6話:何を疑い、何を信じるか
さらに5秒後、ハリムの周囲に控えていた護衛の背後から、槍を再度手にしたソルが飛び降りてきた。自分で作った結界を自ら足場として跳んだのだった。
「……ライラ、肩を診せて」
「毒?」
「かもしれないから、念のため。……はい、これでいいと思う」
ソルがライラの傷を一瞬で治療する。盗賊達は動けなかった。決闘が始まって今に至るまでの所作全てで、彼等に呑まれてしまっていたのだ。
「ああ、そうだ。お前らは動かなくていい」
ハリムは部下達に告げる。そのまま両手を上げて、ライラの要求のままに進む。部下に通路を開けさせ、ソル達の馬車まで歩き、その足で乗り込んだ。
「誰も追って来るな。もし影の一つでも見せたなら、無事に頭目が帰る事は無いと思え」
ライラは念を入れたが、盗賊達は知っていた。それなり以上の力量を持つ僧侶と戦士が人質を取るという事の意味を。それは即ち、「切断した部位を強制的に止血し、二度と完治しないよう治療してしまうことができる」ということの恐ろしさだった。
夕刻までまだ少しの猶予があるかという時間帯。空は曇っていたが、視界は開けている。ソルにはこの周辺の地形に見覚えがあった。以前、ロギと共にシグラを目指した際、通過した山道だ。盗賊達は、先だって壊滅した村の一区画を、堂々とアジトにしていたらしい。
「……ここでもう、いいのか?」
細い林道の外れでハリムが問う。
「はい。貴方を解放するという約束は違えられませんから」
ソルが答える。
「仁義を尽くしてくれて、礼を言う」
ライラもハリムに向けていた剣を下ろし、軽く一礼した。
「構わんさ。だがこの縛りが解けたら、手下を連れてすぐに追うから覚悟するんだな」
「承知しています」
「そうか。……ならいい」
ハリムの両手はソルの呪文により一時的に縛られているが、馬車が十分距離をとった頃には解けるよう調整されていた。
「二人とも、堅気にしておくには惜しい腕だ。気が変わったらウチへ来るといい」
「お互い、命があれば」
ライラはそう告げて剣を納めると、馬車に乗り込んだ。
馬車は林道を滑るように進んで行く。ライラは思い詰めたような表情で、夫の背を見つめていた。
「まだ……痛む?」
「全然。気にしないで。さっきちゃんと治したからね」
ソルがつとめて明るい声音でそう言った。ライラが次に言うだろう言葉を聞きたくないが為の、彼なりの精一杯の言葉だったが、
「ごめんなさい……」
結局、ライラはその言葉を口にした。ソルはやりきれないといったような表情をしたが、眼だけは真っ直ぐに進行方向を見つめて返答する。
「……こっちこそ、ごめん。僕がもっと……。いや、よそうよ。元々、盗賊に囲まれた場合の対処は僕にはできないから、君に任せるしかなかったんだ。それが上手く行った。そういうことでいいじゃない」
ソルはそう言い切ってから、笑ってみせた。
ライラはその笑顔に、自分の父親の面影を見た。ソルは父とは全然似ていないが、何故だろう。彼女はかつて、父親と荒野をさすらった日々を思い出していた。
ライラの父が『紅鷲』のアルヴォードだというのは本当の事だった。しかし彼は娘に盗賊稼業を続けさせる気はなかった。自身が足を洗えない事も悔いていたが、それは叶わなかった。ならばせめて娘には日の当たる世界に暮らして欲しい。ライラはそんな、父の願いを叶えたかった。
「……そろそろ、来るかも知れないな」
「え、何が……?」
ライラが、夫の言葉を聞いてはっと顔を上げた数十秒後。まるで狙いすましたかのように、その姿が彼等の視界に入って来た。
「やっぱり来た。律儀だなぁ……ロギは」
馬車の進行方向数百メートル先に、長い髪を風にそよがせながら、吟遊詩人でもある魔導師の細い影が立っていた。その手にリュートではなく、戦闘用の杖を握りしめて。
***
ソルは馬車をある程度進めてから降り、ロギに向かって歩いた。ライラは馬車の側に残り、二人の様子を見守る。無論、その右手は剣を握っていた。
「……やあ。そろそろ来ると思ってたよ」
ソルは武器を持たず、ロギの手前3メートル程度の位置までぶらぶらと歩いて行ってから、そう声をかけた。
「先回りがバレてましたか。でも何故?」
「また近い内に会いに来るって言ったのは君だろうに」
「そうでしたね。じゃあ、用件も想定されてますか?」
「うん。多分」
ロギが杖を構えた。ライラが飛び出す。ソルは動かない。馬車の馬が驚いて走り出そうとしたが、ソルが一瞥するとすぐに大人しくなった。
「……二対一でも勝てると思ってるの?」
