもりかしら? 傷ついた兵士たちにそんなことを?
死霊魔術も同じよ。結局生き返るなら、途中で死んだって大した問題じゃないわ。
お兄ちゃんも、ジュードも。みんな生き返ってみんなハッピー。何が不満なの?」
そう笑うイリーナは一見如何にも自信満々に見える。
だが、ルードは何故だろう、付き合いが長かったからかも知れないし、単に気のせいかも知れないが、彼女の瞳の奥、そして声の響きにある想いが隠されているように思えてならなかった。
「イリーナさんは……そう信じたいだけなんだ。そうでもしないと、ジュードさんやアーガスの死を……」
受け入れられないんだ。そう結ぼうとしたところで、ルードは自分が逆鱗に触れてしまったことに気づいた。
イリーナの顔から笑みが消えていた。
「なんでそんなこと言うの?
ねぇ、ルード君。あなたは知らないのよ。喪った人間に死霊魔術がどれだけの救いに思えるのかを。そのためならどんなこともできてしまうことも。
ルード君? あなたは想像できないのよ。あなたの言葉がどれほど私の心を抉るのかを。引き返せない人間の、その歩んできた道のりを否定される怒りを!!!
そんなことを言えるのはあなたが大切な人を失ったことがないから。サラちゃんが死ねばきっと分かるわ。それか、その女の子が死んでも分かるんじゃないかしら。
ねぇ、どうかしら。
殺しなさい。サルモ」
同時にルードたちのいた場所が何かに薙ぎ払われる。
飛び退いたルードたちはさっきまで立っていた地面がいとも容易く抉りとられるのを見て息を呑んだ。
「な、何ですか……あれ」
ウィズが引き攣った顔で呻く。
ルードもウィズと全く同じ気持ちだった。
触手、と言うのだろうか。サーモンちゃんの背から伸びる毒々しい赤色をしたそれは鞭のようにしなり、人一人肉塊に変えるのに十分すぎる破壊力を持って彼らを襲う。
それはまるで……
「タコの……足?」
「前から思ってたんですけどあれって足なんですかね」
「そんなの今どうでも良くない?」
「おっしゃる通り……ですッ!」
敢えて紙一重で触手を躱したウィズがすれ違いざまにナイフで触手を切り裂いた。
「やりました!」
だが傷口が激しく泡立ったかと思えば触手は瞬く間に再生。
ナイフを振り抜いた体勢で隙を晒したウィズを襲った。
「ウィズ! エチルゴア・フレイド!」
火弾が触手を撃ち抜く。立ち登る煙の中から飛び出してきたウィズがルードのすぐ側に着地、軽く咳き込んだ。
「どうもです。でもできれば火属性以外でお願いします。
煙たいです」
「悪いけど、それしか使えないんだ」
「そうですか、なら仕方ありません」
パチパチパチ。手を叩く音。
見ればイリーナが拍手をしている。
「うまく避けたわね。落ちこぼれだなんだと言われていたけど、随分成長したのね、見違えたわ」
「その子に何をした?」
「サルモのこと? 何もしてないわよ。最近はね。
元々兵器にしようとして作った子だもの。今更手を加える必要ないわ」
「兵器……だって?」
「そう、兵器。人間兵器よ。私たちに絶対服従の哀れな人間兵器。ただの、道具よ」
ルードの脳裏に街でのサーモンちゃんとのやりとりが浮かぶ。とても兵器なんて言葉は似つかわしくない、可愛らしい女の子だった。
そうこうしている間もサーモンちゃんは攻撃の手を休めてはくれない。気づけばルードたちを襲う触手は数を増やし、今では三本の対応を強いられていた。
「ほんとはあの忌々しいラルク・ブレイバーと戦わせるためにこの子たちを作ったの。対勇者用の改造人間。その成功作の第一号がこの子。この子ができるまでに随分な数が死んだわぁ。あはははは! 馬鹿みたい!」
突然ナイフでイリーナが自らの掌を突き刺した。
滴った真っ赤な鮮血。彼女はそれを自らの目元と唇に塗ってみせる。口角が上がっている、笑っているような悍ましい血化粧。
「ああ、この子を連れてあなたが家に来た時はびっくりして笑いそうになったわよ。私は顔に包帯をしてたからあなたは気づかなかったみたいだけど。
ああ、そういえばあなた、この子にパパなんて呼ばれてたわね。あながち間違ってないわ」
「どういうことだっ」
「ベースは攫ってきた熊の亜人。そこにあなたから採った勇者の血を埋め込んでできたのがこのサルモ。だからあなたがパパってのもある意味正しいわ。なんで気づいたのかしらね、親子の絆ってやつかしら。不思議だわ、感動的じゃない?
