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8話:路は何処か、理由は何か

 一言で言えば、『紅鷲』が情報を掴んだ事が発端であり、ほぼ全てだった。彼らは規模こそロギの属するトゥマ通商ギルドに劣るが、手は長く、足も速い。

 ある事情により里帰りしていたライラはその情報に触れ、魔鏡を使った符牒で夫にその内容を伝えた。夫であるソルはそれを一字一句信頼し、その通りに賢明に行動した。

 ロギに迫る危険と、それに対する彼なりの逆転策……すなわち暗殺の可能性が最もあり得ると踏んだソルは、獲物の元でロギが現れるのを待っていたのだった。


「なぜ剣での暗殺だと?」

「君がそう判断したのと同じ理由だよ。魔法は都市での犯罪に使えない。どんなに巧妙に隠そうとしても、残った魔力の斑紋を追われれば捕まるからね。相手が王族なら尚の事。だから剣を使うしかない」


 あとは情報と運。サウラン一味が悪企みを練るための小部屋が『紅鷲』の内通者の手によってソルに、そしてロギにも間接的に伝えられた。結果がこれである。


「領主にも情報はリークしてある。サウランは間違いなく罰せられるだろう。まあ、あんな目にあって立ち直れるとも思えないけどね」

「理由が分かりません」

「何の?」

「何故止めたんです?」

「君を?それともサウランを?」

「私です。サウランをただ失脚させても、国の腐敗は止まりませんよ。殺す必要がありました」

「ないよ」

 語気強く、ソルはそう言い放った。


「人が人を殺さなきゃいけない必要なんて、誰にもないよ」

「ソル……貴方の商売ならそうでしょうよ。でも……これは……」

「君の商売は? ねえ吟遊詩人ロギ。違うでしょ。君は暗殺者じゃない」

 教会でお説教でもするかのようにソルはそう言った。実際そうだった。ここは教会で、彼は僧侶なのだ。

「もう一度言うよ。慣れない事は、止した方がいい。剣先が震えてるうちは、まだ戻れるんだから……」


 ソルはそう言うと、自分の短剣を抜いた。眼前に翳したその刃は震えることなく、冷たく光っていた。それを鞘に戻し、ロギに放り投げて言う、

「抜いてごらん」と。


 その言葉の通り、ロギは短剣を抜いた。眼前に翳した。

 ロギの目に、数刻前の小部屋の情景が浮かんだ。紅い血と、苦悶の声とが。

 刃は震えていた。細かく、しかし、確かに。



 ***



 カーマヤの城下町から北方へのルートは限られている。急峻な山岳地帯を踏破するのは困難であるためだ。

 それ故、交易及び連絡に使用される街道は領主によって保護と整備がなされ、隊商は必ずそこを通ることになる。

 逆に言えば、隠密裏に物資を運搬するといった用途には別のルートが使用されるということでもある。

 ただ、どのルートにせよ、トゥマ通商ギルドの手が伸びない場所はない。「紅鷲」独自のルートもなくはないが、海路を利用する極めて大回りなもの程度。


 ソルとロギは、敢えて中央街道を行く隊商に紛れるルートを選び、トゥマを抜けてライラの待つ北方のバド・アイド連合領を目指していた。

 サウランは目論見どおり失脚したものの、トゥマ通商ギルドは裏切り者であるロギを許さない。故に彼は逃げるしか手がなく、ソルはその逃走を手助けする他ない。


「なぜです?」

「僕の不可視魔法も治癒魔法も、痕跡と斑紋が残ってる。捕まりたくない」

「ではなくて、なぜ私を助ける義理が?」

「君は僕の恩人で、君は今とても困ってる。だから僕は助けたい。何より、僕は君の友達だからだ」

「……勝手にしてください」

 隊列の最後尾を歩きつつ、周囲への目を光らせながら二人はそう呟きあった。


「……あの陰、犬がいるね」

「……確かに。魔犬ですか?」

「かも知れない。……先頭へ伝達。『左手後方に魔犬らしき物潜む』」

 ソルが近くにいた隊員に告げる。やがて一行は足を止めた。魔犬が相手であれば、逃げてどうにかなるものでもない。逆に、追い払うのは容易なはずだ。野生の魔犬であれば。


 トゥマ通商ギルドはロギをそれほど熱心に追ってはいなかった。サウランとの繋がりを知る者は上層部のごく一部に過ぎず、ロギ本人は金や権益を横領したわけでもない。姿を消すならば勝手にしろというのが本音だったし、紅鷲の情報もそうソルに伝えていた。冬の旅装でローブとフードを深く纏い、杖もリュートも携帯していなければ誰もロギを見咎めない。そしてトゥマ市を後にし、山を数える程度越えればバド・アイドとの国境は目前だった。


