5話:窮地においても冷徹でいられるか
「……ロギ……。一体、何が?」
「そうですね。順を追って説明が要るでしょう。まずはご紹介しますよ。こちら私の友人で、ハリム君」
吟遊詩人はそう静かに語ると、横に立つ人物に目配せし、続けた。
「所謂、盗賊団の頭目を勤められています」
「……その紹介は正確じゃない。我々は通商ギルドだ。盗賊行為は目的に対する一手段に過ぎん」
ハリムと呼ばれた体格の良い男は、軽い口調でそう口を挟んだが、別に冗談という訳でもないらしい。太い腕を腰胸元で組み、ソルの反応を注視している。
「いえいえ、ギルド内の盗賊部門で最も有力視されているのは貴方の部隊でしょう? であれば、先の説明は間違いではないし、理解もし易かろうと思いますよ」
「だが、それでは要らん誤解も生むだろうさ。なあ、ソル君……だったか? こんな所に閉じ込めてしまってすまん。非礼を詫びさせてもらう。が、先ずはこっちの
話を聞いてくれ」
低い、穏やかな声でハリムが言った。慣れているなと、ソルは思った。つまり、ここは盗賊団のアジトであり、自分を囚えているのは先の襲撃を非常に手際良く行った抜け目の無い盗賊なのだ。そして、ロギもまたその身内らしい。ソルは口を挟まず、自分の心中を悟られないよう注意しながら、冷静にハリムの語る内容に耳を傾けた。
ハリムの語った内容は明確だった。要約する必要もあまりないが、要するに彼等は盗賊であり、先日の三人の密入領者達は彼等を裏切った逃亡者だった。団内の資産を持ち逃げしてシグラへの侵入を図ったが失敗し、粛清と口封じのために殺された。ソル達の移送経路は事前に知られており、周到な準備が可能だった。ただ、一つだけ予想外の事態が発生していたが。
「あんたの連れていた戦士のお嬢さんさ。アルヴォードの娘だとはなぁ……」
ソルはその名前を知っていた。勿論、自分の妻の父親の名前だ。会ったことは無かったが、ライラから話は聞いていた。彼女を鍛え上げた立派な父親であり、ここより北の地で傭兵をやっているとの話だったが。
「『紅鷲』のアルヴォードと言えば、泣く子も黙る大盗賊ですね」
吟遊詩人が長い髪を一房、指で弄びながら言った。
「『紅鷲』は、ウチらのギルドとは不干渉の関係だ。獲物の競合が起きた場合の取り決めもない。ラッキーだったな、アンタ」
「……?」
ソルは冒険者であり、裏社会のしきたりや取り決めに疎いわけではなかったが、ハリムの言葉が指す意味を即座に理解することはできなかった。
「アンタを背中から斬ったあのお嬢さんの言い分はこうだ。
『あの僧侶はシグラで僧正を務めてるやり手だ。利用価値があるから近付いて隙を伺っていた。シグラの教会に身代金を要求するも良しだし、脅して盗賊仲間に引き入れるのも良しだろう。』
……とさ。どこまで本気の言葉なのかは分からんが、俺ら下っぱの裁量で『紅鷲』とトラブル起こす訳にもいかんからな。今、使いを出してギルド幹部の意向を確認してる所だ」
ハリムはそこまで言ってから、ソルの目を覗き込み、言葉を切った。しばしの静寂。ハリムはゆっくりと懐に手を入れ、黒光りする細いナイフを抜いた。
「そうだな。そうやって冷静にしてるのが賢い選択だ。あんたの両手の枷は確かなブツでな、人力で外せるもんじゃ無い上、外さない限りはどんな低ランクの魔法も使えんだろうし……よッ!」
突然、ハリムの腕が弧を描き、ナイフが空を切って飛んだ。熱い体液が飛び散る。ソルがその方向に目を動かすと、牢の石壁にナイフで火サソリが縫い付けられていた。
「……少なくとも、使いが戻るまではアンタの命は預かっといてやる。下手な事はせずに、大人しくしといてくれ」盗賊の頭は低い声で淡々とそう告げ、壁からナイフを抜き取った。
「ハリム、少し彼と話をしても?」
「ああ、構わんが手短にな」
ロギはハリムが牢を去って行くのを静かに見送ってから、ソルの方に向き直った。
「……怪我の具合はどうですか?」
「悪くはないよ」
「なら良かった。流石はライラ。上手に斬ったようですね」
ロギはそう言って笑うが、ソルは表情を変えなかった。
「……君が盗賊と懇意だったとはね」
「言ってませんでしたか? でもまあ、吟遊詩人なんてやくざな商売やってると、どうしても彼らとは親しくならざるを得ませんから」
