第十話 夕凪
「サラ・ホーテルロイはもらっていく……」
そう言って悪魔がうすら笑う。
サラが、サラが、行ってしまう。
必死に手を伸ばすが、届かない。
どれだけ走っても追いつくことができない。
そして周りに誰もいなくなって、
真っ暗になって、
ひとりぼっちになって、
ルードは目覚めた。
「サラっ!!」
「きゃっ!」
弾けるように起き上がる。布団がベッドからずり落ちた。
「ここは……?」
気付けばルードはどこかの部屋にいた。
死者の軍勢など影も形もない。
爆発の跡もない。
あるのはふかふかのベッドだ。
「夢……?」
頬を伝う汗を拭う。
そうか、夢、夢に違いない。
そうでなければドブロイが裏切るはずがない。
ドブロイがあんなこと……
不意に虚な表情をしたアーガスの姿がフラッシュバックする。血の気のない顔、生気の失せた瞳。
夢というには鮮明過ぎる記憶がルードに現実を突きつける。
「ぅおぇっ」
激しい吐き気を催し、必死に堪える。
酸が逆流し、喉の奥が酸っぱくなるが、なんとか抑え込む。
いがいがした不快な感覚がだけが喉に残った。
「だ、大丈夫ですか?」
ルードを気遣う女の子の声。
そこでやっと自分が一人ではないことに気づいた。
その子はすぐ側に立っていた。
「サラ……?」
声色も、口調も何一つ違うのに、
その名が口から出たのはルードの願望故だろうか。
「残念ですが、別人です。目、覚めたんですね」
軽く会釈して差し出された水を飲む。
黒髪をポニーテールにした女の子。
年はルードと同じくらいだろうか。
動きやすそうな薄着に腰に刺さったナイフ。
冒険者、それもシーフと見える。
まん丸の目で覗き込みながら、首に手をあてルードの脈を確認すると一つうなづいた。
「元気そうですね、よかったです。すいませんが、うちのパーティーには回復魔術師がいないのでこれ以上の手当ては無理です」
「う、うん。ありがとう」
戸惑いながら返事をするルードに女の子がにこりと微笑む。
彼女はポーチをがさがさと漁ると、粒状の薬丸を3粒取り出した。
「どうぞ。ガリっとやってください。秘伝の栄養剤です。効果は保証します」
三つまとめて一息に噛み砕く。レモンと蜂蜜に、何かのハーブで香り付けをした甘酸っぱい味が口の中に広がる。
「おいしい」
「気に入りましたか。美味しいですよね、それ。
でも栄養の摂りすぎになっちゃうので、一度に食べるのは一粒までです。それ以上食べると死にます」
「何で三粒渡したの?」
「ふふ、冗談です。何粒食べても大丈夫です。でも私の分がなくなっちゃうので今日はもうあげません」
「そ、そうなんだ……」
大事そうに丸薬をしまう女の子はなんだかリスのようで、少し笑える。
「あ、」
「どうしたの?」
「ふふっ、少し笑ってくれましたね。
笑顔は大事です。笑うと少し元気になりますからね。
私もなるべく笑うようにしてるんです。
今みたいに特別楽しくなくても無理矢理笑顔を作ってみるだけで少しだけ気分がマシになります」
「今無理矢理笑顔作ってるんだ……」
「冗談です。冗談も同じ理由で大切です。
さあ、笑ってください」
「え、えっと」
「ほらほら」
女の子が僕のほっぺをつまみ、無理矢理口角を引っ張りあげる。
少し笑っているような口元になった。
「いい笑顔です」
「あ、ありがとう」
たわいもないやりとりのおかげだろうか、
混乱が徐々に収まってくる。
ルードはアリスが死者の軍勢を倒したあと、彼と少し話をした。そしてアリスが身体の制御を戻した途端、急激な眠気に襲われ意識を失ったのだ。
それからどれだけ時間が経ったのかは分からないが、体感だと半日というところか。
「あ、ところで私の名前、覚えてますか?」
女の子の顔をよく観察する。
人懐っこそうな顔で笑う女の子。
目鼻立ちは整っていて間違いなく美人の部類に入るだろう。正直かわいい。
着用している装備は派手さはないが見たところかなり高価なものだ。結構高位の冒険者なのかもしれない。
