第十八話 陰謀
「俺が何をしているのか、そう聞いたな。騎士団長」
ギラギラと輝く眼がアーガスを貫く。
絶対強者としてのラルクのオーラに晒され、跪きそうになる自分を必死で抑える。
「ああ、どうしてこんなことになっている」
ラルクは手の一振りで雷でできた椅子を作り出すと、そこに腰掛け足を組んだ。
「理由は二つだ。
一つ目に同時刻、東門で揉め事があり鎮圧に向かっていた。
無論そちらの騒ぎには気づいていたが、貴様の部下がいたようだから後回しにした。
東門の事件を片付け次第向かったが、着いたときには貴様の部下は既に瀕死、下手人は逃走していた。
そして二つ目、こちらが最も重要だ。
奴はどうしてか俺の探知を欺く手段を持っているらしい。
おかげで今も居場所が掴めん。
俺が着くまでの僅かな時間で騎士団、しかも幹部クラスを無力化した手腕といい、只者ではない。
東門の揉め事も仕込みの可能性がある」
「あいつらは……無事か」
「そこに聖女もいるな。連れて行こう」
そう言って立ち上がったラルクがアーガスとイリーナの腕を掴む。
電気の爆ぜる音と、青い閃光に包まれること数秒。
「着いたぞ」
気付けばそこは騎士団本部の広間。ラルク・ブレイバーにのみ許された高等魔法『雷速移動』だ。
あたりを見回す。
バタバタと団員や医師たちが走り回っていた。さながら戦場のような騒がしさだ。
「止血剤ありったけ持ってこい!」
「お湯だ! あとタオルも! 急げ!」
「非番の回復術師も呼び出せ!」
「団長! 聖女様! そ、それにラルク様!」
アーガスたちに気づいた騎士が駆け寄ってくる。
「あいつらはどこだ」
「はっ! 副団長は第一医務室、第一大隊長は第二医務室です!」
「状態は」
「両名とも複数箇所を切り付けられ意識不明の重体!
さらに傷口に呪いがかかっているらしく、出血が止まりません! 高度な呪いです、我々では手が出せません!
聖女様、どうかお力をお貸しください!」
ちらりとイリーナを見る。
聖女と呼ばれるほどの回復魔術の天才であるイリーナだ。
きっと治してくれるだろう。
ただ問題はイリーナは一人しかいないことだ。
本人はジュードの方に行きたいだろうが、そうすると第一大隊長の方を見捨てる事になる。
もう一人聖女がいれば……
そう唇を噛んだ時だった。
「聖女サラ・ホーテルロイ様ご到着です!!」
前触れの声とともに白髪の少女が広間に駆け込んでくる。
今年六歳になったばかりの新たな聖女サラだ。
「イリーナお姉さま!」
「サラちゃん……!」
「私が片っぽやるから! お姉さまはジュード兄様のところに行ったげて!」
そう言ってブンブンと手を振ると、サラは先導する騎士の後をペタペタと音を立てながら追いかけていった。
あまりにも幼く、一見頼らないがその圧倒的な実力は誰もが知るところだった。
これで人手は足りた。
「イリーナ。ジュードの所へ急げ。お前が治してやるんだ」
「お兄ちゃんは……」
「俺はやることがある。クソ野郎をぶっ殺す」
「っ! 分かった。気をつけてね。
ジュードは必ず私が助けるから、任せて」
イリーナが駆け足で去っていくのを見送りながら、アーガスがラルクに向き直る。
ラルクはと言えば、目を瞑ったまま腕を広げ、押し黙っていた。
身体を青い稲光が薄く包み、髪が逆立っている。
魔力の余波にアーガスの肌がヒリつく。人間のものとは思えない濃度の魔力。
何をしているのかは分からないが、何かをしているのは分かる。
しばらく待つと、チッと小さく舌打ちをしてラルクが目を開いた。
重力に逆らっていた髪がはさりと垂れ、目を覆う。
手で目にかかった髪を払うと忌々しげにラルクが言った。
「やはり探知できん。奴は随分と大人しくしているようだ」
「ラルク、お前の探知は……」
「俺の探知は王都全域の振動を拾う。
逃げようとする者特有の足の音、息遣い、心臓の音に絞って探してみたが、それらしきものがない。
隠れようとしている者も探したが、駄目だな。ガキが何人か遊んでるだけだ。
一般市民に上手く紛れ込んだらしい」
お前もガキだろと言いそうになるが、今はそんな場合ではないと思い直す。
「普通じゃねぇな」
「ああ。王都全域が俺の領域だということは国民皆知るところ。だが術の詳細は開示していない。
こうも上手く躱してくるあたり、何らかの形で俺の情報を得ているようだ」
ラルクの二つ名の一つに『王都の守護者』と言うものがある。
本来なら騎士団に相応しいその名がラルクに冠されるのは、その規格外の探知能力と移動能力故だ。
王都で犯罪を犯せばすぐに勇者が飛んできて制圧される。
多少腕に覚えがあろうとも、ラルク・ブレイバーからすれば誤差に過ぎない。
犯罪は割に合わない。
それが王国民の共通認識である。