ロギが自嘲気味に肩をすくめて見せる。
「付き合ってみると、案外良い人達ですよ?」
「口封じで、かつての仲間を簡単に殺す程度には、かい?」
「身内だった者にはより厳しいって事です。軍隊や教会とも、そう変わらないでしょう」
「……それで、本題は?」
ソルが促す。ロギは口元の笑みを消すと静かに言った。
「少し前にした話をもう一度したいだけです。仲間になってくれませんか? つまり、『私達』の仲間に」
「…………」
以前の話と言葉は同じであっても、事ここに至っては意味の重さが異なった。要は、盗賊の片棒を担げと、目の前の男は誘っているのだ。
ソルは答えなかった。言葉を返そうかと何度か顔を上げて口を開こうとするが、その度に言葉を飲み込んでしまう。
「……返事は急ぎません。が、そんなに時間的な余裕があるわけでもないのは解ってますよね? ……また、会いに来ます。そのときは、良い返事を期待させてくだい」
ロギは声のトーンを落としたままそれだけを告げると、長い髪を軽くなびかせてその場を去った。
ソルはそれを見届けてから、大きく息を吐いて床に膝を落とし、
「……ライラ……」
と呟いた。
***
女戦士は瞼を閉じて粗末な作りのベッドに横たわっていた。油断なく、剣はいつでも抜けるよう傍らに置いていたが、防具は外して身体を休めていた。
その右手が持ち上がり、顔の前で握られ、また開かれた。ライラは瞼を開いてその右手を見つめた。そして、何かの想いを振り払うかのように頭を横に振るうと、ベッドから身体を起こし、今度は左手を見つめた。
彼女の左手には古い傷があった。かつて、父親の元で盗賊の一員として剣を振るっていた頃に付けられた物だった。運悪く、その場には回復魔法をかけられる仲間がおらず、命に別状はなかったが握力の大半を失ってしまっていた。槍や両手剣が扱えないのはその傷のせいと言える。軽くため息を吐いたライラは、両手を目の前で握り、その中心を見つめた。祈るような、挑むような瞳で。
「……ライラ嬢。お頭が呼んでます」
ノックと同時にそんな声が部屋の外から聞こえてきた。
「分かった。すぐ行く」
ライラは剣を取ると、ベッドから立って部屋の外へと向かった。
***
「『紅鷲』とコトは構えない。穏便に済ませろ。とのお達しだそうだ」
ハリムは牢の前にライラと並んで立ち、そう告げた。
「賢明な判断だな」
ライラは眉ひとつ動かさずにそう応じた。
「ギルドの幹部連は穏健な連中で固められてるからな。こういう返答もまあ、予想はしていたさ」
「なら、私はこのアジトをもう去って良い筈だな?」
「理屈では、そうだ」
「理屈では?」
「ああ、心情的にはあんたをここからタダで出すつもりはない」
ハリムはそう言いながら一歩退いた。反射的に剣へと手をかけようとしたライラは、ハリムの背後に立つ彼の部下数人が、既に戦闘体勢を整えているのを見て、動きを止めた。
「バカな、どういうつもりだ?!」
ライラは焦りを感じさせない凛とした声で問う。
「まあそう急かず、こっちの言い分も聞いてくれ」ハリムは敵意が無い事を示すつもりらしい作り 笑顔で言葉を続けた。
「要はこういうことだ。俺にはな、どうしても確かめたい疑問があるんだよ。つまり、あんたは本当に『紅鷲』の一味なのか? って疑問だ」
「何を今更。短剣に刻まれた刻印を確認し、私や父の顔に見覚えがあると言う貴様の部下の証言も聞いた筈だ!」
ライラは刺すように反論する。しかしハリムは動じない。
「アルヴォードの娘だというのは信じるが、それとこれとは別問題だ。じゃあ質問を変えようか。あんたは本当に盗賊なのか?」
「?!……」
「アルヴォードは確かに大盗賊だ。そしてあんたはその娘なんだろう。だが、シグラ市の保安兵団を本気で裏切って『こちら側』に立つつもりが本当にあるのか? その証拠を見せて貰いたい。そう言うことだ」
「ああ。……それなら理解できなくもない。だがどうしろと? 何をもって証とすれば良いのか」
ライラが鋭く問う。だがその言葉の切っ先をハリムは軽くいなして、自分も言葉を返した。
「俺達はあんたに仁義を立てた。なら、あんたも立ててくれればいい。つまり」
ハリムは指を立て、その先を牢の奥にふいと向けて言い放った。
