7話:魔導師Lv18の物語
音に心を乗せて飛ばす。
音は空へと溶けて行く。
そうしていればいずれ、
この御し難い心を全て溶かし尽くしてしまえるだろうか。
***
一言で言えば吟遊詩人ロギは焦っていた。
それは惚れ込んだ相手に協力を断られたせいだけではなかった。
とある街の四つ辻で詩を吟じ、拍手と歓声、それに幾ばくかの路銀の足しとを贈られ、長い髪の吟遊詩人は一礼する。彼はそのまま酒場へと足を向けた。ギルドからの連絡員と接触するためであったが、足取りからも焦りが垣間見られた。
「……今宵の月は?」
「赤い花に似合う半月ですよ」
符丁を抑揚のない声で答えると、連絡員は一瞬眉をひそめたが、懐から巻いた紙束を取り出してロギのマントの下へと滑り込ませた。詩人はそのまま音もなく裏路地へと消えていく。連絡員は怪訝な眼でその背を見送った。
ロギは虚偽の符丁を告げ、本来彼が知るべきではない情報を得ていた。それは今回で既に7度目である。吟遊詩人という立場を活かしてギルド内の諜報活動を行うのが彼本来の役割であったから、そういった行為も不可能ではなかった。無論、非常に危険でもあるのだが。
***
ここで退屈な政治の話をしなければならない。
カーマヤ領は本来貧相な土地である。しかし領内の経済規模は決して低くは無かった。その基盤となっていたのが、硝石の輸出である。
近代に入って発明され、運用、発展を続けた「魔導師殺し」こと黒色火薬と火砲の存在は、元々肥料として価値のあった硝石を更に優秀な輸出品とした。
ただ、硝石は人間世界全体でその生産量に厳格な取り決めが成されていた。何故なら、南の海を越えた先にある魔族領との貿易及び外交の優秀なカードとしても、火薬は使用されていたからである。
ここまでは、カーマヤの領民なら誰でも知っている話。ここからが、ロギの知りえた話となる。
カーマヤには三人の王子がおり、良くある話だが継承権のない第三王子サウランはかなりの野心家であった。彼はカーマヤの北東部にて、密かに硝石脈の調査と発掘を行なわせていた。つまり、隠し鉱山を所有していたのである。
その鉱山の運営と硝石の取引とを実質行なっていたのが、ロギも関係しているトゥマ通商ギルドであった。ギルドの構成員は無論、それら鉱山が存在を公にできないものであることまでは知っている。しかしその元締めが領主ではなく下っ端の第三王子であり、体制転覆を狙って魔族に裏で硝石を密輸しているとは夢にも思っていなかった。
二重三重のスパイ活動を行なった結果、ロギはその真相を知った。先だってカーマヤ領内で魔族が一斉に街を襲ったのも、サウランが魔族に手引きさせて正規軍の戦力疲弊と捜査の撹乱等を狙ったものであり、彼の大規模な作戦計画の一部であったようだ。元を辿れば、ロギはその事件の黒幕を探っていたのだったが、結果として思わぬ大物にぶつかってしまい流石に動揺していた。
「釣り上げた魚が龍だった気分だ」と、彼は戦慄しつつ呟いた。
先刻入手した情報も、上記の説を裏付けていた。状況は確定的。なら、次は?
ロギは裏路地を素早く抜け、広場へと飛び出した。その背後を追う影が2つ。手には刃物。尾行、あるいは刺客がいた。ならこっちの立場も既に確定したということだ。ロギは一瞬で腹を括った。彼は詩人であり魔導師であるが、不器用な男でもあった。求めるものあらば手に入れようと最短距離を採る。敵対するものあらば手にした杖を直ちに振るう。
田舎街の広場は人気もまばらで、幸い巻き込まれた者はいなかった。素晴らしく研ぎ澄まされた精度の爆発魔法が2発。追手の鼻先で爆ぜた。加減などはしない。向かって来るのなら相手になろう。ローブを翻し、動かなくなった追手に一瞥すらせず、ロギは街の外へと一直線に駆けるのだった。
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華美を極めた大広間。その奥の扉を抜けると使用人が職務を遂行するためだけに使う目的の、小道のような地味な廊下がある。更にその奥、何の装飾も施されていないが、しかし堅牢な造りの扉の向こうに、その男たちはいた。おそらく軍属と思われる堂々たる体躯の男が二人と、少年のような顔をした細身の学者風の男。小さな円卓を囲んで彼らは話していた。そこに上下関係のような物は見受けられない。互いに臆することも遠慮することもなく、意見を述べ、情報を行き交わさせ、結論を導いてゆく。
「ラープ領とサトの私兵団の小競り合いは?」
「まだ続いている。どちらも所有する火力に差はない」
「幾ら動かせるか?」
「ラープへは20、サトへは15が用意できる」