ラルクが王都の防衛に関わって以降、王都の犯罪は激減し犯罪組織は姿を消した。今では世界で最も治安の良い都市と呼ばれるほどだ。
一方で国民を監視しているとの批判もあるが、
「文句を言う奴がいるのは平和の証だ」とラルクは自分に対する批判を止めようとすることはなかった。そこらの大人より余程達観している。
「足で探すしかねぇか」
「ああ。街を出る門は既に封鎖した。無理に通ろうとすれば俺の網にかかる。
舐めた真似をしたこいつは絶対に逃がさん。
とはいえ、奴は騎士団幹部二人を落としている。
生半可な者では相手にならん。故に俺と貴様、父上、そしてドブロイ・ネクロマンシーの四人で対応に当たる」
「ドブロイ? 協力するとは思えねぇが」
「先ほど協力を取り付けた。
分不相応にも見返りに俺の血を求めてきたが、
消し炭になりたいかと問うたら随分と協力的になってな。
無償で協力してくれるそうだ。
奴の好意に感謝するといい」
「そう言うのは好意とは言わねぇよ」
「はっ、後で酒でも奢ってやれ。
貴様は事件の起きた7区を探せ。ドブロイ・ネクロマンシーが8区を、父上が6区、残りを俺が対応する。
見つけ次第俺を呼べ」
「いや、もし俺が見つけた時は俺にやらせてくれ。
意味がねぇのは分かってんだが、あいつらの仇は上官である俺がとってやりてぇ」
ラルクの視線がアーガスを射抜く。
合理主義者のラルクからすれば認めがたいわがままだろう。
だが、アーガスとしても譲れないところだった。
「くだらん……が、貴様の腕は知っている。
まあ、良かろう。
俺が見つけた時は俺が処理する。悪く思うなよ?」
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アーガスを七区に転送した後、ラルク・ブレイバーは遥か上空から王都を見下ろしていた。
「仇を取りたいなどと。くだらんプライドだ」
腕を組み、誰もいない空でつまらなさそうに呟く。
視線を左右に走らせ、怪しい人間がいないか探す。
商人同士が商談をしている。夫人たちが集まり井戸端会議をしている。
子供は駆け回り、老人がテラスで茶を飲んでいる。
「あれは……」
ラルクの瞳に映ったのは庭で剣を振り回す幼い男の子。
「ルード。お前が死んだら、俺も同じことを思うのだろうか」
無茶苦茶に剣を振り回しながら指南役に突撃する。
実に不合理だ。
剣を持ったその日に指南役に膝をつかせたラルクには、
どうしてそんな風に戦おうと思うのか微塵も理解できない。
容易くあしらわれ、足をかけられて仰向けにひっくり返る。
何が起きたのか理解できず目をキョトンとさせるルード。
しばらくして何か可笑しかったのか腹を抱えて笑い出してしまった。
以前とある前人未到の迷宮の奥地で、強力な魔物に吹き飛ばされ、転がされたことがあった。
地面の硬さを感じながらも、どうすれば敵を屠ることができるか、ひたすらにそれだけを考えていたラルクには、
敵に転がされどうしてそんな風に笑っていられるのか欠片も理解できない。
仰向けになって空の方を向いたせいで空にいるラルクに気づいたようだ。ルードがラルクに向かって手を振る。
満面の笑みだ。
ラルクは鼻を鳴らすと極小の稲妻をルードの額に落とした。
ギャっと叫び声をあげて痛みでゴロゴロと転がるルード。
それを見てラルクは「ははっ」と短く笑う。
何事かと指南役が空を見上げた時にはもう、ラルクの姿はなかった。
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「くそっ、どこにいやがる」
ギョロギョロと周囲を睨みながらアーガス・ドルチェは街を歩く。
かれこれ30分以上、こうして探しているが手がかりは何もない。
ただ市民を怯えさせているだけだった。
そもそも手がかりが少ない。
持っている情報は中肉中背の男で、黒のローブを目深に被っていたということだけだ。
普通ならローブなんてもう処分しているだろうし、中肉中背の男なんて腐るほどいる。
「そもそも何故騎士団員を狙った? それも二人とも幹部だ。たまたまとは思えねぇ」
騎士団の幹部は指揮力や家柄なども考慮されるが、本人の強さも重んじられる。
ジュードも第一大隊長も騎士団の中では指折りの強さだ。顔も知られている。
ただ騎士団を狙うだけならもっと他の奴を狙いそうなものだ。
さらに話によればジュードたちの傷には呪いがかけられていた。
呪いが付与された武器など滅多にお目にかかれるものではない。しかも精鋭の国家回復術師が手を出せないレベルの呪い。入手は相当苦労したはずだ。
加えて、ラルクの探査を掻い潜るだけの情報と技術を持っている。
十中八九計画的な犯行だ。
そこまで考えてアーガスはある疑問に行き着く。
「どうして今日なんだ?」
騎士団総出でアーガスの誕生日を祝おうとしたその日に決行したのは何故か?