ライラが鋭く言い放つ。ロギは半歩下がりながら
「その必要はないです。そんなの、幾らなんでもおこがましいですよね」と言った。続けて、
「……ただ、この場で派手な音を立てて時間をそれなりに稼げば、あなた方がどれだけ困るだろうかという事なら、察していますよ」
と告げた。
ライラは剣に手をかけたまま、ロギの速唱より先に、確実に一太刀浴びせられる距離を測っていた。
「何が望みだい?」
ソルが声のトーンを変えずに問う。
「私の仲間になってもらえませんか?」
ロギが答えとして問う。
「盗賊ギルドの仲間に?」
「いいえ。私個人の、です」
ロギは杖を構えたまま、それまでソルに見せたことのない真剣な、そして少しだけ哀しそうな表情でそう告げた。
「……断る。残念だけど」
ソルが、ライラとロギの間合いに片手を挟むように上げて、そう言った。ライラの眼がソルに向くが、ロギは動かない。
「君は間違ってる。らしくないよ。いつもみたいに冷静だったなら、こんな勧誘は逆効果だってすぐに分かったろうに」
ソルは言葉を続けた。その声は普段より若干、甲高く聴こえた。
「ですが貴方の奥方は街の兵士で……」
「私が邪魔だって言うの? 盗賊の片棒担がせるには?!」ライラが叫ぶ。
「それは違います!」ロギは即座に否定するが、
「なら何故、こんな所で待ち伏せを?」というソルの問に対しては即答できない。
「……誰だって、焦る事くらいありますよ」
と、弁解するのが精々だった。ソルはそれを聞いたが、特に追及しようとはせず
「行こう、ライラ」
とだけ、妻に言った。
「……え? でも」
「大丈夫」
ソルはライラの左手を握り、馬車へと歩き出す。
「ソル。貴方こそ、らしくないですよ!」
ロギが叫んだ。
「私の事を大して詮索もしないで、無防備な背中を晒している。貴方は私が信じられないから私の誘いを蹴るのでしょう? なのに後ろから撃たれないという自信があるんですか?!」
「うるさい!!」
振り返りざま、ソルが叫んだ。
「……僕は今回の件が、どこまで君の仕組んだ事なのか知らない。ただの偶然で僕とライラは捕らえられ、偶然君は僕に出会って取引を持ちかけ、偶然ライラのスキルと機転のお陰で助かって、偶然、盗賊の頭目ハリムもまあまあ話の解る男だった。そう言う事もあるのかも知れないからね。だけど……」
ソルはそこで言葉を一旦切った。そして自分を恥じるように頭を軽く降り、声のトーンを普段通りにまで落としてから
「僕は一度、一緒に死線を越えた君の言葉は信じてるよ。……背中だって、幾らでも見せてやれる。だって君がいなかったら、僕もライラも生きてはいなかったんだから」
と、告げた。
「………」
ロギは動かず、言葉も発せずに、ソルの眼だけをじっと見つめていた。
「ただ、ライラを巻き込まないで欲しいんだ……。君の誘いや僕を試すような態度は許せても、それだけは許せない」
ソルもまた、ロギの眼を見つめた。数秒の沈黙。やがてロギは無言で振り返ると、
道沿いの木立の中へと消えて行った。
***
「彼にとって、私がただの兵士ってだけじゃなく、アルヴォードの娘だってのが誤算だったのかな……?」
「……どうだろうね。違うと思いたいけど」
ソルは感情を殺した声で答えたが、ライラは自分の夫ほどには気にしていなかった。ロギが一連の事件の裏にいたのだとしたら、ソルを仲間に引き入れるために障害となるライラを人質とした可能性があったろうし、場合によっては『消す』プランまで用意していたかも知れないという事を意味するのだが。
「盗賊だろうと兵士だろうと、結局、剣の道なんてこういうものよ。……そんなに怒らないで」
ライラは家に二人でいる時のような声でソルの背に語った。
「怒ってないよ」
「私にじゃなくて、ロギによ?」
「怒ってない」
「そう?」
「そうだよ。……こんな程度の事でいつまでも怒ってられないよ。もっと酷いだまし討ちや、裏切り行為だって僕は色々知ってる。例えばさ、これは僕がまだ剣しか知らない青二才で、西のロジマ領との国境紛争に参加してたときの事だけど……」
ライラは知っていた。夫が珍しく饒舌になるときは、自分の感情をごまかそうとしているときだと。
続く言葉に適当な相槌を打ちながら、ライラは自分の夫は結局、どこまでもお人好しなのだなと、しみじみ思いつつ、少しだけ口元を緩めて、馬車の背もたれに身を委ねていった。
「あ、見えたよライラ」
静かに寝息を立て始めた妻にはもう聞こえていなかったが、ソルは優しい声音で
「僕らの町だ」
と告げて、紅く染まった街門へと馬車を滑らせていった。