「……ラープへ5、サトへ10回せるかい?」
「無論。しかしラープは5でいいのか?」
「ああ、少し痛い目を見てもらっておいた方が、『火砲』のありがた味も解ろうというものさ」
細身の男が、少年のような丸い目を光らせてそう言った。
「承知した。では次の案件。……これは悪い知らせだ」
「聞こう。トゥマの件だね?」
「……そうだ。あの吟遊詩人が姿を消した」
「ふん。あの田舎の地ではそういうこともあろうさ」
「だが、ヤツは確実にクロだ。消えてもらわねばならん。一時的にではなく、永遠にな」
「名前は?」
「……?」
「名前だよ。かの麗しき吟遊詩人様のさ。有名人なんだろ? 知っておきたい」
「……確か、ロギと名乗っていた。詩人であると同時に魔導師でもある。油断ならない相手だ」
「ならディルマに頼もう。空いてるだろう? 彼」
「問題ない。既に手配もしてある」
「流石だね。ならこの件はもうお終いでいい」
「ディルマなら確実に消せると?」
「絶対確実……だなんて思ってないよ。ただ、彼に無理なら誰がやっても無理だ。僕達が頼める駒は他にない。そう思うからね」
「危ういな」
「仕方ないさ。悪企みなんてそんなものでしょう。嫌なら野心なんか最初から持てやしないよ」
細身の男はそう言うと話を切り上げて、二人を下がらせた。明かりを落とした部屋の中、椅子に深く体を埋めて目を閉じるその男の名こそ、サウラン。カーマヤ領領主の第三王子、その人物であった。
不意に扉の開く音がした。サウランは椅子にその身預けたまま「忘れ物かい?」と呟いた。部屋に入って来た人物は答えない。扉を静かに閉めると、既に手にしていた短剣を音も立てず振り上げた。
「あ……!」
驚きの声を上げたサウランは、素早く椅子から身を起こし、自らも壁に立てかけてあった剣を手にする。しかし一瞬遅く、侵入者の剣がその身を貫いた。
「……ん……がぁ……っ!……は……」
サウランはその丸い目を見開き、暗殺者の姿を見た。気道に溢れる血の熱さと猛烈な痛み、例えようのない程の重く深い苦しみにただ苛まれながら、見た。
返り血に染まった手と、表情のない顔、そして部屋の闇に溶け込む長い黒髪。
吟遊詩人ロギのその姿を。
震える手で短剣を引き抜き、ロギはよろめきながら、数歩、後ろへ下がった。失血のショックと痛みで声を出すことも身体を動かすことも叶わなくなったサウランは、静かに床へとくずおれた。
傷はその背にまでは達していなかったようで、見下ろすロギには一見、目の前の男が無傷であるかのようにも見えた。実際は最初に感じた手ごたえの通り、命を奪うのに十分な傷を負わせている。しかし十分であったとしても、念は押さなければならない。ロギは赤く染まった刃を返し、下に向け、再度両手で強く握った。
それを振り下ろそうとした。その手は動かなかった。
震えたまま、中空で剣と両手が、凍ったように動かなくなった。
驚いて両目を見開くロギ。見ると、自分の入った扉がいつの間にか開いていた。円卓に何かがぶつかる音がした。インク壺が倒れた。見えない何かが、そこにいた。
「なぜ…?」
ロギが呟いた。その手を止めている「力」は、彼の記憶にあるものだったから。
「慣れない事は、止した方がいいよ……」
不可視の魔法により姿を視認させないまま、倒れたサウランの傍らから僧侶ソルはそう語ったのだった。
***
「綺麗に突いてくれたお陰で傷は楽に完治できたし、よく眠ってる。多分助かるよ」ソルは姿を現さないままそう言った。
「君が命まで取る必要はない。後は権力者の皆さんが上手くやるはずだから」
「何を言って……」
「いいから、もう逃げよう。捕まりたくないから魔法じゃなくて剣を振るったんだろ?」
ソルのその声をきっかけに、ロギの両手が自由になった。剣はまだその手にあり、倒すべき敵は目の前で横になっている。しかし……。
ロギは剣を見つめ、苛立ちとともに円卓へと振り下ろした。刃は深々とその中央に突き立ち、細かく震えた。
紅く染まったその刃のすぐ下に、ロギはペンを走らせた。ソルの零したインクに浸して書いたその文字列、「次の幸運はない」。その意味は明らかだ。そして手早く傍らの書類を手に取り、懐へと収めた後、ロギとソルとはその部屋を後にした。
カーマヤの城下町、その一角にある小さな教会の祈祷所へ、二人は逃げ延びた。追っ手はない。ここまで、全ては隠密裏に行なわれた。
「……説明してください」ロギが外套を脱ぎもせずに言った。表情は全くなく、言葉は氷のように冷ややかだった。
「いいよ……」不可視魔法を解き、その小柄な姿を現したソルは、外套を脱ぎながらそう答えた。