単なる偶然? それにしては出来すぎている。
その答えは向こうからやってきた。
「それは、こういう日でもないと全員で動けないからですよ、団長」
ガチャガチャという甲冑の音とともに、屈強な男たちがアーガスを囲む。
完全武装。敵意は明らかだった。
「何のつもりだ、ウィーン」
アーガスは静かに、ウィーン、アーガスに一番初めに事態を報告に来た男に問いかける。
「この状況を見てもまだ分かりませんか。クーデターですよ、これは」
気分の悪いニヤニヤ笑いを浮かべながらウィーンが答える。
「敵が強者と分かれば団長は一人で探しに出てくる。
私たちの予想は完璧だったようですね。まんまと誘き出されてくれて、ありがとうございます」
「そんなことのために、ジュードとグレイを襲ったのか」
「そんなこと、とは心外ですね。
あなたを確実に殺すため。敬意を持って必要な手を打っただけのことです」
遠くで雷が落ちる音がした。
激しい雷鳴と眩い稲光。
十中八九ラルクの雷だ。
「あれが助けに来るとは思わないことです。
今仲間たちが王都中で同時に事件を起こしています。
あの化け物といえど、全て鎮圧してここに来るまでしばらく時間がかかる」
ウィーンが剣を抜くと同時に周りの騎士団員も武器を構えた。
アーガスも剣に手をかける。部下相手に抜きたくなどなかったが、それはもはや長年の経験故の反射だった。
「なぁ、教えてくれ。俺の、何が気に入らなかった。
どうして、こんなことをしたんだ」
「それはッ!」
ウィーンの剣を正面から受ける。
鍔迫り合いの状況で、アーガスとウィーンの顔が近づく。
僅かな距離で、憎しみに燃えるウィーンの瞳にアーガスが映る。
力一杯押し込もうとしてくるのをいなし、距離を取ると、逃がすまいとウィーンが斬りかかってくる。
「憎かったからだ! 貴族出身でもないあの男を贔屓するのも! あの化け物に好き勝手させているのも! 酒ばかり飲んでいるのも! 強さも! 豪快な笑い声も! どうすれば私たちが成長するか常に考えていることも! 大切に思ってくれていることも! 悩んでいる時は気付いてくれることも! いつのまにかついていきたいと思ってしまうことも!
全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部!