 ディルマさえいなければ。


 魔犬使いディルマはギルドではなく、サウランの手の者から直接依頼を受けていた。そして受けた以上は、その依頼を果たすのが彼の務めであり、信条であった。

 彼の使役する魔犬は30頭に及ぶ。野生の魔犬とは違い、爆発も炎も恐れない。寒さにも強く、何より鼻が利く。ロギを追い、仕留めるのにこれほど適した人材は稀有だろう。


 季節は晩秋。北方へ向かう陸路の隊商は、冬になると翌年の春までは途絶えてしまう。盆地であるトゥマを囲う山々は次第に雪化粧を纏い、日に日に踏破を困難としてゆく。時期的には今が最後のチャンスだった。

 つまり、北へ逃げるとギルド側が予見していれば、当然トゥマ市周辺でロギの通過を阻もうとする。ロギもソルも、それは心得ていた。遂に来たかと身構えた。予想はそこまでは完全に当たっていた。


 しかし何も起きなかった。


「……来ない?」

「成程、上手いことをするね……」

 魔犬は襲い掛かって来なかった。数刻の後、警戒を続けたまま隊は前進を再開した。しかし再度、今度は一行の右手前方に魔犬が数頭確認された。止まる足。しかしやはり、襲っては来ない。

 それが繰り返された。戦闘は一切起きず、隊商に一切の損害は出なかった。損害がない? いや、確かにそれは損害だった。


 予定の半分も進めない場所で、隊商は野営を余儀なくされた。痛い損失だった。貴重な時間の出血だ。彼らは経済活動を行う商人たちの群れなのだから。

 野営の最中にも、魔犬の独特な咆哮が、左程遠くない闇から響いた。

 ロギとソルは交代で警戒に当たりながら、その咆哮の意味する所を否応なく考えた。


 朝、いつのまにか隊の鼻先に小さな紙片が置かれていた。石が積まれていたその紙の端にはご丁寧に魔犬の噛み跡。

 その隊商の長であるケイムは、書かれていた文章を皆の前で読んだ。その内容は

「吟遊詩人ロギにのみ用がある」との一言だけだった。


 ソルが抑えようと思ったときにはもう遅かった。

 黒髪の吟遊詩人はフードを脱ぎ、一歩前へ出て「私のことです」と一言告げた。


 ケイムは立派な商人だった。契約を重んじ、勇敢でもあった。臨時とはいえ隊商のメンバーが厄介事に巻き込まれているのを早々に見捨てる真似は本来しない。

 隊の他のメンバーも、こう愚弄されてはいそうですかとロギを差し出すような情けの無い連中ではなかったのだが。


「申し訳ないが、ここで隊を抜けます。違約金はこれでいかがか?」

「ロギ……」

 ソルは相方の早計な言動に反論を試みようとしたが無駄だった。ロギは本来思慮深い人間なのだが、非常に頑固でもある。

 ケイムは商人である以上、金銭での取引は損得で勘定せざるを得ない。結局、ロギの意思は尊重された。彼は隊を抜け、その場に留まることとなった。


「何度めなのかもう忘れましたが、もう一度聞きます。なぜです?」

「……こっちが聞きたいよ」

 ロギの問いにソルが応えた。彼らが属していた隊商は既に目の前の林道に消えていった。見晴らしのいい岩場に残っているのは彼等だけ。


「言ったろ、僕は君を助けたい」

 ソルは背中越しにそう続けた。無論、彼も違約金を支払い隊を抜けたのである。



 ***



 それから二人は二人だけで旅を続けた。

 魔犬の気配はどこまでも追ってきた。軽率に襲い掛かっては来ない。ロギ一人が相手ならそうしたかもしれないが、明らかに僧侶と思われる相方がその背を守っている。

 魔犬は僧侶とは相性が悪い。破邪結界を張られただけで手が出せなくなるからだ。故に魔犬使いディルマは、彼らの油断と消耗を取り敢えず待つことにした。時間はまだ、ある。


 そう、いつまでも時間がある訳ではなかった。トゥマのさらに北、国境を抜けたならそこはバド=アイド連合領の領内になる。そこで厄介事となれば、「紅鷲」が黙っていない。ディルマが追えるのはその境まで。ロギもそれを解っていた。だから隊商が進んだルートを外れ、最短距離で国境を目指すルートを採った。良い判断だった。しかし運は彼の味方ではなかった。


「来たか……」

 ディルマはそう呟いた。

「……道理で寒い訳だ」

 ソルは空を見上げてそう言った。


 雪が、舞い落ちていた。

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