こんな特徴的な女の子、一度会ったら忘れそうにないものだが……
「ごめん、分かんない」
ガーン! そんな擬音が聞こえそうな表情でショックを受ける女の子。しばらく固まっていたが、我に戻ると咳払いをし、再度恐る恐るルードに問いかける。
「ま、まあ、無理もありません。で、でも名前くらい覚えてるんじゃないですか。私はウィステリア・ソ……、いえ、ウィステリアと言います。ウィズ、でいいです」
ウィステリア……
やばい、知らない。目が泳ぐのを必死で抑える。
「覚えて……ないですか? 聞いたことも……ない?」
だが期待半分、不安半分といった顔の彼女を前にして、知らないとは言えない。
「あー、ウィステリア。聞いたことある……かな」
結局、お茶を濁した。
ぱぁっとウィズの顔が明るくなる。
「そうですよね! 夕凪のシーフといえば私、ウィステリアですよね!」
夕凪。その名は聞いたことがあった。
ルードたちのパーティー「ルビーブレイブ」と同じAランクパーティーだ。
そこそこベテラン寄りのパーティーと聞いていたが、この子は随分と若い。最近入ったのだろうか。
Aランクパーティーはかなり少ないので、他のパーティーのことぐらい本来知ってて当然だ。ルードはあまり他所に興味がなかったので名前しか知らないが……。
一応ライバルと言えなくもないので、顔どころか名前すら知られていなかったら確かにショックだろう。覚える価値がないと言われてるに等しい。
少し申し訳ない気持ちになる。
「ごめん、ちょっとド忘れしてたみたい。僕はルード・ブレイバー。よろしく」
「よろしくお願いします。ルード君。
それで、本題ですが、何があったんですか?
大きな爆発が何度もあって、ギルドの依頼で様子を見に行ったらあなただけ倒れていたんですけど……。
それから2日も起きませんし、死んでしまったかと」
2日!?
心臓が跳ねた。
「ちょっと待って2日!? 2日も経ってるの!?」
残る時間は僅かなのに、2日も寝て過ごしてしまったとは。
後悔と焦りがルードを駆り立てる。
「ちょっ、お、落ち着いてください!」
部屋から飛び出そうとするルードをウィズが腕を掴んで止める。それを振り解こうとするが、意外にも力が強い。
「放して!」
「もうっ、落ち着きなさい!」
ぐいっと腕を引かれ、反射的に腕を反対に引くが、それに合わせてウィズが脱力し、思わずバランスを崩してしまう。
体勢の崩れたところで肩を押し込まれ、さらに不安定になったところでトドメに足を払われた。支えを失い、重力のまま、真後ろに倒れ込んでしまう。
倒れた拍子に頭を打たないように頭部を抱え込まれるおまけ付きで、ルードは完膚なきまでに床に転がされてしまったのだった。
「ちょっ、放して」
「まだ暴れますか。もうっ」
ウィズはそう言うと、抱えたルードの顔を自分の胸にぎゅーっと押し付けた。焼きたてのパンのように柔らかい感触に、柑橘系の爽やかな香り。年頃の女の子とは思えない滅茶苦茶な行動。
突然の事態にルードの思考がフリーズする。
頬に触れる布地は滑らかで触り心地がいい。
ウィズの薄着からやや高い体温がじわりと伝わる。
衣擦れの音さえもが、ひどくルードを緊張させる。
「きっと、とても辛いことがあったんですね」
ウィズの手が、ルードの髪をゆっくりと撫でる。
「あったかいですか」
耳元で、彼女が囁く。
「心臓の音は、聞こえますか」
鼓動は動いたばかりだからか、少し速い。
「ゆーっくり、深呼吸してください」
耳に触れる、少し熱を感じさせる吐息。
「……いいですね。もう一回。すー、はー。
はい、最後にもう一回」
ゆっくりと、言われた通りに呼吸をした。
「よし、もう落ち着きましたね」
最後に僕の髪をもう一度撫でたところで
「おい、ウィズ。ドタドタうっせぇぞ」
ドアが開いた。
********
「はっ、それでウィズが慰めてたと」
「そ、そうです。慰めてただけですからね!?