まあ、その娘にあなたは今から殺されるのだけれど」
『パパ!』そう言って笑うサーモンちゃんの声が嫌でも思い出される。胸がぎゅうと締め付けられる様な感覚の中で、ルードは言葉を絞り出す。
「なんて酷いことを……」
理解されるはずのない抗議の言葉。それは偽りのないルードの本心だった。どうしてそこまで人の道を外れることができるのか。そんなに無慈悲なことができるのか。
「ただの道具に酷いも何も、ないでしょ?
死んだらまた作ればいい。大切な大切な、ただの道具よ」
返ってきたのはまた、この上ない独善的な言葉。
言葉とは反対に、演技がましく頭を撫でて見せるのがまた、嫌悪感を掻き立てる。
「ルード君、耳を貸しちゃダメです。この人性格悪いです」
「分かってる……。あれはもう……僕の知ってるイリーナさんじゃない。戦わなきゃ」
「はい。でもどうしますか。あの子を殺す……のはダメですよね。ええ、分かってます。分かってるのでその情けない顔やめてください。とりあえず気絶を狙いましょう。でも最悪殺しますからね」
「うん、それがいい。ありがと」
ふと思い出したようにウィズがルードに問いかける。
「ルード君って人を気絶させる練習したことあります?」
「あるわけないでしょ」
「私はあります。任せてください。サポート……お願いします!」
サーモンちゃんに向かって駆け出したウィズ。ルードは少し後ろを走りながら迫り来る触手を払い除ける。
近づけば近づくほど触手の手数は増し、ルードたちの接近を許さない。
ウィズとルードの二人がかりでやっと、ジリジリと進むことができるという状況だ。どちらか一人だったなら成す術もなくミンチにされていただろう。
「ッ……。近づけない。厄介です。特にあの再生能力、あれさえなければ……」
「そうだっ! エチルゴア・エンチャンティード!」
魔法陣が展開しルードの剣身が真っ赤に染まる。高熱を帯びた刃は触手を切り落とすと、肉の焼けるじゅわっと言う音と共に傷口を焼いた。驚いたのか一瞬動きが悪くなったのを見逃さず、ルードは流れるように残りの触手も切断する。
勘が当たった。触手は傷口が焼かれれば再生できないという弱点を持ったものだった。
「よしっ、再生しない!」
「ナイスです!」
すかさずウィズが懐から取り出した球を地面に叩きつけると、瞬く間にもうもうとした煙幕があたりに立ち込める。
ウィズがルードの耳元で囁く。
「ルード君はあの女を」
「了解」
煙幕の中から猛然と飛び出し、イリーナへと迫る。対するイリーナは驚いたように目を見開くだけで、逃げるでも応戦するでもなくただ、立ち尽くしていた。
(斬る。斬る。斬るしかないんだ。斬れ! ルード・ブレイバー!)
ルードは減り込むほどの力で柄を握り締め、
「ああぁぁぁぁぁ!!!!!!」
剣を振り上げた。
その決意。偽りではない。
だが、ルードは見てしまった。
「愛してるわ、サルモ」
そうイリーナが呟くのを。
彼女の頬を伝う涙を。
振り下ろされた刃が何も斬ることなく、止まる。
己の甘さを突きつけられ、ルードが天を仰ぐ。
「イリーナさん。もしかして後悔--」
だがルードには見えていない。彼女が背で握るナイフが。
口元がゆっくりと弧を描くのが。
「ああ、あなた。本当に甘いわ」
そしてルードは目にしたのだ。
彼を庇ったウィズに、ナイフが突き立てられるのを。
溢れ出る鮮血を。