「その僧を斬って見せてくれ」と。
「……僧正一人の身代金の相場は心得ているつもりだ。あんたがそいつを斬って俺達と協力関係を結んでくれるのなら、相場の五割り増しで払ってもいい。安い投資だ。
だがあんたがハナっから街を裏切る気がなく、俺達の裏をかくつもりだったならどうだ? 二人とも無傷で離してやるって目はこっちとしてもリスクが高すぎるって理解してもらえるよな? あんたも盗賊だっていうんならな」
ハリムは落ち着いた声で言葉を継ぐ。ライラは反論しない。
ややあって、女戦士が沈黙を破った。
「……いいだろう。ただ、丸腰の相手を斬るのは流儀に反する」
「なら、決闘という形にしてもいい。僧正さんも聞いたな? あんたにも得物は返してやる。二人で共闘して逃げられても困るんで『枷』は外してやれんがな。ライラ嬢のハンデは……防具なしでどうだ?」
「異論はない」
ライラは即答した。
「あんたはどうだ?」
ハリムは再度、ソルに問う。
「従うしか……ないでしょうよ」
血の気の引いた顔でそう答えたソルを、ライラは表情の無い目で一瞥した。
***
朽ちた教会のホール中央に、ソルとライラは互いの武器を持って対峙した。周囲は一段高い通路を観客席代わりとして盗賊達が取り囲んでいる。出口はバリケードで固められ、ソル達の脱出を阻んでいた。軽いざわめきの他に音はなく、静まっていた。盗賊達にとっては退屈しのぎのいい見世物かと思われたが、弛緩せずに統率されているのが見てとれた。ただ言葉数は少なくとも金銭のやり取りは行われており、そのオッズはライラの勝ちに傾いているようだった。
「始めてくれ」
ハリムが告げる。落ち着いた、有無を言わせない声だった。
僧であるソルにとって決闘など初めての経験であったろう。もっと仰々しいものかと彼は思っていたようだが、始まりの合図がシンプルなら、続く進行も抑揚の無いものだった。
ライラは剣を構え、こちらの隙をうかがっている。ソルの武器は槍。ライラには使えない武器であり、リーチにおいて分がある。
距離をとっている限り、ライラからは攻撃できない間合いから、ソルは一歩的に斬りつけることも可能だった。しかしソルはライラの踏み込み速度を知っている。距離を詰められたら並みの使い手では対処できないという事も。故にソルは槍を低目に構え、ライラの挙動を注視していた。対するライラはソルの構えを崩す為にか、細かく動く。互いの動作が生む音はごく微かであり、周囲で見守る盗賊達の気配にすらかき消された。無音よりも重い静寂がホールを満たす。その静寂を先に破ったのは、ソルの槍だった。
「……ふっ!!」
ライラの足元を槍が薙ぐ。軽くバックステップで避けるライラ。ソルは続けて突くが、その切っ先が鈍い音と共に払われた。ライラは槍の穂先を叩いた剣を返しつつ一気に踏み込む。ソルはしかし、既に読んでいたのか、槍を短く構え直して横へ跳んでいた。追うように跳ぶライラ。ソルは槍をその鼻先に素早く突き付けようとするが、豹の様に跳ねる剣に全て弾かれてしまう。乱れた槍の挙動を縫って剣が走る。しかし一刹那だけ速く避けるソル。追う剣。応じる槍。弾く剣。避ける槍。
盗賊達はその応酬に目を奪われていた。そして気付いていなかった。それが彼等の狙いであった事にも。
ソルはある地点で急に足を止めた。再度ライラの足元を突く。ライラは切っ先を避け、そして踏みつけた。ソルの動きが槍ごと止まる。槍の上をライラが駆け、そして高く跳んだ。
「おぉおおぁあッ!!!」
ライラが咆哮と共に剣を振り下ろす。
ソルは槍を手放し、両腕を頭の上にかざした。瞬時に続けて響く、鈍い金属音。
ソルの両腕から『枷』が割れ落ちた。
その割れた金属片が床に落ちるよりも速くライラが『宙』を蹴る。何もないようにしか見えない空間に確かに存在を許されたソルの物理結界魔法が、ライラの足場となり、観戦していたハリムの真正面へと彼女を跳躍させたのだ。
時間にして約2秒。ハリムは懐のナイフを2本投げていたが、1本はライラの剣に弾かれ、もう1本は肩を掠めるのが精一杯だった。
「全員動くな!!」
美しく張りのある声がホールを震わせた。声の主が持つ剣は頭目の首元にあり、肩の傷の意趣返しとでも言うのか、薄皮一枚だけに傷をつけて静止していた。