パニックになった人を落ち着かせるのはあれが一番いいんです!!」
顔を真っ赤にして暴れるウィズをルードと夕凪のリーダーらしいケインさんで何とか宥め、彼らは卓を囲んでいた。
夕凪はリーダーである戦士のケイン・ケファー、魔導士のミミン、そしてウィズの三人パーティーだ。
「クソチビが大人になったもんだ。
拾った時はこんなに小さかったのによ」
そう言ってケインさんが両手でグラス一個分くらいの隙間を作ってみせた。
ミミンさんが何度もうなづく。
「うむ」
「そんなに小さくありませんでしたから!」
ケインとミミンは人ではない。
エルフだ。随分昔から冒険者をしているらしい。
ある日道で倒れているウィズを見つけて保護したところ、意外とシーフとして使えたためそのままパーティーに入れたのだとか。
「い、言っておきますが、私だって誰かれ構わずあんなことしたりしないですからね!?」
「あ? てことは、ウィズ。こいつに惚れてんのか?
たしかに、多少顔は整ってるが」
「ちっ、違います! ルード君なんてなんとも思ってません!」
「はっ、誰かれ構わずするわけじゃないんだろ?」
「じょ、冗談ですよ? 誰かれ構わずします!」
「痴女が」
「〜〜〜ッ!!! とにかく、違う!」
机をバンッと叩くウィズに、ケインさんが落ち着け、と手を振るジェスチャーをした。
しぶしぶ大人しくなるウィズ。
「まぁいい。俺も冗談だって分かってる。もし好きとか言ったらこいつ殺さないといけないところだったからな」
「ケインさん!?」
「ウィズに手ぇ出したやつは殺す」
血走った目が怖い。穏健そうなエルフのイメージとは真逆にも程がある。
本気で言ってるのではと錯覚するほどだ。
「脅さないでください。リーダー。
あれは私の意思で……あ、いや、私も、別に好きでやったわけじゃないんですが……と、とにかく、ルード君は悪くないんです」
「ウィズがそういうならそれでいい。
だが次は気をつけろ。な?」
乾いた笑顔に背筋が凍る。
目が全く笑っていなかった。
それからもしばらく話を続け、ルードは彼らに何が起きたかを話した。
ドブロイが裏切ったこと。ドブロイが死霊魔術師だったこと。アーガスが殺されたこと。そして、サラが攫われたこと。
アリスのことは秘密にしておいた方がいいだろう。
信じてもらえるか分からないし、アリスの力を狙う者が現れないとも限らないからだ。
ケインにもそこだけは伏せて話をした。
少々不自然なことは否めず、ケインも流石に疑問に思ったのか、ぶつぶつと呟きながら考え込み始めてしまった。
「ドブロイ・ネクロマンシーが裏切った……? 生き残る目はなかったはずだが……。どうやって生き残った……? それにあの破壊の跡……。勇者の家系……クソチビの弟……切り札……?」
だがウィズが目を潤ませながら「大変でしたね……私にできることがあればなんでも言ってください!」と言ったこともあり、ケインも最後には渋々ながら「助けが欲しければ言え」と協力の意思を示してくれた。
「それで、テメェはどうしたい」
当然、答えは決まっていた。
「サラを、助けに行く」
即答。
アリステアは言った。死者を破り、サラを救い出すのはルードの役目だと。敵にはあのアーガスもいる。
それに勝たねばならない。
それは今のルードには高すぎる壁。
「勝ち目はないだろ。テメェは弱い。見りゃ分かる」
「うん、僕は弱い。
でも、それはサラを見捨てる理由にはならない」
ドブロイの悪事を知った時、自分は逃げた。
悪しき魔術師に虐げられるであろう人々を見捨て、逃げた。勇者にあるまじき所業。
サラを守るためと言えば聞こえは良いが、結局のところ勝てないからと、戦うことを放棄しただけだ。自分の弱さを言い訳にして。ドブロイ・ネクロマンシーにはどう足掻いても勝てないと。
今もその考えは変わらない。
変わらないが、
「サラを助ける。
僕はサラの、勇者だから」
決意に燃える眼差しは、砂粒ほども揺るがない。