憎かったからだ!!!」
ウィーンの目から血の涙が流れ出し、頬を伝う。
見れば他の騎士たちも同じように血の涙を流している。
憎しみに囚われた人間を、アーガスは何度も見たことがある。が、これは違う。何かが、おかしい。
その光景に、アーガスは初めて恐怖を覚えた。
「お、おい、お前ら! 何があった、ちょっとおかしいぞ!」
血で染まった目がアーガスを睨む。
「「「「ああああああああぁぁぁぁああぁ!!!!」」」」
一斉に騎士たちがアーガスへと殺到する。
状況は悪い。360度を騎士たちに囲まれている。
一人の攻撃を防いだとしても他の騎士に斬られてしまうのは容易に想像がつく。正気かは疑わしいものの彼らも訓練を受けた騎士団員。連携を取りながら一人を制圧する訓練も当然積んでいる。
そこらへんのチンピラとは訳が違う。誰であろうアーガス自身が鍛え上げた自慢の部下たちだ。
その刃が自らに向けられていると言うのはなんとも皮肉なものだった。
「チッ、仕方ねぇ。手荒だが、勘弁しろ。
何があったかは後でキッチリ調べてやる」
頭の中が戦闘モードに切り替わり、動揺や恐怖、それらの感情が切り離される。
瞬時に魔力を練り上げ、地面を大きく踏み鳴らす。
衝撃が伝わり半径数メートルの石畳が砕け、無数の石片が宙を舞った。
突然足元が不安定になり、騎士たちが体勢を崩す。しかしそこは鍛え上げられた猛者たちである。
即座に体制を立て直す。それは舞い上がられた石片が地面に落ちるまでの僅かな時間。
だが、アーガスにとっては十分すぎる時間だった。
「ラァァァッッ!!」
握っていた剣を手放し、騎士たちの胸部へと掌打を打ち込む。
剣が地に落ちて立てるカランという音、騎士たちが発する「かはッ」という苦悶の声が同時に響く。
まずは一人。そこから陣形を瓦解させる。次々と騎士たちを無力化していく。
白目を剥いて倒れ伏した騎士たちを見下ろしながらアーガスは懐から信号弾を取り出した。
パヒュンという軽い音とともに信号弾が上空に向けて緑煙の尾を引きながら打ち上げられていく。
緑色の信号弾は対象を捕獲。という意味だ。直に応援が来て彼らを連行していくことだろう。
剣を拾い、鞘に収めたアーガスはしゃがみこんで一人の騎士の顔を観察する。
指で瞼を押し上げ、瞳を覗く。依然として瞳は赤く染まったままだ。
「だめだ。全然分からん。ドブロイにでも診てもらうしかねぇか」
そう呟いた時だった。
ピクリ。団員の指が動いた。
「もう意識が戻ったのか? そんなはずは……」
糸で操られているような不自然な動きで団員が起き上がる。
ゆらり
ゆらり
瞼は閉じられたまま。筋肉は弛緩しており一切の意思を感じさせない。
ゆらり
にも関わらず、動く。動くはずはない。はずなのに。
「「「「「「団長ぉぉぉぉぉぉ」」」」」
カタカタと歯を鳴らしながら声が喉の奥から絞り出される。
慌てて距離を取り、もう一度剣を構える。
「「「「「「団長ぉぉぉぉぉぉ」」」」」
どうすればいい。殺すしかないのか。
逃げるべきか? いや、それでは民間人に被害が出る。
「くそっ!」
なんの生産性もない悪態。だがそれしか言葉が出ない。
苦楽を共にした仲間たち。できれば殺したくない。
だが、だが、だが、
もしアーガスがもっと弱ければ迷いなんてなかっただろう。
自分や民間人の命が危険に晒されていれば躊躇いなく彼らを斬れただろう。
だが幸か不幸か、この場には彼らとアーガスしかおらず、
そしてアーガスは依然としてこの場における絶対強者だった。
傷を負わずに意識を奪うことも、武器を取り上げることも、殺すことも、逃げることも、
時間を稼ぎながら考えることも、
ありとあらゆる選択肢を取ることができる強者だった。
それ故アーガスは選ぶことができない。より良い正解を求めることを止めることができない。
仮に正解なんてなかったとしてもだ。
「どうすりゃいい……」
そう呻いた時だった。
雷が落ちた。
つんざくような音と共に暴走する騎士たちそれぞれに雷が降り注ぐ。
騎士たちを貫いた雷はまるで矢のようにその場に留まり続け、騎士たちを縫いとめる。
明らかに自然のものではない光景。
こんな離れ業ができるのは王都、いや世界にただ一人。
「ラルク……」
「待たせたな、アーガス・ドルチェ。
ここで最後だ。王都中で暴れていた騎士たちの拘束が完了した」
「……すまねぇ、正直助かった。あんな大見得切ったのによ」
「よい。拘束は貴様の得意とする所ではないのは把握している。
部下を見捨てられんこともな」
「悪ぃ……」
「よいと言ったはずだ。二度も言わせるな。
だが、こちらも謝罪しよう」
思いもよらない言葉。ラルクが一体何を謝罪するというのか?
眉を顰めたアーガス。
その腹部を雷が貫いた。
「ガッッッッ!」
アーガスの全身を電流が走る。
筋肉が強ばり、身体の自由が奪われる。
「悪いが、騎士団長アーガス・ドルチェ。
クーデターの疑いで貴様を拘束する。
貴様の実力は知っている。暴れてくれるなよ?」